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第二章 呼ばずの来訪者 4


 ジュノの来訪の少し前。ゼムナムのサイアリーズから圧力を受けた聖女教会が、弁明のための特使を派遣したいとデルリゲイリアに打診してきた。国内での議論の末、その申し出を受けた理由は、聖女教会側の言い分をまずは聞き、記録に残すべきとの意見があったからである。
「やられたわ……」
 国境からの先触れにマリアージュが報告書を握りつぶす。彼女の傍らで報告を聞いていたダイも、天を仰ぎたい気分だった。
 聖女教会の特使たちの中に、レイナ・ルグロワの姿が見られたという。
 クラン・ハイヴ、ルグロワ市長、レイナ・ルグロワはかの国とペルフィリアの開戦における重要参考人として、各国で指名手配されている。逆を言えば内々に接触してしまうと密談扱いになり、連携している各国から疑いの目を向けられかねない。
 今回は報告が国境から入ったので、レイナと接触する前に、かろうじて各国に連絡を入れられる。
(国境に人を出しておいてよかった……)
 ダイは内心で安堵の息を吐いた。
 主だった関所に参考人の容貌を伝えるため、ルグロワ市を共に訪れた騎士や文官を派遣していた点が幸いした。彼らのひとりがレイナと彼女の側近であるシーラの顔を見た。教会の特使が国境では足止めできない特別入国許可証を持っていると知るや、早馬を王城へ走らせた彼は、ぜひとも特別手当てを貰ってほしい。
 国境から王都まで最短経路を通れば馬車で十日もない。早馬が来た段階でその日数はもっと短くなっている。
 連携を取る各国にレイナの来訪を報せ、使節団の滞在場所から平民街の端まで、あらゆる箇所の警備を見直し、あれこれと慌ただしくしているうちに接見の日は来た。


「ご無沙汰しております、女王陛下。レイナ・ルグロワにございます」
 謁見の間の絨毯の上で、ルグロワ市市長は毛皮を張った外衣をきれいに捌き、金糸の刺繍が美しい小麦色の衣装の裾を優美に摘まんで一礼した。その背後には聖女教会の関係者が計三名。その中にダイの知った顔は幸いにしてない。
 面を上げたレイナが、ぱっとダイに笑顔を向ける。
「ダイもお久しぶりです! お会いできてとってもうれしい!」
「ご無沙汰しています、レイナ様」
 下手に会話が続いては困る。玉座に着くマリアージュの隣から彼女を見下ろし、ダイは慎重に言葉を選んで挨拶に応じた。
「ルグロワ市長」
 マリアージュが頭痛を堪えた顔でレイナの名を呼ばわう。
「旧交を温める前に、お伺いしてもよろしいかしら。……なぜ、聖女教会の特使をしていらっしゃるの?」
「させてくださいって、お願いしたからです。……レイナ、正しい意図をマリアージュ様にはご存知でいてほしかったのですよ」
「意図……?」
「えぇ。この、聖なる戦いの意図です」
 レイナが笑顔で言い切る。
 開戦を画策した張本人であると自供するも同然の発言に、彼女の同行者たちは何も言わない。白を基調とし、剣の銀と野ばらの赤の色で裾を縫い取った衣装に身を包んだ聖職者たちは、代表として話を始めたレイナにどこか恍惚とした眼差しを向けている。
 ダイは彼らの状態に苦いものを隠せなかった。
(……手遅れ……)
 今回の特使は小スカナジア――聖女教会の総本山から派遣されてきたはずだ。
 特使の任免は聖女教会の上層によるもの。
 彼らの様子を見る限り、今回のペルフィリア対クラン・ハイヴのかたちを借りた教会の代理戦争は、かの組織の一部が先走ったというわけではないらしい。
(切り離しは、できない……)
 教会による戦争の支援は、一部の強硬派によるものであればと願い、ゼムナムを初めとする各国にも動いてもらっていた。
 だが――事態はもっと最悪らしい。
