第八章 討議する執政者 3
魔術師はひとりきりだった。
彼はまずダイに挨拶を述べた。
「デルリゲイリアの国章持ちの御方ですね。ユーグリッド・セイスです。ドッペルガムで魔術師をしております。どうぞ、お見知りおきを」
「ダイです」
「セイスとお呼びください。そちらが名なので」
フォルトゥーナのときと同様に初対面を装う。
呼称を指定され、お言葉に甘えて、と、ダイはセイスに微笑んだ。
「こちらにはどうして?」
「古い友人たちに会いに」
ダダンたちをちらりと見遣り、セイスはダイに向き直った。
「ですが、僥倖でした。あなたとお会いできて。もう緋の広間にお帰りですか?」
「そのつもりですが」
「お時間を少しだけいただくわけには?」
渋い顔の文官を横目に、ダイはしばし黙考する。
「――まぁ、多分、大丈夫でしょう」
時間には余裕がある。
セイスはようやっと顔を安堵らしき表情に動かした。
「よかった。……あちらへ参りましょう」
ダダンたちを放置して、セイスが談話席へ向かう。ダイは商工協会の三人を仰ぎ見た。
招かれていないと察しているらしい。彼らは苦笑してダイを送り出した。
アーダムたちから離れたダイに衆目が集まる。
群衆のうち数人が踏鞴を踏んだ。ダイに声を掛けそびれていた者たちだ。見覚えのある顔を目にした気もするが、聖女教会に知り合いはいるはずもない。ユベールたちに守られながら、ダイはセイスの後を黙って追った。
談話席に着くと騎士たちが配置に付いた。文官が他者の目から隔てる紗幕を引く。
セイスが《消音》の招力石を灯し、面倒くさそうに息を吐いた。
「不便だな、広間だけだっていっても、術が禁止されているのは。……仕方ないけど」
「セイスさんは《消音》の術、使えるんですか?」
「うん。僕はたいていのことはできる……。でも、アルヴィナさんほどじゃない」
あのひと、すごいね、と、セイスが平坦な声音で言った。
賞賛としてまったく聞こえない。しかしこの淡白さが彼らしくもある。
「彼女はここにいる?」
「あなたが会いたいのはアルヴィーにですか」
「うん。訊きたいことが色々あって。……この間は機会を逃した」
ルゥナがやらかしたから、と、若干苦さの混じる声でセイスは呟いた。
「改めて謝るよ」
「かまいません。フォルトゥーナ陛下の厳しいお言葉はごもっともだと思いますから」
「でもあれは完全な八つ当たりだったね」
「八つ当たり?」
「あなたの陛下はルゥナの肉親の敵に似ているんだ」
セイスの告白にダイは瞠目した。
膝上で両手を組みかえ、セイスがダイに尋ねる。
「ドッペルガム建国のいきさつは知っている?」
「元はメイゼンブル属領だった話ですか? 小領地だったのを、フォルトゥーナ陛下が独立までこぎつけた」
「そう。銀樹の多く植わる土地柄で、招力石産出の要地として、長年搾取されていた。ルゥナはそこの村の長の娘」
「あぁ、なるほど……」
フォルトゥーナは驚くほど村の住人に溶け込んでいた。どれほど衣服を見繕っても浮いてしまうマリアージュとは対照的に。
ダイは冷ややかに尋ねた。
「その話と先日のフォルトゥーナ陛下の非礼に、いったい何の関係が?」
「詳細は省くけど、ルゥナはメイゼンブル貴族の血を引いている。その親族がルゥナの村を焼いた。……貴族の娘にやっかいな婚姻が持ち上がって、ルゥナの姉を身代わりに立てるために攫ったんだ。ルゥナの姉がそっくりだったんだよ。虐殺は口封じ」
フォルトゥーナは生き残った村人を守るために国を作ろうとしたらしい。
見上げた根性だ。
「その貴族にあなたの陛下は似ているみたいだ」
「さようですか。それで、かわいそうなフォルトゥーナ陛下に同情して、許してやってほしいと」
「いや、説明しただけ。何もわからない状態で、目の敵になるのは、すっきりしないよね」
セイスは本心から述べているようだ。
ダイは肩の力を抜いてため息を吐いた。
