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第三章 備える採択者 1


 つまらないわ、と、馬車の中で口先を尖らせてレイナが言った。
 つまらないわ。つまらない。こうも早く、デルリゲイリアを出なければならないなんて。
「レイナ、デルリゲイリアの古美術品を眺めるの、楽しみにしていたのに。街中だってろくに観光できていないのよ」
「あなたが饒舌に話し過ぎなければ、これほど慌ただしく暇を告げる必要はございませんでしたよ」
「シーラ、怒っているの?」
「呆れているだけです……。まさかここまで早く出ることになるとは、わたくしも思ってはいませんでしたから」
 もう少し大人しく、教会の特使を務めてくれるものと思っていたのだ。何せ自分たちは危うい身の上だ。仮にクラン・ハイヴからの使者として赴けば、ペルフィリアと戦端を開いた重要参考人として捕縛されかねなかった。辛うじて首の皮が一枚つながったかたちで、帰途につくことができている。その理由は単に自分たちが盾としている、聖女教会が強力だからだ。
 ただその力も万能ではない。各国が聖女教会を敵に回してでもレイナを捕縛すると合意する可能性はありえる。その決定がなされ、デルリゲイリアの国境へ早馬がたどり着く前に自分たちは出国せねばならない。
「シーラはちゃんとお仕事できたの?」
 やや拗ねた顔でレイナが問う。
 シーラは頷いた。
「気配は確認できました。城でも城下でもなく、外縁部の街中でしたから、謁見が叶っているかまでは」
「外縁部のどこ?」
「恐れながら、わかりかねます」
 追跡するには時間が足りなかった。
 それをレイナもわかったのだろう。シーラの仕事の不足を深く追及することはなかった。
 代わりにレイナは嫣然と微笑んだ。
「なら、やはりデルリゲイリアは潰さなければなりませんね」
 まるで砂嵐を前に、砂除けを支度しなければならないわね、とでもいうような、ごくごく平然とした声音でレイナは述べた。
「ね、シーラ。そう思うと、観光できなくてよかったのかも。きっと壊すのが、惜しくなってしまっていたでしょうから」


 教会の特使が王都を去り、ダイはアルヴィナと護衛の騎士を連れて、アスマの娼館に足を運んでいた。
 表向きはアスマを初めとする平民街方々の顔役に産業の根回しを依頼するための定期訪問。
 今回の真の理由は潜伏させているジュノを訪ねるためである。
「レイナに、俺がいるの、バレたと思う」
 アスマの書斎で顔を合わせて早々、ジュノが深刻な声音で告げて項垂れる。
 彼と対面の席に着席したダイは、眉をひそめて追及した。
「どういうことです?」
「あの女。多分イネカを連れてきてた。……そう感じた」
 ジュノいわく、彼とイネカ・リア=エルは紐帯の魔術を結んでいる関係から、互いの存在を感じ取れるのだという。そして一定時間はなれると、所在が近づいた折に身体に刻まれた魔術の陣が反応する。
「……陣って」
「これ」
 とんとん、と、ジュノが己の顔の左半分を埋める赤い入れ墨を示す。
「イネカの顔にもあったろ。青のやつ。これが紐帯の魔術の陣。俺とイネカを結ぶもの。全部が陣じゃなくて、半分以上は年の目くらましかねた見せかけなんだけどさ」
「つまり……ルグロワ市長が乗り込んできたのは、議長を連れ込んで、あなたを探すため……?」
「在りうる。俺に自由になれってイネカは言ったけど……レイナにしちゃ、俺がイネカを助けられるヤツを探すって予想ついただろうし。すると、まぁ、あんたとあんたの女王様んとこが一番の候補なんだよな」
 聖女の力に最も無関心を貫いていた国がデルリゲイリアだ。ゆえにジュノを下手に利用しないと彼に見なされた。同様の予測をレイナも立てたということだ。
「あんたらと俺が繋がってるかまでは見抜けなかっただろうけどさ。……俺をいると見なして、探し出そうとは、するよな」
「ルグロワ市長の一団は王都から出ました。また、引き返してくると?」
「いや。教会の礼拝堂に流民がいるじゃん。俺を見かけたら連れ出せ。王都の外のどっかまで連れてくれば金を払うとかいえばさ、やるだろ。あとは俺をあぶりだせばいい」
