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第三章 備える採択者 3


「……さん、せい?」
 マリアージュの声は狼狽に裏返っていた。
「反対ではなく?」
『はい』
「理由は?」
『相手の陣営の内部に踏み込み、聖女降臨の術式を破壊するためです』
 思いがけない理由にダイは息を呑む。
 沈黙するこちらに構わずフォルトゥーナは言葉を続けた。
『わたくしたちドッペルガムは、聖女教会の行動の是非を突きつめて議論すべきではないという結論に至りました。聖女教会、および、レイナ・ルグロワの主張は多くの者たちにとって抗いがたいほど魅力的な提案であることは明らかだからです』
「……言いがかりも同然の主張で、無辜の血が多く流れるかもしれないのに?」
『その血は民人のものではなく、聖なる羊のものだと、彼女たちは言い張るでしょう。そして皆はそれを容認する。……マリアージュ様、あなたは、人生が変わるほど、生活が変わったことはおありですか?』
 急に転換した話題に付いていけない。
 マリアージュが黙考する。問いの意図を推しはかりながら、適切な回答を探っているようだった。
「……女王に、即位したとき、かしら」
『それは、あまり、変わったとは言えません。例えば――そうですね。想像してください。できますか? 自ら畑を耕し、夜に灯が欲しければ火を熾して、その光が絶えないように番をする。湯もたっぷりとは使えない。自らの世話は自らで行う。そのような生活に、明日から変わる』
「――想像したわ」
『……ずっと、その生活が続くとしたら?』
「つらいわね」
『ですが、聖女降臨が叶えば、生活を変えなくて済む。……そうなったとき、あなたは抗えますか。誘惑に。あなたはただ、見知らぬ誰かが生贄となることに目をつむればよいだけ。そうすることが正しいという理由もすべて用意されて。それでも否と言えますか?』
「……難しいでしょうね。えぇ。これまでの慣れた生活を変えることは難しい。変えなくてもすむ方法があるのならなおのこと」
 ――だからこそわたしは、女王選に挑む道を選んだのだから。
 主君の魔術具にも拾えぬほどのささやきを、ダイは耳にした。
『聖女教会が聖戦に勝利し、聖女を降臨させれば、これまでの生活が担保される』
「かもしれない」
『……マリアージュ様のおっしゃる通りです』
 マリアージュからの指摘を、ため息交じりにフォルトゥーナが肯定する。
『聖女の思惑。呪いの有無。そんなものは関係がない。戦はどんな理由であれ呪わしい。人が一人死ぬも星の数ほど死ぬも、誰かの人生を狂わせることには変わりがないのに。貴族は人の命を単なる数でしか認識しない――と、あぁ、申し訳ございません』
「いえ。……あなたのおっしゃるとおりです、フォルトゥーナ様。あなたもふくめたわたくしたち為政者は、命をものの数として扱いがちです。戦争を道具として使う。得をするのなら戦争を起こすのもやぶさかではないと断じてしまう。……そして、その自らの醜悪さに鈍感になる」
『……えぇ』
 感情に揺らぎかけていたフォルトゥーナの声は平静さを取り戻していた。
『ですから、このまま大陸会議で聖女教会の意向の是非を議論し続ければ、わたくしたちの側が割れる。大陸会議の統制が取れなくなる』
 大陸会議の参加国が言い争うようになれば、戦はペルフィリア対クラン・ハイヴと聖女教会のかたちに留まらなくなる。主張を異にする国同士が戦を始めかねない。
『会議の流れを見ている限り、あなたがたデルリゲイリア、わたくしたちドッペルガム、そして、アクセリナ様、サイアリーズ宰相のゼムナムが反聖女教会といったところでしょう。国力からもペルフィリアを擁護すると女王同士で決定することは不可能ではありません。ですが、その下で働く官たちが納得できない。……グザヴィエ』
『お恐れながら、わたくしよりご説明を』
 フォルトゥーナの声が宰相のしわがれたそれに交代した。