「……その話、本当は話してはいけないことですよね」
「君から話を聞くだけじゃだめかなと思って」
セイスは律儀な性質らしい。
「アルヴィーの何を知りたいんですか?」
「君から直接話せないなら、訊きに行くから、都合を付けてもらいたい」
「私の一存では決めかねます。なぜそこまでして?」
「アルヴィナさんが僕を救えそうだから」
ダイは眉間にしわを寄せた。意味不明すぎる。
セイスはふいに周囲を見回すと、懐かしむように目を細めて言った。
「僕はメイゼンブルの出だ。メイゼンブルの魔術研究の一環として、生み出された魔術師」
「メイゼンブルの魔術研究、ですか?」
「生体兵器かな。端的にいうと」
「……はぁ?」
聞きなれぬ単語にダイは唖然と訊き返した。
セイスが説明するには、だ。
メイゼンブルは魔術師に魔力を付与する研究を行っていたらしい。強力な魔術師は年々と減る一方だったから、国力を高めるための機密として行われていた。
魔術師素養の高い子どもに他者の魔力を融合させるところまでこぎつけた年。
とある少女が魔の公国に連れてこられた。
「滅びの魔女って、おとぎ話だって思うよね。でも、彼女は実在した。聖女を彷彿とさせる緋の髪に、七色に移ろう銀の瞳を持つ、女の子……生きていればもう充分な大人だろうけど。メイゼンブルは彼女の魔力を抽出し、それを僕らと融合させる実験を繰り返した。僕はその生き残りだ」
当時の担当者の大半は死亡している。しかし皆無とは断言できない。彼らがセイスの生存を知って、ドッペルガムに来られても厄介である。なるべく顔を売り歩かなくてもすむように、国章は辞退したらしい。
ドッペルガムの魔術師の長として役職を戴くが、実際には研究室に籠っていることが多いそうだ。
「メイゼンブルが滅んだのは呪いじゃないよ。彼女の暴走した魔力と、僕らに付与するべく貯蔵していた魔力が、誘爆を起こしたからなんだ」
魔力貯蔵の陣は大スカナジアの地下に敷かれていた。
力を追い求めたがゆえの、自業自得。
ダイは頭痛を覚えた。
そのような機密、ぽんぽんと告白すべきではない。
セイスが苦笑する。
「話してみるといい。だれも信じないよ。皆にとっては……聖女の教えと呪いのほうが大事だ」
「なるほど、おっしゃる通りです。……それで、アルヴィーがあなたを救う、とは?」
「アルヴィナさんなら知っているんじゃないかと思って。僕から魔力を抜く方法」
セイスの声音は抑揚を欠いている。
けれども常よりは少しばかり、力が籠っているように思えた。
「上塗りで蓄積された魔力を抜き取るっていう意味じゃない。僕は僕自身の魔力を低めたいんだ」
「どうして? 強力な魔術師であることは、ルゥナさんの大きな力でしょうに」
「そうだね。でもこのままだと、僕は遅かれ早かれ、ルゥナの下を去らなくちゃいけなくなる」
血をつなげないんだ、と、セイスは言った。
昨今では認知されていないが、互いの内在魔力の量が、子を孕むためには重要らしい。
親の魔力に落差がある場合、子の魔力量は親のそれの総量を等分したものが、通常の上限。
それも女親の魔力が高いときに限った話だという。
男親の魔力が高い場合、血はつながらないのだ。
セイスが微苦笑を浮かべて言った。
「ルゥナがね、僕のことを好きだっていうんだ」
ダイは思わずセイスを凝視した。
彼は常と変わらぬ顔で首をかしげる。
「どうしたの?」
「なんというか……いまここで、恋愛相談を受けるとは思っていなかったので……。それで、セイスさんもルゥナさんのことが好きなんですね」
「うん」
セイスがあっさり肯定する。
ダイは天井を仰いだ。
ここはどこで自分はいったい何をしていたのだったか。
ダイの混乱を無視して、セイスが話を続ける。
「ルゥナは女王だろう? ドッペルガムは新興国だし、国を安定させるために、早く伴侶を決めて世継ぎを産まなきゃいけない」
