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第十章 蜂起する復讐者 1


「本当に……恋人同士なのか?」
「恋人じゃないわよ。好き同士だっただけ」
「同じだよ! 何なんだそれは!?」
 ロディマスが頭を抱えた。
 彼の気持ちはわからないでもない。マリアージュですら叫び出したい気分なのだ。
 昨晩、ダイが恐慌を来した。
 蹲り、泣き叫んで、手を付けられなかったという。最後はアルヴィナが彼女の意識を強制的に遮断した。
 女官たちはアッセに原因があると見た。ダイをひとりで帰す時点で怪しんだらしい。ところがそのアッセも鬱(ふさ)ぎきって会話が成立しない。配下の騎士たちが困り果てるほど。
 詰問したロディマスにアッセは告白した。
 ダイはペルフィリア宰相と、通じている可能性があると。
 彼らは恋人同士だったと。
(そうなったのね)
 あの短時間の逢瀬で想いを交わしたか。この後に及んであの娘に、なんと残酷なことをする。
 だから自分は嫌いなのだ。あのディトラウト・イェルニという男が。
「……なぜ、黙っていたんだ?」
 ロディマスが面を上げて呻く。
 マリアージュは瞑目して応えた。
「……害あるものじゃなかったから」
「大有りだろう!」
「どこにあるの?」
 マリアージュは静かに問いかけた。
「あの子は自分の思いを殺してやってきたわ。これまでに一度だって、あの男に連絡を取ろうとすることがあの子にあった? あの子が私にずっと尽くしてきたこと、あんただって知っているでしょう。あんたもあの子の忠誠心の高さを評価していたじゃない」
「それは……確かにそうだけれど! 疑いある人物を君の隣におくわけには……!」
「だからよ」
 ロディマスの発言にマリアージュは言葉を被せた。
「だから、言わなかった。知ったら、あんた、あの子を私から取り上げたでしょう」
 ロディマスはダイ個人の資質を高く買っている。彼女の忠誠、交渉能力、機転の早さ、忍耐強さ、そして胆力。国章を与えるに足る娘だと、ロディマスは口にしていた。
 それはペルフィリア帰国以後の彼女を見てきたからこそのものだ。ダイは女王の辛苦を自分のものとして周囲と戦い続けた。だからロディマスはダイを評価している。
 けれどダイのあの男への想いを知っていたなら、宰相は彼女をマリアージュから遠ざけたに違いない。
 女官の仕事を奪うに過ぎない小娘。貴族の後ろ盾も、政治的な能力もなく。ただ女王の寵だけでのし上がったとされるダイは排除される。
「あの子は私を選んだのに、その私が、あの子を捨ててしまう。……そんなことになるなら、言えるはずがない」
「しかたない……しかたないだろう! 苦しいのはわかる。けれど呑み込むべきだ! 君は女王なんだよ!」
「それなら私はこの位を降りる」
「……なんだって?」
 愕然とロディマスが問う。
 意味がわからないというよりも、理解を拒むかのような顔だった。
 マリアージュは視線を伏せて言葉を紡いだ。
「……知っているでしょう、ロディマス。私は女王になりたかったわけじゃない」
「……それは本心ではなかったろう?」
「本心からよ」
「ならどうして女王選に出たんだ!」
「あんたにはわからない」
 マリアージュはロディマスを睨め付けた。
「富、地位、生き方……居場所。最初から、何もかもが、保証されていたあんたには」
 次代の女王を補佐するべく教育を受けた男。先代女王の息子の片割れ。女王の王配だった夫君の家が、強固な後ろ盾としていまも在る。
 父方の血縁の多くは健在。そして弟もいる。
 多くを持つ彼にはわからない。
 ロディマスが渋面で首を横に振る。
「説明はしてほしい。僕がわかるかは別として」
「そう? なら教えるわ」
 マリアージュはロディマスを見据えて言った。
「私には必要だった。玉座を望むという行為そのものが。生きるために。……それだけよ」
