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第一章:千日紅の虚偽との再会 1


From 笹原百花
Subject お久しぶりです。
『先輩へ、お久しぶりです百花です。こちらに戻ってきたって聞いてビックリしましたよぉ(≧∇≦)/。NYでのお話、また沢山聞かせてくださいね! 実は突然なんですが、今度の土曜日にお会いすることは出来ますか? 実は今度ようやく拓海と結婚することになったんです(〃∇〃)。拓海と二人で下見に繰り出そうとしていたんですけど、是非先輩おいで願えませんか? センスのいい先輩にお付き合いいただけるなら願ったり叶ったりです。お返事、お待ちしてます☆ 百花』

From 泉優奈
Subject 先輩へ
『お久しぶりです先輩。百花たちの下見に付き合うそうですね。どうか楽しんでください。ところで、百花たちに内緒でご相談があるのですが、百花たちとの用事が終わった後、お会いできませんか? 終わりましたらメール下さい。優奈』


「変なの」
 携帯のフリップを閉じざまに零れた私の呟きは、店内の喧騒に紛れて消えた。
 百花と拓海との待ち合わせ場所は、街角のカフェの中だ。禁煙席の一番端っこを陣取り、客用に置かれている週刊誌をぱらぱらとめくって時間を潰している。
 優奈からメールが届いたのは、そろそろ百花たちが現れるだろうと時間を確認し始めた頃だった。
 泉優奈は百花の親友で、私が面倒を見ていた三人組の一人。会おう、ということ自体はかまわない。けれど私の脳内では、あの三人はセットになっていて、百花と拓海に会うことは、いつも優奈と会うこととイコールだった。時を経れば仲良し三人組も、別々になってしまうということか。それにしては、優奈からのメールに百花たち二人に内緒で、とわざわざ言及されているのは奇妙なことだ。
 仕事の、都合でも合わなかったのだろうか。
「百花たちには内緒で相談、か」
 携帯電話の端を唇に押し当てながら、思案することしばし、私は唐突に肩に触れた手に半ば飛び上がりかけた。
「うわっ」
 取り落としかけた携帯を慌てて胸に抱いて、私は背後を振り返った。すぐ傍らに立っていたのは、最後に会って以来数年の時が経過しているにもかかわらず、大して変わった様子の見られない後輩の姿だった。
「うわー先輩だぁー!」
 笹原百花。
 ふわふわに巻かれた茶色い髪と、くるくると変わる表情をよく映す大きな目。白い肌。春先の今、淡い色がとても似合っていた。名前の通り、百、花が咲き乱れたかのような華やかさを持つ娘だ。その斜め後ろに控えるようにして立っている青年が、大学時代から続く百花の彼氏、青山拓海。背はそれほど高いというわけではないけれど、見目が良い。彼女の未来の夫であり、百花と優奈と並んで、あれこれ世話を焼いた私の後輩の一人だった。
 百花と優奈と拓海。大学時代、この三人は周囲が呆れるほど仲がよかった。そして当時、彼女らが入っていた寮の寮長をしていた私が、勉学から私生活に渡ってよく面倒を見た。それこそ、母の仇名がついてしまうまで。
 大学を卒業してからは、メールのやり取りをぽつぽつとするに終わっている。それでも大学時代の友人の中では、頻繁に連絡を取り合っている間柄の筆頭である。
「先輩、久しぶり」
「きゃぁあぁ先輩! 綺麗になってー!」
「はいはい店内で騒がない」
 大学を卒業し、社会人になって幾年か経ているというのに、二人とも大学時代とほとんど変わるところがない。百花の化粧の腕が上がったことと、ひょろりとしていた拓海の体格が、しっかりしたことぐらいだろうか。
 久しぶりに会った百花は相変わらずの屈託のなさで私を和ませる一方、これでも結婚を控えているのかというほどのはしゃぎ様だった。拓海のキザで格好つけなところは変わらないらしい。ポーズをとって、口先を少しだけへの字に曲げている。
「もうもうもうっ先輩先輩お久しぶりですっ。今日先輩にお付き合いいただけるなんて本当に嬉しくて嬉しくて!」
「ってこの間からはしゃぎっぱなんすよ先輩。誰に会いに行くんだーっつぅ話ですよね。誰が彼氏かわかりゃしねぇし。どうにかしてくださいよぉ」
「どうにもなんない。まったく、拓海もちょっとはしっかりするようになったの?」
「拓海は相変わらず私無しじゃ朝起きれませぇーん」
「うわぁばらすなモモっ!」
「……よかったね。家事一切がパーフェクトな女の子がお嫁さんで」
 半眼で拓海を眺め、私はため息をついた。
 拓海は大学に入学した頃から見目がよく、女受けのよい男だったけれど、反面酷く情けない部分があった。朝は一人で起きることができないし、部屋は常に散らかり放題。一歩間違えればゴミに埋もれる生活。
 彼は、自立する必要がなかったのだ。とっかえひっかえ次々と、彼女という存在が彼の世話を甲斐甲斐しく焼いていく。しかし彼は彼女以外の女にも愛想がよすぎた。彼女は次第に嫌気がさし、別れを申し入れる。
 最後まで彼の傍にいたのが、百花だったのだ。
 母子家庭に育ったという百花はしっかり者の代名詞のような娘で、家事全般完璧だった。それこそ、雪ちゃんと争えるほどに。私は今朝の朝食の味を思い返しながら、胸中で解釈を付け加える。
 大学時代、私が彼女の学業の面を世話する一方、時折美味しい食事のお相伴に預かっていたのも事実だ。寮の食事はまずいという訳ではない。けれど、取り立てて舌鼓を打つほどでもない。ただ、メニューは固定されてしまっていて、すぐ飽きてしまうのだ。そんなとき、百花は美味しい手料理を私に振舞ってくれていたのである。
 百花の家庭的で素朴な味付けの料理は大学時代の活力剤で、手を着けるつもりはないと公言していたはずの拓海が結局百花と付き合うことになったのも、餌付けされたという表現が正しい。
 この分だと、拓海が自立する日は遠いに違いない。というか、百花が花嫁として確定である以上、彼が自立する必要はないわけだけれど。
「あー本当にうれしぃー。優奈も来られればよかったのにぃ」
「今日、優奈は仕事?」
「いーえっ」
 私の問いに、ぱたぱたと百花は手を振った。
「なんか体調崩して出歩けないみたいなんですよぉ」
「……体調?」
『百花たちとの用事が終わった後、お会いできませんか?』
 彼女からのメールの内容を思い返しながら、思わず眉をひそめる。
(体調が悪いのに、私には会いたいって?)
 一体どういう相談なのやら。
「お見舞いいこうかっていったらいいって突っぱねられちゃうし。ちょっと心配なんです」
「そう」
「なぁ、そろそろ移動しねぇ?」
 周囲の視線が気になってきたらしい拓海が、店内を一瞥しながら提案してくる。私はそうね、と彼に同意し、携帯電話を鞄の中に仕舞いこんだ。
「で、最初はどこに行くの?」
 問いながら立ち上がり、スプリングコートを椅子の背から取り上げる。
「まずは引き出物を見に行きたいんですけどいいですか?」
 うきうきとした様子でそう告げてくる百花に、私は苦笑しながら頷いた。同じように浮ついていてもいいだろうに、拓海は照れくさいのか頬を小さくかいて、宜しくお願いしますと頭を下げた。


