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第三章 備える採択者 2


 諸々の仕事を終えてダイが王城に戻ると、マリアージュは休憩室の長椅子に倒れていた。戻りました、の、挨拶にひらりと手ぶりだけが返ってくる。
 行儀悪くぐったりと椅子の座面に突っ伏すマリアージュの対面に兄弟並んで座るロディマスが、主人に替わってダイに声をかける。
「おかえり、ダイ」
「ただいま戻りました。ロディもアッセもお疲れ様です」
「あぁ、お疲れ」
 騎士たちの長を務めるアッセは、防衛の責任者として多忙を極める。軍備の拡張、関所の視察、非常事態に陥った場合、各部署の連携について打ち合わせるべく、あちこちの会議に顔を出している。こうしてきちんと顔を合わせるのも久しぶりだった。
「会議でもないのにおふたりが揃っているの、珍しいですね」
「軍備の打ち合わせが早く終わったからね。案件について少しでも話したくて寄ったんだけれど……」
 ロディマスが説明してマリアージュを一瞥する。
 マリアージュはぐったりしたまま動かない。
 ダイは眉をひそめた。
「……あの、どうだったんですか。朝の会議」
「……ペルフィリアを攻めるのも仕方ないってならなかっただけましってところね……」
 ようやっとマリアージュは反応を示した。むくりと起き上がって煩わし気に髪を掻き上げる。
「よかった……。いい結果じゃないですか」
 ダイは安堵に息を吐いて、マリアージュに微笑みかけた。最悪は回避している。思ったより悪くない。
 マリアージュから目線で指示され、ダイは彼女の斜向かいに着席した。音もなく現れた女官が手際よく人数分の紅茶を支度していく。
 湯気を呼気で吹き払う主人を見つめてダイは尋ねた。
「呪いがあるかどうかを争点にしたんですよね?」
「えぇ。でも、そっちより、アクセリナがいい方向に話を持って行ってくれたから……そこで、一時休会」
『まだ生きているものに、もう死ぬのだからと、斬りかかっている』
 アクセリナはそう言って、呪いはどうあれ、戦争を引き起こそうとする聖女教会側に難色を示したらしい。朝で終わらなかったなら、後半はダイも参加できる。そこでの争点はおそらく、「理由は何であれ、戦争を起こすことを容認するのか否か」になるだろう。
(アクセリナ様……)
 小スカナジアで、罪人であっても助けられる国、たくさんの命を救える国を目指すと宣った幼き女王。
 ダイは茶器に口を当てた。
(……お母上に、何かあったのかな……)
 アクセリナの母、アタラクシアは眠りについたまま目覚めない。状況から彼女を殺せと言う者もいるだろう。無能なもの。弱きもの。負担になるものは斬り捨てよというのがいまのこの世の中だ。
 アクセリナは母親とペルフィリアの状況を重ねたのかもしれない。
「ダイの首尾はどうだったんだ?」
「ちょっと、まずいことがありました」
 アッセの問いにダイは渋面になりながら答えた。
 続けて聖女教会側がジュノの所在を探っていた可能性と、彼を探しだすために街中で騒ぎが起こるかもしれない旨を端的に述べる。
 ロディマスが顎を尺って呻いた。
「何も知らない人たちが利用されるかもしれないというのは……やりにくいね」
「アスマの顔が利く範囲では色々と目を光らせてもらえることになりました。特使の随行員が足を運んだ場所にも顔を出して、注意を促しています」
「兵の巡回を増やしたほうがいいか」
「わたしもそれ、アッセと話したかったんです。実際、どうなんでしょう。安易に巡回を増やすと、物々しくなるんじゃないかなって思うんですが」
 治安が極端に悪化しているなら、巡回を増やすことは暴力の抑止力になる。だが現状、デルリゲイリアの城下は落ち着いている。下手な警備の強化は人々の不安を煽ってしまう。
「早急に下の長たちを招集して決定しよう」
 アッセは壁際に控えていた文官を手招いた。会議の手配について打ち合わせをその場で始める。
