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第五章 舞踏する漂寓者 1


 ――と、考えたまではよかった。
「あはははははははははっ!!」
 マリアージュに襟元を掴まえられ、がくがく上下に揺すられたダイを、アルヴィナが高らかに笑い飛ばす。
 ダイは振動酔いでこみ上げる吐き気を堪えつつ、椅子の背を抱いて座る魔術師を半眼で一瞥した。
「もー、そんなに笑わないでくださいよ……」
「だぁっておかしいわぁ。ご主人さまの世話をいっぱい焼こうとしたら、逆に怒られるなんて」
「怒ってないわよ気持ち悪いって思っただけ」
「ひどい!」
「やましいことがあるとしか思えないじゃない!」
 何と疑い深い主君だ。マリアージュから解放されたダイは肩を落とした。
 仕事を終えたダイは先に借家に戻っていたマリアージュへ提案した。顔の肌の手入れをしようか。それとも髪を、と。この村に漂着して以降、一座の手伝いでも用いる化粧品の減りを少なくするため、マリアージュには手入れを控えてもらっていた。だが一回ぐらいはかまわないだろうと思ったのだ。
 ところがマリアージュの反応は胡乱なもので、何かやましいことでもとダイを詰問する始末。
 結局、なにゆえそのような行動に至ったのかと、楽屋でのことをダイは解説せねばならなかった。
「そんなに私を労いたいならお茶のひとつでもまともに淹れられるようになりなさいよ」
「うっ……それは……」
 マリアージュの下で働き始めて早二年。その間にたびたび練習してもさっぱり上達しないもののひとつが、茶を淹れることである。正確には料理全般。アルヴィナに監督されていてさえ失敗続きだ。ダイ自身はとうの昔に匙を投げていた。
「あんたがどんな茶葉でも美味しく淹れられるようになれれば、私だっていつでもほっと一息つけるのに」
「ううう、ひとには得手不得手っていうものがあるんですよ……」
「そうよ。わかったかしら? 私は机に噛り付いて勉強するのが得意ではないだけなの。遊びのことしか頭にない子どもと一緒にしないのよ」
「……マリアージュ様、今日のこと地味に根に持っていらっしゃいますね……」
 マリアージュの癇癪を二度と幼い子どものそれと一緒にするまいとダイは心に固く誓った。
「もー、マリアも、そんなにダイのことをいじめないの。せっかく労ってくれてるんじゃなぁい」
 会話を聞いていたアルヴィナが苦笑しながらマリアージュをたしなめる。
「皆のとこまで戻ったら、ユマたちに美味しいお茶をたっくさん淹れてもらいましょ。……興行を早く切り上げてくれそうなら助かるねぇ」
「ですよね。ですよね」
 アルヴィナが転換した話題にダイは嬉々として乗った。その様子がおかしかったのか。アルヴィナが椅子の背の縁に顎を載せてふふっと笑う。
「早く連絡を付けないとね」
「本当ですね……。そういえば、町に着いたあとどうやってルグロワの皆と連絡を取ればいいんでしょう。いまさらですけど」
 一座とは隣の町で別れる予定だ。彼らはまた別の村へ興行に出るという。
 隣町に市長府があるならば、マリアージュの身分を明かし、市長府同士の連絡網を借りて、レイナに連絡を取れるだろう。しかし隣の町はあくまで商業施設がこの村より揃っているだけのようだ。
「まさか……銀を買うために、また働くの?」
 マリアージュが顔を引き攣らせながら疑問を口にする。まさか、と、アルヴィナが一笑した。
「その必要はないと思うなぁ。隣町には協会があるらしいから、そこ経由で伝令を届けてもらえばきっと早いよ」
「協会って商工協会ですか? ダダンが働いている?」
「そうよ」
 女王選時代のアリシュエルの一件に始まって、ペルフィリアの訪問時にも世話になった男は、《商工協会》と呼ばれる組織に所属している。境なき国とも呼ばれる一大組織だ。ちなみにデルリゲイリアの裏町にも小規模ながらきちんと存在している。芸技の小国が独自の技術連を持つ関係で目立たないけれども。
「そこって私たちでも利用できるんです?」
「もちろん。登録さえしていれば。登録に出自や経歴は問われないし、いろいろ便利、らしいわよぉ」
「町に着いたらそこにいけばいいんですね。……伝令ってどれぐらい掛かるんでしょう?」
