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第一章 潜伏する内通者 1 


 紅き国を打ち立てし聖女は、子らの安らぎを魔に願いて、その御身をまぼろばの地へと預け給う。
 天は世の楽を極めし緑の園。地は苦難にて魔を縛する獄の如し。
 主よ。獄より解放されし我らが愛しき聖女に、永劫たる安寧を――……。

 横たわる聖女の傍ら、突き立てた剣の柄に両手を重ねて、騎士は項垂れている。
 魔の公国建国史終幕を描いた宗教画。
『聖女の死を嘆く騎士』だ。
「マリアージュ、聞いているかい?」
 マリアージュは天井近くの壁面から視線を下げた。ロディマスが対面の席で不快感をあらわにしている。
「悪いわね、聞いていなかったわ」
「……この塔の居心地はどう? 不足はないかな?」
「不足はないわね。快適よ。いつも揺れているわけでもないし」
 大陸会議出席にあたり、馬車暮らしがひと月強に及んだばかりだ。寒村で借り暮らしをしていたときのように、辺りが砂だらけというわけでもなし。物資が乏しいこともない。
「でも、居心地については、自由に勝るものはない、とでも答えておけばよいのかしら? ロディマス」
 マリアージュの皮肉に、ロディマスは眉間を折りたたんだ。
 小スカナジアからの帰途に一服盛られ、次に目覚めたとき、マリアージュはデルリゲイリア王城の一角に存在する塔のなかだった。かなり奥まった位置にあり、王城本宮からのみ出入り可能な、閉鎖性の高い塔だ。ダイと散歩がてらに視察したとき、小聖堂を備えた外観が印象的だったことを覚えている。
 内装は女王が普段使いしている居室のそれと遜色ない。大きな差は絵画の存在だろう。四匹の獣を従えた主神の姿絵に始まり、魔の公国建国史を写実的に描いた宗教画が、この部屋の天井や扉より高位の壁面を埋めている。柱の持ち送りには野薔薇。扉や窓枠には薔薇の蕾と茨の意匠。デルリゲイリアの城内で、ここまで聖女を意識した建物も珍しい。
 もうひとつ敢えて特徴を挙げるなら、窓ははめ殺し。そのすべてに魔術文様をかたどった金属の柵がはめ込まれている点か。どう考えても貴人の収監を目的とした造りだ。
 つまるところ、監禁されている。
 その人間相手に居心地をどうのと訊くなど無粋も甚だしい。
 マリアージュは膝の上の手を組み替えて小首をかしげた。
「そんなくだらないことを確かめに来たわけではないのでしょう? 何の用なの?」
 マリアージュが覚醒してから十日ほど。その間まったく音沙汰のなかった宰相が、忙しい時間を割いてわざわざ会いに来た。暇つぶしの雑談に興じるためではなかろう。
「……女王の再審議に入った。君は否とされ、新女王の即位後もこちらで療養。その後、病没する」
 ロディマスの判断でマリアージュは女王として不適格とされた。再審議は単なる対外的な姿勢だ。
 今後に発表される公式の筋書きに、マリアージュはそっけなく頷いた。
「そ。……ミズウィーリはどうするつもり?」
「取りつぶしになる。使用人たちは僕が……テディウス家が保護する」
「ならいいわ」
 父が死去してから数を減らし、今もミズウィーリに残る使用人は、行き場のない者たちばかりと聞いている。放逐されないならばよい。ロディマスが面倒を見るなら悪いようにもされないだろう。
「新女王様はいつ即位なさるご予定かしら?」
「答えることはできない」
「私の病死とやらはいつ?」
「……年明け、以降だ」
 マリアージュは把握している従来の予定と照らし合わせた。聖女の祝祭を皮切りに、冬は女王の取り仕切る行事が多いのだ。マリアージュもそれらに合わせるべく、小スカナジアからの帰国の日程を組んでいた。
 冬の行事を新しい女王に任せるつもりか。何にせよ、新女王の即位はそう遠くないということだ。
 答えることのできる範囲であれば、ロディマスは質問に応じるらしい。マリアージュは次に気に掛かっていたことを尋ねた。
「ルディア夫人はどうなさっているの?」
「蟄居なさっている。事実上の軟禁だ。ガートルードは伯父上が主として返り咲かれた」
「……伯父?」
「バイラム・ガートルードだ」
 マリアージュは驚きに目を見張った。
