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第七章 諍う背信者 3


 ダダンの見立てより、少ない。
 それが正門から王都を出たファビアンの感想だった。
 ダダンはペルフィリア軍の勢力を五千前後、多くて一万と言った。ペルフィリア王都正門前から目視できる範囲の兵力は多くて一千ほど。海に接した北部は別として、南や東にも同等の兵力を散開させているとなれば、最低五千。地図上、そう遠くない南部に小さな街があるから、そこに別動隊を駐屯させていれば一万あるかもしれないとの予想が付く。
 だが、この正門前の一千人は先ほどファビアンたちが使った旗と同じ。
 ほとんどが案山子に鎧を着せて、旗を持たせた張りぼてだ。
(だけど、ダダンも商工協会も馬鹿じゃない)
 瞬間的に欺瞞されたならともかく、彼らが五千と言うならその数の人はいたのだ。あの《境なき国》が扱う情報の精密さは、ドッペルガム建国のくだりで世話になったおかげで、ファビアン自身、嫌というほどよく知っている。
 どこへ、と、視線を走らせた一瞬のうちに、ペルフィリア軍の隊列から騎士がひとり前へ出た。
 騎士の背後では弓兵が弓をつがえていた。弓柄が夕暮れの下、淡い緑色に浮き上がって見える。魔術文字が刻まれた武器だった。威力か、飛距離か、あるいは両方が強化されているはずだ。人の身が受ければひとたまりもない。
 騎士が弓兵へ攻撃の号令をかける前に、ファビアンは素早く声を上げた。
「わたしは《深淵の翠》ドッペルガム筆頭外交官、ファビアン・バルニエ。大陸会議に名を連ねる女王の方々の名の下に派遣されて来た! ペルフィリア軍の御方々にお伝えしたいことがある。将の方に取り次いでいただきたい!」
 ペルフィリア軍はなかなか動かなかった。傍らでクレアが焦れている。あまり時間をかけると自分たちの行動に気づいた都市内にいる市民から攻撃されかねないからだ。
 ペルフィリア軍は護衛を付けず、代表者に来いと言った。
 クレアに預けていた公的文書を引き取り、歩き出したファビアンにユベールが耳打ちする。
「……危険ですよ」
「外交なんて敵地に乗り込んでからが始まりだから。だいたい、君の主人も似たようなことしている。僕も頑張らないと、立つ瀬がないからね」
 ユベールを置き去りにしてすたすたと歩く。
 ペルフィリア軍側もひとり出てきた。従騎士だろうか。先ほど前に出てきた騎士に付いていた若い歩兵だ。
 ファビアンを刺突できる間合いを取って彼は立ち止まって尋ねた。
「要件は?」
「聖女教会より掛けられたペルフィリア女王セレネスティ陛下の身分詐称の嫌疑について、大陸会議に名を連ねる六か国の女王は、貴君の陛下、および宰相閣下を教会に先んじて保護を決めた。わたしはその先行の使者。詳細はここに」
 ファビアンは公式文書を歩兵に広げて見せた。何の仕掛けもないことを検めさせた上で丸めて手渡す。
 歩兵は訝し気な顔で文書を一瞥し、ファビアンに追及する。
「なぜ、都の中から現れた?」
「状況が不明すぎたので、商工協会北支部長ベベル・オスマンの協力を経て先に中へ入らせていただいた。疑わしいことは認めるが、わたしたちはあなた方の敵ではない」
 ファビアンは諸手を挙げて主張した。歩兵は少し待て、と、言って、引き返していく。
 先頭の騎士が歩兵から渡された公式文書に目を通す。
 続けてダイからの手紙を。
 そして彼は即座に部隊を動かした。
 約百名。中隊規模の兵隊がファビアンの下へ突っ込んでくる。
「ファビアン様!」
「クレア、来るな!」
 まさか、失敗した。
 そう思われた瞬間、中隊はファビアンの横を通り過ぎて王都内へ入った。
 騎士が馬を駆ってファビアンの前までやってくる。
「申し訳ないね。将軍はここにはいない――そちらの要件は、俺が聞く」
 彼は兜を脱いで尋ねた。
「――ところで、文書に署名のあった、デルリゲイリアからの使者の方はいまどこに?」


 騎士はスキピオと名乗った。
 ペルフィリア宰相、ディトラウト・イェルニの近衛のひとりだったという。
