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おいしいごはんにありつくには


 彼女を作るとおいしいご飯が食べられない。
 最近そのことに気が付いた。


「それでね、ごっつんがぁ」
 昼休み、学生食堂で彼女と一緒に昼食をとる。相手は最近自分に告白してきた後輩で、母親が作ったものらしい弁当をつっつきながら、「ごっつん」こと数学の後藤教諭の愚痴を並べ立てる。うんうんと笑顔で頷いて相槌を打つ僕自身が、時々馬鹿らしい。
「妹尾! 俺も仲間に入れろ!」
 クラスメイトがきつねうどんの乗ったトレイを持って、僕の隣にどんと陣取った。驚きに目を見張った彼女が、こちらのクラスメイトにぺこりと頭を下げる。このクラスメイトは底抜けに明るく屈託のないやつで、どんな「彼女」とも、最初に仲良くなる僕の友人。話を盛り上げる役を彼に任せ、トレイに乗った、学食のラーメンを平らげる。
 味気ないな、と思った。麺類は、腹持ちも悪いんだよね。


「おなかすいたー」
 カウンターにもたれかかりながらの僕の主張に。
「お買い上げありがとう。で、何にするの?」
 エプロンを身に着け、三角巾で頭を覆ったみちるが、淡々と応じる。
 部活の帰りにみちるのパン屋に寄って、腹を満たしていくのが日課になりつつあるなぁと思う。ひんやりとしたガラスに頬をつけたまま、僕はハムキャベツサンドを指差した。マヨネーズと刻みキャベツ、ハムだけが挟まったバターロールだけど、意外においしいんだよねこれ。
「お腹すいたって、あんたちゃんと食べてんの? 昼」
 彼女がまたできたのは、ごくごく最近のことだったし。それまでここのところはみちると奈々子の三人で昼食をとっていたから、食事を取ってるのかどうか心配してくれてるんだろう。みちるは、僕が食事に関して結構怠惰だっていうこと知ってるし。
「食べてるよ。学食で。母親みたいなこというなよ口うるさいなぁ」
「……じゃぁ言わないわよ。悪かったわね」
 僕のいやみに、軽く肩をすくめてみちるが呻く。彼女はケースの中から僕の指定したロールパンを一つとって、僕に直接渡した。普通の客だったらきちんと紙袋に入れるところだろうけれど。
「他はいいの?」
「いいよ。とりあえず、何か小腹に入れたいだけだもん」
 手に握っていた百円玉を彼女の手のひらに落として、僕は袋から出したそれをくわえる。
「でもさぁ、麺類ばっかりだと飽きるね」
 みちるの家で作られるパンはどれも素朴でひねりのないものばっかだけれど、慣れはしても飽きない味だなといつも思う。それに比べて学食の麺類もインスタントヌードルも、すぐに飽きる。
「みちる、なんか作って」
 そろそろ麺類以外が恋しく思えて、僕はみちるに気軽に請う。少し前まで昼食時に彼女の料理の相伴に預かっていた身としては、彼女の作る家庭的な料理がすっごく恋しかった。けれどみちるは呆れかえった眼差しを僕に向けて、嘆息した。
「あのね、なんで私があんたのご飯作らなきゃならないの」
「じゃぁ弁当」
「彼女に作ってもらいなさいよ。大体あんた自分で料理できるじゃない」
 確かに簡単なものならできる。というか、基本うちの兄弟にできないものがほとんどないんだよね。
 だけどさー。
「めんどくさい」
 自分で作るのは至極当然だけど面倒くさい。
「彼女いると、弁当作ってもらえないんだ?」
「当たり前でしょ」
 ずびし、と人差し指を僕の額に突きつけて、彼女は言った。
「彼女持ちのくせに、別の女に弁当作らせようとするだなんて、あんた彼女に失礼だと思わないわけ?」
「……失礼なの?」
「……コイツ、肝心なところで人間性欠落してるから疲れるわ私も」
 僕に見せ付けるように大きく嘆息して、脱力したみちるは、頬杖を付いて話を続ける。
「例えばよ、叶。あんたが女だったとして、自分の彼氏が自分とは別の女から……母親とかそういう人を除いてよ? お弁当作ってもらって、それをお昼自分の前で食べてるって、気分悪くならない?」
「僕、女じゃないしなぁ」
 立場を逆転させて考えてみたけど、まぁ自分が料理へたくそなら、上手な女に作ってもらうのは仕方ないかなぁとか思うし。それが嫌なら、僕自身が料理をがんばって相手に作ってやればいいだけの話で。
「あー! もう!」
 僕の返答に頭を抱えたみちるが、声を多少荒げて言った。
「じゃぁ、自分の彼女が自分だけにお弁当作ってくれていたのに、ある日その彼女が、自分のまったく知らない男にお弁当を作り始めたっていうのは!?」
 僕はわからないと首を横に振った。その時点で説明することをあきらめたらしい。みちるは、疲れた表情で仕事に戻る。
 彼女に、作らせろ、か。
 そういえばあまりそんなこと頼んでみたこともなかったけど、頼んだら作ってもらえるものなのかな。
「彼女に頼めば、作ってもらえたりするもん?」
「そりゃ私に頼むよりも確実だと思うよ。あ、いらっしゃいませ」
 邪魔だといわんばかりの視線を寄越して、みちるが後からやってきた客に向かい合う。客の視線がちらちらこちらに刺さるのを感じながら、僕はパンを加えたまま歩き出した。


