BACK/TOP/NEXT

第五章 舞踏する漂寓者 2


 マリアージュは文句を述べて満足したようだ。しかしそれでことは収まらなかった。
 マリアージュをしばらく見つめていたルゥナがこれみよがしに息を吐く。
「……やっぱり、マリアちゃんはお貴族さまだねぇ」
「……なんですって?」
 マリアージュが地を這う声音で問いを投げかける。ルゥナがあざけりの目でマリアージュを見返した。
「なぁんにもできないくせに、威張り散らすことだけは得意なの。それで人を物扱い。ダイちゃんの怪我をずいぶんと心配していたから。ちょっとはマトモなのかなって思ったけど、そんなことはなかったねぇ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……!」
 話がおかしな方向へ向かっている。
 ダイは慌ててルゥナとマリアージュの間に割って入った。しかしルゥナに矛を収める気はないようだった。彼女は嘲笑に肩をゆらして声を荒げる。
「人はね、物じゃあないんだよ! お貴族様!」
「あんた……」
 マリアージュが気色ばんで呻く。
 その瞬間だった。
 ドン、と、建物全体が大きく縦に揺れた。
 ルゥナとマリアージュ、緊迫した様子のふたりを見つめていた周囲が、悲鳴を上げながら頭を抱える。ダイもとっさにマリアージュごと身を伏せていた。
 埃の降る天井を見上げてルゥナが呻く。
「何……どうしたの……?」
「仕掛けていた罠に賊がかかったんだ」
 外から戻ってきたらしい。セイスがルゥナに答える。彼はざわめく人の合間を縫って歩み寄ってきた。
 マリアージュを放して身を起こしながらダイは呻いた。
「もうこんなに……近くまで来ていたんですか?」
「斥候がね。……思ったより人数が多い。きちんと組織されているみたいだ。――合図があるまで、外へは出ないように」
 セイスが集会場を見回して声を張り上げる。その忠告は場内によく通った。
 皆が耳に留めたことを確認した彼は、ルゥナとダイたちの顔を見比べた。訝しげに首を傾げる。
「……何かあった?」
 セイスの問いには誰も答えなかった。彼は肩をすくめた。
「ルゥナ。手伝ってほしいことがあるんだけど、来てもらっていいかな」
「う、うん、でも私、配給の手伝いが」
「それなら私がしますよ」
 ダイはルゥナに申し出た。元よりそうするつもりだったのだ。
 ルゥナが了承に頷き、セイスと連れだって去っていく。その背を見送りながら、ダイは内心ほっとした。ルゥナがもしこの場に留まっていれば、マリアージュと掴み合っていただろう。
 ダイはマリアージュの傍らに改めて跪いた。彼女はルゥナの去った方向を睨み据えたまま頬を上気させている。
「行っていいわよ」
 顔を覗きこんだダイと目を合わせもせずにマリアージュは言った。
「……手伝いに。行くんでしょ。……こっちは適当にするわ」
「ですが」
「いいから!」
 ダイの発言をマリアージュが声を荒げて遮る。彼女は深呼吸すると幾何か落ち着いた声音で続けた。
「……行きなさい。……自分のことは、どうにかするわ」
 もたもたと荷解きをするマリアージュの手は震えている。
 ダイは開きかけた口から告げるべき言葉を失って、黙って立ち上がった。歯噛みしながら歩き出す。
(……なんなんですか、もう!)
