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第一章 潜伏する内通者 4 


「まったく……人使いが荒いんじゃなくって? 女王サマ!」
 どん、と、厚みある書籍が複数冊、文句を添えて長卓に積まれる。それらをはるばる本宮の書庫から運んできたアルマティンに、マリアージュは一瞥と労いを送った。
「ご苦労」
「本当よ! はー、つっかれた。シオン、お水!」
 アルマティンが資料の整理を手伝っていた女中に声を掛ける。黒髪黒目の東方人。声帯を痛めているというこの女中は、マリアージュとアルマティンの会話にも、無言で常ににこにこ笑っている。
 シオンはアルマティンの主人が、屋敷で彼女に付けている女中だ。情報と資料の収集に外出の増えたアルマティンが、塔の留守を任せるために引っ張ってきたのである。
 豪快に喉を鳴らして水を干すアルマティンに、マリアージュは頬杖を突いて尋ねた。
「レジナルドについて何かわかった?」
 突如として姿を見せたレジナルド・エイブルチェイマー。彼の調査結果をアルマティンは回収しに出ていたのだ。資料集めはそのついでだ。
 ぷはっと息を吐いて、アルマティンが答える。
「カースン家の客分ですって。昨年から領地に出入りしていて、今年の社交季にも顔を出していたみたいよ」
「どこかで聞き覚えがあると思ったら。ダイが会ったって言っていた、あの男だわ」
 彼女がカースン家に招かれ、化粧の講習会をしたときだ。女性ばかりの席に男が混じっていたと述べていた。彼の名がレジナルドだった。
「教会の司教たちはあいつについて何て?」
「扱いに困っているみたいよ。突然こっちに来たみたいだから。小スカナジアの大司教サマの書状付きで」
 小スカナジアは聖女教会の本拠地だ。これまで関わり合いの薄かった上が出張ってきて、マリアージュも知る教会関係者は泡を食っているだろう。
「カースンといえば、次の女王サマもですって。そこのご令嬢。ようやっと確証が持てたわ」
「あぁ、そう。メリアがなるの」
 女王選で玉座を争った娘の顔を、マリアージュは思い浮かべる。
 父や兄にかわいがられており、彼らの自慢話をよくしていた。砂糖菓子のようにふわふわした、男の庇護欲を妙に擽る娘だった。
 良く言うなれば素直、悪くとるなら中身がない。癇癪を起こしてばかりいたマリアージュの言えたことではないとはいえ。
(あの子だったら私みたいに、官と衝突はしないでしょうね)
 女王候補時代に抱いた印象のままのメリアなら、政務官たちの言に迎合する姿勢を見せるだろう。今年の彼女は領地に引き籠もっていて、変化の度合いがわからないが。
 マリアージュは次の報告を催促した。
「ミズウィーリとガートルードの状況は?」
「ミズウィーリは静かなものだわ。嫌な話を聞くのはガートルードの方。蟄居って言われているルディア様。実際はお屋敷の奥に監禁されているみたいよ」
「領地に移動してはいないのね?」
「えぇ。それは確か」
「ルディアに付いていた者たちは?」
「細かくはわからないわね。……にしても、いまのご当主さん、早くマリアージュ様を処分したがってるって聞くわ。盛大に恨みを買っておいでだけど、お心当たりは?」
「大有りよ」
 マリアージュはバイラム・ガートルードの失脚に加担している。その後はルディアと昵懇(じっこん)だった。彼にとってマリアージュは、王として仰ぎたくない人物の筆頭に違いない。
「よく調べてくれたわね。あなたのお仲間にも礼を言っておいて」
「伝えておくわ。はぁ、本当に疲れた」
 マリアージュの対面に椅子を引いて、アルマティンが卓に身体をくたりと預ける。今日はことのほか疲れ果てているらしい。情報収集に外出しても飄々としている女にしては珍しいことだ。
「そんなに疲れたの?」
「えぇ……見張りの数が増えたの。マリアージュ様、あなた、あたしを使いすぎたわ」
 マリアージュは渋面を作った。そうなることも予想してはいたのだが。
「何人になったの?」
「三人。前からご一緒している騎士サマ以外に、あなたの使い走りを手伝う名目で文官さんが付いたわ。あとひとり、距離を置いてあたしを見張ってる」
「最後のひとりによく気づいたわね」