(聖女教会すべてが……ペルフィリアの排斥を望んでいる)
 それは、なぜ。
「聖なる戦い」
 マリアージュがため息交じりにレイナの言葉を繰り返した。
「まったく、穏やかに話を進めるつもりはまったくないのね、ルグロワ市長」
「あら、それは陛下の方ではございませんか。――レイナが来ていることに、マリアージュ様もダイも、もう少し驚いてくれるのかと思ったのに……」
「驚いたわよ。国境から報せが来たときにね」
「あら、感動の再会を邪魔する、無粋な方がいらっしゃったのね。でもそれはそれ。にこやかにお迎えして欲しかった。前にレイナも……ちゃぁんとマリアージュ様を、お迎えしたでしょう?」
 レイナ・ルグロワとダイたちが初めて会ってもう二年になるだろうか。ペルフィリアでは手痛い歓迎を受け、流民問題の協力を仰ぐべくクラン・ハイヴの他の都市を訪問しても、デルリゲイリアの一行は快く受け入れられることがなかった。そんな中で唯一、暖かく迎え入れた市長が彼女だった。
 そのときと同じく朗らかに笑ってレイナが言う。
「おふたりとも厳しいお顔をして、ちっとも面白くないのだもの。……だったら、難しいお仕事の話はさっさと終わらせてしまうに限ります」
 まるで愛の言葉を囁くような甘い声音なのに、レイナの発言はひどく剣呑な響きをしている。
「ルグロワ市長……いえ、レイナ・ルグロワ特使」
「はい、陛下」
「それならさっそく聞かせていただけるかしら。あなたたち聖女教会が、クラン・ハイヴとペルフィリアの争いを支援しているのか。納得できる理由を」
「もちろんです」
 マリアージュの追及を受けるレイナの返事は軽かった。
「この戦は祈りに集中していただくためのもの」
「……そうすれば聖女が生まれると、あなたも言うの? わたくし、あなたはもう少し合理的な考えをされる方だと思っていたけれど」
「レイナ、実現できないことを陛下にお伝えするためだけに、わざわざデルリゲイリアへ足を運ぶお馬鹿さんじゃありません。……そう、こちらには、聖女が再臨なさる、その意味を理解もされずにあれこれ語ったお姫さまがいらっしゃったそうですけれど」
 二度目の女王選で聖女復活論を説いてマリアージュと対峙したリリス・カースンを揶揄し、レイナは話を続ける。
「魔の公国(メイゼンブル)が滅び、あと少しで二十年になります。この長い年月、この西の獣は混沌を増すばかりです。民人は強く望んでいます。聖女の再臨を。それを叶える手立てがある。そのための後押し。そのための努力――祈りは力なのです。……陛下はご存知でしょうか? 魔術がどのように行使されるものなのか」
 マリアージュが沈黙する。彼女はアルヴィナの影響で何度も魔術に触れているが、その根本を学習したことはなかったのかもしれない。
 ダイはマリアージュに声をかけた。
「陛下、代わりに回答しても?」
「許します」
「……失礼いたします、レイナ様。外在魔力を視る才のある存在――魔術師、と、定義いたしますが、これが意志を何らかの手段で外在魔力に伝え、方向性を指示した結果、従った魔力の動きの発露が魔術になります」
 かつてアルヴィナは言った。
 魔術に指向性を持たせる者が魔術師なのだと。陣、術式、魔術文字はそれらの補助だ。
「とてもすっきりした説明ですね、ダイ。さすがです」
 レイナは手放しにダイを褒めた。
「では、魔術の強さを決定するのは何かご存知?」
「……魔力量?」
「意志です」
 ダイの回答を間髪いれずにレイナが訂正する。
「ダイの答えが間違っているわけではありません。けれど、強力で複雑な魔術を行使するためにもっとも必要なものは、意志なのです。魔力に願う力。現実よ、こうたれ、と祈る力。明確な指向性がなければ、力は散逸します。砂を城にするためには、緻密な設計図と、労力が必要。それが人の意志。人の願い。人の祈り。心の奥底から願えば、魔は応える。それが、忘れられてしまっていた、この世界の法則です」
