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第三章 備える採択者 4


 ドッペルガムとデルリゲイリアから、聖女教会の後援を受けたクラン・ハイヴへ特使を送ることが本決定した。教会が指定した先は案の定、次期聖女を名乗ったレイナ・ルグロワの本拠地、クラン・ハイヴのルグロワ市である。
 その特使となったダイの周辺は、俄かに慌ただしくなった。現在、ダイに割り当てられた三間続きの執務室は、前回の旅の記録をひっくり返しつつ旅の準備をする人で大賑わいである。
「ティンカ、その晩餐服、そこに置いておいて。身丈確認しないと……」
「ねぇねぇ、装飾品どうする?」
「えぇっと、今回は女装しないんでしょ? だったら、これとこれは外して……」
「五番と、七番と……うん。大丈夫。持って行っていいよ」
「なら、筆は四組ずつお持ちするっていうことですね」
「はい、お願いします」
「ダイ」
 持参物の確認を女官たちと行っていたダイは、背後からの呼びかけに振り返った。声の主は女官のひとりであるリノだ。彼女は扉口を目線で示しながら言った。
「テディウス騎士長がお越しです。ご相談したいことがおありとのことで……」
「アッセが? すみません、応接室を開けて、お茶を支度してもらっていいですか?」
「かしこまりました」
 ダイはリノに部屋の準備を任せて、ほかの女官たちにも準備の指示を手早く出し、部屋の入り口までアッセを迎えに出る。アッセは副官の騎士と共に、警備に立つランディと何かを話し込んでいた。
「すみません、お待たせして……。ランディたちとも話が? 皆で中に入りますか?」
「あぁ、そうさせてもらおうか。……が、ダイは問題ないか? その、急に押しかけて」
 きゃあきゃあと女性陣の姦しい声に満ちた室内をダイの肩越しに見て、アッセがやや引き気味に尋ねる。
 大丈夫ですよ、と、ダイは扉をさらに開き、彼らを招き入れる。
「どうぞ、入ってください」
「わたくしはここで待機いたします」
 アッセの副官が扉番を申し出る。ダイはアッセとランディの入室を確かめて扉を閉め、女官たちの間を通り過ぎて応接間に入った。ふたりに長椅子を勧めて、その向かいに腰を下ろす。リノがてきぱきと人数分の紅茶を用意し、下がっていった。
 リノと入れ替わりに文官が入室してダイの背後に待機する。彼女、アレッタはダイがペルフィリアから戻ってきてから付けられた文官だ。化粧以外の交渉事が以前よりさらに増したので、増員してもらったダイの補佐である。
 紅茶を飲んでひと息つき、ダイは話を切り出した。
「それで、相談って? 旅の人員の件ですか?」
「それもあるが、まずは城下の見回りの件だ。強化することになった」
 ダイがディトラウトからの荷を持ち帰った日、アッセたちと話していた件である。結局、ジュノをあれから王城へ移動させたわけだが、城下の見回りを強化するかの話し合いは継続されていた。
 アッセが説明を続ける。
「改めて先日の特使の随行員たちの動きを洗ったが、懸念通り、不審な点が多い。今後、どうなるかはわからないが、警戒しておくべきだという話になった」
「そうですか……それで?」
「あぁ……ダイが指摘してくれていたが、城下の雰囲気の悪化はよくないだろうということでな。敵方にもこちらの警戒を悟られたくない。それで、城下の有力者と連携を取るのに、ダイに仲立ちを頼みたいんだが……」
「わかりました。今日中に紹介状を書いておきます」
 ダイはアレッタを振り返って、予定表に記しておいてくれるように頼む。彼女は筆記具を動かしながら、何件分をご入用でしょう、と、問いかけてきた。
 アッセが抱えていた書類を差し出す。
「計七件分だ。こちらが一覧……頼めるだろうか?」
「……一件、最後の商会はオズワルド商会を通した方がいいと思います」
 ダイはさっと目を通した書類をアレッタに渡しつつアッセに告げた。
「ブルーノさんに手紙を書いておきますから、そちらを経由してください。……アレッタ、手紙は八通分で」
「かしこまりました」
「アッセ、明日の朝一、誰かをこちらへ寄越してもらえますか。預けますので」
「わかった……。明日の朝はここに在室を?」
「えぇ。ただ、わたしの出勤は少し遅いかもしれません。誰かはここにいますし、申し送りはしておきます」
「わかった……」
「次は、旅の件ですね」
 ペルフィリアと開戦しているクラン・ハイヴへの旅は、以前にも増して危険が伴う。護衛としてどの程度の戦力を連れて行くか、そしてダイの近衛を誰にするか、かなり入念に話し合いがもたれていたようだった。アッセが話しに来たということは、その人員の選出が終わったのだろう。