 生まれて初めて、私はウエディングの準備とやらに同行したわけで。
 ウエディングサロンというものがこのように広いものだとは、想像もしていなかった。
「はわぁ、すごいなぁこのドレス」
 私はフロアの中心に飾られた、レースのふんだんに使われたウエディングドレスを見上げながら感嘆の吐息を漏らした。
 街の一角のビルのワンフロアを占拠しているウエディングサロン。合計五つの小さな小部屋があり、どの部屋にも所狭しとドレスや小物が並んでいる。純白から生成り色、シックからゴージャス。多種多様なウエディングドレスに、お色直し用のカクテルドレス。刺繍鮮やかな和服まで、眩さで目が痛くなってしまうほどの極彩色。
 ショーケースの中には真珠やダイヤモンドをあしらったティアラやネックレス。サファイアが必ずはめ込まれているのは、おそらくサムシングブルーのジンクスの為だろう。婚儀の折、何か青いものを身につけていると、幸せになれるというジンクス。
 私は青い煌きを硝子越しに指でなぞり、自嘲に笑みを刻んだ。
「先輩」
 ふと硝子に人影が映り、背後から声がかかる。振り返るとスタイリストの男性に付き添われ、タキシードを着込んだ拓海の姿。彼はその容姿もあいまって、綺麗に身なりを整えれば、その辺りの娘が頬を染めるような雰囲気を纏うようになる。
 私の趣味ではなかったけれど。
「似合いますか?」
「それなりに」
 私は肩をすくめ、頷いた。
「でもちょっとサイズ大きそうだよね」
「俺の身体、ちょっと中途半端な大きさらしいっすよ」
「申し訳ありません。サイズは後で微調整いたしますので」
 申し訳なさそうに口を挟むスタイリストの女性に、微笑みを返す。視線を周囲に巡らせながら、私はずり落ちてきたショルダーバッグのベルトを肩にかけなおした。
「百花はまだメイキャップルーム?」
「女の支度は時間掛かるっすよね。ホント」
「そういうこといわないの。より綺麗なお嫁さんつれたほうが、拓海としても鼻高々でしょう」
 見栄っ張りといっていい拓海の彼女は、どの子も人並み以上に整った顔の持ち主、所謂別嬪だった。百花といえども例外ではない。つまるところいくら性格が良くとも、外見が伴わなければさようなら、という拓海の性格を皮肉った私の呟きに、彼は軽く肩をすくめて見せた。
「そりゃ美人に越したことはないけど、色々と五月蝿いのは勘弁」
「何? 百花口うるさいの?」
「そりゃぁ朔さん、あいつ本気うるさいっすよ。掃除するからあっちいけだの。金は使いすぎるなだの、ちゃんと仕事にいけだの」
「……それは君が怠けすぎなんだと思うよ……」
 外見はそれなりに大人としての落ち着きを勝ち得たように見えた拓海も、中身は相変わらずであるらしい。大学の頃から変わる気配のない、百花の苦労に合掌である。
「……それに」
 拓海は開きかけた口を噤んで、眉間に皺を刻んだ。口元に手を当てて、黙り込んでしまう。
 拓海の表情は暗く、そして嫌悪感を私にもよおさせた。拓海が浮かべるその表情に、見覚えがあったのだ。
 胸の内に黒い霧が吹き出て溜まっていくような、なんともいえぬ気分を堪えながら、私は彼に続きを急かした。
「それに?」
 面を上げた拓海は、私のよく知る、格好つけの少し頼りない若者の顔をしていた。
「いや、なんでもないっす。付き合いも長いと、化粧の落ちた不細工な顔も知ってるしってこと」
「どぉこの誰がどんな風に不細工なのか言ってみなさいよぉ拓海」
 いつの間にかすぐ傍に、ウエディングドレスに着替え終わった百花が仁王立ちで佇んでいた。本番同様に美しく着飾られた百花は、さながら妖精のようだ。
「綺麗ねぇ百花」
 可愛らしさに心和んだ私が素直に感想を述べると、彼女は幸せそうに微笑んだ。
「ありがとうございます先輩」
 幸福の絶頂にあるだろう後輩を、私は誇らしく思う。なんだか、娘を嫁に出す母親の気分だ。
 私が百花の愛らしさに和んでいると、彼女は頬を膨らませて拓海に向き直った。