 ――子どもでありたいと、願っていた。
 大人になったら、花街を出ていかなければならないから。
 大人になりたいと思った。
 愛しい男を抱きしめるために。
『あなたが望めば、すぐに手足が伸びて、きれいになるわ』
 魔は人の願いに呼応する。
 ダイはそれを体験してきた。
 だから、レイナの言葉が妄言ではないと決して思えない。
「聖女は生み出せます。そのための術を、聖女教会は秘匿しています。ただ、聖女を生み出そうという意志だけが足りない。魔に願う総量が足りない。真剣さが足りない」
「だから……戦を起こしたというの?」
 マリアージュが玉座から立ち上がる。
「戦を起こし、土地を焼き、人を殺したというの!? 人の思考を奪って――ただ、聖女だけが救いだと、思わせるために!?」
 戦が起これば、人は疲弊する。
 まず、故郷を奪われる。食糧の奪い合いになる。結果、親しかったはずの人々が競争相手になる。未来を思い描けず、いまの終わりを願わざるを得なくなる。
 あるいは救われたいと、聖女に祈りを捧げるだろう。
 真剣に、命を懸けて、どうか、わたしをお救いくださいと――……。
「聖なる戦なんて正当化しないでくれる!? 戦は戦よ! 曲がりなりにも、聖女の代理人を名乗る教会が――何を考えているの!?」
「この西の獣の行く末を」
 激高するマリアージュにレイナが告げる。
 彼女は冷たく微笑んだ。
「ねぇ、マリアージュ様。蟻のお話を覚えていらっしゃる?」
 マリアージュが眉をひそめて押し黙る。ダイには覚えのない話だ。ルグロワ河を船で遊覧していたときにでも話したのだろうか。
「いつの間にか入り込んで、家を荒らす蟻を駆除するお話。蟻と仲良く一緒に暮らしていたら、いつの間にか足下を穴だらけにしてしまう。……クラン・ハイヴは砂礫の国です。地盤は不安定で、蟻の巣穴ひとつが家を崩してしまうこともあるのです。だから、巣を見つけて、熱い鉄を流し込んで、根本から駆除する。……この西の獣も同じ。いま、この西の獣は食い荒らされている。だから、駆除しなくては」
「何に食い荒らされているというの?」
「それはもちろん、汚い虫です。……ねぇ、マリアージュ様、いったい何がこの西の獣を不安定たらしめているのだと思われますか。魔の公国が滅びてしまったから? いいえ。レイナたち、為政者の努力が足りないから? いいえ。――本当の理由を教えて差し上げます。この西の獣には、害虫が巣食っている。レイナの街に絶え間なく押しかけて来た類と同じ虫がいる。それが、すべての理由です」
「虫……?」
「そう、おっしゃっていたわね。……。流民のことを、虫だと」
 ダイの疑問に答えるように、マリアージュが口を開いた。
「流民でも、虫じゃない人はいると思うのです」
 レイナは微笑んだ。
「ただ、その中には虫が多いというだけ。自分は苦しいから。自分は弱いから。何も持っていないから……何もしなくても、自分は助けられて当然って思っている人。彼らは足を引っ張る。自分で考えて、努力して、現状を変えようとしている人々の歩みを止める――自分たちは、聖女さまに助けてくださいって、祈ることしかできないのに」
「レイナ……」
「でも逆を申しますと、祈ることだけはできますでしょう?」
 だから、もっともっと祈ってもらうために、虐げる。
 戦はそのための舞台装置。
「あなたの論理は滅茶苦茶です……」
 ダイは呻いた。
「確かに、他人の足を引っ張りたがる人はいます。けれど、人は、本当はそんなことをしたくないはずなんです。戦が起こらなければ、つつましく、自身の生活を守っていられた善良な人々がたくさんいたはずなのに、それを……!」
「でも、この世界は汚れていくばかりだわ」
 レイナが静かに告げた。