「ちょっと耳打ちしてもらってね……。これ以上、資料をかき集めるのは難しそうよ。お仕事だってほとんど片しちゃったんでしょ?」
「……早くしろってせっつかれたんだもの。引き延ばしたほうよ。これでも」
 レジナルドとの接見を終えた後、書類の締め切りが前倒しされた。あらかたこなすと今度は持ち込まれる書類も減少した。
 先方はよほど早くマリアージュを排除したいらしい。
 未処理の書類の嵩がマリアージュの寿命だ。マリアージュは確認に目を動かす。もう幾ばくもない量だった。復権どころではない。まぼろばの地の入口は目前である。
(私だけじゃない、わね)
 疲労困憊も甚だしく卓上に身体を伏せる元芸妓と、彼女の周囲で忙しく茶の支度を始めた女中を見る。
 塔の増員が認められた時点でマリアージュは悟った。
 十中八九、ふたりは口封じに主神の下へと送られる。そうでもなければ許可が下りるはずはない。
 マリアージュはため息を吐いた。
「アルマティン、あんたはあたしに付く前の通りに過ごして。噂は拾える分だけで。資料集めももういいわ」
「あきらめるってこと?」
「違うわよ。あんたの見張り、外さないと動きにくいでしょう。調べものもだいたい終わったから」
「そう? それならこちらも楽でいいけれど」
 マリアージュは目を通していた本に栞を挟んで閉じた。
 今日はシオン手製の焼き菓子があるらしい。茶器とは別に皿が並んだ。飾り気のない素朴な焼き菓子だが、差し入れはありがたく頂戴する。ひと切れ目を口に放り込むと、素朴でどこか懐かしい味がした。
 もぐもぐと菓子を咀嚼しながら、アルマティンが積み上がった本を示唆する。
「ねぇ、女王サマ。これだけ資料を借りて、熱心に何を調べてらしたの?」
「歴史よ。デルリゲイリア国史」
 元は国章の件もあって調べていたが、レジナルドの話を聞き、なおさらきちんと正史を追うことにしたのだ。
 デルリゲイリアの建国は、魔の公国の名がスカーレットからメイゼンブルへと改められて程なくしてから。元々は宿場町だが規模が拡大して、メイゼンブルから貴族が派遣された、と、されている。
 妙な点は、国の体裁は貴族の派遣以前に整っていたらしい、というところだ。デルリゲイリア初代女王の次女がメイゼンブルへ養子に。彼女と交換するかたちで、メイゼンブル大公の長子が第一王女の婿に来ている。その華燭の典でデルリゲイリアは国としての承認を受けた。そこが正史の流れと食い違っている。
 しかしそれ以上にひっかかる部分はなく、レジナルドの主張する、聖女の正統な流れを汲む云々の、裏付けは取れなかった。
 結果は芳しくなかったと、顔から読み取ったようだ。菓子を平らげたアルマティンが、からかう響きの笑い声を上げた。
「有益なことはなかったんだ?」
「謎は深まっていくばかりよ。……ひとまず、カースンのつながりについて言うわ。話を拾う参考になさい。皿を退けて」
 はぁい、と、アルマティンが皿を重ねる。シオンが即座に食器を引き取っていった。
「そこの赤い革表紙のを取ってちょうだい」
「これ?」
 アルマティンから差し出された冊子をマリアージュは開いた。中身は上級貴族各家の家系図だ。借りる理由付けに苦労したものの一冊である。
 貴族の多くは婚姻を通じてつながる。よって家系図を復習(さら)えば、利害関係を把握できる。
 カースン家の系統樹を指で辿り、マリアージュは解説していった。
 カースンの次はホイスルウィズムとベツレイム。共に女王候補を抱える家だ。カースンはホイスルウィズムと仲が悪い。ベツレイムはよく中立に回る。
 ガートルード。ミズウィーリ。残りの上級貴族八家についても触れておく。
「マリアージュ様。お名前に時々引いてある線は何なの? ばつ印は夭折なのよね?」
「線? どれのこと?」
「ほら、これとか」
 アルマティンが示した名は上級貴族の一家。デルグラント先々代当主の姉妹のものだ。こっちにもある、と、アルマティンがドルジ家も示す。こちらは先代当主の姉妹である。
 マリアージュは顎に手を当てて呟いた。
「……養子縁組?」
 中級貴族の頁で二重線を引かれた名が上級貴族の頁に移されている。上級貴族の頁でもその線の意味は同様だろう。
(にしても、どこへよ?)