 アッセが持参していた残りの書類をダイに差し出す。
「ランディにはさっき少し話したんだが……。ユベールは随行員に組み込むことにした」
「ユベールを? どうして……?」
 ユベールはランディと組んでダイの近衛を古くから務めてくれている騎士である。ランディと同様、マリアージュが玉座を追われた際も、王城内で危うい扱いを受けながら、マリアージュを影に日向に助けてくれていた。その彼がつい先日、ようやく婚約者と華燭の典を挙げた。新婚を引き離すのもどうかと思い、ダイは彼の残留を依頼していたのだ。
「あいつの希望」
 ダイの問いにランディが答えた。
「実際、ダイの、その、男がだめなのさ。あんまり広めるわけにはいかないし。知ってるやつが多い方がいいだろ。行くのは敵地なわけだし」
「それはまぁ、そうなんですけど……」
 ダイの異性に対する過剰反応は改善しているとはいえない。アッセやランディたちのような親しい者たちからでさえ、急に触れられると意識が遠のく。死角に立たれると特に落ち着かない。アレッタを含め、側近の文官や騎士に新しく女性を入れた背景の一面である。
「……今回の件、ダイからの希望だったと、兄から聞いたが」
 アッセが躊躇いがちに問いを口にする。
「なぜ……このような危険なことに、志願を?」
「わたしが適任だと思ったからです」
 ダイは茶器を取り上げながら答えた。
 そもそもクラン・ハイヴへの特使の件は、ダイの発案なのだ。
 ドッペルガムとの会談で魔術装置を破壊する話が出たとき、ダイはまずどのように潜入するべきかを考えた。
 確かに大陸会議が聖女教会の意を支持すると表明すれば、先方の警戒も多少は緩む。かといっておいそれ敵か味方かわからない誰かを、聖女を生み出す儀式を行う土地に招き入れるはずがない。
 その領域に飛び込むためには、レイナたちがこちらを歓迎したくなる要素が必要だ。
「あちらがどう騒ごうと、こちらがジュノさんを押さえている限り、先方の望む聖女降臨とやらは叶いません。その術を知っている、イネカさんが何も話せないから。でも、こちらもジュノさんを抱え続けているのは色んな意味で難しい。なら、こちらから打って出ればいい。ジュノさんを連れていく、と言えば、あちらもこちらを歓迎せざるを得ない」
 加えてデルリゲイリアもジュノの警備という悩みがひとつ消える。
「魔術装置のところまでは行けなくとも、その近くまで行くことは叶うでしょう」
「それはわかる」
 アッセが苦り切った顔で呻いた。
「だが、なぜ君なんだ。そもそも、ルグロワ河にその装置が本当にあるか、確証すらないのに……」
「ダイはさ」
 ランディが静かな声で尋ねた。
「死にたいの?」
 ダイはきょとんと彼らを見返した。
 深刻そうなふたりに否定を返す。
「いいえ。死ぬつもりもないですし、死んでもいいとも思っていません。あぁ、もしかして、ユベールのこと、勘違いしました? 死地に連れて行かないように、じゃなくて。単純に、新婚を引き離すの、やだなぁって思っただけなんですけれど」
 ダイはティティアンナを思い出したのだ。マリアージュが即位した直後に結婚した彼女は、ほんのわずかでも夫と離れるのは嫌だと言わんばかりだったので。
「今夜の護衛の当番、ユベールですよね。余計な気を回しすぎたなら、あとで彼に謝っておきます。……それから、わたしはクラン・ハイヴを死地だとは思っていません。わたしは特使として行く。新たな聖女を寿いで、戻るだけ。もちろん、危険はあるでしょう。でもわたしは、随行の全員を連れて戻るつもりでいます」
「なら、どうして」
「繰り返しになりますが、わたしが適任だと思ったからです」
 ダイは紅茶で喉を潤すと、茶器を受け皿に置いた。
「わたしはマリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリア、専属の化粧師です。基本、わたしは陛下の許可なく、公の場で誰かに化粧をすることはありません。また、わたしは《国章持ち》でもある。……これから聖女になろうとする方に、化粧をする人材として、わたしはもっとも適当ではありませんか? わたしの化粧はマリアージュ様からの祝いの意を表せる。なにより――わたしは、レイナ・ルグロワを、彼女が有する侍女の誰よりも、美しくする自信がありますよ」
 聖女の降臨。それ自体が政治的な示威行為だ。
 聖女教会は新たに誕生する聖女をそれらしく飾ることだろう。
 最低でもその技術指導としてなら、歓迎されると思った。
 ――レイナはダイの化粧を好んでくれた。かつてダイが化粧を施したときの彼女の喜びは嘘ではなかったと思う。