「あぶりだす……」
「クラン・ハイヴだと、害虫駆除するときさ、煙でいぶし出すんだよな……」
 虫が家のどこに巣食っているかわからないとき、近くで火を焚く。虫は煙に追い立てられて外に現れる。
 そこを潰すらしい。
 ジュノが何を示唆しているかわかって、ダイは黙り込んだ。
 静まり返った部屋に芸妓たちの笑い声が届く。弦楽の音も混じっている。拙い旋律にはやし立てる声。仕事が終わって皆で楽の練習でもしているのか。このご時世でも彼女たちは明るく毎日を過ごしている。
「わるい」
 ジュノが端的に謝罪する。
「……ここ、あんたの実家なんだろ? 悪かった。巻き込んで」
 ダイはふっと笑った。
「ここを頼ることにしたのはわたしの判断です」
 ――うちに連れてくればいい。
 ダイがペルフィリアから戻って以降、アスマは折々に口を出すようになった。ダイの仕事に自ら首を突っ込んでくることはないが、頼る先の選択肢にすればいいと押しつけがましくない程度に告げてくる。
 危険もすべて織り込み済みで、その手を借りると、ダイ自身が決めた。
 ダイの回答にジュノが目を眇めて呻く。
「謝るぐらいなら、逃げてくるなってか?」
「いいえ。正直なところ、わたしたちのところへ逃げてきてくださって助かりました。……おかげで、それなりに立ち回れていることは確かですから」
 レイナが特使としてくることになったごだごだで、自分たちはジュノの存在をまだ伏せている。交渉の主導権を握るにはよくも悪くも手札は多いほうがよく、彼はその中の一枚。
 彼に聖女教会寄りの国を頼られて、その身柄をレイナに知らぬ間に差し出され、下手に聖女が誕生されているよりもうんとよい。
「お互いさまですよ」
「……俺をどうするか決まったら教えてくれ。あんたらには従う」
「わかりました。……アルヴィー」
 ダイは同行していたアルヴィナに向き直った。
「ジュノさんの居場所をあぶりだすのに、相手は魔術具を使うでしょうか?」
 例えば爆破。煙でもよい。文字通り、虫や鼠をあぶりだすような何か。人は変装で紛れ込ませることができても、火薬の類は王都に持ち込めなかったはずだとすれば、魔術具を持ち込んだ可能性がある。魔術具は装飾品の類に偽装すれば検問を通りやすい。
「可能性はあるわねぇ」
 部屋の入り口の壁に背を預けて立っていた彼女が肩をすくめて答える。
「探せるものですか?」
「魔術に頼って? んー、難しいかな。ここは裏街でさえ、まだそれなりに稼働している魔術があるからねぇ。招力石だってあるでしょうし。探知しようにも他の魔術具の魔力に紛れちゃう。ただ、教会の特使の随行員が王都内のどこを歩いたかはきれいに洗いだしておいたほうがいいね」
「あぁ、魔術を設置していたら場所を絞れますね」
「それもあるんだけど、厄介なのは人に何かを渡している場合」
「……潜伏している、仲間がいる?」
「ううん。違う」
 ダイの推測をアルヴィナは否定した。
「教会には住居を振り分ける前の流民がたっくさんいるでしょ。困窮した彼らに施しの名目で何か渡していたら?」
「……無意識のまま人を加担させられる?」
「ご名答。……昔、よくあった手だね。子どもに招力石を握らせて、物乞いさせて――」
「アスマに伝えます。……流民を引き受けている人たちから、押さえてもらった方が早い」
「そうだね。礼拝堂関係も?」
「帰りに。元々、回って帰る予定でしたから」
 特使の足取りすべての洗い出しまでは完了していないが、それでも彼らが訪れたとわかっている個所を元より見回る心づもりだった。そのために城下の定期訪問の日程を特使の来訪後にずらしておいたのだ。
(おかげで今日の大陸会議、マリアージュ様に付き添えなかったんですけど……)
 予定さえ合うなら同席したかった。
 議題は、ペルフィリアのことなのだ。
(……あのひとたちは)
 彼は。彼の王は。あの国にいた、やさしい人々。純朴な民人たちもすべて。
(罪人なんかじゃない)
 こん、と、軽い叩扉の音が響き、ダイは物思いから引き戻された。
 扉から顔を出した男は、砂色の髪に灰色の目。ペルフィリア潜入を試みてデルリゲイリアを留守にしていたはずの情報屋だ。
「ダダン!」
「ういっす」