「それで……あんたはもうひとつ、なんか報告あるんじゃないの?」
 と、紅茶を干したマリアージュが、目ざとくダイの膝の上に乗る包みを指さした。
「薄汚れた包みを後生大事に抱えてここまで持って帰ってきたからには、何かあるんでしょ?」
「……人払いをお願いしても?」
 ダイの要請のマリアージュが瞬き、壁際に控える人員たちに退出を促す。
 ダイは彼女に謝礼代わりに微笑んで、包みを縛る紐を丁寧に解いた。
 幾重もの油紙と麻布、最後は魔術の防火布まで用いて厳重に梱包されたそれは、厚みのある数冊の冊子だった。
「……何なの、それ?」
「聖女教会に所属する、聖女復活を望む急進派の人たちと、彼らと繋がりのある為政者の目録。および、調査報告書です」
 一同が、息を呑む。
 いま、ダイの手元にある資料は、誰がこの戦争を望んでいるかを明確にする非常に貴重なものだ。これがあれば敵味方の識別を行いやすいし、大陸会議における他国の動きも読みやすくなる。
「ダダンが持ち帰ってきました。ディトラウト・イェルニからの預かりものです」
「……ダダンが? あいつ、あの男に会えたの?」
「いいえ」
 マリアージュの問いにダイは首を横に振り、冊子と共に包んでいた数枚の封書を取り上げた。
「この包みは彼が予め国内の方々に隠していたものだそうです。ダダンも国境近くを往復するのがやっとで、国の王都方面……東へは潜入できなかったと。でも、手紙を運よく見つけて」
 街も街道も混乱がひどく危険だと、ダダンは国の奥へ向かうことを断念したらしい。その引き返す途中に寄った国境付近の商工協会支部で、検問に引っ掛かっていたデルリゲイリア行の郵便物を託された。ダダンはマリアージュが発行した特殊な通行証を持っているため、国境封鎖を抜けられるからだ。
 その中に、ディトラウトからの手紙が混ざっていた。
「ラマディ平原での爆発をどうにか切り抜けたあと、国境付近でこの手紙を書いたようです。商工協会は戦争に入ってすぐに荷の受付を切っていたって聞きました。本当にぎりぎりだったみたいですね」
 ロウエン名義で、アスマ、ミゲル、ダダン宛もある。とにかく手あたり次第、ダイの城下の知人に向けて書いたといった感じだった。前回のように打鍵する余裕もなく、手書きだ。見慣れた筆跡の文字がくしゃくしゃの紙に走り書きされている。
 そのうち一通をダイから受け取り、目を通していたロディマスが面を上げた。
「読んでみた感じ、遠方の友達からの近況報告にしか見えないけど……」
「ぱっと見はそうなんですが、単語や書かれている出来事そのものが暗号になっていまして、共通のことを体験していない限り、文脈通りにしかわからないようになっています」
「あー……前のと同じ」
 マリアージュが回されてきた手紙に目を通して首をかしげる。
「にしても、結構な量だけど、共通体験ってどんな?」
「そうですね……」
 ダイは手元の紙面に視線を落とした。
「一緒に食べた夕食とか、その時の話題とか?」
「ハァ? そんなこと、いちいち覚えてんの?」
「え? はい」
「……あいつ、それをこの子が覚えているだろうって確信してたってことよね。うわ……」
「……ソレ、どういう反応ですか、マリアージュ様」
「あんたたちのお頭(ツム)の良さに引いてんのよ、ダイ」
「ダダンはどうやってその、荷を探し当てたんだ?」
 アッセが手紙をダイに返しながら尋ねる。
「見たところ、荷物が隠されているといったような内容も文面にはなかった。ダイにしか手紙が読めないなら、あの男にも意味がわからなかったんじゃないのか。荷物の場所を示す、別の手紙があったのか?」
「いえ。……情報が揃っていれば、解読できないわけではないんです。ダダンは手紙の中に書かれている、死んでいるはずの人の名前や、故郷、お墓参りの符号から、何かを掘り返せと書かれていると踏んで、思い当たる場所に行き、この資料を見つけてきました」
「墓……?」