「ほぉら見なさいよぅ。これが正しい反応! こんな綺麗な花嫁捕まえて、不細工ってないんじゃないのぉ!?」
「誰も今のお前が不細工だなんていってねぇだろうが」
 というか、彼女に不細工って、連呼するものじゃないと思うわよ、拓海。
 半眼で様子を見守っていた私の腕を、百花がするりと取った。
「もう、私先輩のお嫁さんになろうかしら!」
 そうして彼女は、拓海に向かって舌を突き出す。あーあー百花。拓海は短気なんだって、あなたも分かっているでしょうに。
 拓海と百花の間に挟まれて冷や汗をかいている私を知ってか知らずか、百花は私の腕をぎゅうっと抱きしめて、私の顔を見上げてきた。
「先輩が男だったら、絶対彼氏になってもらうんだーって私ずっと思ってましたからぁ」
「百花」
 私は苦笑しながら、彼女の名を呼んだ。拓海への主張もその辺りにしておかないと。
 私の危惧は現実のものとなった。拓海は憤然と鼻を鳴らすと、やめやめ、と叫んで踵を返した。
「結婚なんて止めだ! 俺、服着替えてくる。アコガレの先輩と二人でレズレズしてろ! バーカ」
「拓海」
「先輩、そのブス頼みます!」
 私の制止も聞かず、拓海は近くを歩いていたスタイリストの女性を捕まえて更衣室のほうへと消えていく。大学時代と変わらぬ短気さだ。あれでよく社会人が務まっていると思う。
 私はちらりと傍らの百花を見下ろした。百花は私の腕にしがみ付いたまま、蒼白な顔をしている。
「百花」
 私は、私の腕を抱きしめる百花の手にやんわりと触れながら声をかけた。
「さっきのは、百花にも悪いところもあるよ」
「……知ってます」
「拓海も、本気で結婚やめにするなんて、そんなこと口にしてないから」
「……それも、知ってます」
 百花は私の腕からゆっくり離れながら、泣きそうに笑った。
「だってあの人、皆に大々的に宣伝しておいて、今更結婚取りやめるなんて恥ずかしい真似、できっこないんです」
 百花は、まるで雪山で遭難してしまったときのような、途方に暮れた、凍えた顔をしていた。さっき見た華やかな笑いが、まだ私の目にありありと焼きついていたものだったから、百花の浮かべる表情はことのほか悲壮に見えた。
 先ほどの拓海の浮かべた暗い表情を思い返しながら、躊躇いがちに百花に尋ねる。
「……上手く、いってないの?」
 拓海と。
 百花は、拓海の消えた更衣室へと続く通路を見つめている。大学の頃、拓海は子供のようだと思っていた。けれどそういう子供っぽさは、親から自立していくうちにそぎ落とされていくものだ。しかしどうやら拓海の子供っぽさは、不幸にも大学時代――もしかすると小学校の頃から、変わっていないらしい。
「マリッジブルーっていうやつなんです。お互い付き合いも長いですし。家族のこととか、将来設計とか、真剣に向き合うと、やっぱり出てくるものなんですよね。意見の相違って」
 淡々と言葉を紡ぐ百花の口調があまりに冷えたものだったので、私はぎょっとしながら百花を見つめた。百花は面をあげると、今度は笑った。
「でも大丈夫です。拓海ってば私がいないとどうしようもないんだから。機嫌だってすぐ直るってこと、私知ってるんです」
「……うん」
「もし着替え終わっても、機嫌が悪いようだったら、放置しておきましょう。残ってる引き出物の下見、二人で見に行っちゃいましょうね、先輩」
 さすがに次期新郎を差し置いて、二人で引き出物をみるのはやばいでしょう。複雑な心中に、思わず胸の前で十字を切りたくなった。私、クリスチャンではないけれど。
「それじゃぁ、私も着替えてきます。このドレスに決めましたし」
「あ、うん」
 行ってきます、と子供みたいにぶんぶん手を振って、百花も更衣室のほうへ歩いていく。ドレスの裾をぐっと両手で持ち上げて。あぁ、あんな大またで歩いて、転ばなければいいけれど。
 私は近くに置かれていた椅子まで歩いて、そこにどかっと腰掛ける。そして天井を仰ぎながら、盛大にため息を落としたのだった。