 一世代につき、最低でも二、三人は消えている。マリアージュの同世代にはいないのだが。
 家系図を睨んでいたマリアージュは、がしゃん、と、唐突に響いた陶器の音に顔を上げた。
 棚上に茶道具を乱暴に置いて、シオンが扉へ駆け寄っていた。
 アルマティンが急ぎ席を立ち、マリアージュから距離を置く。嫌っているという主張が偽りと取られないように。
 入室した客人は、ロディマスだ。彼の護衛の顔には見覚えがない。アッセの姿は見えなかった。
「マリアージュ・ミズウィーリ。これへ」
 ロディマスから手招かれて、マリアージュも席を立った。毛織物の肩掛けを翻して、彼にゆったりと歩み寄る。
「ご着席なさらないの? 宰相閣下」
「必要ない。すぐに去る」
「そう。わたくしの処分の日取りが決まったということかしら?」
「――そうだ」
 ロディマスの肯定に、マリアージュは目を伏せた。
「いつのご予定かしら?」
「月末の安息日だ」
 残り、十日。
 マリアージュは腕を組んで嘲笑した。
「療養生活とやらはずいぶんと短いのね」
「君の病状が悪化したようでね。……期日までに、残りの書類を仕上げておくように」
 ロディマスの淡々とした口調には緊張が滲む。
 彼の斜め後方に直立する騎士は監視のようだ。次期女王の後ろ盾は宰相をも信用していないと見える。
 マリアージュは駄目を承知で日数を引き延ばせないかと試みた。
「書類については出来るかぎり急ぐとしか。し損じては困るのでしょう?」
「エヴァなら十日で片付けられた」
 ロディマスがエヴェリーナを持ち出すとは予想外だった。これまで彼が妹とマリアージュを比較することは一度たりともなかった。
 それがロディマスの誠実だったのだろう。
「そうおっしゃるなら、努力いたしましょう。この二年間、わたくしへの付き添いご苦労でした、ロディマス殿下」
 ロディマスはマリアージュに票を投じたという。
 その理由をマリアージュは知らない。
 妹や母の急逝を嘆く暇もなく、主を見定めるよう強制され、彼は何を思っていたのだろう。
 ロディマスはマリアージュを王に戴いてさらに苦労を負った。マリアージュに死を宣告する役もそのひとつ。
 労いの言葉のつもりだった。
「メリアとは、よくやりなさいな」
「――メリア?」
 ロディマスの怪訝そうな反応を目にするまでは。
(メリアが、女王じゃ、ない?)
「閣下。お時間です」
 マリアージュが追及するより早く騎士が会話を遮る。
 マリアージュは口を引き結んだ。うっかりしていた。
 彼らが去ってから己の迂闊さを詰る。
「失言したわ……。私が外の話を手に入れていること、あの騎士から漏れるわね」
「決定打は言ってなかったわ。どうにか誤魔化しましょ。それよりメリアって次期女王サマのお名前よね。どうして宰相サマがご存知ないのかしら」
「カースン家の令嬢が次期女王で間違いないのよね?」
「えぇ。それは確か」
 アルマティンが断言する。
 マリアージュは踵を返して長卓に戻った。
 家系図の頁を繰り、カースン家を探す。
 メリアの隣に並ぶ名がある。彼女の妹の名だ。
「リリス・カースン」
「姉に代わって今年の社交に出ていた方ね」
「私も挨拶を受けたわ。……アルマティン、リリスが次期女王だという話は?」
「ないわよ」
「なら……問題だわ」
「何が問題なの?」
 マリアージュは不要な紙を手元に引き寄せた。筆記具の先で墨壺の蓋を押し上げる。書きながら整理したほうがわかりやすいだろう。
「女王は女王候補から選ばれるのよ。カースン家の候補はメリア。リリスじゃないわ。クリステルとシルヴィアナっていう、歴とした女王候補がいるのに、彼女たちを差し置いて、女王候補じゃない娘が知らないうちに女王になっていたら、どうなると思う?」
「そりゃぁ、怒るわね。ホイスルウィズム家とベツレイム家が」
 女王を輩出すれば上級貴族内での位が上がる。国へ収める税率も変わる。領地の拡大もあり得るし、様々な補助が見込める。利潤は計り知れない。
 カースンが女王候補でない娘を女王にするならば、候補を抱えるほかの二家が黙るはずはないのだ。
「私の失脚は意見書から始まっているけど、それをどの家が先導したにしろ、私を女王から退かせるために、候補を抱える三家は協力しあったはずよ。次はだれを女王とするか、話し合いもしたはず。リリスが次期女王なら、女王候補交代の話が、周知されていないのはおかしいわ」
 女王候補交代は必ず人の口には上る。隠すことのできないものだ。