 正直、空の木箱でも蹴り付けたいぐらいだ。ルゥナは余計な発言をしてくれた。しかもダイを利用して。それがなおのこと腹立たしい。
 きっと今ごろマリアージュは己の無力に苛まれている。クラン・ハイヴに向けてデルリゲイリアを発つまでの彼女のように。
 現在は不測の事態に陥っているからこそ、自身を世話する必要が生じているだけだ。そのようなことがマリアージュの身に頻繁に降りかかっていては困るのだ。彼女は非難されるべきではない。彼女をそのような状況に置いた周囲が――つまりダイが、責められて然るべきだというのに。
 ダイは深くため息を吐いた。
 マリアージュとルゥナが言い合っていた少しの間に、集会場は人で溢れかえるようになっていた。若い男手を除いた村人のほぼ全員だ。数にして、百人強。
 出入り口は封鎖されたようである。その横に作られた受付にダイは手伝いを申し出た。係をしている壮年の痩せた女が追加の毛布をひと抱えダイに手渡す。必要な者に配ってほしいとのことだった。
 賊の襲撃で狭苦しい場所へ急に押しこめられることになったためか。先ほどのルゥナのように何気ないことで苛立ちを露わにする者を多く見る。
(っていうか、セイスさんの言う怪しいひとを見てないから、あんまり実感がないんですよね……)
 毛布を配るあいだ、ダイと同様に賊の存在に半信半疑な者を見かけた。中には集まった理由をわかってない者もいるようだ。
 場内に滞留していく鬱屈とした空気を感じる。
「ダイ、終わったの?」
 毛布を配り終えて戻ったダイをマリアージュが安堵の表情で迎える。どうやら、心細かったようだ。
 敷布の上で膝を抱えるマリアージュの横にダイは滑り込んだ。
「もういいみたいです。……セイスさんたちが解散を言いに戻ってくるのを待つだけですね」
 念のために受付にも一度は戻ったのだが、手伝うことは何もないと追い返された。
「することは何もないわけ?」
「寝ることぐらいでしょうか。もう、夜も遅いですから」
 人の集まり始めた当初こそ灯されていた明かりも落とされている。それぞれが持ち込んだ寝具の枕元で招力石の屑石だけが微かに光る。暗い場内。しかしながら寝息は聞こえない。不安げに交わされるささやき声が絶えず空気を揺らしている。
「……ねぇ、うちの子を見かけんかったかね?」
「いやぁ、見とらんが。……おらんの?」
「そうよぉ。さっきまで壁の端でみな集まっとったとに。こっちに戻ってこらんのよ」
「あれうちの子もおらんね……」
「……一座の子たちもいないわね」
 マリアージュも近くから漏れ聞こえた会話を耳に入れたようだ。横になっていた彼女は片肘を敷布に突いて上半身を起こした。
「暗いから見えないだけかもしれないけど……声も聞こえないわ。昼間はあんなにうるさかったのに」
「本当ですね……。寝てるとも思えませんし……」
 ダイはマリアージュの隣に跪坐したまま周囲を見回した。
 大人がこのように気を尖らせているのだ。子どもは非常に空気を読む。彼らも覚醒している可能性が高い。実際に数人の母親はぐずる赤子を宥めるに苦心している様子だ。
 数人の子どもの行方が知れないというささやきは、まるで波紋のように速やかに皆に広まっていった。横になっていた者たちも起き上がり、次々に角灯へ火を入れ始める。
 俄かに真昼へと転じた場内に、ダイが目を眇めていると、数人の女性がすっくと立って、焦燥の顔で相談を始めた。
「こうなったらもう外だね……」
「うちらが目を離しとる隙にこっそり出ていったに決まってる」
「探しに行くしかないか……」
「やぁでも外でたらいかんばぁ。賊来よるってさっき魔術師さんも言うとってやが」
「……そもそも本当にそんなん危ないの近くまで来とるんか」
「ううーん。でもさっきひどい音しよったよ」
「危険ならなおさら探しにいかんと……」
 彼女たちの会話に呼応して、他の者たちも一層ざわめく。
 その皆のあいだを、大道芸の一座の青年と少女が駆けてきた。今朝方の演目で騎士と聖女の役を務めたふたりだ。
「ダイ、マリアさん、ちびたちを見かけませんでしたか…?」
 少女がダイたちの前に跪いて問いを口にする。
「どこにもいないんです。村の中を探したのだけどいなくて……」
「セイスさんにはもう中に入るように言われてしまったんですが。マリアさんに見ていただいていた五人です」
「五人とも? 皆いないんですか?」
 ダイは思わず訊き返していた。ひとりふたりの話ではなく、全員が行方不明だとは。
