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第七章 諍う背信者 4


 玉座の間から裏手の通路を挟んだ一室は、元々は王族の待合室も兼ねていたようだ。壁や天井に施された絵画は壮麗で美しいものだが、家具の一切を撤去され、遮光幕を引かれた室内はその広さだけが際立って寒々しい。その壁の一角が絵画の色の境をなぞるように口を開け、闇へと続く階段を覗かせていた。
 そこから現れた侵入者たちは実に間抜けな顔をしている。
「待ちかねましたよ。ずいぶんと悠長でいらっしゃるものですから」
 淡々と告げながら、ディトラウトは片手を挙げた。
 それを合図に控えていた兵たちが、地下道の半ばにいるレジナルドを引きずり出して捕縛する。彼の後にいた数人が蒼白になって階段を駆け下り始めた。愚かなことだ。魔術仕掛けで現れる階段はおとなひとり分の横幅もない。あぁも急いでは、転落を免れない。とはいえ、どうにか階下に降りたとしても、別部隊の兵が網を張って待ちかねているわけだが。
「な、ぜ……なぜ!」
 レジナルドよりも前に引きずり出され、すでに屍になった同胞を前に彼が絶叫する。彼の瞳はディトラウトたちを見ていなかった。天を仰ぐ様からして、聖女に現状を尋ねているのかもしれない。
 けれども聖女は何も言わない。
 だから代わりにディトラウトが答えた。
「なぜ、か……。本当にわからない? なぜわたしたちが、あなたに煽動された暴徒の襲撃を受けてもなお、この王城に留まり続けたのか」
「……は?」
「あなたたちがいま通ってきた道を、わたしたちが知らなかったとでも? さっきも言ったでしょう? わたしたちは待っていたんですよ。あなた方がわたしたちという餌に釣られて、檻の中にやってくるのを」
 王城の門を開けずに外へ出る道など、ディトラウトはもちろん知悉している。王城から王都の外へ出る道は少なくなく、自分たちはいつでも逃げ出せた。最低限の政務は別に王都でなくてもできるのだ。
 それでも自分たちはここから動かなかった。外に逃がした官吏たちを使って喧伝すらした。
 王城には女王と宰相、そして動くことのできない、ほんのわずかな者しか残っていない。
 つまり、王城内に入りさえすれば、制圧は容易いのだと。
 実際にはそのようなことはない。
 王城へはいつだって正規兵を招くことができた。レジナルドたちは古路を辿ることに随分と苦労していたようすだが、女王の印章を持たせれば逆走もさして難しくはない。
「……お前たちはこれからペルフィリアが立ち直るときの邪魔になる。己の欲のためにこの土地に災禍を招いた。そればかりか無辜の民に罪を唆し、武器を持たせ、血を流させる狂信者。お前たちには、この世から退場してもらう」
「災禍を呼んだのは貴様たちだ!」
 兵に背の後ろで両手首を縛られ、両膝を突かされた状態で、レジナルドがディトラウトに絶叫した。
「聖女を軽んじる黒き羊よ! 貴様たちのようなものがいるから、聖女はこの地を祝福することをおやめになったのだ! 我々のようなものばかりが生まれるようになったのだ!」
 レジナルド・チェンバレンは魔術素養を持たない。
 魔で時や方向を計ることがまったくできない、ということだ。それは聖女の血を尊ぶ貴族の中で致命的な欠点だった。少なくとも、チェンバレン家の中ではそうだった。
 チェンバレンはペルフィリアの名家に数えられる。彼は長子で、財も身分もあった。亡命して、聖女教会の内部に食い込み、同胞を集めて組織できるのだ。才覚もあったはずだ。
 彼には唯一、魔術の素養、それだけがなかった。
 魔術素養を持つ者の姿が他大陸で姿を消し始め、早数百年になる。ところが《西の獣》と呼び習わされるこの土地は、永らく魔術大国たるメイゼンブルの庇護下にあり、それゆえか魔術素養を持つ者が多く存在した。実際は統計を調べると、この西でも魔術素養を持つ子どもが生まれなくなっていたとわかる。メイゼンブル崩壊後、魔術師が目立って姿を消した理由も、メイゼンブルの崩壊に巻き込まれただけのことだ。かの国は魔術師の教育機関だった。研究者も多くいた。魔術素養のある子どもは幼いころからメイゼンブルに集められていたからだ。