 日が暮れるのは、あっという間だ。
 別件の約束を理由に百花たちの夕食の誘いを断った私は、来週も下見に付き合わされることが決定した。絶対ですよ。絶対ですからね! と叫ぶ百花に頷きつつ、私は心の中で嘆くばかりだった。さようなら貴重な来週の休日。久方ぶりに後輩たちと会話することはとてもいい気晴らしだ。結婚の準備なんてとても大切なものにこのように風に誘ってもらえることも、酷くありがたい。けれども今、私はとにかく仕事以外は引き篭もっていたい気分で一杯なのだ。
 百花たちと別れ、すぐにメールを打つ。あて先は、無論優奈だ。まるで待ち構えていたかのように、返事はすぐに戻ってきた。


『駅ビルのカフェでお待ちしています 優奈』


「優奈?」
 駅ビルのカフェは、夕食を軽食で済ませてしまおうという人で込み合っている。ビジネスマンが密集する一角に、まるで場違いのように綿菓子のような色合いの衣服を着て、後輩はいた。
「お久しぶりです、先輩」
 席から立ち上がった優奈は丁寧なお辞儀を挨拶に添える。私は愕然とその場に立ち尽くした。後輩のその、変わり様に。
 久方ぶりに見た後輩は、別人のように綺麗だった。
 大学入学に伴い、大抵の娘は垢抜ける。けれども優奈は私が卒業するまで、どこまでも素朴の二文字が似合う少女のままだった。愛らしい子ではあった。けれど、特別美人というわけでもない。おそらく、彼女自身が大学を卒業するまでそうであり続けたのだろう。絶対そうだったという自信が私にはある。垢抜けた少女の代名詞のような百花と対照的に、ひっそりと、セピアのフィルムに閉じ込められたかのような素朴さを保ち続ける娘。
 それが、私の知る優奈だった。
 しかしどうしたものかと首を傾げたくなるほどに、優奈は純朴さをそのまま美しさに昇華してしまっていた。聖母のような美しさ。少しばかり憂いがある。その僅かに首を傾げた面影が、ミケランジェロのピエタ像の聖母に似ていた。
 伏せがちの瞼に長い睫毛。もともと白かった肌は、透き通るような透明感を持っていた。様々なものが変わった中で何よりも大きな変化は、彼女の纏う雰囲気だ。優奈は控えめな少女ではあった。けれど、ここまで影が薄いわけではなかった。
 彼女が纏う、この雪のような儚さは、一体何なのだろう。
「それで、相談って?」
 優奈の様相の変わり様に、眉をひそめながら私は尋ねた。私の問いに、優奈は周囲を一瞥して声を潜める。
「あの、ここでは」
 他人には、聞かれたくない話らしい。
 背中に無意識に手を伸ばしながら、それもそうね、と私は頷いた。そのまま席から離れる優奈に、ひっそり落胆のため息をつく男共が、指折りで数えられる程度には確実にいたことを、私は彼女にあえて言及しないでおいた。


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