第八章 討議する執政者 4
会議参加の八か国はそれぞれ、小スカナジア宮の左翼か右翼のいずこかに、控えの区画を与えられている。社交に出席しない者たちの待機場だ。本会議の行事が終われば、要人はこちらで宿泊する。
官たちを連れて戻ったダイを、アルヴィナが一番に出迎えた。
「おかえりなさぁい。ちゃぁんと戻ってきて何より」
「ちゃぁんとって……問題起こす可能性が高いみたいな言い方しないでくださいよ」
「心配していたのよ、アルヴィナさんは」
ユマが大きな茶瓶と複数の椀が載った台車を押して現れた。
「今回は一緒に行けなかったんだもの。やきもきしちゃうよ」
「ホント、行ってみたかったわぁ。……見たい顔も、あったしねぇ」
立ち入り禁止は残念、と、アルヴィナは笑った。そしてその手をダイの頭上で、二度三度と軽く弾ませる。
「お疲れさま」
「……ありがとうございます」
アルヴィナからの労いに、ダイは素直に謝意を表した。
ユマたち女官が戻った皆に茶を配り始める。ダイも受け取った茶器の縁に口を付けた。慣れた味にほっと息を吐く。
ユマが湯で温めた手巾を差し出しながら問う。
「ダイは本当にあっちに行かなくてよかったの?」
「興味はありますけど……。私が行っても、何ってわけでもないですしね」
女王たちの会談は、緋の広間よりさらに奥の、会議場で行われる。
厳格な入場制限が掛けられていて、女王と宰相と国章持ち、各人一名ずつの護衛のみ許される。ダイは討議への参加を認められていたが辞退した。
政治の素人が口だしできる場ではないし、興味だけなら議事録を読めばこと足りる。
それに、ダイには成すべき仕事があった。
ダイは女官のひとりに問いかけた。
「衣裳はどうなっています?」
「奥の部屋に整えております」
「リノ、道具は?」
「お服と同じお部屋に支度を」
「陛下の衣裳の腰回り部分を少し触りましょう。それから装飾品を……。細工ものの意匠がいくつか被ってしまいそうだったので変更します。予備を見せてください」
会談が終了すれば晩餐会が催される。その衣裳や装飾について、ダイが責任を負っていた。
これまでダイは女王たちの趣味嗜好を訊きだしてきた。今日の挨拶回り中の雑談では、それぞれの化粧や装飾品類も確認した。彼女たちが晩餐会にどのような盛装で現れるか、集めた情報で当たりを付けることはできる。
他の者との差異を際立たせつつ、各国に敬意を払うことを忘れず。
伝統的な要素を取り入れ、かつ、目新しさを目指す。
芸技の銘を冠するにふさわしいものを。
同時進行でモーリスにも指示を出した。
「広間で集めた話を整理しておいてください。あとで目を通します。ユベールも」
モーリスは文官たちに、ユベールは騎士たちに、それぞれ集合を掛ける。
それから、と、ダイは声を張り上げた。
「晩餐会に出席する皆さんは休憩が終わり次第、支度部屋に入ってください。同伴の方や陛下との調和を私が見ます」
会談は間に休憩を挟んで、計一刻半を予定している。ダイと衣装部の女官はその間に、五組の準備を終える必要がある。
女官を率いて歩き出しながら、ダイは窓から外を見下ろした。
広大な中庭の中央に、円形の建物が見える。骨格を除いた建材に玻璃を用いた会議場だ。無数の玻璃板を扇状に重ねた屋根に、空の色と雲の流れが映り込んでいる。
そこでマリアージュは、戦っているはずだった。
他国の女王たちと。
夕暮れに染まる中庭の只中に会議場はあった。
壁越しに緑と花々を堪能できる、玻璃造りの円形会議場である。毛足の長い絨毯が敷かれた床。巨大な円卓と参加人数に応じた椅子。卓の中央に据え置かれた立方体は、傍聴室に音声を飛ばす道具らしい。真鍮に似た金属製のそれが、議事録の作成も行うという。少量の魔力で長時間使用できる魔道機器。高い文化と技術を誇っていた過去の遺物。商工協会のものだ、と、だれかがささやいた。かの団体が傍聴権を有する理由はどうやら、道具類を都合した報酬ということのようだ。