「あぁ、ルゥナさんはまだ王配をお持ちではないですね」
「逃げ回っているんだ。僕が」
「……周囲の苦労、お察しします。でも、王配にならなかったとしても、国を出る必要までありますか?」
「僕個人の感情の問題。……君は好きな人いる?」
唐突な話題転換。
ダイは言い淀んだ。
「……なんですか藪から棒に」
「いや、いたら、いなくても、想像してほしい。好きな相手が自分じゃない誰かと閨に入るのを、毎日見続けるってさ、嫌じゃないかな。僕は嫌なんだけど」
「あぁ、それは……」
ダイは息を吐いた。
「いや、かもしれませんね」
「同意を得られてよかった。それで、僕は自分の魔力を低める方法を探している」
「……アルヴィーに訊いてみますよ」
(知らないと思いますけど)
ダイは胸中で呟いた。
何せアルヴィナ自身が高い魔力を持て余して魔封じを行っている。
内在魔力を低められるというのなら、彼女はそれを実行しているだろう。
「セトラ様」
文官から呼ばれて、ダイは席を立った。彼が非常に怖い顔をしている。
「話は終わりですね。私はもう行きます」
「うん。引きとめてごめん」
「言っておきますが! あなたの依頼を引き受けるのは、親切じゃありません。あと、マリアージュ様にも報告いたしますから」
「君の陛下に? あー……そうか。うん、しかたないね」
あとで怒られるな、と、深刻さのいまひとつない声で、セイスはぼやいた。
彼は微笑んで言った。
「ありがとう。……君には、貸しばかりが増えるね」
まだ救われるとは、限らないのに。
本会議参加の八か国には、緋の広間近くに、休憩室も与えられている。
折よく戻っていた主君に、ダイがことの次第を報告すると、非常に渋い顔が返ってきた。
「眉間にしわが寄っています、マリアージュ様。色粉が溜まりますよ」
「あんたね……ほかに言うことはないわけ?」
「無事に戻ってきました!」
「胸を張っていうことじゃないのよ! 騎士をふたりも連れてるのよ!」
「まぁ、ここで問題起きたら困りますよね」
「ひ、と、ご、と、の、よ、う、に、言ってるんじゃないわよ……」
「いひゃいいひゃいいひゃいへふっ!」
マリアージュ渾身の力によるひよこ口の刑に処され、ダイは腰掛ける椅子の上でぐったり崩れ落ちた。骨がみしみしする。尋常でなく痛い。
そこはかとなく熱い頬を抑えながらダイは弁解した。
「別に私は機密事項を話すよう、セイスさんに迫っていませんから! セイスさんが勝手にいろいろ暴露したんですよ!」
「何でひょこひょこ付いて行くのよ!」
「フォルトゥーナ女王からの密使かもって思うじゃないですか!」
「あれだけこきおろして接触を図ってくると思うあんたの頭はおめでたいわよ!」
「感情論でいえばそうですけれど! ここは政争の場所ですよ!? 恋愛相談受けるなんて思いつきます!?」
「思いつくはずないじゃない!」
「ですよね!?」
主君と顔を見合わせてしばし。
同時に深い息を吐いてうな垂れた。
口論を傍観していたアッセが、目を泳がせて助け舟を出す。
「ダイが重要な報せを持ち帰ったことに、変わりはない、と、思いますが、陛下」
「アッセの言う通りだよ。重要な話だ……」
自分に言い聞かせる口調でロディマスも弟に同意した。
「継承問題は国の行く末を左右するし、その配偶者の件もまたしかりだ。うん」
ゼムナムにおいては子を産めないという一点で、サイアリーズが女王の座を断念している。宰相のほうが彼女の気質に合っている様子だし、アタラクシアとアクセリナがいたからまだよい。
ドッペルガムは深刻だろう。
継嗣を産まないのであれば、かの国の女王は養子をとらねばなるまい。それこそメイゼンブル貴族の生き残りが血縁の娘を手に乗り込んでくる。国を荒らさぬためには、女王自身が然るべき王配を得て、自身の血を残さなければならない。
ロディマスが苦笑いを浮かべて言う。
