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独りの夜、二人の朝 3


「あれー? いいんちょう?」
 ペットボトルのジュースを物色していると、気の抜けた声が背後からかかった。振り返ると、見知った顔が立っている。珍しい顔だ。
「……芝崎くんだ」
 自分と共に、級長をしている芝崎である。こんなところで会うなど初めてのことだった。手にはコーラとスナック菓子が握られていて、パーカートレーナーにジーンズというラフないでたちだった。
「委員長、どうしたのこんな夜更けに?」
「んー、どうしても、甘いもの食べたくなって。芝崎くんは? 珍しいね。芝崎君、このあたりだったっけ? おうち」
「違うぜ。今日は、いとこンちに泊まりなんだ。この辺りなんだよ、俺のいとこ」
「へぇー」
 頷きながら、みちるは通路ごし遠くに見える住宅街を見つめた。みちるの家も叶の家も、どちらかといえば商店街寄りにあるのでこの周辺にはあまりこないが、人気の住宅街だった。駅や小学校中学校といった教育の場にも近い。大型のスーパーもある。
「じゃぁそのお菓子は、買出し?」
「そうそう。なんつったってなー! 徹夜予定だしな! 腹が減っては戦ができねぇっていうし、食料は買い込んでおかないとさ!」
「徹夜予定なんだ……」
 私生活でも元気極まりないことだ。すばらしいと思う。
「委員長も、この辺りだったっけ?」
「ううん」
 みちるは手近なジュースを一本選び、カゴに放り込むと、レジに向かってゆっくりと歩き出した。
「違うよ。でもここが一番近いコンビニなの。急になんか甘いもの食べたくなって、自分で作るのも面倒だったから買いに来た」
「へぇー。今から食べんの?」
「家に帰ってからね」
「マジで?」
 芝崎が驚くのもわかる。みちるが下げるカゴの中に入っているのはスフレチーズケーキとオレンジゼリー、まるごとバナナと、杏仁豆腐。なんとも甘いもののオンパレードだったからだ。
 就寝前に食べるようなものではないだろう。
「もしかして、委員長のところもお泊り会とか? 佐々木さんとかと」
「ううん。私一人」
「……なのにこれ、たべんの? 今から?」
「さすがに、全部は食べられないだろうけどね」
 くすくすと笑いながら、みちるはカゴをレジに置いた。大学生ぐらいの年頃の青年が、自動的とも思えるほどのなれた手つきでバーコードを読み取っていく。
 会計を済ませ、外に出る。コンビニの中と外ではかなりの温度差があって、自動ドアが開いた瞬間吹き込んできたひやりとした風に、みちるは思わず身を縮ませた。
「今日、冷えるよなぁ」
 いつの間にか傍に立っていた芝崎が、持っていたナップサックからマフラーを取り出しながら呟く。みちるは頷いた。
「今日、本当に寒いね」
「本格的に冬だよなぁ。そろそろ、初雪、ふるかなぁ」
「そうだね。……芝崎君、もしかしてそのナップ、買い物袋?」
 マフラーを取り出したナップサックからは、彼が先ほど握っていたスナック菓子の袋が覗いている。みちるの指摘に、おう、と同意を示して芝崎は破顔した。
「うちの母ちゃんがうるさくて。親父と揃ってエコ嗜好! 特に親父なんか、エコがいかに大事か、拳ふるって力説するからさぁ。なんであんなに熱血なんだ?」
「……お父さんに似てるって、言われない?」
「……実は結構言われる」
 肩を落として呻く芝崎に、みちるは笑った。
 芝崎。通称「熱血」。由来は彼が自分の主張を、拳を振るい、鼻息を荒くして熱弁するところから。
 しばしばみちるも、その被害を被っている。
(ご両親に似ている、か)
 自分には、縁遠い話だ。
 みちるは戦利品のビニール袋を持ち直すと、両手を擦って息をかけた。今日は本当に、よく冷える。
 芝崎に別れを告げて歩き出そうとしたみちるは、目の前に突き出されたマフラーに目を瞬かせた。
「……なんですか? コレ」
「なんですかコレはないだろー?」
 思わず素の出たみちるの呻きに、芝崎が嘆く。
「寒そうにしてたからさ。俺のいとこの家、このすぐ傍だけど、委員長は商店街よりだろ? ここから結構遠いよなぁ」
「……うん」
「だからもってけ!」
「うーん。でもね」
「でもねじゃない! 女の子は身体を冷やすと大変なんだ! うちのかーちゃんなんていっつも腰がいたいっていうしそれは若い頃から冷えに悩まされてたからでうちのねーちゃんも」
「あ、うん。借りてく」
 なんだか芝崎の話が長くなりそうだった。みちるは半ばマフラーをひったくるようにして受け取り、嘆息した。ひとまず、礼は言わねばなるまい。笑顔を取り繕い、芝崎を見上げ。
「ありが」
「芝崎」
 口にした礼の言葉は、聞き知った男の声に遮られた。