「メイゼンブルが滅びてまもなく二十年。ダイ、マリアージュ様。教えてくださいな。どうしてこんなにも聖女を皆が求めるの? レイナが、聖女教会が、戦を後押ししなくたって、皆みんな、聖女様をずっと求めて、何も前進しない」
「そんなことない……」
 ダイの否定をレイナは一笑に付した。
「なぜ、ペルフィリアなの?」
 マリアージュがレイナに尋ねた。
「ペルフィリアはあなたの言うところの、虫、ではないでしょう? かの国は努力していたはずだわ。メイゼンブルが滅びたのち、内乱ですべてを失い、魔術師の不足にどこよりも喘いだ。それでも魔術に頼らない方策を探し出し、手を打ち、生き延びようとしていた。クランに頼ることもなく」
「お詳しいのですね」
「隣国のことよ」
「そうですね……。マリアージュ様のおっしゃる通り、レイナもそう思いました。だから、一緒にがんばりませんかって、ディトラウト様にお伝えしたのですよ。けれど断られた――。残念です。滅んでしまうのが忍びなくて、せっかく手を差し伸べたのに」
「……滅んでしまうんじゃなくて、あなたたちが滅ぼすのでしょう?」
「レイナが何もしなくても滅びます。罪深い国ですから」
 マリアージュが神妙に尋ねる。
「罪って……?」
「あの国は女王を戴いてはおりません」
 ダイは必死に表情を殺した。
 動揺が出てしまいそうだった。
 マリアージュが震える声で反芻する。
「女王を、いただいて、いない」
「ペルフィリアの女王様――セレネスティ様はね、男の方なのですって、マリアージュ様」
 謁見の間が静まり返る。
 ――男を王として頂く国は滅びの呪いを受ける。
 メイゼンブルは滅んだ。メイゼンブル公家の女子アルマルディが兄、アッシュバーンを国主と戴いたばかりに長い歴史に終止符を打った。そう、信じられている。
 レイナの告白に警備の騎士たちも含め、その場に立つ全員が静かに息を呑んだ。特使の者たちを除いて。
 記録を取っていた文官を、レイナが振り返る。
「いまのレイナの言ったこと、ちゃぁんと記録に残してくださいね?」
「レイナ……ルグロワ特使。あなた、何を言っているのか、わかっているの!?」
「もちろんです、陛下。冗談を申したわけではありません。ね、レイナは、この聖戦の正しい意図を、マリアージュ様と、皆さまに、お伝えしに来たのです」
 皆、は、つまり、デルリゲイリアと連携を取る各国のことだ。
 ダイは歯噛みした。
 レイナとの面談を密会としないためには、各国に会話の記録を提出する必要がある。
 それを、逆手に取られた。
 聖女教会の主張をどうあがいても正しく各国に伝えなければならない。さもなければデルリゲイリアが糾弾される。
「ペルフィリアは女子ではない存在を王として頂いていた。こんなに罪深い国はありません。消さなければ、罪が広がり、かの国を容認する国まで滅びの呪いが広がる可能性がございます。だから、聖女教会はエスメル市をペルフィリアに蹂躙され、無念のうちに決起したクラン・ハイヴを後押ししてくださったのです。……ペルフィリアの民人は聖女の呼び水となることで、その罪を雪ぐことができるでしょう。そしてセレネスティを名乗る男は、汚れた呪いを振り撒く前にその命を落とすべき。この戦いは、ペルフィリアの罪を糾弾し、聖女を生み出し、この汚れた西の獣に救いをもたらす、聖戦」
 レイナは己の胸に手を当てて花のように笑った。
「そしてわたくし、レイナ・ルグロワは、聖女になる使命を帯びたものの責として、説明に伺った次第なのです――お分かりいただきまして? マリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリア女王陛下」


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