『これは、感情の問題でございます、マリアージュ女王陛下。ドンファン、ファーリル、ゼクスト。ゼムナムもまた、官の多くは聖女教会の徒でございますれば。自らが祈りを捧げてきた聖なるものに、弓を引くことはよほどの覚悟がなければできませぬ。女王の側近なれば、自らの王の定めたることならと追随できても、末端まではどうか。――難しい、と、我々は案じております』
 反聖女教会の態度を取った女王を下の官たちがよしとしなければ、国は立ち行かなくなる。少し前、マリアージュが玉座から追われたデルリゲイリアと同様に。
『いま、各国の基盤を弱めるわけには参りませぬでしょう』
『ですから、聖女教会に賛同するかたちで会議を決着させたいのです』
 と、フォルトゥーナは己の宰相に続いた。
 もちろん、諸手を挙げて聖女教会の主張に是を唱えよというわけではない。ペルフィリアを擁護する発言はしてかまわない。かの国を救うための手立ての布石は自分たちが会議中に打つべきだ。
 だが、その一方で安心させたい。
 各国を、各国で聖女を心のよりどころとする無垢な民人を。
 そして、油断させたい。
 聖女教会を。
 マリアージュがフォルトゥーナの主張を反芻する。
「油断……」
『――ユーグリッド・セイスです』
 若い男の声が会話に割り込んだ。
『ドッペルガム、魔術師の長です。ここからは、僕が陛下に替わって説明します』
 フォルトゥーナと共にクラン・ハイヴの農村で出逢った青年。銀色で構成された、朴訥とした魔術師をダイは思い返した。
『聖女教会は聖女を降臨させる魔術があると明言しました。魔術である以上、術式と陣がある。そしてこれは、事前に破壊できる類のものです』
「なぜ、そうと断言できるの?」
 マリアージュがセイスに問いかける。
「魔術ってこう……人の身体に陣を書き込むかたちがあると聞いているけれど」
『博識ですね』
「世辞は不要です」
『世辞じゃない……。術式と陣について、そこまで詳しい人はあまりいません。……そう、魔術を行使するための術式と陣は、ヒトガタに刻むものもあるけれど、今回は別だ。人に聖女に足る魔力を付与する魔術装置を教会が持っている。それを僕が断言できるのは、見たからです。僕が』
 一度、彼は言葉を切った。この場でそれを告白するために、勇気が必要なのだとでもいうように。
『大スカナジアで。僕は大スカナジア生まれの魔術師で、魔力付与の装置も、実験も、この目で見てきました』
 壁際に控える同席を許された官たちが顔を見合わせる。
 マリアージュとロディマス、そしてダイは微動だにしないままセイスの言葉を発する魔術具の板を見つめていた。
 自分たちは知っている。小スカナジアで彼自身から聞かされた。
 セイスが《滅びの魔女》の魔力を与えられる実験の末に生み出された魔術師であることを。
「……つまり、聖女は大スカナジアで生み出されると、あなたはおっしゃりたいの?」
『いいえ、陛下。大スカナジア、メイゼンブルの公都はいま、高濃度の魔力に没しています。タダヒトは立ち入ることができません。それに僕が見たアレは、大スカナジアでメイゼンブル崩壊に巻き込まれ、破壊されている。ただ、あれには予備があると聞きました。大スカナジアの外に』
 聖女教会の話から、彼らはそれを保持している。
『わたくしたちは、その魔術装置を破壊したい』
 フォルトゥーナが呟いた。
『何も完璧に破壊する必要はないのです。聖女を生み出そうとするほどです。ほんのわずかな傷をつけるだけで構わないはず』
「先方に敵とみなされなければ、こちら側の誰かが聖女を生み出す儀式とやらに臨席できるかもしれない。そうすれば、破壊が叶うと、あなたはおっしゃるの?」
『臨席は難しいでしょう。ですが、そこまでできなくともかまわないのです。そう、せめて、国内である程度、自由に動くことができるのであれば、その場所にこちら側で近づける』