「この軍をかき集めたのはヘルムートの爺さんだが、いまは俺が留守を預かっている。敬語で話さなくていい。俺もそうする。まどろっこしいから」
 彼はファビアンたちを陣営の天幕に招いた。天幕は王都からは見えづらいが、逆は明確に視認ができる、稜線の影に設営されていた。
 天幕の中は擦り切れた絨毯が敷かれているだけで、椅子も机もない。最初にファビアンと接触した歩兵が吊り下げられた角灯に火を入れ、一礼して去っていくと、積み上げられた毛布の束があるだけの、がらんとした空間が目に入った。
 角灯に照らされた絨毯の上にスキピオは胡坐をかき、ファビアンたちにも座るように促した。
「俺たちの状況をどこまでご存知かわからないが、物資がなくてね。椅子がなくて悪い。……で、さっそく本題だが、俺たちの役目は原則、ここから動かず、王都から人を逃がさないこと、だ」
「さっき兵を王都内に突入させた意図は?」
「王城に教会関係に唆された市民が入りかけてるって、文書に書いてあっただろ。そっちを制圧するため。……無理に王都に入る必要はないって言われてはいても、入るなって命令はされていないしなぁ」
 どうやらスキピオはやや不真面目なきらいのある将らしい。
 反応に困って微妙な空気を漂わせたファビアンたちに、スキピオが肩をすくめて笑いかける。
「正直、あんたたちが顔出ししてくれて助かった。俺たちも身動き取れなくて困ってたんだ。内部の状況はわからないし、爺さんは俺に無茶するなって厳命していくし……」
「爺さん、というのは、ヘルムート・サガン将軍で間違いありませんか?」
 ペルフィリアに女王を何人も出している名家である。文人肌の将軍で戦略に長け、過去に結ばれたクラン・ハイヴとペルフィリアの停戦協定は彼の功績だったと聞いている。
 ファビアンの問いにスキピオは首肯した。
「そうだよ。爺さんはどこだって聞いてくれるな。俺も知らないんだ」
「……あなたも、知らない?」
「さっきも言ったが、この軍は爺さんがペルフィリアの方々からかき集めた。俺は宰相閣下の命を受けて北東の領地への疎開民を護衛し、色々あって引き返してきたクチだ。爺さんと上手く合流できたはいいが、肝心の爺さんは俺に跡を任せて、一小隊分の兵を連れてどこかへ消えた。その後は、さっき話した通りだ。……そっちの状況は?」
 大まかな要望は先に口述しているし、文章にも記載している。それらの情報を補完する形でファビアンはスキピオに説明した。
 複数か国から軍が来る下りを述べると、スキピオの顔があからさまに曇る。いくら侵略目的ではないとはいえ、口ではどうとでも言える。心穏やかではない彼の気持ちはファビアンにもよくわかった。
「……こっちの軍と、民衆には手出しさせないよう、厳命してほしい」
「承りました。そちらも多国籍の軍が到着したら、代表を出して欲しい。細かい取り決めをしたい」
 互いの軍には手出ししないこと。横暴を働かないこと、などの大まかな方針はここで決定し、通達できるだろうが、各々の軍の役割や、軍規違反をどうするかなどの細部の詰めは、ここでは無理がある。ファビアンも派兵があると聞かされたばかりで、どの程度の規模なのか不明なのだ。
「念のため、確認させてくれ。あんたらの目的は陛下と閣下を教会から保護すること。それで間違いないか」
「現時点では」
 スキピオの問いに対し、ファビアンは正直に述べた。
「各国の女王はペルフィリアが斃れることを望んでいない。だからこその、現女王と宰相の保護だ。セレネスティ女王がたとえ身分を詐称していなかったとしても、聖女教会は彼女の首を問答無用で切りかねない。それを防ぐために僕らは来ている。本当に罪を犯している場合、あなたの女王陛下の処遇は、僕らの女王たちによって厳正に決定される」
「陛下が罪を犯していた場合、ペルフィリアは切り分けられるか?」
「僕らの女王たちの手によって? さぁ。わからない。えぇっと、あなたはディトラウト宰相の近衛だったね。小スカナジアの大陸会議には行った? 何が話し合われたか内容は知ってる?」
「行った。内容もだいたいはわかる」
「なら話が早い。あのとき、会議では旧ザーリハの扱いについて議論した」