 けれどもそのような事実は、レジナルドには何の価値も持たない。
 他大陸ではすでに稀となった魔術師を、この《西の獣》が数多く有していたのは、聖女に祝福されたから。聖女への信仰心が篤くなれば、この《西の獣》は祝福に満ちる。
 それがレジナルドの真実だった。
 ディトラウトの肩に小手に包まれた肉厚の手が背後から置かれる。
「もうよいか、ディータ」
 ヘルムートだった。
 レジナルドの動きに合わせて、精鋭を率いて王城へ入ってもらっていた。
「こやつにはもうひと仕事、残っているからなぁ」
「……そうですね」
 気づけば部屋は血で満ちていた。
 レジナルドが連れてきたものたちはすべて殺したからだ。
 首謀者たるレジナルドだけを生かした理由はひとつ。拷問する必要があるのだ。
 自分たちも把握できていない聖女教会とのつながり。レイナ・ルグロワとはどう共謀していたのか。城内に巣食う鼠たちの所在、等々。尋ねたいことは山とある。
 しかし悠長にはしていられない。
 城門側から暴徒たちが突入している現状はかわらないのだ。
 早く終わらせなければ。
 すべてが、終わりを迎える前に。
 ヘルムートがレジナルドを連行するよう兵へ指示を出す。ついて行こうとしたディトラウトを、老いた将軍は差し止めた。
「お前は陛下のお傍にいなさい。この仕事は自分がする」
「サガン老、ですが」
「最後ぐらい、汚れ役を任せんか。……これは、自分らが始めたことなのだからな」
 先代女王アズラリエルの親族。女王となれる娘たちを救うことの叶わなかった老将。
 偽りの女王を立てる。世界を相手取ったこの詐欺は、彼とクラウス・リヴォートのふたりが計画した。
「結果はお前たちのところに届けさせる。ま、時間が足りれば、じゃが」
「……わかりました」
 ディトラウトの肩を抱いて、ヘルムートが背を軽く叩く。
「……後悔のないようにな」
「わたしは自分の選択を悔やんだことはありません」
「ははっ、そうだな。お前はそういうやつだ」
 ヘルムートがディトラウトから離れる。
 彼は目尻の皺を深くした。
 やさしい声音で彼は言った。
「自分らは後悔したな。何度も。お前たちを、この道に引き込んだことを」
「……サガン老」
「もう、言うても詮ない。お前たちはよくやった。……この地で殺し合った、浅はかで愚かすぎた我ら貴族を代表して、心から礼を述べる。……後始末はわしが付けるでな。……残された時間は短いが、よく、考えて道を選ぶように」
「将軍!」
「いま行く!」
 部下に呼ばれてヘルムートが踵を返す。
 ではな、と、ひらりと手を振った彼は、鎧の重さを感じさせない軽快な足取りで、レジナルドたちが来た道とは別の階段を下りていった。
 無人になった部屋でひとり、ディトラウトは天井を仰ぐ。
 《まぼろばの地》――雲の上にある緑の園で、主神が聖女を招いている。宙を歩く聖女が振り返り、地上に残す人々へ祝福を送っている。
 しばらくその絵を眺めたあと、息を吐いて玉座の間へ引き返す。
 折り重なる骸から流れた血の川が靴を受け止めてぱしゃりと跳ねた。
 主人は玉座に座っていた。
 久しぶりに女装をしている。彼は横の扉から現れたディトラウトを一瞥した。
「お疲れさま。首尾は?」
「レジナルド以外は殺しました。彼は地下でサガン老が話をしたあとに処理します」
「そう」
「後悔をしないように、とのご伝言です」
「それさぁ、兄上に向けた言葉でしょ。僕にじゃないよ」
 セレネスティは声を立てて笑った。
「僕は僕でちゃんと話したからさ。……ずっと、世話になってたし」
 ディトラウトが密命によって不在にしていた折、ヘルムートが自分に代わってセレネスティを支えていた。彼との付き合いはディトラウト自身より主君のほうがずっと深い。
「……とりあえず、これで退場前の懸念は片付くかな。……シンシアに、感謝しないと」
 ここで言うシンシアは、聖女のことではない。
 彼に付けていた、化粧師のことだ。