 青年と少女は子どもたちを探して方々を駆けたに違いない。額に汗を滲ませて息を切らしている。
「村の皆が集まり始めたときにはいたのよ。でも集会場を閉めたときにはもう……」
「こっちでも子どもが何人かいないってちょっと騒ぎになっているんですよ……」
 ダイは一座の少女たちに周囲を見るよう目で促した。
 少女と青年が顔を見合わせて回りを探る――……。
 ふたりの視線が、村の女のひとりとかち合った。
 子どもを外へ探しに行くと息巻いていた母親だ。
「もしかして……あんたらんとこが、うちらの子、連れていったんじゃないの?」
 彼女は暗い声音で呻いた。
「だいたい、こんな辺鄙なところに賊なんてくるのがおかしいが。あんたらが引っ張ってきたんじゃなかろうね?」
「ほんにそれよ。うちらから盗るもんなんて何もない」
「いや、賊なんが嘘っぱちなんじゃないんかね。子どもら盗るんにうちらの気を逸らそうと……」
「それよ! こいつら人買いよ! あの魔術師らも仲間なんだわ!」
「ちょ、っとま……皆さん落ち着いて……! わっ!」
 息巻く村の女たちを制止すべく腰を上げたダイは後ろから押し退けられた。堪えきれずにマリアージュを巻き込んで転倒する。押し倒されたマリアージュが苦悶に顔を歪め、ダイは慌てて謝罪した。
「すっ、すみませんマリアージュ様!」
「こいつらを追い出して! 皆! 外に出んと! 子どもら盗られるで!!」
「きゃあ!」
 一座の少女の悲鳴がダイの耳朶を打つ。ダイはマリアージュの上で急ぎ体勢を立て直した。青年が村の女たちに囲まれて蹴りを受けている。その傍らでは肩を抱えて蹲る少女が、村の女に髪をわし掴まれていた。すでに腫れあがった彼女の頬へ、女は繰り返し手を振り上げている。
 怒気を孕む顔の女にダイは跳び付いた。
「いっ、このっ……放しな!」
「嫌です! というか落ち着いてください!!」
「あんたらもこいつらの仲間なんか! あたしの子どもどこやった!」
「ちがっ、そうじゃな……」
「――……いいかげんに……っ、なさい!!」
 パァン、と。
 小気味のよい肉を叩く音が、マリアージュの怒声と共に響き渡った。
「自分の子どもを探したいの!? 子どもはどうでもよくってこの娘を傷めつけたいだけなの!? ……どちらなのよ!!」
 不意を突かれて頬を叩かれた女は呆然とマリアージュを見返していた。
 ダイも経験があるのでわかる。マリアージュの張り手は強烈である。おそらく、女の意識はいっとき飛んだはずだ。それが彼女を興奮から引き戻した。
 彼女だけではない。青年たちに暴力を振るっていた、ほかの者たちも静止している。
 その一瞬の静寂を埋めるかのように、赤子がいずこかでわっと泣きだした。
「びあぁあやあぁあぁ……」
 やぁあああ。あぁああぁ。びああぁあ……。
 数人の赤子の泣き声が輪唱していく。
 マリアージュから平手を受けた女は、赤らんだ頬を震える手で押さえて呻いた。
「こ、子どもを探したいに、決まってる……」
「だったら……! こんなところでこのふたりを殴っている場合じゃないのよ……! 馬鹿じゃないの!?」
 女を怒鳴りつけたマリアージュは、肩を上下させると周囲を一瞥した。
「子どもはどこの子がいなくなったの!? 親は手を挙げてそこにまとまりなさい! ……それから、そこの!」
 マリアージュに指差された老爺が目を剥いた。敷布に尻餅を突いて、慄きながら彼は退く。その老爺を睥睨してマリアージュは言った。
「年寄りのくせにたいそう力が有り余っているみたいじゃないの。……それからそこのも! あんたたちふたりは、怪我したふたりを壁際まで連れて行って」
「わ、わしらに運べっちゅうんか……?」
「ふたりが隅まで歩くのを支えろって言ってるのよ。あんたたちが暴力振るって怪我させたのよ。それぐらいなさい」
「こいつら、人さらいの仲間なんだぞ!」
「まだそうと決まったわけじゃないでしょうが! それとも子ども攫うところをその目で見たわけ? 見たならいいなさい。見たのね? 見たの?」
「……見とらん……」
「憶測で物を言うのはいい加減にするのね。いいからふたりを運びなさい! ……そこの! ぼっと見ていないで! 薬はないの!?」
「く、薬……?」
「あと包帯。手当てをするのよ。……いい? もしもこのふたりや魔術師が、あんたたちの言う通りに賊の仲間だったとしてよ、そうしたらあんたたち、このふたりの姿を見た魔術師に、報復に焼き殺されるわよ!」