 バイラム。ルディアの夫でアリシュエルの父。娘を追い詰めて、彼女の恋人を殺した男だ。ルディアが彼をどう処分したのか、マリアージュは知らなかったが――生かされていたのか。
「ガートルード一門は君の後見の座を降りたよ」
「そう」
「……ほかに、訊きたいことは?」
 ロディマスが渋い顔で追及する。
 マリアージュは鼻で嗤った。訊きたいこと。わかっているだろうに。
「ダイはどうなったの?」
「タルターザで行方知れずのままだ」
「探す気は?」
「君が女王ではなくなるのに、探す必要はないだろう?」
 マリアージュは息を吐き、椅子の背に身体を預けた。
「私からの質問は終わりよ」
 用がないなら帰れと言外に告げる。
 だがロディマスは椅子から動こうとしなかった。
「……僕がどうして君から離れたのか、訊かないのか」
「何を言い出すのかと思ったら……。あんたの行動の理由なんて、どうだっていいわよ。それとも何? 僕はこんな理由で君を陥れざるを得ませんでした。仕方がなかったんですって、許しでも請うつもり?」
 思わず、笑ってしまった。
 子どもに諭すような心地で、マリアージュは彼に告げる。
「ねぇ、ロディマス。あんたは私を殺す立場を宰相として、自分で選んだわけでしょう? ならそんな罪悪感にまみれた顔じゃなくて、君が道を誤ったんだって、もっとふてぶてしく、堂々としていなさいよ」
「それは――ディトラウト・イェルニのようにかい?」
 ロディマスからの意外な返しに、マリアージュは一拍おいてから肯定した。
「そうよ」
 ダイに。
 ディアナ・セトラに。
 想いを傾けていた少女に、これは裏切りではないと、厚顔にも言い切った。
 ヒース・リヴォートのように。
 長い沈黙。
 ロディマスはのろのろと両手で顔を覆った。
 そして勝手に語り始めた。
「君たちを小スカナジアへ送り出したあと、上級貴族と政務官たち、それぞれ過半数から連名で、君の執政に問題があるとの意見書が、僕に提出された。国政の比重があまりに国外――外交政策に傾きすぎていて、内政を疎かにしているという内容だった」
 事実、マリアージュは即位してからこの二年間、移動距離の都合で仕方のないこととはいえ、年の三分の一を国外で過ごしている。今年の社交こそ注力したが、その時季が終わって早々に、小スカナジアに向けて出発した。
 ひとたび外へ出れば、国内で取り沙汰される諸問題の大概が、メイゼンブル崩壊に端を発した大陸の荒廃にあると理解できる。だが貴族の大半は治める領地と王都間を除いて移動しない。城の文官たちは言わずもがな。国外の情勢に疎い、ないし、理解してはいても、そこまでと思っていない者が、国内では大半を占めていた。
「外政に重きを置く君の政治姿勢は現状、必要なことと僕も認識しているし、内政を疎かにしているわけでもない。貴族や政務官たちの、君の治政に関する不満だけなら突っぱねられた。……僕が見逃せなかったのは、君の即位の経緯についてだ」
 ペルフィリアへの表敬訪問に同行していた官のなかに、ヒース・リヴォートを見たことのある者がいたらしい。
 女王選出中、城勤めの者たちは城外に出られない。従ってヒースの姿を目撃することはないはずだが、件の官はマリアージュ即位時の公募を通じて任官された新参だった。女王選出の儀の最中に開かれた催し物で、かの男を目にしたという。
 その官の口から、ミズウィーリ家当主代行だった男と、ペルフィリア宰相の姿が酷似しているという噂が、王都の貴族たちに広がったらしい。
 もしもヒースとディトラウトに血縁があるなら、彼らを立役者として上級貴族の末席から玉座に登り詰めたマリアージュは、国の執政をペルフィリアの女王に売り渡そうとしているのではないか。
 そのような懸念が意見書の中に記されていたのだと、ロディマスは述べた。
 件のふたりは血縁どころか同一人物だ。ロディマスはそれを知っている。
「彼らの疑問に僕は明確な答えを返すことができなかった。意見書は取り下げられず、僕は女王法に則って、君の行いが玉座に在る者として相応しいかを確認しなければならない」
 女王選出の儀を経て即位した者に問題があると、上級貴族と政務官の一定数が同意した場合、メイゼンブルより遣わされた官、もしくは、先代女王の血縁がその代役となって女王の行いを監査する。