「国内……? 陛下は、その聖女を生み出す魔術装置とやらが、どこにあるのかを存じていらっしゃると?」
『――魔力付与の研究責任者だった魔術師には、双子の妹がいました』
 マリアージュの問いかけにフォルトゥーナは答えず、替わってまたセイスの声が室内に響いた。
『彼女と共に魔術を研究していると、責任者は言っていた。その妹の方を、僕はメイゼンブルが崩壊した日に、大スカナジアで見かけました。彼女の名前は――マクダレナ・ルグロワ』
「ルグロワ……?」
『調べたところ、前ルグロワ市長の妻。レイナ・ルグロワ市長の実の母親でした』
『魔術装置に予備があるなら、ルグロワ市で保管している可能性が高い』
 マリアージュの呟きに、フォルトゥーナが説明し、セイスがその後に続いた。
 ルグロワ市に聖女を生み出す魔術の装置があるとして。
 ならそれは市内のどこに保管されているのか。
(……まさか)
 ダイはその可能性に思い至って息を呑んだ。
 聖女は生み出せるのか。その問いにアルヴィナは答えた。聖女になるかは別として、他人の魔力を上乗せすることは可能である。それを行うには今の時代、適切な術式、力場、設備が必要である、と。
 そしてジュノは述べた。魔力付与の実験は魔術素養の高い子どもを用いて何度も行われたのだと。
 もしも過去にルグロワでその実験が行われていたのなら、いまも魔力が溜まりやすい場所となっているだろう。
 複雑で強大な魔術を行った土地の魔力は活性化する。
 活性化した魔は、妖精光として、世界に現れる。
『ルグロワ河の源流』
 フォルトゥーナが厳かに告げる。
『大陸全土を見ても、大魔術を行うに適切な力場は多くございません。妖精光の景勝地として名高いルグロワ河源流。そこに聖女を生み出すための魔術を用意していると、わたくしどもは確信しています』


 ドッペルガムとの会談を終えて、マリアージュは急ぎゼムナムに会談を申し入れた。あと半刻もすれば大陸会議も再開されようというぎりぎりさである。
 幸いなことにゼムナムはふたつ返事で応じてくれ、ダイは所用で席を外さなければならなくなったため、マリアージュはロディマスとふたりで会談に臨んだ。
『――なるほど』
 ドッペルガムと行った会談の内容をふまえ、デルリゲイリアが述べた要請に、サイアリーズは唸る。
『つまり、我々ゼムナムとしてこの後の会議で行うべきは二点。ひとつ、最終的には、聖女教会の意の追従を表明する。ひとつ、聖女教会の意向には従うが、ペルフィリア国民を聖女降臨の犠牲にする点には異を唱える。少なくとも、我々はセレネスティ女王が男子であるのか確かめるべく、かの方を一度は拘束……まぁ、保護なわけですが。それを、進言し、会議参加国に承認させる』
「そうです」
『大役ですねぇ……。特にふたつめ』
「わたくしどもより、ペルフィリアをむやみに贄に捧げることに難色を示された、そちらから提言いただいた方が、説得力がおありでしょう?」
『文脈的にそうですね。陛下も承認されることでしょう。……かしこまりました。その大役、請け負いましょう』
 マリアージュは安堵の息を吐いた。
 女王の在位年数の長さから、ドンファンの女王が大陸会議の議長を務めている。だが最も大きな発言力を持つ国はかの国ではなくゼムナムである。
 その実権を握るサイアリーズの協力を得られることになったし、打ち合わせた会議の方向性にも無理はない。
 聖女教会の動きに物申すべき点は多々あれど、大陸の平穏を願う機構として、大陸会議は「しぶしぶ」教会の意向を是とする。
 それはこの後で大陸会議の総意として可決される。
『さて、ペルフィリアからセレネスティ女王を脱出させる。セレネスティ様の査問については、後で考えるとして……。聖女教会の急進派を蹴りだして、聖女がたとえ生み出されなかったとしても、国内がうるさくならないようにしなければ。……急進派の情報は、ご共有いただけるとのことですが』
「はい。今回のご協力の対価として」
 ロディマスがサイアリーズに答える。
