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第三章 夢想する後援者 3 


 ベツレイム家の当主いわく、シルヴィアナを含む女王候補の行方が知れないのだという。
「女王候補全員?」
「シルヴィアナ、クリステル……」
「メリアも?」
 当主が無言で肯定を示す。
 マリアージュは頭痛を覚えた。
「ではやはり、次の女王はリリスなのね」
 当主がくちびるを引き結んでマリアージュを見返している。その表情から、マリアージュの推測は正しいとわかる。
 マリアージュは彼を睥睨して次の疑問を投げた。
「いつから?」
「……ひと月ほど前からです」
 マリアージュの詰問に当主が苦々しく答える。マリアージュは顎に手を当てた。
(わたしが捕まった、直後、ぐらい……?)
 社交季が終わってから妻子は領地へ戻っていた。当主だけが王都に残っていた。理由は敢えて問うまい。
「この件を知るのはだれ?」
「我が家ではわたしと妻と執事長、侍女頭が。ホイスルウィズムやカースンも同様でしょう」
「探させてはいないの?」
「おります。しかし、調査は遅々として進んでおりません……」
 対象が女王候補たちだと周知していないため、捜索する者たちも情報を集めかねているらしい。
「どうして公表しないの?」
「なにゆえできましょうか!?」
「あの子たちの命が大切ならできるでしょう。なぜできないの?」
 顔色を失う当主を見て、マリアージュは悟った。
「あぁ……いま、女王候補を失ったなんて、下位の家々に知られるわけにいかなかったわね。だってあなたたち、わたくしを蹴り落としたあとをだれにするか、決めている最中だったものね?」
 中級と下級の貴族たちは、自身の指示する上級の家から、女王が誕生することを望んでいる。
 女王としてのマリアージュに、皆で団結して否を突きつけ、さぁ次の女王を、と相談している最中に、肝心の候補者を失ったとは言えないだろう。
「カースンの女王候補変更を騒ぎ立てていないのは、シルヴィアナたちの不在を悟られないようにするため?」
「カースンの候補は変更しておりません……」
「リリスはメリアの代役ってこと?」
「次期女王として、だれかには動いて貰わなければならなかったのです」
「次期女王の座を保留にしておくと、わたくしを持ち上げようという人間が、でないとも限らないから」
 メリア、シルヴィアナ、クリステル。このうちのだれかを女王とするべく、マリアージュを殺さんとしたのだ。彼女たちが行方不明と知れれば、マリアージュが女王のままでいいという者もいる。
 マリアージュを不要とするために、女王候補は存在するという姿勢をみせなければならなかった。そのためのリリス・カースン。
「……で? シルヴィアナたちを? 探せと? 自分たちの権勢が欲しくて、わたくしを蹴り落としたおまえたちが、自分たちの権威の失墜を惜しんで、堂々と娘を探すことすらできない無能なおまえたちのかわりに? おまえたちが無能と罵って殺さんとしたわたくしに? 探してほしいと? そう言うのね?」
「わ、わたしは、退位のみでよいと進言いたした!」
 油断ならない為政者ばかり相手にしていたから、こういった馬鹿っぽい発言は久方ぶりに食らう。
 ブルーノは商人らしくにこやかだが、目は笑っていないし、アッセに至っては冷気を放っている。
「そういう問題ではないのよ、ベツレイム卿……。あなた、もっとわたくしに言うべき言葉があるのではなくて?」
 城の一角に禁固され、死刑に処されるはずのマリアージュが、目の前に現れたのだ。驚くとか、ここに至るまでの経緯や、商人を介して密談を申し入れた理由を尋ねるとか。ないのか。
「テディウス殿下とご一緒なのだ。……あなたが復権されたのかと思ったが……違われるのか?」
「残念ながら、追われる身よ」
 当主が瞠目する。マリアージュはアッセを睨んだ。まったく、この男のおかげでとんだ勘違いをされた。
 その目から逃れんとしてか、アッセは当主へ身を乗り出す。
「候補たちを誘拐した犯人はわかっているのか?」
「……当初はカースンかホイスルウィズムかと思ったのだが……」
「違ったの?」
「どちらも候補が行方不明だ」
「詐称している可能性は?」
「あるにはあるが……」
 調査中だと当主は言った。
 マリアージュは組んだ腕の肘を指で叩いた。事件からひと月も経ちながら、何の手がかりも得られていないとは。
「調査は三家の合同? 単独?」
「両方だ」