 デルリゲイリア南西に位置する地域である。女王の継嗣を失い、自立できないがために荒れている。
「だけどどの女王もその領地を得ることに積極的ではなかった。あそこの扱いはあなたの宰相が挙げた政教分離の論争でうやむやになったままだ。そう。女王たちはむやみに領土を広げたくないんだよ。ましてや遠方のペルフィリアは、余計に手に余る」
 他の大陸なら状況が異なるのかもしれない。
 ただ、この《西の獣》は《魔の公国》の支配が長すぎた。
 侵略戦争には慣れていないし、他国を併合する方法論もまともにない。何より、メイゼンブルが滅びてから、この大陸は国が斃れた土地を放置しすぎた。大陸の主幹街道の多くが、空白地帯で寸断されている。別の領土を手に入れても往復に手間も金もかかる遠隔地では執政ができない。
 つまり、利益が見合わないのだ。
 ペルフィリアの女王たちを保護するのも、安易に国を滅ぼさないためだ。
「切り分けられる可能性がないわけじゃない。でもそれはここでは答えを出せない」
「……わかった。とにかく、陛下と閣下の保護が目的で、無辜の都民に手を出すつもりがないならそれでいい。……俺自身は爺さんの命令に従って、王都の包囲の指揮をとるけど、小隊を追加で出して正門を閉めさせる。……あんたらは俺たちとここにいるか?」
「いや、王都内に戻るよ。陛下たちのお出迎えをしなければならないし」
 大半の女王は無補給線に拾われて港から来る。そこに立って状況を説明する役割がファビアンにはある。
 フォルトゥーナは――どの道を使うのやら。おそらく、アレだろうが。
 ファビアンの回答にスキピオは頷いた。
「わかった。四半刻、待ってほしい。代表を選出してあんたたちに同行させる」
 スキピオは天幕の入り口で控える部下を呼び寄せ、早口で命令を並べた。命令を受諾して部下が去り、スキピオが立ち上がる。
 ファビアンも立ち上がって彼に握手を求めた。
「すぐに話が通って助かりました」
「……二か国分の《国章持ち》の署名なんて、そんなに見るものでもないし。留守を預かっているのが俺でよかったな」
 スキピオの言う通り、ファビアンたちは運がよかった。ペルフィリア宰相は《国章持ち》。その近衛だったという彼だからこそ、公式文書の署名の真偽を即座に判断することができ、ファビアン側と話す姿勢を持てたということだ。
 とはいえ、彼の第一声はいささかおかしかったが。
 スキピオがため息を吐いて呟く。
「――できれば、デルリゲイリアの方も目通りしたかった」
「そういえば真っ先に居場所を尋ねられていましたね」
「……名乗りを上げた代表が一か国分しかいなかったら、怪しいから」
「ま、その通りですね」
 ファビアンはクレアたちと並ぶ、ユベールとランディを振り返る。ダイが彼らを残していてくれて本当に助かった。デルリゲイリアの公的身分証を持つ彼らが立ち会ってくれていなければ、いくら公的文書があってもファビアンの話の信憑性が低くなる。
 スキピオがデルリゲイリアの騎士たちと向き合う。
 彼は泣くことを堪えたような、無理やり笑ったような、奇妙な表情を浮かべてふたりに告げた。
「こちらの陛下たちとの交渉に王城へ乗り込んでいかれたなんて、あなた方のご主人も、無茶をする方だよな。ご無事でお戻りになることを、聖女――いや、主神に祈る」
「……ありがとうございます」
 ユベールが丁寧に頭を下げて礼を述べた。ランディも彼に倣い、一拍おくれて一礼した。
 去っていくスキピオの背を見送り、クレアがファビアンに耳打ちする。
「……王城に侵入され、女王と宰相が追い詰められていると聞いても、彼は現場へ行かないのですね」
「将がほいほい前に出るものじゃないよ。あとはまぁ、サガン将軍の行方といい、色々と裏があるのかもね」
「追及しなくていいんですか?」
 ランディはどうやらスキピオが少し気に入らないのか。疑念が顔に出ている。
 ファビアンは笑った。
「そこまでは僕らの仕事じゃないよ。女王と宰相の保護について同意が取りつけられればそれでいい。女王様方のお迎えとして、ペルフィリアから弓を射かけられないようにすること。先方の将と顔をつないでおくこと。僕らは侵略しにきたのではない、と、思ってもらうことなどなど。要するに、色んな下ごしらえさえ無事に済めばいい」