「とりあえず、そのまま放置しておこうか」
「え? アルヴィーに確認はするって言っちゃいましたけど」
「確約してしまったのかい?」
「あ。……あー、すみません……」
冷静に考えれば約束は安易に交わすべきではない。
ダイの謝罪をロディマスは受け入れなかった。代わってダイ付きの文官を叱責した。
「きちんと止めなくてはだめだろう!」
「申し訳ありません……」
文官も狼狽していたに違いない。話の内容が予想の斜め上すぎた。
「アルヴィナに確認するぐらい、かまわないんじゃないの?」
疲れた顔でマリアージュが述べた。
「その、魔力を抜くことができるかどうか、を、確認するだけって話でしょ? それともできれば協力するっていうところまで約束してきたの?」
「さすがにそこまで話を進めはしませんよ」
「ならいいんじゃない? ただし、勝手に教えたりしないよう、アルヴィナを監督すんのはあんたの仕事よ、ダイ」
「わかってます。訊くついでに言っておきますよ」
当のアルヴィナはここには不在だ。
彼女だけではない。魔術師は緋の広間近くへの立ち入りを禁止されているのだ。
ふっふっふ、と不吉な笑みに喉を鳴らして、マリアージュが宣言する。
「下手な手を打って、あの国に斃(たお)れられるより、恩を盛大に売ってやるわよ、あの女に」
ダイの主君は実に執念深い。
クラン・ハイヴで謗られた件を、彼女はまだ根に持っている。
だがそれ以上に、かの国には真実、まだ立っていてもらわねば困るのだ。
さらにもう一国滅びたとして、受け止められる余力は、大陸内にはないのではないか。
だからこそ開かれたのだから。
今回の会議は。
そもそも、瀕死のメイゼンブルに決定的な致命傷を与えたものもまた、継嗣の不在であった。
大スカナジアは魔に没して人の住める土地ではなくなった。多くの人的資源、財力を喪失した。
それでもメイゼンブル公家さえ残っていれば、再興は可能なはずだった。
正確には生きている。
最後の王アッシュバーンの妹君が。
聖女の直系最後のひとりである、ほかならぬ彼女が宣告したのだ。
自身に子は望めない。
『わたくしでメイゼンブルは終わりである』
「……お集まりの方々」
本会議の開会式。
緋の広間にて国別に整列して、ダイは亡国の公女を目にした。
アタラクシアと同年代の貴婦人だ。
編み上げた紅茶色の髪。肌は白く、墨色の衣裳がその色をより際立たせている。
憂いを帯びた目元。血の気のない薄いくちびる。
痩せ細った身体からは病の気配が漂う。
小スカナジアの領主、大公アルマルディ。
国の滅亡に居合わせた公女は、高濃度の魔力を浴び続けた。助け出された彼女の周囲ではいま魔術が禁忌となっている。
《上塗り》を繰り返して《魔狂い》を発症しかけたフォルトゥーナ。
彼女を見たからこそわかる。
アルマルディにとって魔術はもはや死を誘発するものになるのだ。
緋の広間周辺が魔術師にとって禁域な理由は彼女である。
魔術大国の象徴はもはや魔術と相入れない。
祖国再興を訴える者はいたが、アルマルディの意思は固かった。聖女の直系を弑することは、宗教的観念が忌避させた。
残存の貴族で力のある者たちは他国へと散った。
様々な思惑が絡み合った結果、アルマルディは少なくないメイゼンブル貴族たちと共に、この小スカナジアで死を待っている。
彼女は言った。
「わたくしの身内の不慮により、この西の獣に多くの混乱を招きましたこと、平穏を願いし聖女シンシアの末として、たいへん恥ずべきことでした。我が兄の犯した罪のせめてもの償いとしてこの地を開放することが、大陸の行く末を決められる皆の支援となりますように」
彼女は謝罪しなかった。
その血族が無数の人々の命運を塗り替えた点について。
そう思うのは聖女への冒涜だろうか。
アルマルディが静かに告げる。
「これより会議を開催いたします。――迷える聖女の仔らに、祝福のあらんことを」