 僕は「彼女」と呼ばれる存在に特別に何かを求めたような記憶がない。付き合ってって言われるから付き合うし、二人同時に相手にするのはさすがにトラブルの元だからやめるけど、相手を楽しませてあげることもそれなりに好きだ。だけど、僕のほうから求めることってあまりないような気がする。
 だから、彼女に弁当を作ってって頼んでみるのは、初めてだった。みちるだったら嫌そうな顔をしてすげなく断るところだろうけど、すごくうれしそうな顔で作ってくるねといわれたら、僕も悪い気はしなかった。

 しなかったんだけど。


「……どう? おいしい?」
 彼女が不安そうに尋ねてくる。まぁ、味は悪くないから頷いたことは頷いたけど、やっぱりみちるのより味は比べ物にならないほどおちるよなぁっていうのが正直な感想。むしろ比べてごめんなさい。
 僕が頼んだから、母親か誰かについていてもらって作ってるっていう感じの弁当は、不恰好なものに混じって、冷凍食品のものも多い。一回はいいけど、たぶん、毎日頼むのは無理だろうな。
 最近社会人の女の人でも自炊しないひと増えてるっていうニュースを頻繁にきくのもなんだか頷ける気がする。
 とりあえず弁当を空にした。この子に晩、ご飯を作りにきてもらうのも無理だろうし。彼女を持って、みちるがご飯作ってくれないんだったら、彼女を持つのも考え物だなぁと僕は初めて思った。




「彼女さんはどうしたのよ?」
「別れた」
 昨日の夜には明日の昼飯よろしく、と念押しのメール。昼、いつもの屋上にふらりと現れた叶は何事もなかったかのように箸を持ち出して、私の作った弁当をつっつき始めた。叶がとろうとしたエビフライを横から奪いながら、奈々子が意地悪げな微笑を浮かべる。
「どうしたんだい色男? 今回の彼女は特に短いね」
「人の勝手だろー」
「泣かれなかったのか?」
「いい夢みせてくれてありがとうって言われた」
 今度は叶が奈々子の取ろうとした鶏肉の煮付けを横取りする。叶と奈々子の攻防戦を眺めながら、私は確かに今回は早かったなぁと思った。
 いつもだったら、彼女さんともう少し続くはずだ。叶から別れを切り出すことはほとんどない。だから大抵叶の笑顔が自分にだけ向けられるものじゃない、嘘っぱちだと感づいた女の子のほうが、痺れを切らして別れを切り出すほうが多いのだ。そうするまでにはかなりの時間、最低でも二ヶ月程度はかかると思うんだけど、今回の彼女さんは、一ヶ月も経ってない。
「どうしたの? なんかあった?」
 結構珍しい出来事だったもんだから、心配して顔を覗き込んだけど、叶はあっけらかんとしていて、私の口の中に出し巻き卵を突っ込みながら、にこりと笑った。
「栄養失調になるなぁって思っただけだよ」
「……んぐ……」
 口の中に放り込まれた出し巻き卵を一生懸命咀嚼しながら、栄養失調って何のこと、と、私の頭はクエスチョンマークでいっぱいになってしまったのだった。


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