 ミズウィーリ家は困窮していた。父があの男を見出さねば、恐らく、中級に位を落としていた。
 いまはもう顔も思い出せない母。病に長く伏せっていた彼女を救うべく、父はときに他国からも医師を呼び寄せ、薬という薬を求めたという。結果、ミズウィーリは莫大な借金を抱えた。
 もとより落ち目だったミズウィーリは、決定的に誰からも疎まれる家となった。
『女王になりなさい』
 どこにも居場所のない無知で愚かな小娘は、父が残したただひとつに縋るしかなかった。
「私は女王の座に執着していない。……ねぇ、ロディマス」
 マリアージュは掠れた声で宰相に語りかけた。
「あの子はね、あの男を好きになっただけなのよ」
 その想いを忘れる必要はないと、他ならぬマリアージュが告げた。
 自分を殺してばかりいる彼女に、それぐらい許してやりたかった。
 マリアージュはあの娘の主なのだ。
「あの子は私に忠誠を示し続けた。今回のことだって、あんたの弟が馬鹿をやらかさなければ、あの子はあの男に、接触すらしようとはしなかったでしょう。疑わしきはというのなら、まずは私を捨てなさい」
「どうしてそうなる!?」
「どうしてですって!?」
 椅子の肘置きを叩いてマリアージュは立ち上がった。
 マリアージュは嗤う。
 もう忘れたというのか。デルリゲイリアの宰相ともあろう男が。
「私は他でもない……ヒース・リヴォートの手によって、女王となった女なのよ!」
 ヒースが玉座まで道を敷き、ダイが女王の仮面を被せた。
 あのふたりがマリアージュを女王にした。生きる場所を与えた。
 だからマリアージュは彼らに報いる。
 ふたりの想いを黙認する。それがどれほど批難されるべきことであっても。
「あんたがあの子を切り捨てるというのなら、私も降りる」
 呆然と立ち竦むロディマスにマリアージュは吐き捨てた。
「それが国のためになると言うならそうなさい。……好きにすればいい!」


「陛下。……マリアージュ様」
「……何よ」
 幾度目かの声掛けの末、ようやっと返答があり、ダイはほっと息を吐く。
「毛布を。そのままだと冷えます」
 馬車の屋根を叩く雨音が、激しさを増してきている。窓から忍び込む冷気を感じる。
 ダイはマリアージュの身体に毛布を掛けた。
 長椅子に寝そべる主君は窓から外を眺めている。面白いものは何もないだろうに。
 クラン・ハイヴの街道に入って長い。周囲に広がるは荒野ばかり。
 時折、河や渓谷はあるものの、なにぶんこの天気だ。景色は白い雨に塗りつぶされている。
 大陸会議を終えて小スカナジアを出立して以降、マリアージュは物思いに耽ることが多くなった。
彼女だけではない。
 ロディマスも、アッセも、そして、ダイ自身も。
 あの晩餐会の件をきっかけに、ロディマスたちとの関係に、亀裂が入ったことは間違いない。
 だれもが最小限しか口を利かない。
 事情を知らない者たちも気配を敏感に感じ取っている。不穏な空気が一行に漂っていた。
 あの晩餐会のことを話そうとしたダイを彼女は差し止めた。聞く必要はないと言って。
 何を考えているのだろう。
 マリアージュはダイに言わない。責めの一言ぐらいあってもよいものを。
 ふて腐れた顔のマリアージュは、即位前の彼女を彷彿とさせる。
 無意識に名が口から突いて出る。
「マリアージュさま……」
「今度はなに?」
 主が億劫そうに顔を向ける。ダイは慌てて話題を探した。
「えっと……そうだ。調べたいことがあるって、おっしゃっていましたけれど」
「あぁ……あれね」
 マリアージュも思い出したと頷いた。
 本会議が終了した直後、マリアージュは何かを気に掛けている様子だった。調査を手伝えと言われていたことを、ダイはすっかりいままで忘れていた。
「何を調べようとなさっていたんですか?」
「国章のこと」
「国章?」
「そう。でも、もういいわ。……私も忘れていたし」
 あの時のマリアージュの口ぶりからは、かなり重要なことのように聞こえたが。