「費用のこと? んん。それは大丈夫だと思うよ。私の登録票だったら費用は掛からないから」
「へぇ。アルヴィーも登録してるんですね」
「あんまり使ったことないんだけどねぇ……」
 アルヴィナは苦笑したのち、大丈夫でしょう、と、請け合った。
 連絡手段については頭を悩ませなくてもよさそうである。ダイはひとまず安堵に息を吐いた。
 マリアージュはなおも不安そうだ。
「伝令って何日ぐらい掛かるのかしら……?」
「連絡つくのは一日。遅くて二日ぐらいかしら。ルグロワの政務官さんたちが、ちゃんと伝言を受け取ってくれれば、だけど」
「そうなの? ……でも、ルグロワまでってエスメルから馬をどんなに飛ばしても一日じゃ着きそうにないわよ?」
「協会の伝令は招力石よ。早いの」
「そうだ、招力石!」
 ダイは思いついて声を上げた。マリアージュとアルヴィナから訝しげな視線を感じる。
「何よ、ダイ。招力石がどうしたの?」
「いえ、招力石、というか。アルヴィー、遣い魔じゃなくて、魔術で直接、皆に連絡を取ることはできなかったんですか?」
 ダイがミズウィーリ家で故郷の花街をまだ恋しく思っていたころ。
 アルヴィナから伝達の招力石を譲り受けたことがある。アルヴィナ自身が作成したものだったらしい。招力石に魔術の陣を描き込めるのなら、そもそも魔術で他者と連絡をとることなど、彼女には容易であったのではないのか。
 ダイの質問にマリアージュが唸って追随する。
「そういえば、そうね……。アルヴィナ、それはできないの?」
「ざぁんねんですけど」
 アルヴィナが肩をすくめて苦笑する。
「ちょっと無理かな。色々制約を付けちゃいましたからねぇ。できないこと、今は多いよ」
「制約……? できないことって、たとえばどんなことなんですか?」
「んー、そうねぇ……。この辺りを爆砕するとか、物を遠方から取り寄せるとか、空間を渡って別の場所にいくとか?」
「それらはできなくて当たり前のものでは……」
 ダイは思わず呻いた。逆に可能だと言われたなら信じられそうな点が恐ろしい。
 あらそぉお、と、アルヴィナはからから笑っている。
「心配しないで。あなたたちふたりを守るぐらいのことはできるわ。本当よ」
 城勤めを始めてからしてみせたことは基本的に可能と考えてかまわない。アルヴィナはそのように説明した。
 ダイは苦笑しながら胸を撫で下ろす。
「それを聞いて安心しました……けど、頼りきりで申し訳ないですね」
「適材適所ってものよぉ。気にすることじゃないわ」
「せめて自分の身ぐらい自分で守れればいいんですけれどね……。それでなくても治安が悪いっていいますし」
「治安悪いの? このあたり」
「そうですよ……あ」
 マリアージュに指摘されてダイは思い出した。その情報を得た経緯を。
「そうですすみません、マリア様。実はセイスさんが……」
 と、ダイが慌てて説明にかかった丁度そのときだった。
 どんどんどんどん。
 ――借家の入口の木戸を何者かが強く叩いた。
 アルヴィナが立ち上がり、戸口を見遣りながら呟く。
「噂をすれば、かしらぁ……」
 彼女が戸を開けると、はたして、かの青年が立っていた。
「こんばんは。アルヴィナさんを借りたい」
「私を? 突然ねぇ、セイスくん」
「アルヴィナに何の用なの?」
 室内に引き返しながらアルヴィナは苦笑し、マリアージュが胡乱な表情を浮かべ詰問する。
 セイスはアルヴィナ越しにダイを見た。
「彼女に昼に話した件で」
「……は?」
「黙ってたわけじゃなくて! いま! 話そうと思ったんですよ!」
 あからさまに低い声で唸るマリアージュにダイは抗弁した。本当に、説明しようとしたところだったのだ。
「村を賊が襲うかもしれないので、その警備に、アルヴィーの魔術を借りたいって」
「ダイ、あんたアルヴィナが魔術師だってこの男に漏らしたの?」
「違うよ。ぼくが彼女に確かめたんだ。アルヴィナさんが魔術師であることを、君たちは知っているのかって」
 セイスが戸口から動かぬままダイに代わって問いに応じる。マリアージュが怪訝そうに眉根を寄せた。
「……どういうことなの?」
「私が魔術師だって、最初からわかってたんだねぇ、セイスくんは」
「僕は魔を読めるから。……あなたも読めるんですね」
 アルヴィナが微笑んで曖昧な肯定を返す。