「それから、魔術装置の所在の話ですが……。ルグロワ市に教会所属の魔術師が流れこんでいるらしいので、おそらく間違いないとのことです。また、それに合わせて急進派の代表たちが、ルグロワに移動している点も認められました」
 こういった人員の流れの確認には、ディトラウトから寄越された情報がさっそく役に立っている。
「万が一、違ったとしても、移動するジュノさんの足取りを追えばよいと」
「……ジュノ氏の移動?」
「セイスさんの話では魔術装置の起動にはイネカさんが必要だそうです。で、アルヴィーが言うには、イネカさんとジュノさんの、《紐帯の魔術》はとても強力で……。生きて会話できる状態のジュノさんがいなければ、イネカさんは魔術を使えないそうです。ですから、必ずジュノさんは身の安全を確保した状態で、魔術装置のところへ連れて行かれる。……わたしが務めるのは装置の場所をきちんと特定し、踏み込み、破壊するための時間稼ぎ。……それを行うためには、わたしみたいな化粧以外に何もできないと侮られる人間が行かないと」
 レイナの側近であるシーラはダイをすんなり侮ってくれないだろう。ダイの連れていた使い魔が、彼女もろとも乗っていた船の船員を眠らせてしまった前科がある。
 だが、それでいいのだ。ダイはレイナ側の注意を引ける。彼女たちの戦力を割くことができるかもしれない。
 同時にダイを知らない聖女教会には侮られる。隙を作れる。
 そういったことを踏まえて、ドッペルガムとの会談の折に申し出た。
「アッセ」
 ダイの呼びかけにアッセが身をすくませる。
 ダイは彼に微笑みかけた。
「この状況を打開するために、わたしはこの身の価値を十全に使うと決めました。今回の特使の志願はそのひとつ。ですが、わたしは結局のところ、ただの化粧師ですから、それ以上のことはできません。……あなたの騎士たちの命、わたしに預けることは不安ですか?」
 己を守る術を持たない脆弱な職人。異性に対して恐怖を覚えるというのだからさらに性質が悪い。
 アッセが心もとなく思うのもわかる。ダイの身を案じてくれているとも知っている。他に誰かいないのかと、追及したくなる気持ちを理解できる。
 アッセはゆるやかに首を横に振った。
「いや――すまなかった。余計なことを訊いた。……我々に任せてほしい。君を守る。守れる人員を、選抜した」
「ありがとうございます」
「本当は、わたしも共に行きたかったが」
「国の防衛をおろそかにしないでください。しっかり陛下を守ってくださいね」
「そうする」
 アッセとランディから緊張が抜ける。
 茶器を取り上げる彼らを見つめながら、ダイは告げた。
「わたしもなるべく早く帰るつもりでいます」
 なぜなら、帰国すれば、マリアージュの結婚式の準備が待っているのだ。


 ――それは大陸会議が終わった直後のことだった。
「……手っ取り早く、国の基盤、安定しないものかしら」
 椅子の背にぐったりと重心を預け、天井を仰ぎながらマリアージュが呻く。
 女官から紅茶を受け取りながら、ダイは瞬いて主人を見た。
「何か心配ごとが?」
「んー……やっぱり、弱いところがあると付け込まれるのよねぇって思って」
 特に今のご時世、国内の有力者とのつながりは重要だ。マリアージュには貴族との関係性をおろそかにして、玉座から蹴りだされた過去がある。各国の国力を落とさぬよう、聖女教会との衝突を避けなければならなかった大陸会議の決着の仕方に、ダイの主人は思うところあるらしい。
「いまはマリアージュが貴族をおろそかにしないことが肝要だね」
 ロディマスが紅茶に砂糖をざらざら流し入れつつマリアージュに告げた。
「特に上級や中級の……。接見の回数を増やすかい? 女王候補だった子たちなら、君も気晴らしになるんじゃないか?」
 マリアージュが身体を興して黙考する。
 かつての女王候補たちは皆、メリアを除いてそれぞれの家の長となっている。女王選のころより、彼女たちは互いに近しい間柄となっていた。仲良し、というか、相手の弱いところを突っついて揶揄い合う、悪友というかなんというか。
「それはやめておくわ」
 ロディマスの提案をマリアージュは退けた。
「今の時期、むやみに人に会う回数を増やすの、きついでしょう」
「まぁ、そうかもね」
「その代わりなんだけど、ロディマス」
「なに?」
「あんた、わたしの夫になりなさい」
 がしゃん、と、宰相の手から茶器が落ちた。
 卓から最上級の絨毯に掛けて紅茶が滝を作る。
 が、誰も動けなかった。
 マリアージュだけが露骨に眉をひそめて見せる。
「なに、いやなの?」
「いや、えっ、そんなことはないけどっっていうか」