 ダイは悄然と肩を落とした。
「……すみません」
「何であんたが謝るのよ」
 マリアージュが半眼でダイを見る。
 ダイは苦く笑って俯いた。
 マリアージュが国章の調査とやらを実行できなかった原因はひとえにダイにある。
 まったく自分ときたら――マリアージュの足を引っ張ってばかりだ。
「ダイ」
「はい、な、むぐっ」
 身体を起こしたマリアージュが、ダイの頬を両手で勢いよく挟む。
 例によって力の限り押し潰され、かと思えば頬の肉を引っ張られ、ダイは半泣きで悲鳴を上げた。
「まりあーゆはまっ! いはいいはいいはい!!」
「辛気くさい顔をするんじゃないわよ。鬱陶しい」
「いはははっ、ほん、ほんほにいはい!! ふみまふぇっ、いはいっ!!」
 本気で顔が変形する。
 たまりかねてダイはマリアージュの肩に手を突いた。
 刹那、馬車が大きく揺れた。
「えっ!?」
「へっ、わわわっ!!」
 マリアージュを押し倒すかたちで転倒する。
 ごち、と、頭を壁に見事に打ち付けた。
 視界に星が飛んだ。


 雨具を身につけて外に出ると、アルヴィナが鳥形の遣い魔に、伝言を吹き込むところだった。
「こちらの状況は確認中。そちらの状況を教えてちょうだい」
 鳥がアルヴィナの腕から羽ばたく。
 雨を切り裂いて飛ぶ姿を、ダイは目を細めて眺めた。
 アルヴィナがダイを振り返る。
「出てこなくてもよかったのよ。濡れちゃうでしょう」
「陛下が出るってうるさいので、代わりですよ。……あーあ、これはひどい……」
 ダイは道を阻む落石を見上げた。
 渓谷の隘路を成す岩壁が崩落し、うずたかく積み上がっている。岩と岩の間を埋める土砂からは、黄土色の雨水が染み出していた。
 礫のような雨が土をさらに抉っていく。
 先頭の組が通過していたさなか、雨に混じって異音が響いたという。後方の組が急停止したのちに、両壁の岩が崩れてくるまで、あっという間だったそうだ。
 運が悪い。
 いや、逆か。
 落石に馬車が巻き込まれていても、おかしくはなかった。
「よく当たりませんでしたね……」
「無事でよかったわねぇ」
 アルヴィナがダイに同意する。その彼女の髪まわりを、燐光がちりちり舞う。
 魔術師の行いを悟って、ダイは密かに感謝した。
 アルヴィナがくぼんだ岩壁を見上げてため息を吐く。
「それにしても、道を整備していないのかしらねぇ。街道筋なのに。ちゃぁんとしておいてくれないと困るわぁ」
 この辺りはエスメル市の領内だ。市長グラハム・エスメルを思い出す。本会議の議事録においても発言がなかなか目立っていた男である。彼なら公道の維持には消極的だろう。
(ううん、そうじゃないのかな……)
 ペルフィリアの主街道も荒れていたと、ダイは思い出した。あのときは川の堀が決壊して橋が落ちた。だから自分たちはマーレンに向かわざるを得なかった。
 年始にクラン・ハイヴを旅した際も、道が消失していたため、頻繁に針路を変更していた。
 メイゼンブルが最盛期だった頃は、女ひとりでも旅できたと聞くのに。
 これが荒廃なのだ。
 馬車の乗員に怪我がないか、確認して回っていた騎士が、ダイたちの方へ駆けてくる。
「馬車の異常、怪我人、ともに無しです」
「そう。ありがとう。……あぁ、返事が来たわ」
 戻った遣い魔が音もなくアルヴィナの腕に降り立つ。
 白い鳩に似た鳥はくちばしから、ダイもよく知る声を紡いだ。
『総員異常なし』
 ロディマスだ。彼とアッセは先頭の組である。
『陛下だけでもどうにかこちらに移せないだろうか?』
『岩の崩れ方や放水の状況から難しいと思うわ』
 アルヴィナは遣い魔を往復させた。
『当初の予定通り僕らはエスメル市に向かう。市庁舎に状況を報告し、補給が終了次第、国境に向かう。そちらは迂回路を速やかに検討、連絡してほしい』
「迂回の道ですか……」
 騎士の後に来たモーリスが思案する。文官のまとめ役たる彼が後方の組にいた点は幸いだった。