「そうねぇ。……ところで賊って?」
「北西からの流民だよ。最近、とても増えている。……彼らの中には城付きの兵士崩れが多いから侮れない。だから、魔術で防衛したい」
「城付きの兵士?」
「……君たちは事情を知っていると思ったけど」
 意外そうに瞠目して、セイスが解説する。
「去年の収穫期ぐらいに西南の小国が斃(たお)れたでしょう。そこの国が抱えていた兵士だ」
「あぁ、そのことですか……」
 ダイは納得に頷いた。
 ひどい内乱の末に潰えた国からデルリゲイリアにも大勢の民が流れ込んだ。それを切っ掛けとしてダイたちはいまここにいるのだ。
「……その賊がこの村に来るって言うの?」
 マリアージュが疑問を口にする。セイスは彼女に向き直った。
「近くにはいる可能性が高い。……山羊の数が足りないらしい。縄を切った跡がある」
 村の裏手には数棟の家畜小屋が連なっている。その中に複数人が侵入した形跡を見つけたという。
「人の出入りは多かったんだ。なのにいつ侵入されたのかわからなかった」
「村の誰かが連れ出したんではないんですか?」
「何のために? 村の外に連れ出して隠すなら、かなり離れる必要があるよ。周辺は僕もかなり見回ったんだ。村の中で屠殺(とさつ)した形跡もない」
「私たちは疑われなかったの?」
 問題が起これば外部の人間が疑われる。それを当然のものとしてマリアージュが述べる。
 セイスが首を横に振った。
「それこそどうしてお嬢さんたちに山羊が必要なんだって話だね。……犯人は手際に無駄がないし統制がとれてる。少人数でもやっかいだけど、大人数で来られたらことだ。だから、アルヴィナさんに付き合ってほしい。……借りてもいいかな?」
 セイスがマリアージュに要請する。声音は淡白だったものの、有無を言わさぬ力があった。
「連れて行きなさいよ」
 マリアージュが溜息交じりに許可を出した。アルヴィナが口笛を吹いて首をかしげる。
「いいのぉ? 私が離れて」
「ずっとじゃないでしょ。さっさと終わらせて返しなさいよ」
 マリアージュにセイスが首肯した。
「わかってる。……それからもうひとつ」
「まだ何かあるんですか?」
 ダイはセイスに問いかけた。その声がつい尖る。アルヴィナが不在となるとやはり心もとない。賊の存在を臭わされた今はなおさら。
「荷物をまとめて集会所に移動してほしい」
 セイスが告げる。
「そこに結界を張ろうと思うんだ。……皆ももう、集まっているよ」



「ふたりとも来たねー。お疲れさま」
 支度を整えて集会所を訪れたダイとマリアージュを、木箱を抱えたルゥナが足を止めて笑顔で迎える。彼女の背後では先に集まっていた村人たちが忙しなく宿泊の準備に取り掛かっていた。
「お疲れ様です、ルゥナさん。……なんだか大変なことになりましたね」
「そうだねぇ。でも、セイスがいるもん。大丈夫だよ」
 伴をする魔術師への絶対的な信頼を見せるルゥナに不安の色はない。ダイは心なしか勇気づけられた。
 武装した数人の男衆を除いて、村の者はすべて集会所に集まる。その上で、セイスが魔術の結界を張るらしい。内側から開錠して出なければ安全だという。ペルフィリアでマリアージュたちが迎賓館に立てこもったときの手だ。
(アルヴィーもいますしね……)
 セイスの魔術がどれほどかは知れないが、アルヴィナが彼の補助をするというのだ。問題はないだろう。
「私たちはどちらへいけばいいですか?」
 ダイは集会所を見回しながらルゥナに尋ねた。広間に受付のような場所はひと目には見当たらなかった。
「人数はあとで数えるって。空いているところに適当に荷物を置いてくれたらいいよー。雑居寝になるし」
「ざこねって……何?」
 マリアージュが眉根を寄せて口を挟む。未知のことをさせられる気配を悟ったのだろう。自分の分の荷を抱える彼女は所在無げに見える。
「ここで皆で一緒に寝るんですよ、マリア様」
 大丈夫だ、と、マリアージュを励ます心地で、ダイは告げた。
 生粋の貴族として生まれたマリアージュに床の上で大勢と寝る経験なぞ当然ながらありはしない。国の皆と離れた現在でさえ、居室の一間を己のものとし、寝台でひとり眠っている。
 マリアージュは村人でひしめき合う広間を一瞥した。この場で寝る。それに拒絶を叫ぶかに見えたが、マリアージュは何も言わなかった。荷を抱く腕にかすかに力を込めただけだ。