 コンビニの駐車場に足を踏み入れた叶は、寒いだろうにコンビニの入り口付近で立ち話をしているなじみの顔をみつけた。
 一人は芝崎。クラスメイトの少年だ。彼に恨みはないはずだというのに、今日は無性に見たくない顔だった。
 もうひとりは、みちる。
 こんな夜中に一体何をしているのだろう。彼女の家からこのコンビニへは、叶の家からの道のりよりも遠い。 時刻は深夜をすでに回っている。健全な女子高生が一人で出歩いていいような時刻ではないと思う。
 苛立ちは、理由もわからぬままにさらにつのる。それでも「自分のことを知らない」、ただのクラスメイトの少年がいる。それだけの理由から、叶はいつも通りの笑顔を浮かべて彼ら二人に歩み寄った。
「芝崎じゃん。どうしたの? 家、この近くじゃないはずだよねぇ?」
「この辺りにいとこが住んでて、今日はそこで泊まりなんだよ。つっか妹尾、お前どこ行ってたんだ? スーツなんて着てよ?」
「夜のお仕事」
「うっわなんだそれホストかよ、ガチ似合うけど。つーか、犯罪じゃねぇの? 」
「あのさぁ、間に受けないでよ芝崎。今日は父さんの会社の家族会? とかいうのに行ってたの。パーティーみたいなやつ。だからスーツ」
「へぇーすげなぁ。お前の親父さん、けっこうおっきい会社に勤めてんの?」
 そうだとも、違うとも言わず、叶はただ笑顔と沈黙で芝崎の問いに返答した。
 彼の横に並ぶみちるは、心底胡散臭そうな顔をしている。うそばっかり。そんな彼女の声が聞こえてきそうだった。
「散里さんは、何をしてるの?」
 柔らかな声音でみちるに問いかける。愛想と甘やかさを織り交ぜた声音で。
 我ながら、含みを持たせた問いだと思った。
 みちるの代わりに芝崎が答える。
「夜中なのに、甘いもの食べたくなって買いにきたんだってよ」
 今さっき、ばったりここで会ってさぁ。能天気な芝崎の言葉に得体の知れない安堵のような感情を覚えながら、同時に叶は胸中を蝕む不快感に笑顔を忘れそうになった。
 イライラする。芝崎から受け取ったマフラーを握り締めて、こちらを静かにも上げているみちるは、口を開こうとしない。
 何故答えない。何故笑顔を消す。芝崎とは、楽しそうに会話をしていたくせに。
 そんな風に笑うから、男たちにかわいいなどといわれたりするのだ。
「ちるさ」
「どうして――……」
 ようやく呟きに唇を動かしたみちるは、怪訝そうだった。
「どうして、そんなに、いらいら、しているの?」
 笑顔が。
 消えた。
 取り繕うことが、できなくなった。
「へ? いらいら? 妹尾が?」
 先ほどまで軽口を叩きながら笑い合っていたクラスメイトが、苛立っているなどと想像も付かなかったのだろう。何を言っているんだといわんばかりに、芝崎がみちるを凝視する。
 みちるは、問いを繰り返す。
「……どうしたの?」
(こっちが、訊きたい)
 誰か教えて欲しい。
 この、苛立ちの正体。
 ただ一つ、しっかりと認識できたのは、許せない、という感情。
 こんな風に笑顔の壁を簡単に突き抜けて、自分の心中にあっさりと到達してしまう女の隣に、自分以外の男が立つ。それがどうしても、許せなかった。
「え?」
「お、おい」
 芝崎とみちるがほぼ同時に、驚きの呻きをあげる。だがかまわず、叶はみちるの手首をとって歩き出した。
 ふと思いつき、みちるの手からマフラーを取り上げる。それを芝崎のほうへぽんと放り投げて、叶は呟いた。
「返す」
 放り投げられたマフラーは、芝崎の頭をふわりと覆う。それを横目で一瞥し、叶は、歩調を速めた。


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