「これは、イェルニ兄妹の故郷にある、使用人のお墓の中に入っていたそうです」
 ダダンは過去に一度、調査のためにその土地へ足を運んでいる。住人とも顔見知りになって、墓所への案内も受けたという。
 かつてのイェルニの領民たちは、亡くなった使用人たちを偲んで墓を作った。その、空であるはずの棺の中に包みは隠されていた。
「手紙を読む限り、資料の写しの包みは国内の数か所に埋めてあるみたいですが、そのうちのひとつがこれです」
「これをどうしろと、イェルニ宰相は言っているんだい?」
「……有効に使え、とだけ」
 ロディマスに答え、ダイは目を伏せた。
 手紙には特別な指示はなかった。
 ただ、ディトラウト自身とヘルムート、梟の三名は無事であること。この戦はレイナ・ルグロワと聖女教会の目論見であり、彼女たちは本気で聖女を復活させようとしていると思われる点が記載されていた。
「ほかには?」
「聖女の復活の件も多少。詳細がないので、多分、わたしたちがジュノさんから聞いたこと以上のことを、彼も知らなかったか、書く余裕がなかったかのどちらかです」
「あいつは、なんて書いてたの?」
「……ジュノさんを見つけ出して、どうにかしろと」
 殺せ、と、書かれてはいなかった。少なくともそのようなことを示唆はされていなかった。おそらくダイの職分を尊重したのだろう。人を傷つけるための手ではないと、かつて彼はダイの手を取って言ったのだ。
 以上です、と、ダイは報告を締めくくった。
 マリアージュがため息を吐いて、椅子の背に重心を預ける。
 膝の上で手を組んだ彼女は、ダイをひたりと見据えた。
「ダイ」
「はい、陛下」
「よかったわね」
 ダイは息を呑んだ。
 手元の手紙を見つめる。
 タルターザとエスメル市の中間にあるラマディ平原で消息を絶って以降、ディトラウトたちが生存していると示す確たる証拠はなかった――これまでは。
 生きていると、信じていた。
 手紙の筆跡は見慣れたもの。ミズウィーリの頃から、何度も繰り返し目にした。見紛うはずもない。
 本当に、ちゃんと、生きていてくれた。
 下唇を噛みしめ、こみ上げる熱をどうにか飲み下す。
 ダイはマリアージュに微笑んだ。
「はい」
 マリアージュも微かに笑って、頷いた。
「とにかく……現状、うちは情報には恵まれているってことだね」
 ロディマスが資料の一冊をぱらぱら流し読みしながら呟いた。
「一応、検証はするけど、状況から言ってこの資料はかなり信憑性が高い。これと……あとジュノ氏の件を、有効活用したいところなんだけれども……」
「今日の会議の後半は、ルグロワ市長の主張を容認するかどうかが焦点なんですよね。根回しの優先順位付けにその資料を使えませんか?」
 デルリゲイリアは「クラン・ハイヴおよび聖女教会がペルフィリアに侵攻することを容認しない」立場を取っている。つまり、現状は反聖女教会である。
 ところがどの国もうかつに聖女教会全体に反抗はできない。聖女教会と聖女という血筋が女王の地位を担保している。それを別としても、聖女教会からの脱却を目指しているゼムナムや、平民出身者が多く、聖女教会という権力に思うところのあるドッペルガムを除けば、国内に教会と癒着する権力者を抱えている国が多いからだ。
 何かの拍子でどの国も教会に従ってペルフィリアの滅亡に目をつむりかねない。そうならないための根回しに、ディトラウトからもたらされた目録は有効なはずだ。
「そうしたいところだけれど、資料を検める時間が足りない」
 ロディマスが嘆息を零す。
「教会の内部に関わる資料だ。うちでも機密扱いになる。当然、精査する人員を選出するところから始めなければならない。後半の会議まで二刻を切っている。活用したいのはやまやまだけど、今日中は無理だ」
「そうですか……」
「どちらかというと、ジュノ氏をどうするかを決めたほうがいいと思う」
 ロディマスは神妙に言った。