「合同のときの主導はカースン? 情報の交換はしているの?」
「すべてではないが、している。……カースンが主導だと、殿下から?」
「そうよ」
 実際はアルマティンたちからだ。が、正直に告白する必要はない。
「マリアージュ様はカースン家を疑われておいでか? わたしは違うと思うのだ。メリア嬢の行方が知れないとわかったときの、夫妻の狼狽は本物だった」
 ベツレイムの当主はほかの家を真っ先に疑った。次期女王の件があったからだ。
 メリアのことが知れたとき、ベツレイム家当主はカースン家当主を詰問中だった。カースン家当主の愕然とした顔を忘れられないと、ベツレイムの当主は述べた。
 だが腹芸の上手い人間は平然と顔を作る。すました顔を敢えて崩すこともできるはずだ。
「カースンが白だっていう裏付けは?」
「……調査させている」
「そう。じゃあ、カースンに出入りしているレジナルドについて教えて。レジナルド・エイブルチェイマーよ。あの男と会ったことはあって?」
「あの客分の男かね? 会うにはあったが……。彼は聖女教会の宣教師だ。信仰の厚い。教会の本部から派遣されている」
「どういった繋がりでカースンに出入りをしているのかはご存知?」
「当主の古い知己だと紹介を受けた」
「どのような話をしていたの?」
「聖女への信仰を改めるべきという話だ。この世の混沌は聖女への不敬が原因であると言っていた。……ほかの宣教師たちと、なんら変わるところないと思ったが」
「どの家に出入りをしているの?」
「カースン家と繋がりある家なら……。あの男が怪しいと、マリアージュ様は思われておいでか」
 わかりきったことを訊くなと、マリアージュは苛立ちを込めて当主を睨んだ。
 当主が狼狽えて、いまさらの問いを口にする。
「……マリアージュ様は、なぜこちらに来られた?」
「死にたくないから、死刑の執行を取り下げてくれないかお願いに来たの」
 マリアージュ排斥に協力し合う三家の鎹(かすがい)ベツレイム。この家なら、と訪ねたつもりが、状況が変わった。女王候補たちが行方不明とは思わなかった。
「……ブルーノ、あんた女王候補の行方を追える?」
「それは申し訳ございませんが、手に余ります。姫君たちがどの街においでか、範囲が絞られていればできることもありましょうが。わたくしどもが追えるものは、せいぜい、物と人と金の流れです」
「アッセも?」
「公表するなら騎士団を動かせるが。内々なら、的を絞って調査したほうが時間の短縮にはなる」
「……シルヴィアナたちを、探してくださるのか」
「さぁ。でも、誘拐犯はわたくしの排斥の筋書きを引いた方と同一と思えるわね?」
「……首謀はカースンとお考えか?」
「知らないわ」
 マリアージュは冷笑して断定を避けた。実際、カースンがことの首謀であるとは限らなかったし、ベツレイムのマリアージュを歓迎するような姿勢が演技ではないと言えないからだ。
 これからどうするべきか。
 内通の可能性を含んだ上で、ベツレイムと協力すべきか。立ち去って身を隠すか――しかし、どこに。
 ここん、と、控えめな叩扉の音が響き、マリアージュは黙考を中断した。マリアージュたちをここまで案内した従僕が扉口で一礼する。
 彼の報告に、マリアージュはぎょっとなった。
「旦那様、ガートルード家のご当主が面会をご希望なさっておいでです。お通ししたほうが、よろしゅうございますか?」


 ガートルード家当主は現在ルディアではない。
 最有力といわれた女王候補アリシュエルを追い詰めた彼女の父、バイラム・ガートルードだ。
 アッセと共に露台へ身を潜め、マリアージュは手鏡を覗いた。会いたくない顔がブルーノに並んで映っている。
 内々の会合とはいえ、馬車から客人の存在を推察できる。だれも不在とするより誤魔化しやすいと、ブルーノは執務室に残っていた。
 手鏡をアッセに渡して、マリアージュは嘆息する。
「思ったよりつやつやした顔ね。元気そうだわ」
「いま、好きなように振る舞っておいでのようだからな」
「……ルディア様のご様子、あんたは知っているの?」
「いや……。殺されてはいないはずだ。叔母上がご健勝でなければ、叔父上は罪に問われる」
 決まりがあるらしい。ルディアがバイラムを処分しなかった理由も同様だろうか。
 そこまで考えて、マリアージュは自身の腕を抱いた。
 嗤ってしまう。
 処分、とは。
(わたしもホント、いやな考え方をするようになったものね)
「叔父上は陛下を探しているようだ。……行方不明になったと、ベツレイム卿に告げている」