 レジナルドが地下道を使うと気づいたきっかけは彼女だった。
 この国で保護していた娘を隣国へ返すと決めたとき、彼女の方から抜け道の件を聞かされてわかったのだ。
 王城に通じる古い道を調べている存在がいる。
 あとは古い設計図に欠けがないか、あればいつ持ち出されていたか、持ち出しうる存在はだれか。街で出されていたという調査依頼の件も含め、つぶさに情報を検めれば、レジナルドの計画はすぐにわかった。
 だから、外と王城をつなぐ道は必要最低限を残して閉鎖した。ディアナの知る二本の道も、水と土砂に浸かっている。
 セレネスティがまた口を開こうとしている。
 ディトラウトは話題を変えた。
「梟の姿が見えませんが」
「彼女なら、さっきまで僕が着ていた服を処分するついでに、外の様子を見に行っている」
「なぜ……いまさら女装を?」
 レジナルドたちが地下道から城内に入ったことがわかり、ディトラウトが傍を離れるまで、セレネスティは男ものの服を身に着けていたはずだ。
「最後、玉座に座るなら、この格好かなって。だってこの国の王はいまこの瞬間も、『セレネスティ』なんだから」
 セレネスティが衣装の裾を指で摘まんで答える。彼の手首に絡む装飾品の鎖が揺れて輝いた。
「最後に話したとき、セレは僕に言ったんだ。『僕を守ってね』って。……僕は、守れていたかな。セレが生きていた未来を。気高くて、頭が良くて、厳しいことも言うけれど、皆に希望を見せられるような子だった――あの子を、今日まで生かせてあげられていただろうか」
「もちろんです」
 ディトラウトは答えた。
「覚えておいでですか。わたしがこちらに戻ったばかりのころ、王都の街中を行進したことがあったでしょう」
「マリアージュたちと一緒に?」
「いいえ、その前にも、幾度か」
 ただし、情勢が急落してから、華々しいことは久しくしてない。
 主人は苦笑して目を細めた。
「あったねぇ、そんなこと」
「あの表敬訪問のときの行進も含めて……街の外にはあなたへ笑顔で手を振る人々に溢れていた」
 彼らは皆、血塗られた冬の時代は終わり、明るく温かな未来を夢見ていた。
「あのときの光景が、あなたの成したことの答えです」
「いまの荒れ果てた王都ではなく?」
「王都は荒れていても、できる限りの種は巻いたのです。あなたはできることをすべてしました。あなたの従者であることを、わたしは誇りに思います」
「――うん」
 セレネスティがはにかむ。
 幼かったころの彼を、ディトラウトは思い出した。
 セレネスティが表情を改めて面を上げる。
「ねぇ、兄上、もし――……」
 彼は言葉を皆まで言うことができなかった。


 王城が、地底から大きく揺れた。


「なっ、何……!?」
 ダイは傍らの壁に手を突いた。場所は本宮三階の廊下。飾られていた花瓶が、振動に耐えきれなかったらしく、台座から落下して砕け散る。
 地面は小刻みにしばらく揺れた。
 手近な窓に取り付いたダダンが、腰に佩いていた剣の柄で、はめ込まれていた玻璃を外に向けて叩き割る。
「ダイ、こっちへ来れるか」
「は、はい……」
 伸ばされたダダンの手を取り、ダイは半ば床を這って歩いた。彼の傍まで近づき、外を伺うその顔を仰ぐ。
「火薬、ですか?」
「だな。野郎。誰かまとめて火を点けやがったな」
 窓から見える王城の一角から激しい火の手が見える。あの方角は、ダイがブレンダたちを残してきた、正門の方だ。
 ダイは引き攣った声で呻いた。
「ブレンダ……!」
「無事にやり過ごしている。自分の騎士を信じろ」
 不安要素に意識を取られると、今度は自分が命取りになる。
 自身の役割に集中しろ、と、ダダンはダイの腕を揺すって言った。
「何のために火薬を」
「王城に入るための扉を吹き飛ばしたんだろ。急ぐぞ」
 王城の中はダイの予想以上に入り組んでいた。元々の構造はもちろん、あちこちの扉が施錠されている。本宮に入ったはよいものの、まだ執務棟へたどり着けていなかった。
 このままでは、追いつかれる。