「ここからだと、ペルフィリアですね。タルターザと呼ばれる砦があります」
「ペルフィリア……」
 ダイの無意識の呟きに、モーリスが律儀に頷く。
「国境の要所です。ここを通過すればクラン・ハイヴを行くより、国まで近道ではあるのですが」
 砦という場所の特性を鑑みて、あえて経路から外したらしい。
「ここからタルターザまでは半日強ほどです。陛下から許可を得次第、受け入れていただけるよう、先触れを向かわせましょう」


 ペルフィリアは各国との境に、いくつかの砦を構えている。
 タルターザはそのうちのひとつ。ペルフィリア南西部を監視する、国境防衛の古くからの要である。今年の初めにもエスメル市と事を構えたらしい。結果はタルターザ側の勝利。エスメル市がペルフィリアと通商協定を結んだ背景も、この辺りにあるようだ。
 受け入れ要請を持たせて早馬を出す。返事を待たずしてダイたちも追いかける。
 雨脚はひどくなる一方だった。次第に雷を伴い始める。
 それがまたダイを気鬱にさせた。
 予想よりも早くタルターザから歓待の知らせが届いた点は幸いだった。
「誠に災難であらせられましたね」
 道半ばで合流したタルターザからの遣いは、心より同情するとダイたちを労った。
 アッセと同年ぐらいだろうか。若い男である。亜麻色の髪に淡い緑の目。屈託のない笑みからは、人の良さがにじみ出る。うっかり気を許したくなるような、不思議な温かさを持つ青年だった。
 彼は雨ざらしのままぬかるみに跪き、馬車内のマリアージュへ頭を垂れる。
「小スカナジアよりお帰りの道と存じます。たいへんお疲れでございましょう。御心に添えるよう、力を尽くす所存です」
「急な要請にお応えくださり深く感謝いたします。……面を上げなさい」
 マリアージュより許可を得た男が、上半身を起こしてにこりと笑う。
 マリアージュの傍らに控えていたダイは感心した。
 この青年がなぜ迎えに選ばれたかよくわかる。毒気を抜かれる。
「これよりお迎えするにあたり、至らない点、多々あるかと存じますが、なにぶん貴人を歓待するには向かぬ場です。ご容赦を」
「わたくしとわたくしの官たちが、この雨からいっとき逃れて、休むことができれば十分です」
「そうおっしゃっていただけると気安く思えます。水や食料なども準備させておりますので、今後の旅の憂えなくお休みいただけるかと」
 マリアージュがはっと息を詰めてから、表情を緩めた。
「お心遣い感謝いたします」
「陛下のお力となれること、恐悦至極に存じます」
 ダイも安堵した。
 物資は不足してはいない。けれども補給できればありがたい。不測の事態はまたいつ起こるかわからない。
「長話は砦に到着してからに致しましょう。雨ももっとひどくなりましょうし」
「まだひどくなるの?」
「タルターザの豪雨は有名でして」
 男は苦笑する。
「いったん降ればたいてい長くて雷を伴う。道も不安定となります。日も落ちて参りましたし、わたくしの後を必ず追うように、御者たちにお命じください、陛下」
「わかりました」
 マリアージュは深く頷いた。
 男が立ち上がる。
 下がろうとする彼を、マリアージュは呼び止めた。
「あなた……もう一度、名をくださるかしら」
「レオニダス・ルウィーダと申します」
「この悪天候のなか、よく来て下さいました。感謝いたします。……砦の責任者の方にも、重ねて礼を述べましょう」
「あぁ! 大変失礼を! 申し遅れました!」
 男が雨具の裾をさばいて一礼する。
 彼の慌てた様子に周囲が何事かと瞠目する。
 ダイもまた、目を見張った。
(あの服)
 雨具から垣間見える男の隊服は、ゼノのものと同じではないか。
 男は幼く笑って言った。
「わたくしがそうです。宰相閣下の命により現在、タルターザ砦の全権を預かる任についております」



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