 そういった点では予想以上に話が進んだ。短時間で、上手くいきすぎている気もするが。
 ファビアンは皆に声をかけた。
「ひとまず、僕らはベベルたちのところへ戻ろう。……サガン将軍たちのことを、調べてもらえるかもしれないしね」


 地下水道の小道の上を角灯の明かりが滑る。
「チェンバレン様、こちらです」
 地図を手にした男の案内を受けながら、レジナルド・チェンバレンは、汚水の臭いに満ちた地下の暗闇を、側近たちと共に歩いていた。
 この地下水道はペルフィリア王城へ続く秘密通路の一本である。まだメイゼンブルが滅ぶ前の話。魔術調整に同席した折、王城の古い設計図の写しを手に入れた。以後、足のつかない人を使いつつ、何年にも渡って古道を調べ上げた。
 道は様々だった。途中が崩れて使えない道もあったが、大半は保持の魔術が生きており、王城と外を結んでいた。王都と外をつないでいるだけの道もあって、王都を鎖している間、物資を補給するのにも役に立った。
 レジナルドたちが行くこの道は、王城の中心へ最短かつ安全に繋がると見なされたものである。おそらく、王室の避難路として用意されたものだろう。玉座の間に近い一室から、王都内の地下下水道を経由して、丘をひとつ越えた先の廃村の井戸につながっている。
 この道は慎重に使わねばならなかった。
 途中、王城への侵入を阻む大がかりな仕掛けがいくつもある。仕掛けを外すと振動が地上に伝わる。人が通過するとわかるようになっているのだ。だからレジナルドは日数をかけ、ひとつひとつを丁寧に外した。地上では何も知らない班が、王城の外壁を崩す努力をしている。王城に引きこもる罪人たちは、彼らを警戒していることだろう。
 自分たちはその無防備な背後から彼らの首を刎ねて聖女に捧げる。
 ――あぁ、もう少しです。
 もう少しです聖女よ。わたしの、わたしたちの穢れを祓いますゆえ、いましばしのお待ちを。
 そうして清らかになった我らにどうぞあなたの祝福をお恵みください。
 地下水道の空気は湿り気を帯びて、角灯があってすら闇深い。
 生々しい臭気は地上と異なってほの温かかった。
 わたしは産道を歩いているのだ、と、レジナルドは思った。
 聖女の御力が満ちていたころに造られた古き道を、志を同じくする信者と共に穢れを祓うために歩く。これは生まれ直しの道。聖女の血を引くものとして、在るべき姿となるための。
(あなたへの感謝が薄れつつあるこの世だからこそ、あなたの御使いを生み出すべく、この苦難の道をわたしにお与えくださったのですか)
 石造りの仕掛けを先導する男たちが外す。
 つるりと研磨されたさかおとしの壁に、魔術の明かりの灯った階段が現れる。
 おぉ、と、人々から歓声が上がった。
 レジナルドは彼らを振り返って宣言する。
「皆、聖戦の時間です。武器を持ち、静かに階を登りなさい」
 皆は神妙に頷いた。
 ひとり、ふたり。先行して安全を確認しながら階段を登る。レジナルドも後に続いた。
 胸が高鳴って仕方がなかった。
 王城にまともな兵はもはやいない。
 女王の座を謀った兄弟は自らの近衛たちも外へ出した。一方の自分たちは、王城側からも雑兵を入れている。主戦力の自分たちはあの兄弟を挟撃して狩る。
 彼らは神に捧げる羊のように無力だ。
「はは」
 と、笑いが零れた。
「ははははは……!」
 そして。
 淀んだ空気から抜け出した薄暗い部屋。
「――ずいぶんと遅い入城ですね」
 冷ややかな男の声に、レジナルドは笑いを収めた。
「……は?」
 暗闇に慣れた目が目の前の光景を認識するには時間が必要だった。
 薄暗がりを押し退けて、男が現れる。
 怜悧な美貌を宿す男だった。それだけで聖女の祝福を感じた。それが妬ましくてたまらなかったことを、レジナルドは思い出す。
 レジナルドが聖女に供物として捧げたかったうちのひとり――ディトラウト・イェルニは微笑んだ。


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