 ダダンが窓をさらに割った。桟に残った玻璃を丁寧に払い落す。続けて腰から縄を取り出し、いくつか結び目を作った上で、花瓶の台座に結びつけると、窓の桟に支点を取った。
「あそこを通って執務棟へ行く」
 ダダンが指した先は執務棟へつながる渡り廊下の屋根だった。他の塔へも繋がった、十字の屋根が見える。
 ただそこまでたどり着くには、ここから一階半分の高さを降りて、本宮の二階の屋根伝いに歩いていかなければならない。
「先に俺が下りて足場を確保する。招力石を光らせて合図したら、縄を伝って下りて来い」
「ひとりでですか!?」
「そうだ。結び目は足場にしろ。最悪、縄を離さなきゃいい。滑って落ちてきたら、抱き留める」
 ダダンは手際よくダイの手袋の上に包帯を巻いた。摩擦熱で焼けた場合は包帯を捨てるらしい。
 ダイの表情に不安を覚えたのか。ダダンはダイに腰の革帯を緩めるよう指示した。縄の先をダイの腰の革帯にくぐらせる。
「体重をかけねぇように下りるが、念のため、窓にしがみ付いてろ」
「わかりました」
 ダイが頷くが早いか、ダダンが縄の端を握って、窓からひらりと飛び降りる。
 彼は壁を蹴って落下の勢いを削いだ。それを三回ほど繰り返して、無事に二階の屋根に着地する。
 背後から人の喧噪が響き始める。
 しばらくして夜闇の中で瞬く光が見えた。
 ダイは窓をよじ登ると、縄を持って飛び降りた。
 海から吹き付ける強風が髪と衣服を巻き上げる。
 刹那、ダイは見た。
 すでに太陽の沈み切った茫洋とした水平線。
 その彼方に淡く瞬きながら迫りくる光の束を。


 最低限の光が灯されただけの甲板を、小柄の少女がふらつきながら歩いている。
「陛下……アクセリナ陛下!」
 サイアリーズが呼び止めると、主君たるアクセリナ・バレーラ・ゼムナムは振り返った。初回の大陸会議から約一年ぶりの遠出となるからか、このような緊迫した状況であっても、どことなく浮足たっているように見える。
 サイアリーズの心配をよそに、アクセリナは呆れた顔でよく回るようになった口を開いた。
「そのように心配せずとも、縁まで出たりはせぬ。海に投げ出されてはことだからな」
「おわかりのご様子で何よりです」
「ゼムナムを出る前に散々、さんっざん、言われたのだ。いくら朕が幼くともわかろうよ……」
 サイアリーズはアクセリナの傍らに膝を突いた。彼女のまだ小柄な身体を、自身の毛皮を張った外套で包み込む。
 もこもことした毛皮の間から顔を出し、暗い夜の海の果てにほの浮かび上がった海岸線を眺めて、アクセリナが呟く。
「あれが、ペルフィリアか」
 その声は信じがたい、という響きをしていた。
 自分たちは夜にゼムナムを離れた。そのときに海から目にした自国の王都は、生活する人々の灯火で輝いていた。
 一方、ペルフィリアの王都はひどく暗い。
 王城を含めた建物の白が、夜闇に淡く見えるだけだ。
 時折、瞬く橙色は火の手だろうか。
 アクセリナが痛ましげに唇を震わせる。
「……誰も、死んでおらねばよいな」
「えぇ、おっしゃる通りです」
 特に親しくなった者たちは無事であってほしい。
 遺体を見せるためにアクセリナを連れてきたわけではないのだ。
「陛下。そろそろ中へ。まもなく船が大きく揺れますゆえ」
 サイアリーズは主君の背を押し、船内へ入るように促した。護衛に彼女を任せ、その後ろを歩く足を、船室に踏み込む間際にふと止める。
 そうして不敵に笑った。
「さぁて、本当に、死んでいてくれるなよ……。じゃないとちっとも、面白くないからね」
 自分たちは葬式に参列すべく来たわけではない。
 自国の民が潤う道を探しに無茶を承知でやってきたのだ。
 サイアリーズが船内に入ると背後で固く扉が閉じられた。
 揺れを軽減するための魔術が施された一等船室に入る。各国の女王と宰相が木製の長卓を囲むさまは壮観だ。サイアリーズは微笑んで、彼女たちに告げた。
「それではペルフィリアへ乗り込みましょう。皆さま、お覚悟はよろしいでしょうか?」


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