 ダイは手を振ってルゥナと別れ、マリアージュを先導して歩いた。
 昼間は観劇で賑わっていた広間は緊迫した空気に包まれている。持ち込んだ敷布や掛け布で寝床を整える老女。むずがる子どもを宥めながら荷解きをする若い女親。食糧や水樽を抱えた少年たちが、密集する人々の間を縫うように往来する。
 右往左往するダイたちには借家の隣人が空間を譲ってくれた。ダイは彼らに丁寧に礼を述べて、マリアージュをそこへ座らせた。アルヴィナと自分の分の荷を肩から下ろしてひと息を吐く。ふたり分の寝具と着替えに加えて化粧鞄を提げてきたものだから重かった。
「置いてくればよかったですねぇ……」
「それ置いてきてどうするのよ?」
「え? ですが……狭いでしょう? これのせいで」
 化粧鞄の大きさはそれほどでなくともやはり場所を取る。手狭な場所を圧迫してしまう。
「あんたの大事なものでしょ。失くせないから持ってきたんでしょうが。そこに置いておきなさいよ」
「……ありがとうございます」
 正直なところ、邪魔にならないところへ避けろと命じられると思った。
 ダイはマリアージュの言葉に甘えることにした。鞄はこの場から移動させない――ただし、できうるかぎり際に寄せる。ダイは続けてアルヴィナのものと併せてふたり分の敷物の一部を重ねて広げた。
「……ダイ、何をしてるの? 自分のをアルヴィナのと重ねて」
「三人分の空間はさすがにとれそうもないですから……。ほら、ふかふかになりましたよ」
 マリアージュが手で敷物の感触を確かめて、ほんとね、と、ダイに同意した。
「二枚の真ん中にマリア様のも重ねましょう。そうすれば底冷えしにくいですし、床の硬さもあまり感じないと思います。マリア様はそこで寝てください」
「わかったわ」
「ダイちゃん、マリアちゃん」
 背後からの呼びかけにダイはマリアージュと共に振り返った。ルゥナが器用に人を避けながらダイたちの下へと駆けてくる。彼女は間近で立ち止まると、腕に抱えていた水袋と堅焼きの面皰を、籠ごとダイへ差し出した。
「これ、今晩と明日の分ね。三人分」
「ありがとうございます。取りにいったのに」
「皆にも配ってるの。次いでだから大丈夫」
「私も手伝いますね。……ちょっと待ってください」
 ひとまずマリアージュの敷物と毛布を広げる必要がある。荷解きもしておかなければ。マリアージュは村娘の装いの上に外套一枚だ。夜は冷える。上着をせめてもう一枚は着せたい。
 急ぎマリアージュの支度を整えるダイの頭上でルゥナの低い声が響く。
「ねぇ、マリアちゃん。自分のことぐらい自分でしなきゃだめだよ」
 ダイの作業を興味深そうに眺めていたマリアージュが不快感を露わにしてルゥナを見る。その鋭い眼光にもルゥナは怯まなかった。彼女はダイの手元を指差して主張した。
「そりゃあマリアちゃんはお姫様なんだろうけど。ダイちゃんをもうちょっと労ってあげたほうがいいよ。世話を何もかも押し付けて」
「私はいいんです。いいんですよ!」
 ダイは慌ててマリアージュとルゥナのあいだに割って入った。
「それよりもお待たせしていてすみません。ルゥナさん、先に行ってください。すぐに追いつきますから」
 ダイにしてみればマリアージュは充分に現状を堪えている。依頼したことは慣れないながらこなそうとする。子どもの面倒をみることもそのひとつだ。彼女は決して怠惰ではない。
 だがルゥナは納得できぬらしい。不服そうに曲げたくちびるを開きかけている。
 ルゥナに先んじてマリアージュが言った。
「扱いに不満があるならダイは自分で言うでしょう。――あなたが知るより、この子は遠慮がないのよ」
 最後の一言はどういう意味だという詰問をダイは喉元で押し殺した。
 ルゥナを見据える主君の目が静かな怒りを湛えていたからだ。
「あなたの連れの男が、ダイを助けてくれたことには感謝しているわ」
 マリアージュが告げる。その声音は穏やかだ。が、刺すような冷たさを有していた。
「でも……ダイの扱いをどうするかはわたしが決めることよ。部外者が、気安く口を利かないで」


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