「よかった、無事に戻ったんですね」
「おー、今朝な。よかったぜ、すれ違いにならなくて」
 ダダンは肩で扉を押し開いた。彼を迎えようと立ち上がったダイは、彼が抱える包みに目を留めて首をかしげる。
「何ですか、その荷物?」
 ダイであれば両手で抱えなければならない程度の包みである。固く結ばれた固定の紐や、油紙を何重にも重ねた厳重な梱包から、一見、遠方から送られて来たもののように思えるが。
 包みをダイとジュノの間の卓に下ろして、ダダンが告げる。
「お前宛の荷物だよ」
「わたし宛?」
「そう――『ロウエン』からな」


 急遽ひらかれた大陸会議。会議室に浮かぶ魔術具の板に引っ切りなしに魔力の光が走る。まるで、雷雲のようなその様子は、明らかに会議が紛糾していることの証左だった。
『……セレネスティ様が男子であると?』
『本当であれば確かに見過ごすことはなりません』
『ですがかといってそれがペルフィリアを攻める理由に足り得ますか?』
『ペルフィリアの国民がセレネスティ女王を擁護しているのだとしたら……』
 マリアージュは組んだ両手に唇を押し当ててため息を吐いた。
 ペルフィリアの女王は女子ではない。
 その話は一気に各国の王室に広まった。レイナ・ルグロワがデルリゲイリアに告げただけではない。ご丁寧に聖女教会は各国の王室と接見を持ち、触れて回ったのだ。
 この戦いは、聖戦。
『みだりに戦を起こすは確かに聖女の本意に在らず。しかしペルフィリアを攻めるクラン・ハイヴの後援は聖女の意に適うもの』
 玉座に着き、呪いを受けて祖国を滅ぼし、この西の獣を混沌の時代へ沈めた、メイゼンブル最後の王アッシュバーンの過失を繰り返さぬためにも、ペルフィリアを放置するわけにはいかない。
「皆さまに、確認させていただきたいのですが」
 マリアージュは声を張った。
 卓の向こう、魔力の燐光を纏って浮かぶ板が沈黙した。
「まず、呪いは本当にあるのですか?」
『もちろん――……』
「ちなみにわたくしが尋ねている点は、男子が玉座に着くと滅びる、という呪いの出所です。……この世には呪いがある。えぇ、確かに。国を亡ぼすほどの呪いも存在する。それも、真実」
 ダイと共に城下へ降りるアルヴィナに予め確認した。
 この世に呪いはあるのかと。国が呪われる事例はあるのかと。
 ある、と、彼女は言った。
『呪いって要するに、魔術の分類名のひとつなの。相手に不利益となる永続性の高い術、の総称ね。この永続性、の、部分は、相手にかかる前後、どっちのことを指してもいい。男子が玉座につけば滅ぶ。この場合は、男の子が玉座に着くことを縛っている時点で永続性がある、と、見なされるって感じかな。れっきとした魔術の一種だね』
『すると、術式がどこかにある? それを解除すればどうにかなるんですか?』
 と、ダイが尋ねた。アルヴィナは苦笑を返した。
『端的に言えばそうなんだけど、術式に手出しできるかどうかはまた別の話でねぇ。魔術は人の意識や血統に術式を焼き付けると、目に見えた術式は存在しなくなる。例えば、水に入ると死ぬ。そう、強く意識に焼き付けられた器は、水に入ると内在魔力が一斉に動きを止めて死ぬことがある。例えば、男の子が玉座に着くと死ぬ、っていう呪いはそっちの方。本当に、呪われているのなら』
『国が滅ぶっていうのはその……?』
『いまの段階ではなんとも。でも、国が呪われる事例は確かにある。この世界には、神の呪いが布陣のように敷かれている。それは真実。揺るぎない事実。……でも、メイゼンブルが、この西の獣の呪いが、それに該当するか、わたしにもわからない』
ただ、国が滅ぶほどの呪いなら、古き言われがある。
 いわく、主神が宝を盗んだヒトガタの娘に集落ごと鉄槌の雷を落とし、未来永劫、その土地は砂漠となった。
 いわく、始まりの魔女が裏切った恋人に呪いをかけた。
 等々。
「男子が玉座に着いては国が滅ぶ。聖女の呪いなどと言われていますが、わたくしは寡聞にしてなぜそのような呪いがあるのか、そのいわれを存じ上げません。聖女シンシアは誰かを呪うようなお方ではなかったでしょう」
『……マリアージュ様は男子が玉座に着いてもよいと?』