「これまで、彼のことを保留として、他国にも存在を伏せてきた。けれど聖女教会側に彼がこの王都に滞在していると知られたなら、場所を公開してしまう方がいいと思う。元々、いつかは知らせるつもりだった。知らないふりをし続ければ、彼がデルリゲイリア王都にいると他国に情報を横流しされて、足をすくわれるかもしれない。それにこちらでしっかり保護してしまえば、彼の居場所を求める輩が無差別に暴れることもないだろう。……アッセはどう思う?」
「賛成する」
 アッセは重々しく首肯した。
「無差別より、場所を絞れたほうが警備はしやすい」
 ジュノの居場所を求めた聖女教会に妙な動きをされるより、堂々と所在を明かしてその動きを限定したほうがよいとアッセはロディマスに賛同した。
 マリアージュが顎に拳を押し当てて黙考する。
 彼女が口を開きかけたとき、部屋の外から入室を請う声が届いた。
 ロディマスに目配せしたあと、マリアージュが許可を出す。
「入りなさい」
「ご歓談中のところ申し訳ございません、陛下」
 文官が滑り込んで一礼する。その顔色には焦燥があった。
「ドッペルガムより、急ぎで会談の要請が来ております。……いかがいたしましょうか?」



 《深淵の翠》ドッペルガム。位置は大陸中部。国境の一部をクラン・ハイヴと共有する、元は農民でしかなかったフォルトゥーナが、先代デルリゲイリア女王エイレーネの後援を受けて興した国。立場は反聖女教会だ。初回の大陸会議でディトラウトが政教分離を提言した際も、彼に賛成の意を表していた。
 今回の聖女教会によるクラン・ハイヴの後押しにも難色を示している。だが安易にすり寄ることのできない国でもあった。
 ダイとマリアージュは女王であるフォルトゥーナの素の顔を知っている。クラン・ハイヴの農村でルゥナと名乗っていた彼女は、聖女の血筋、貴族を強く憎んでいた。その激情は聖女教会に対して苛烈な行動に出るのではとダイたちに危惧させるに足りた。
 何より、フォルトゥーナの方がデルリゲイリアに対して一線を引いていた。
 その彼女から内々の二者会談を要請されたのは初めてだった。
 マリアージュとロディマスが席に着き、ふたりのやや後ろの定位置にダイは控えた。商工協会が準備した魔術具の板が起動して光が走る。
『わたくしどもの急な求めに応じてくださり、感謝いたします』
 第一声はフォルトゥーナのものだった。
 マリアージュが応じる。
「いいえ。それで、何用でしょうか?」
『まず、確認させてください。マリアージュ様は……デルリゲイリアは、聖女の降臨に反対でいらっしゃいますか?』
 挨拶を飛ばすにも程がある。
 ダイの位置から主人たちの顔色は見えないが、おそらく呆れているのだろう。返答には若干の間があった。
「……お応えする前に、まず最低限の礼儀として、自らの立場を明らかにすべきかと存じますが」
『……失礼いたしました』
 ロディマスの指摘にしわがれた男の声で謝罪が返った。先方の宰相、グザヴィエ・アルトゼのものだった。
 フォルトゥーナがその後に続く。
『こちらの気が急いて礼を失し、申し訳ございません。わたくしどもドッペルガムは、教会の主張を認めません。クラン・ハイヴを通じてペルフィリア侵攻を推し進めるその姿勢にも、聖女の降臨に反対いたします。その上で、お伺いしたいのです。あなた方は、聖女の降臨に反対なさいますか?』
「……えぇ」
 マリアージュは肯定を返した。
『教会の姿勢には?』
「反対です」
『ペルフィリア侵攻にも?』
「こちらがペルフィリアと戦争しているのであればともかく……何の咎もない隣国を攻められて、心穏やかに歓迎できるほど、できた人間ではございません」
 マリアージュの回答に、フォルトゥーナは少し、笑ったようだった。
『お願いがございます、マリアージュ女王陛下』
 声色を真剣なものに改めて、彼女は告げた。
『こののちの会議で――聖女教会の意向に、賛成を表明していただきたいのです』


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