円卓は各国の色に染められた、国章入りの絹で覆われている。その席順は女王の在位年数に準じていた。
入口から見て最奥が在位十六年を数えるドンファン。右回りに、十二年目のクラン・ハイヴ、九年目のドッペルガム、六年目のペルフィリア、最も下手が半年のゼムナム。続いて、二年目のデルリゲイリア、七年目のゼクスト。最後に十年目のファーリルである。
参加者の中にはイネカの在位年数について抗議した者もいた。なにせクラン・ハイヴに女王がいたなど、寝耳に水である。
けれども他でもない大公アルマルディが批判を退けた。確かにかの国は十二年前に、市長たちの監督者として、イネカ・リア=エルの名を申請したと。
(十二年……)
マリアージュは胸中で呟いた。
レイナ・ルグロワの在職年数と同じだ。クラン・ハイヴはその頃の政変を経て、都市を主体とした、今のかたちになったと聞く。何かしら関係はあるだろう。
女王の左隣には宰相と国章持ちが着く。護衛は背後で待機。ちなみに魔術師は臨席できない。国章を授かっていたとしても。
商工協会の男ふたりが魔道機器を起動させて退室する。閉じられた扉の脇にふたりの番兵が付く。
すべてが整ったと知れるや、ドンファン女王ファリーヌがおもむろに立ち上がった。
彼女は片手を胸に当て、朗とした声で宣誓する。
「我らここに、まぼろばの地にて仔らを見守りし聖女と神に誓う。これより語りしことに偽りなく、これより契りしことはしかと叶えん――我らに聖女と神の祝福を」
『祝福を』
全員の唱和が室内に厳かに響いた。
着席したドンファン女王が、さて、と、気さくな口調で牽引する。
「始めましょうか。この際です。堅苦しさは脇に置きましょう。慇懃さは話の枢要を隠してしまいますものね」
「いいこと言うなぁ、議長さん」
ジュノが手を上げて賛同を示す。
イネカは彼の砕けた口調を諌めない。同席するエスメル市長グラハムも同様だ。彼はどちらかといえば、あきらめている節がある。
クラン・ハイヴの隣に座すフォルトゥーナが眉をひそめた。
「ジュノ、と、いいましたね。ファリーヌ女王がいくら許されていても、最低限の礼節は守るべきではないかしら?」
「いいじゃねぇか、硬いこというなよ」
「あなたねぇ……」
「ここは礼儀を討議する場だったかな」
セレネスティがフォルトゥーナを差し止める。
ペルフィリア女王の表情は紗に覆われて読みにくい。しかし声は冷ややかだった。
「ジュノ補佐官。ご自分の言動は、リア=エル監査役の評価を左右することを、忘れないようにね」
「ペルフィリア女王陛下のおっしゃる通り」
と、サイアリーズがセレネスティに同意した。彼女は芝居掛かった口調で女王たちに願い出る。
「活発な議論は歓迎ですが、あまりにも激しすぎるときには、こちらに我が主君がおいでのことをお忘れなく」
言葉尻は柔らかいが要するに、子どもの手本となる振る舞いをしろと、ゼムナム宰相は勧告していた。
それもそうか、と、ジュノが頷く。
フォルトゥーナは苛立ちをちらつかせたものの、何も言わなかった。
「皆様、お手元の資料を」
ドンファンの女王が議長役として進行を促す。皆、いっせいに卓の上に手を伸ばした。
表紙を刻印入りの革で綴じた書類は計十枚。
一枚目には今回の会議の題目が記されている。
「まずは会議の目的について、確認をして参りましょう。……アルマルディ大公がメイゼンブル終焉の宣旨を下さり、まもなく十八の年月が流れようとしております。当時は二十九の国と七の自治領がございました。今は十三の国と一の連合、二の自治領。うち、今回の会議の呼びかけに応えることができた国はわたくしたちのみ。……聖女の歩まれた混迷の時代が、再来しようとしています」