「わたくしの質問を飛躍して解釈しないでいただきたいのですが」
 と、マリアージュはゼクストの女王へ言い置いた。
「わたくしは単に疑問を述べているだけです。……本当に男子が玉座に着くだけで国は滅ぶのか」
 本当はもっと時間をかけて議論すべきことなのだ。安易に男子が王となってもよいなどと口にすれば、国の根幹が揺らぐ。女王を弑して我が王に、などと言い出す輩がいないとも限らない。先代の兄として生まれ、玉座への執心を見せたバイラム・ガートルードのようにだ。
 その危うさがあるからこそ、初回の大陸会議で男子を玉座に着けてはというディトラウトの提言も棚上げになった。
(……政教分離なんて言わずに、本当は、男を玉座に付けられるようにしたかったんでしょうね、あいつは)
 無論、マリアージュはレイナに言われるまでもなく、セレネスティが男子であることを知っていた。彼が本当のディトラウト・イェルニであることも。ディトラウト・イェルニと呼ばれる男が誰なのかも。彼らがそうまでしなければならなかった始まり、デルリゲイリアの先代女王エイレーネが、彼らの妹たるセレネスティの亡命を拒んだくだりもすべて、ダイから聞き及んでいる。
 ことがことだけにあとはロディマスとアッセ、アルヴィナにだけ話している。官の長たちにも話を通すか迷ったが、最初に話を振りかけた魔術師長が、身に危険が及ぶ面倒な秘密に関わりたくないと首を横に振ったし、ダイも難色を示したので、このまま機密とした。
 ダイはマリアージュにだけ話を通したかったのだろうが、ペルフィリア支援の策を練るためには、ロディマスに話さなければ始まらない。
 そう、ペルフィリアの基盤の弱さが、セレネスティが男子であることに起因するなら、外部からそれを支援する話を始めていたのだ。
(っていうのに、あの女)
 頭の中でレイナの両頬を往復ではたき倒しながら、マリアージュは会議の列席者に向けて言葉を続けた。
『確かにアッシュバーン王という例はあるでしょう、が、セレネスティ様の在位はわたくしより長いのです。なぜ、滅びなかったのですか。その間に』
『……途中で入れ替わったのでは?』
『入れ替わったのなら、側近たちが気づくのでは?』
『だから、国ぐるみで隠ぺいしているのではありませんか?』
『朕は』
 幼い声が口を挟んだ。
 大国ゼムナムにおける、最年少の女王アクセリナだ。
『教会はまだ生きているものに、どうせ死ぬのだからと、斬りかかっている。そう、見える。……呪われているかどうかも、わからぬのに。それは……乱暴、ではないか?』
「……そうですね」
 マリアージュは微笑んで頷いた。
 初めて出逢ったとき、アクセリナはまだ六歳だった。この難しい会議に列席するのもつらかろう。昔のマリアージュなら泣いて本を投げている。正直、いまだって椅子を蹴倒したい。
 なのにアクセリナはきっと、きちんと背筋を伸ばして席に着き、話をどうにか咀嚼して、宰相任せではない、女王たらんとしている。その姿が見えるようだった。
『聖女シンシアは、ずっと戦ったが、そんな乱暴なことをする方ではなかったと朕は思う。まわりをのろうから、いけにえに、だなんて。だって、シンシアは、皆が安らかであるように、自分を捧げる方だったと、聞いておる』
 ――紅き国を打ち立てし聖女は、子らの安らぎを魔に願いて、その御身をまぼろばの地へと預け給う。
 誰もが知る、魔の公国建国史最終幕の一節をたどたどしく諳んじて、アクセリナは続けた。
『誰かが、死んで当然、とは、いう方なら主神に愛でられたりはせぬ。……セレネスティ様が男子で、呪われていたとしても、だからといって死ねと……告げるお方は聖女であってほしくない。教会の、主張であってほしくない』
 レイナ・ルグロワは聖女になるのだと言った。
 その彼女の主張を支持しない。
 本当に聖女が彼女を通じて降臨するのだとしても。
 アクセリナの意見に沈黙が訪れる。
 聖女教会の意見に賛同するか否か。
 賛同しないのであればどうするのか。
 何も決定されないまま、会議の再開は夜まで持ち越しとなった。


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