 そして問題ありと断定されれば、女王の再選出に入る。多くの場合、女王選で次席だった者が新しい女王だ。
 ロディマスは意見書の提出者たちと密約を交わしていた。大陸会議中、マリアージュに懸念されるような行動が見られた場合、マリアージュを拘束すると。
「彼らの疑念は杞憂だと、僕は小スカナジアで思っていたよ。国のためにああも動いて、他国の執政者たちと渡り合う。君のような女王を戴けて、僕らは幸せだと。……でも」
 大陸会議も終わりに近づいたさなか。
 ディトラウトとダイの関係が発覚した。
 ロディマスが掠れた声で糾弾する。
「マリアージュ、君は、あの男のことをただ伏せていたのではなかった。君は――きみたちは、庇っていたんだ! あの男を! 僕らの妹を、殺したかもしれない男を……!」
 ロディマスは最後まで葛藤したのだろう。宰相という立場。マリアージュを信じたい男としての想い。その狭間で。
 ロディマスに先も述べた。道を誤った方はマリアージュ。ロディマスではない。ペルフィリアでヒースだった男を見出したときにすべてを告白すべきだった。自分は、そうしなかった。
 好きにすればよいと、ロディマスに言った。
 マリアージュは目を伏せる。
 ロディマスの発言の中に不可解な点があった。
「あんたの妹を殺したって、どういうことなの?」
 妹とはつまるところ、エヴェリーナ王女だ。本来の次期女王だった娘である。
 ロディマスが己の髪をくしゃりと握る。
「君がどうして女王候補として選ばれたのか。……君は理由を覚えているかい?」
「ほかに誰もいなかったからでしょ。流行病にかかって適当な年回りの子たちがいなくなってしまった」
「そう。そして、エヴァもその病で亡くなった」
 その言葉が意味するところを悟って、マリアージュは息を呑んだ。
「まさか」
「その、まさかだ」
 ロディマスが面を上げる。
 彼は血走った目をして、絞り出すように言った。
「あの病は、作為的に広められた可能性が高いんだよ、マリアージュ」
 あの男が病に見せかけて、王女や上級貴族の娘を殺してまわったと、ロディマスは示唆しているのだ。
 時系列を整理してみれば、ヒースが現れたころから、病は王都に広がっている。
 だが、と、マリアージュは疑問を呈した。
「さすがに無理があるんじゃないの? アレは下町にも広がって、大勢の死者を出したっていう、正真正銘の流行病よ。そんなもの、故意に広められるものなの?」
「病そのものを広げる方法はある。それに、病の蔓延とその病に似た症状を発症させる毒物の投与。両方を同時に実行していたとしたら? 暗殺は流行病の影に隠れる。……実際、エヴァの死は他殺だと母は見ていた」
 断定しかねているうちに女王自身も身罷ったのだ。
 ロディマスの告白にマリアージュはゆるゆると頭を振った。
「仮にそうだったとしても、ヒースは王女に謁見できる身分にはなかったわ」
 あのころのヒースはまだ、ミズウィーリの単なるいち使用人に過ぎなかった。父の遣いで上級貴族の娘には会えたかもしれない。が、王女へ毒を盛れるほど、近づくには無理がある。
 ロディマスが反駁する。
「死去した上級に連なる娘のなかに、エヴァと仲のよかった子もいたんだ。その娘とヒース・リヴォートは顔を合わせている。ミズウィーリの業務録と娘の家の訪問名簿から裏はとった。そして彼女は彼と会ってからそう経たないうちに儚くなっている。エヴァが倒れたのもそのころだ」
 ヒースはあの美貌だ。理知的で、立ち振る舞いも並の貴族では比較にならぬほど洗練されている。彼に甘言を囁かれれば、大抵の女子は陥落するだろう。少々の身分差など、世間知らずな娘の恋を盛り上げる、ほどよい刺激にしかならない。
 ヒースがエヴェリーナの友人を唆して、王女に毒を盛ることは可能だったか――是だ。
 エヴェリーナの友人だけではない。死した上級貴族の娘の大半と、ヒースは接触を持っていたらしい。当時の彼の身分を考えれば、異常だ。
「君の父君だって例外じゃないよ。あの時期に急逝したのは、君を傀儡とするのに父君が邪魔だったから……あの男が手をかけたとすれば説明がつく」
 ロディマスから指摘されたように、マリアージュの父の死は唐突だった。
 高熱に倒れ、ヒースを当主代行に任ずると、まぼろばの地へ逝くまで瞬く間だった。
(……お父様が?)