聖女シンシアが生きた時代。大小あまたの国が滅び去り、方々で紛争が絶えなかった。
王は戦に明け暮れて執政ままならない。やがてその艱難辛苦から、玉座を空けて享楽に耽り、国土は荒廃の一途を辿る。国はそのようにして、ひとつ、またひとつと連鎖的に倒れ、大陸の地図は豪族の跋扈する無法地帯へと塗り替えられた。
聖女シンシアが騎士アーノルドと義勇の大隊を率い、スカーレット王の力を借りて大陸を平定しきるまで。
「いにしえより伝えられし時代の再来を防ぐ。その意に賛同してわたくしたちは集った。異なると思われるお方は挙手を」
全ての女王が沈黙を保つ。
ドンファンの女王は五呼間きっかり待って次に進んだ。
「それでは具体的な方策を考える前に、各国の現状についてご説明ください。……クラン・ハイヴからお願いできますかしら?」
イネカが依頼に首肯し、グラハムに目で促した。
エスメル市の市長はマリアージュも初めて見る。
今年初め、クラン・ハイヴを訪ねたとき、先触れを出していたというのに、彼とは会うことができなかったのだ。エスメル市の市庁舎を留守にしていたのだ。
老年に差し掛かった四角張った顔立ち。たるみが顎や下瞼に影を落としていたが、淡い茶の瞳にはぎらついた強い光がある。野心的な空気を隠さない男だった。
意気揚々と彼は言った。
「我らがクランの六都市は、ファリーヌ女王陛下がおっしゃるほど、獣が危ういとは思いません。鉄鋼の生産は堅調、出荷は右肩上がりでありますし、都市近隣の小競り合いも、兵を出せば容易に平定できる程度の規模です。とはいえ、確かに小規模の紛争が増えているのも事実。よって他国を案じたリア=エルが、我が国でも助けとなれはしまいかと、皆々様方に声を掛けた次第であります」
基本、各国の状況は簡素な文面で手元の資料にまとめられている。グラハムに求められたものは事前情報への肉付けだ。しかし彼の長口上はどう聞いても他国への挑発だった。
「あー、ちょっと付け加える」
ジュノが発言しながら立ち上がる。入れ違って着席するグラハムが、忌々しげにジュノを睨み据えた。
「ジュノ、何を言うつもりだ」
「補足だっつってんだろ。二度も言わせんな。……このおっさんが言った通り、国中あちこちで小競り合いが起きている。農村がけっこうやられてるのと、あとは、街道。治安が悪化して、護衛なしに普通は歩けねぇ感じかなぁ」
「小競り合いは、クランの住人同士で?」
「色々だよ」
ドンファンの女王の問いに、ジュノが指折りつつ答える。
「西からの流れもんが、村のやつら襲ってるのと。地域の住民同士でぶつかってんのもある。身内の恥晒すのもなんだけど、街道筋は食糧狙って村ぐるみで動くやつらがいるからさ。そのせいで何でも余計に値上がるし、だから食いっぱぐれたのが別んとこを襲う。悪循環だ」
「対策はどのようにしていらして?」
「市長によって違うけど、一番多いのは兵で鎮圧しちまうのかな。でもそれだとジリ貧だし、市長なんつってもおっさんらは為政者じゃねぇし、他のかしこいお偉方の意見を聞きたかったわけ、イネカとしては」
言葉を切ったあと、あ、ジリ貧ってわかる? と、ジュノは真顔で女王たちに尋ねる。
「……わかりました。次に参りましょう」
ドンファンの女王はドッペルガムに目を向けた。発表はどうやら席順らしい。
堂々とした体躯の老人が、よいせ、と、掛け声と共に腰を上げる。
宰相グザヴィエは緩慢に一礼したのち一同を眺め渡した。
「それではドッペルガムは、わたくしめより説明を。……治安面につきましては、そう不安を覚えておりません。これは地政学的影響によるものでしょうな」
《深淵の翠》の銘の通り、ドッペルガム国土の大半は深い森で占められる。しかもただの森ではない。魔が濃く、時間も方向も見失うという、深い霧に閉ざされた森である。地元人ですら決まった道を外れて安易に足を踏み入れはしない。