 アッセが手鏡に映る影を睨む。バイラムの口の動きを読んでいるようだ。
「あんたもそういうことできるのね?」
「……得意ではないが」
「感心しているのよ。情けない声を出さないで」
「陛下」
 アッセがにわかに手鏡を床に伏せた。声なく身じろぎするなと告げられる。
 こつ、と、靴音が響いた。
 人影が露台との距離を縮めている。
 血流の音がうるさい。激しく胸打つ心臓に潜める息が荒れる。
 下唇を噛みしめて息を殺す。
 人の気配が遠のいた。
 バイラムは当主たちと話し込んだ。時を計れば短く、だが永遠に等しく、マリアージュには感じられた。
 当主がバイラムと部屋を去る。ブルーノがマリアージュたちと合流して脱出を促した。
「ここを脱出してどこへ?」
「商会へ」
 馬車へ足早に先導するブルーノがマリアージュの問いに答える。
 アッセが口を挟んだ。
「わたしの屋敷の方がよいのではないか?」
「なりませんよ。公にあなたが陛下の肩を持つと、閣下のお立場まで危うくなる。行動を共にする程度なら、誤魔化すこともできますが、ご自身の敷地にお招きするのはなりません」
 商会ならひとの出入りも元々多い。今回のように商談にかこつけ、方々へと出入りすることも可能だ。
 ブルーノの説明にアッセが渋面となった。
「また何も出来ないのか」
「そこじゃないってだけでしょう」
 薄暗がりの廊下を抜け、裏庭のぬかるみを踏み抜きながら、マリアージュはアッセに指摘した。
「あんたはできることがあるってくっついてきているけど、それっていったい何なの?」
 マリアージュを通じて見たいものがあるなら見ればいい。だがマリアージュの手助けを望んでいるのなら、ただ闇雲に付いてきてもらっては迷惑だ。ベツレイムの当主と会話して気づいた。アッセ・テディウスは貴族たちの誰からも顔の知られた王子なのだ。隠密行動をするには目立ちすぎた。
 外套を目深に被りなおして馬車に乗り込んでも、アッセは口を閉ざしたままだった。
「旦那さま、ガートルードの馬車が停まっております」
 ベツレイムの敷地を出た直後に御者がブルーノに報告した。ブルーノは顔色を変えた。険しい表情で詰問を返す。
「ガートルードの馬車一台だけか?」
「いえ。兵に囲まれております。あれは……憲兵、でしょうか」
「私を探しているのかしら」
「おそらくは。……影にいったん停めろ」
 馬車が緩やかに速度を落として停まる。
 ブルーノがマリアージュの手を引いて外へ出た。
「陛下。申し訳ございませんが、御者台に」
「御者台?」
「中においでですと、逃げにくくなります。テディウス卿とわたしで応対いたします。陛下は御者の見習いとして外においでください。ひと言も声を発してはなりません」
 マリアージュは首肯して御者台に登った。狭い空間に臀部をねじ込む。
 侍女になりすまし、商家の娘になって、次は御者の見習いか。めまぐるしい。
 御者も雪よけの外套を身につけていて幸いした。マリアージュの姿も悪目立ちしないはずだ。あとは顔を晒さずにすむかが問題である。
 御者が馬を軽く鞭打ち、馬車が何事もない風を装って走り出す。
 雪雲に覆われた外は日中だというのにかなり暗い。人通りも少なく、だからこそかなりの遠方であっても、停止する一台の馬車と数人分の人影はかなり目立った。
 厚手の外套を着込んだ兵が道を塞ぐ。
 彼は停まった馬車の御者台を覗き込んだ。
「失礼。この雪の中どちらへ?」
「商業区の店へ。旦那様が商談を終えられて、戻る途中でございます」
「何かございましたか?」
 不安そうなブルーノの声が響く。兵たちの顔が一斉に窓を向いた。
「オズワルドのブルーノです。物々しいご様子ですが、何か起こったのですか?」
 しれっとした声色でブルーノが尋ねる。罪人が逃げたため、探しているのだと兵は答えた。詳しい内情は知らされていないようだった。ただ、探し人は女であると、兵は言った。
 雪がちらつくこの寒さの中を彷徨かねばならない兵たちをブルーノが労う。応対する兵たちからは険がとれた。念のため、と、馬車の箱の中を検めても、兵たちは敬礼しただけだった。
「お戻りになったら出歩かれるな。罪人の捜索があるのでな」
 かしこまりました、と、御者が丁寧に一礼する。兵から胡乱な目を向けられ、マリアージュも慌てて目礼した。
 馬車は歩みを再開した。雪に薄く覆われた石畳を馬蹄が踏み進む。
 マリアージュたちの乗った馬車は、ガートルードのそれとすれ違った。
 窓から男の渋面が覗く。
 マリアージュは横目でその男を見た。