 ――あの男に、殺された?
『女王になりなさい……』
 いまわの際。
 父はマリアージュを初めて真っ直ぐに見て遺言した。
『ヒースによく従い……女王になるんだ。マリアージュ……』
「君とヒースが最初から協力しあっていたとは思えない。でも、途中からはどうだったのか。君が潔白であると、僕には断言できない」
 疑わしきは、切り捨てよ。
 それが謀略の渦巻く政(まつりごと)の舞台で生き残る秘訣だ。
 宰相として、この国の行く末を見届けるよう、先代女王より命じられた王子として、彼はマリアージュを女王の座から降ろさなければならなかった。
 縋るような目で、ふるえた声音で、ロディマスが請う。
「……死にたくないと言ってくれ。マリアージュ……」
 マリアージュは吐息して答えた。
「考えさせて」
 軽く瞠目したロディマスは、それ以上、何も言うことなく席を立った。
 マリアージュは退室する男を見送り、扉の横に佇立したままの男に視線を移す。
「あんたも何か言いたいことがあるの? アッセ」
 護衛として無言で控えていたアッセは、宰相に次いで退室する気配を見せない。口をはくはくと動かしながら、紡ぐ言葉を考えあぐねている。
 彼の発言を待っていたマリアージュは、先ほど問い忘れていたことを思い出した。
「ダイに付けていた官たちは、いまどうしてるの?」
 ランディやユベールを初めとした騎士。ダイの世話や仕事の補佐を務めていた女官。商人たちとの遣り取りを代行していた文官。それなりの人数がダイ付きとして働いていた。
「新しい部署に振り分けられた」
 アッセの言い方からすると、軟禁されてこそいないが、監視が付いているのだろう。とはいえ、彼らが無事なようで何よりだ。
 ひとたび口を開いて、弾みがついたらしい。
 アッセがマリアージュを見据えて告げる。
「兄上がダイを探さないのは、探しだし、無事だったとしても、状況次第で、まぼろばの地へ、彼女を追いやれと、命じなければならなくなるからだ」
「私もロディが好き好んで知人を殺したがる人間だなんて思ってないわよ」
「……そうか」
 アッセはあからさまに安堵を滲ませた。兄ほどではないにしろ、彼もわかりやすい人間だと思う。そのように心の柔い部分をさらけ出して、大丈夫かと逆に心配になるぐらいだ。
 アッセは再び何かを言いかけて、結局は何も述べずに部屋を出た。
 居室にひとり残されて、マリアージュは肩の力を抜く。テディウス兄弟が自分の知る彼らだったことに、どうやら安心しているらしかった。ふたりが冷笑を浮かべて、処刑を即刻に言い渡すようであれば、さすがの自分も衝撃を受けていたに違いない。
 猶予があるという点もそれはそれで考えものだが。
(状況はある程度はわかったけど……)
 どうにもならない。そもそもこの状況は自業自得だ。ロディマスの様子から、死なないだけなら可能だとして。見えぬその先に暗澹とした思いしか抱けない。
 いまは、前に道を敷く者も、道往きの供もいない。
 自分ひとりだった。
 拳を握る。指先が冷えるほど。
 身が、凍える。
 息を吐き、上掛けが欲しいと立ち上がったところで、外から人の来訪を告げられた。今日は客人の多い日だ。
 女をひとり連れて入った番兵が手短に紹介する。
「ここでの世話役である。よろしくするように」
 入室した女は、女官にしては、派手な女だった。
 衣装は中級あたりの貴族女性が纏う一般的なもの。顔立ちも髪型もごく普通。だが独特の華があった。
 幸か不幸か、見覚えがある。
 番兵が去って扉が閉じられ、マリアージュは唖然となりながら呻いた。
「あ、あんた……」
「あらぁ? その反応。もしかして、あたしを覚えておいでなの?」
 自分の記憶が確かなら、このようなところにいるはずのない女だ。
 マリアージュは唾を嚥下して、目眩を覚えながら名を呼んだ。
「アルマ?」
「ヤダうれしい。ホントに覚えているのね」
 女が紅の塗られたくちびるで弧を描く。猫を思わせるつり目は楽しげだ。
 一度だけ足を踏み入れた、ダイの育った娼館で、マリアージュを案内した芸妓。
 彼女は己の胸に手を当て、嫣然と笑って名乗った。
「こちらでは初めましてねぇ。改めて、アルマティンっていうの――今日からよろしくネ。女王サマ」


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