この森が国外からの人の侵入を阻んでいる。国境警備の負担も軽く済んでいるようだ。
「他の問題点については資料に記載しております。が、とりわけ気に掛かっておりますは、魔術の道具類の件ですな……」
メイゼンブルの崩壊後に魔術師は激減したが、日常生活に不都合を覚えることは少なかった。術式を仕込んだ道具類が数多く存在していたからだ。
しかし年数を経ればそれらも調整が必要となる。とりわけ切実なものは光源や温熱。森の天蓋に日照を阻まれるドッペルガムでは、農耕に必要な光を魔術に頼っていたし、温熱は寒さ厳しい冬を乗り切るために必須だ。暖房はもちろん、水の凍結防止。そういったいっさいが不可能となる。
「招力石を供給し、術者を派遣して、ことなきを得ていますが、今後は難しくなるでしょう。招力石は無尽蔵ではございません。我が国であったとしても。……他国からの需要も伸びておりますでな」
招力石には加工が必要である。アルヴィナいわく、術式を焼きつけるらしい。原木自体が貴重である。大量生産できるものではない。
マリアージュは裏町の革工房を思い返した。革を洗う水路の、あのひどい悪臭。今も忘れない。濾過と防臭の術式が調整されなくなった結果だ。
そしてミズウィーリの水道の件。使用人棟の水道は、アルヴィナが来るまで単なる飾りだった。そのような状況が貴族の家でもありうるのだ。
術式が狂った道具は無用の長物。人々は薪で火を熾すというような、原始的な手法に頼らざるをえない。
それがどれほどの負担を人々に強いるか。
これもまた人心の荒廃を招くもののひとつなのだろう。
グザヴィエの着席を合図に、ディトラウトが立ち上がる。
「ペルフィリアの状況をお話しいたします」
低くも芯のある声が場内に通った。
「治安や術式関係の問題は我が国でも同様に見られますが、説明は割愛いたします。詳細は資料の方にございます。そちらをご覧ください」
マリアージュは資料の頁を繰った。ディトラウトの述べた通りのことが記されていた。
紛争の鎮圧に兵を用いる点はクラン・ハイヴと同様。ただし自警組織の設立奨励やその補助も並行して実行されている。
道具や設備の術式調整においては、ドッペルガムの方策とは逆である。ペルフィリアは術者を派遣していないし、招力石で補填も行わない。北大陸からもたらされる、魔術をまったく用いない技術の導入を推進しているという。
「我が国独自と思われる問題は亡命者の帰還です」
皆が資料を一読し終えたころに、ディトラウトが話を切りだした。
「他大陸、とりわけ北に逃れていた元貴族たちです。帰郷するだけならかまいませんが、彼らの親族……地域の諸侯に高待遇の保護を求め、受け入れた側がその資金を賄うべく、領民に重税を課す動きが頻出しています」
もちろん税率を軽率に変更せぬようには定めている。
が、諸侯は教会への寄進といった別名目を用いて徴収する。それが市井の生活を圧迫。彼らから中央への忠誠心を削ぐ結果ともなっている。
サイアリーズが指を立てて発言の意思を表した。
「失礼、イェルニ宰相。亡命者に役職を振り分けることはできないのかな?」
「能力があれば斡旋しますが、戻ってきた者たちのほとんどは、亡命先で身を立てずじまいだった者たちです。たいしたことはできない。……諸侯も拒否したいでしょうがね」
「なるほど。血がそれを阻む、か」
やっかいだな、それは、と、サイアリーズが独りごちる。ほかの皆も得心した様子だ。
マリアージュだけがゼムナム宰相の言葉を理解し損ねている。
(……どういうことなの?)
マリアージュはロディマスを横目で見た。
ロディマスが視線に気づいて頭を横に振る。彼もまた把握できていないようだった。