 きちんと相対したことは幾度もない。
 ルディアの夫。アリシュエルの父。
 バイラム・ガートルード。
 その男の目が外套を目深に被ったマリアージュの姿を映して見開かれた。
 マリアージュは御者に叫んだ。
「速度を上げて!」
 御者が馬に強く鞭打つ。
 速度が出た反動に、身体が後方に引っ張られ、マリアージュは車体の壁で肩を打った。
 ブルーノが小窓から詰問する。
「どうしました!?」
「バイラムが私を気づいたわ! アレ、私を引っ捕らえにくるわよ!」
「何だって!?」
 車輪の軋む勢いで道を走る馬車に、後方から黒い影が追い縋ってくる。窓から顔を出して後方を確認し、ブルーノが大きく舌打ちした。
「逃げたのは悪手でした。ごまかせない」
「どうしろっていうのよ!」
「どこかで馬車を停めよう。馬が暴れたことにして……伏せろ!」
 アッセがブルーノの首根っこを掴んで車内に引き戻す。刹那、銀色の光がブルーノの首があった場所を一閃した。
 だん、と、馬車の屋根に人が落ちる。マリアージュは喉の奥を引き攣らせた。身体に沿った白い衣服の何者かが、短剣を逆手に構えて、その目にマリアージュを捉えていた。
 マリアージュは明確な殺意を浴びた。逃げられはしない。疾走する馬車から振り落とされないよう、御者台にしがみつくことで精一杯だ。
 四つん這いに馬車の屋根に張り付いていた刺客は伸び上がり、突如、びくりと跳ねた。目を大きく見開き、角を曲がった馬車の遠心力に振り飛ばされる。
 どっと地に落下する相手の腹は赤かった。
「う、ああっ!」
「旦那様!」
 商人の男の悲鳴が上がり、御者の男が叫び声を上げる。ブルーノが馬車から落下している。ごろごろと石畳に転がった彼は、上半身を起こそうともがいていた。生きてはいるようだ。しかし安堵するもつかの間、次は御者の男から悲鳴が迸った。御者台の縁を白い手が掴んでいる。やがて覆面した男の顔が御者越しにぬっと現れた。この速度、この振動をものともせず、馬車に取り付いた男の握力に恐怖を覚える。
 男は細い短剣を真横に一閃した。御者が仰け反ってマリアージュの下へ倒れ込んでくる。その肩が大きく避けていた。致命傷ではないとはいえ、これではもう馬車を扱えないだろう。
 刺客が御者台に足を掛ける。だが彼は唐突に後方へ引っ張られた。くぐもった声を尾曳かせて、馬車から転がり落ちていく。
 その男と道でもみ合う男はアッセだ。
「アッセ!」
「手綱をとれ!」
 刺客の顔面を石畳に叩きつけ、アッセがマリアージュへ叫んだ。
 マリアージュは反射的に革紐を握った。だが興奮した馬はマリアージュの意志に反し、ますます速度を上げていく。どこかの屋敷の塀に馬車の箱の角が追突した。がら、と、煉瓦の破片が降り注ぐ。
「いたっ!」
 小さな破片が額を撃った。じくじく広がる痛みに涙が滲む。
「もうっ……やっ、とまりなさいよ!! この馬鹿馬!」
 マリアージュは怒鳴りながら手綱を引いた。だが紐はびくともしなかった。そもそもマリアージュは乗馬すらひとりでしたことはない。大人しくしていてすら扱いかねるだろうに、暴走した馬の手綱など言わずもがな。
 前方の壁が激突する勢いで迫り来る。
 硬直していたマリアージュは、ふいに腰を引き寄せられて、声にならない悲鳴を上げた。相手を確認する間もなく、手綱が手から奪われる。
「歯を食いしばれ! 舌噛むぞ!」
 頭上から飛んだ指示に、マリアージュは従った。その頭を男の手が抱え込む。高い嘶きが寒空の下に響いて、車輪が耳障りな音を立てた。御者台が斜めに傾ぐ。そのままマリアージュは滑り落ちるように、男に抱え込まれたまま地面に落下した。真横にごろごろ転がる。目を回す一方で、がん、がん、と、馬車の箱がどこかに激突する音を、耳は捉えていた。
 馬車が走り去る。
 通りが静けさを取り戻す。
 マリアージュはのそりと身体を起こした。下敷きとなった男の名を思わず呟く。
「ダダン」
 男はマリアージュを庇っていた。石畳にどこかひどく打ち付けていてもおかしくはない。
 ダダンはなかなか起き上がろうとしなかった。
 揺さぶったマリアージュの手を払って、額に手を当てながら低く呻く。
「っつ……あー……いて」
「……大丈夫なの?」
「まぁな」
 はぁ、と、男は嘆息し、マリアージュを仰ぎ見る。
「おまえ、ちょっと胸でかすぎねぇか。抱えるのに重い」
 マリアージュは無言で男の額に拳を落とした。


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