 皆が恐れ慄きながら、マリアージュの指示に従うべく、四方へ散っていく。
 彼らを睨み据えるマリアージュを見上げながら、ダイは身震いした。
(このひとは……無能なんかじゃない)
 マリアージュは――ダイの主君は、他者を使う才能に富んでいる。的確に命じ、人を動かす。
 それは一国の王であるためにもっとも重要な要素ではないか。
 見よ。マリアージュは瞬く間に人々に役目を振って場を落ち着かせてしまった。
 そうして足取り荒く歩き出し始める……。
「ま、マリアー……マリアさま!? どこへ行かれるおつもりですか!?」
「はぁ?」
 追いすがったダイを鬱陶しがって、マリアージュが低い声音で唸った。怒りに沸騰しているらしい彼女の頭から、黒い蒸気の立ち上るさまが見えるようだ。
「外よ。ほかにどこへ行くっていうのよ」
「外!? 駄目に決まってるじゃないですかマリア様危ない……!」
「子どもら探しに行くなら外に行くしかないでしょうが。あんたはあのふたりを見てなさいよ」
「私も行きますよ! 主人を危ないところへひとり行かせる従者がどこにいるんですか!」
「聞こえなかったわけ? あのふたりには誰かが付いていなきゃいけないでしょうが」
 村の老爺ふたりに付き添われて壁際に移動した大道芸の役者ふたり。彼らに暴行を加えぬための監視として。
「それはっそうですけど……!」
 マリアージュの示唆するところは汲み取れる。しかしダイも引くわけにはいかない。
「でも、マリア様が外に行かなくたっていいじゃないですか!」
「一座の子どもたちの顔、村の女たちは全員までわかってないでしょ。私だけなのよわかるのは」
「それは私だってわかりますから! マリア様が残っていてください!!」
 マリアージュの身体は彼女ひとりのものではない。ダイの主張にマリアージュは不服そうな表情を浮かべ、連れだって歩いている村の女たちを示した。彼女たちは行方不明の子を持つ親たちだ。
「この女たちが一緒に外に出るんだからいいでしょ」
「よくありません! 私が外に出ます!」
「あーもー、あんたってば本当に聞き分けがないわね……」
「それは私の台詞ですよ! いいから早く引き返して……」
「ダイ」
 ダイの先を足早に歩いていたマリアージュがびたりと足を止めた。ダイは眉をひそめた。マリアージュの声が、強張っているように感じられたからだった。
 マリアージュが囁く。
「もう、遅いわ」
 ダイは主君の肩越しに見た。
 集会所の両開きの扉が村の女たちによって引き開けられる。
 その扉板の間を枝状に細い光が奔り、ばちん、と、何かのはじけ飛ぶ音がした。
 そして見慣れぬ顔の壮年の男が、村の青年の背に剣を突き立て――……。
 こちらを、向く。
 村の女たちの、悲鳴が上がった。
「きゃあああああああああああああぁあっ!!」
 血に濡れた剣を片手に提げた男が、靴底に付いた泥を跳ね散らかしながら、集会場に踏み込んでくる。続いて、もうひとり。薄汚れた髭面の男が姿を見せる。彼もまた厚みのある長剣を手にしている。
 村の女たちが蜘蛛の子を散らすように扉から離れる。
 マリアージュだけが、棒立ちとなっていた。
「マリアージュ様っ!!」
 ダイはとっさにマリアージュの腕を強く引いて横に倒れた。髭面の男の振るった剣の先が虚空を凪ぐ。
 ダイはマリアージュの顔の横に手を突いて怒鳴った。
「ぼっとしないでください!」
「ダイっ! 後ろ……!」
 マリアージュの指摘にダイは背後を振り返った。男が数歩とない距離に立っている。
 その手によって芝でも刈るかのごとく無造作に振り上げられた剣は、しかし何も斬ることはなかった。
 男の身体が、青白い炎に包まれたのだ。
「がぁあああああぁああっ!!」
 男が剣を取り落して膝を突く。喉を掻き毟って絶叫した彼はそのまま消失した。瞬く間に、あっけなく。存在の痕跡をそれこそ塵ひとつ残すことなく。
 あぁぁああぁ、と、もうひとり分の男の断末魔が耳朶を震わせ、ダイはマリアージュを抱く手に力を込めた。
 男ひとり、忽然と姿を消した空間に、ダイは唾を嚥下して視線を投げる。
「まぁったく」
 魔術師が鼻を鳴らして、ゆるく結った三つ編みを肩から払い落とす。
「中から扉を開けないでって、説明してあったでしょお?」
 淡い緑の光をまとって立つ不世出の魔術師は、混迷の時代に人を救い導いた聖女のようだ。
「アルヴィー……」
 ダイの呼びかけにアルヴィナはゆったりと微笑んだ。


BACK/TOP/NEXT