 三家の連携を崩し、利益をマリアージュが示せるなら、光明も見いだせる。
「姉妹のどちらが本当の次期女王なのか調べなきゃね。もしリリスが次期女王確定として。突き崩すなら、ホイスルウィズムから?」
「いえ、ベツレイムね」
 ホイスルウィズムのみを離反させても、仲介者のベツレイムをカースン側に残しては意味がない。
「メリアが次期女王だとしても同じよ」
「問題はどうやってベツレイムを攻略するかなんだけど……」
 ベツレイム家当主と話し合うにはここまで呼ぶしかない。間接的に連絡を取れても、残り十日でどこまでできるか。
 時間はないし、手段はないし、ないないづくしだ。
「あぁぁああもうっ!」
 ばん、と、卓を叩いてマリアージュは叫んだ。
「面倒なのは嫌いなのよ! もういっそ殴り込みにいきたい……!」
「そうだねぇ。もう、そうする?」
 自分で叫んでおいて何だが。
 アルマティンから肯定されるとは思っていなかった。
「……ハァ? 何いってんのあんた」
「行くだけ、なら、どうにかなるわ。あたしがここに来れたみたいに」
 衛兵の動きを把握し、協力者を揃える。いったん行方をくらましたあと、頃合いを見計らって、ベツレイム家当主に奇襲を掛ける。
 アルマティンが指を折りながら述べていく。
 マリアージュは渋面になった。
「でもそれは」
「後がない? どっちにしろ、もう日は切られてしまったもの。こそこそするより、思い切ってどーんと動いてみても悪くないでしょうよ」
「行方を眩ますのは――私だけ、よね。それ」
「そうね。一緒は無理だわ」
 仮にマリアージュが脱走に成功したとして。
 残されたアルマティンたちは。
 元芸妓が腕を組んで微笑む。
「ひとりはおいや?」
「……殺されるわよ」
「あたしが逃げたら、ほかの皆が疑われるから。最後まで残って、あんたが嫌いな元娼婦、演じていたほうがいいでしょう」
 ここに立った時点で生き残る可能性は低かった。覚悟の上と、アルマティンはあっけらかんと笑う。
「どうして……そこまでするの?」
 手元の紙をくしゃりと握り、マリアージュは低く呻いた。
「ダイを探すなら、私に関わらないほうが、効率よかったんじゃないの?」
 アルマティンたちの情報収集の力はかなりのものだ。
 ダイの消息はタルターザで途絶えたのだと、マリアージュの下まで来ずとも知れたはずだ。あとはアスマが捜索に人をタルターザまで向かわせればいい。希少種の招力石を手に入れることができるのだ。それぐらいの力はあるに違いない。
 そして最後は逃げればよかった。
 新たなデルリゲイリアの女王の手が及ばぬところまで。
「ヤダ、言わなかったかしら。あたしたち、マリアージュ様が女王サマであってほしいのよ」
「なぜ?」
「あたしたちのところまで下りてきてくれたから」
 女王候補時代にマリアージュは娼館へ赴いた。
 それだけか、と、マリアージュは瞬く。
 アルマティンは肩をすくめた。
「あら、とっても大きなコトよ。……流民で荒れたあちこちの町を見て回ったんでしょ。下町の治安が悪くなったときだって、職人が流民の面倒を見るの、支援してくれたわ。きちんと制度を整えて、支度金や報酬を工房連に回してくれた」
 流民の支援政策の一環だ。治政を平らかにするには必要な処置だっただけだ。
「ダイのこともそう。あなたがどれだけアスマを救ったか。それってあたしたちには重要なことなの。アスマが芸妓って呼んだから、あたしたちは自らに誇りを持ったんだもの。……あなたが女王でいてくれれば、ダイの将来は安泰だし、アスマも楽が出来るし、あたしたちは自分たちを見てくれる王サマを得られるし、ひと粒でふたつも三つもオイシイじゃない?」
 だから博打を打った。
 掛け金は自らの命だ。
「どうする? 女王サマ。もう少し穏便な方法を探る?」
 これまでと同じように、情報を拾い集めて、好機を待ち続けるのか。
「――いいえ」
 マリアージュは首を横に振った。
 これ以上の助けの手はない。
 それは掴み寄せるものなのだ。
 マリアージュはアルマティンに告げた。
「私がここから出る方法を探してちょうだい。私は、外から奪い返す」
 玉座を。
 アルマティンたちを救い、ダイを探しだす。
 その権利を。
 承知いたしましたと、アルマティンは微笑む。
 実に強かな笑みだった。


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