「ならいいでしょ」
「マ、マリアージュ様、そうじゃなくて」
 ダイはようやく我に返り、狼狽して二の句が継げずにいるロディマスの代わりに追及した。
「いきなり、何をおっしゃるんですか!?」
「え、だから、基盤の強化の話……。そうね。あとふたりぐらい、わたしの夫を選出してくれる? ドルジやテディウス以外の、強い派閥からひとり。それから、中立派の、少し後ろ盾の弱いところからひとり……」
 指を折りながら、マリアージュは淡々と話し続ける。
 しばしのち、唖然と開いた口が塞がらない一同を見回し、彼女は呆れた顔で肩をすくめる。
「政略結婚って、よくある話じゃないの?」


「――ダイ」
 主人の呼びかけにダイは瞬いた。
 先を歩いていたはずのマリアージュが、いつの間にか立ち止まって胡乱な目をしている。
「何をぼんやりしてるの。躓くわよ」
「躓きませんよ。すみません……マリアージュ様の結婚の話を考えていまして」
「あぁ……それね」
 マリアージュが身を翻し、歩みを再開する。そのたびに、青い花弁が蹴散らされた。
 夜。久しぶりに時間が空いた。散歩に出ようと誘ったのはどちらだったか。護衛の騎士たちは少し後方を付いて歩いている。こういった散歩は久しぶりだ。
 城の裏手の丘に来ている。青い花が広がる、あの。
 マリアージュがその辺りに適当に座る。
 彼女がぺしぺし隣を叩くので、ダイも並んで腰を下ろした。
「そんなに驚くことだったのかしら。だって定石じゃない? 貴族同士の政略結婚」
「マリアージュ様の場合、突然すぎなんですよ……」
 おかげで第一の夫君に指名されたロディマスはしばらく使い物にならなかった。
 ただ、マリアージュは正しい。いますぐ婚礼をせずとも、婚約を発表するだけで、関係性の強化にはなる。夫を三人取ると公表すれば、それだけで貴族たちはマリアージュに敵対する動きを当面は避ける。王道で、妙手だ。
「いいんですか?」
 ダイはマリアージュに尋ねた。
「ご夫君を……そんな風に選んで」
「なぜだめなの?」
 マリアージュは不思議そうだった。尋ねたダイの方がたじろいでしまうほど、彼女の目に他意はなかった。
 立てた膝に頬杖を突いて、マリアージュが夜の王都を見下ろす。
「誰かを馬鹿みたいに好きになる、あんたみたいな女ばかりじゃないのよ」
「それはそうかもしれませんが……ってひどいですね、その言いぐさ。否定できませんけど」
 ダイが口先を尖らせると、マリアージュは笑った。
「ねぇ、ダイ」
「はい、マリアージュ様」
「……アリシュエルが家族を捨てたとき、あの子にそうさせた、愛だとか恋だとか、怖いわねって、わたしは思った。わたしはそれを、持てないわ。だってわたしは自分で選んで、また、玉座に着いてしまったから」
 マリアージュは玉座から逃げることができた。
 死んだ身として、ダダンに連れられて、遠くの国へ逃げ延びることもできた。
 けれども彼女はそれをしなかった。
「ルゥナが言った通りよ。生活を変えるのは大変だわ。潜伏していたときに身に沁みた。わたしにはいまを捨て去る勇気を持てない。自由に生きることを選ぶだけの強さはない」
 でも、と、彼女は言った。
「わたしは女王になったわけだし。なってほしいと、望んでくれた誰かがいたわけよ。だから、人の自由を、守る、力ぐらいは、あるんじゃないかって思える。そしてわたしは、この力を、持ち続けなければならない」
 マリアージュが立ち上がって、衣服に付いた土草を払う。
 星のように灯火を煌めかせる、夜の王都の家々を眺めて、彼女は愛おしそうに目を細めた。
「わたしは、この国に並ぶ家が、いつまでも変わらずあるように、すると決めた。だから……そのための支えを、選ぶだけよ」
 そして力強く微笑む主君は、息を呑むほど美しかった。
 ダイも立ち上がって腰回りの土草を払う。
 また歩き出すマリアージュの後に続きながら、話しかけた。
「ダダン、国境を抜けたころですかね」
 ダダンは再びペルフィリアへ向かった。大陸会議の裏で、自分たちがどのように動いているのか、ディトラウトたちに伝えるためだ。
「案外、足踏みしてるかもしれないわ」
「無事に帰ってきてほしいな」
「帰ってくるでしょ。ここに家があるんだもの」
 髪を夜風に流してマリアージュは言った。
「あんたも、ちゃんと帰ってくるのよ」
「もちろんです」
 ダイも心地よい風に目を細めて告げる。
「あなたが一番うつくしく在るべきときに、わたしがいなければ始まらないじゃないですか。わたしは陛下の化粧師なんですから」


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