 サイアリーズは声に喜色を滲ませた。
『まったく、デルリゲイリアは侮れませんね。そのような希少資料、どこから入手されたのか。それから、ジュノ殿の件……』
「運がよかったのでしょう」
『……えぇ』
 マリアージュの言葉をサイアリーズは肯定した。
『だからこそ、わたくしはあなたがたに協力を惜しまないのですが。運のよい方々に乗らせていただく。これが、生き残る秘訣だと、わたくしは心得ております』
「協力を惜しまないというその言葉、信じています。これからサイアリーズ宰相には、多くの根回しを行ってもらわなければなりませんから」
『……これはいささかよく申し上げ過ぎましたね。ですが、えぇ、もちろん。わたくしも、陛下も、あなたと足並みを揃えましょう。あなたの往くその道が、わたくしどもの往く道と寄り添う限り』
「ゼムナムのご協力、心より感謝いたします。……この困難な道行き、一国ではとても立ちゆきません」
『それはこちらの科白です。……ただ、聖女ひとりが生まれることで、何もかも解決するなら、確かによいのやもと、わたくしも思わなくもないのですが』
 これまでと趣の変わったサイアリーズの発言に、マリアージュは眉をひそめた。
「どういう意味でしょう?」
『あぁ、お怒りにならないでください。単なる仮定の話です。……何もかも解決すると、聖女教会は言いますが、実際はそうではない、という話です』
 サイアリーズが笑って言う。商談がひとつまとまって、彼女の事態を面白がる悪い癖が出たといったところか。
 謳うように、彼女は続ける。
『この世界は面白おかしい読み物でも歌劇でもない。英雄ひとり、聖女ひとりいたところで救われない。例えば、ディトラウト・イェルニ宰相閣下……。とても優れた方だと、聞き及ぶ彼も、国内の聖女教会の急進派を押さえること叶わなかった。聖女シンシアですら、権力闘争という呪いを残した。たったひとりの誰かが道を切り開いても、その後に続く者は優れたものではないのが世の常です。世界は凡人に満ち溢れ、凡人は泥臭く対話し、対立し、協力して世界を回す。それこそが、迂遠に見えて、最短の道行き。面倒ですが、それが救いなのだな、と、思っているのです』
「あなたは救いだとおっしゃるの? 泥臭く面倒な根回しを繰り返さなければならない世界が?」
『えぇ。主神が――力なくともわたくしたちでもこの世界を変えられる、その余地を残してくださったという証左ですから』
 マリアージュ女王陛下、と、サイアリーズが囁く。
 その声はとても敬意に満ちていた。
『いまさらではございますが、あなたの二度目の女王選の宣言の内容、耳にいたしました。人の弱さを許す――弱き者を捨てないというその道は困難であると、わたくしどもも強く感じています。ただ、先も申し上げた通り、主神はわたくしたちにそれを許している』
 強くなくても、賢くなくても生きられる世界になれるはずなのだ。本当は。
 かつての聖女はそんな世界を夢描いたはずだ。
『どうか、共に戦わせて』
 ゼムナムは罪を犯したものも救える道を探している。
 過失を犯した者にも手を伸ばしたいと足掻いている。
 だからそれを斬り捨てる教会の意に従うわけにはいかない。


 大陸会議終了後、参加した六か国は聖女教会の行いを黙認すると表向きの通達をかの組織に出した。
 加えて、ひとつ要望を出した。
 聖女の再臨。それを寿ぐ特使をレイナ・ルグロワに遣わせたい。
 人数は二名。
 ひとり、《深淵の翠》ドッペルガムより筆頭外務官ファビアン・バルニエ。
 ひとり、《芸技の小国》デルリゲイリアより女王専属化粧師ディアナ・セトラ。
 距離的な関係からクラン・ハイヴに隣接する二国の《国章持ち》を特使とする。
 手土産はデルリゲイリアにて『捕縛』した、クラン・ハイヴの影の女帝、イネカ・リア=エルの近習、ジュノだ。


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