第四章 休息する逗留者 3
集会所の裏手に回ったダイは、村の敷地を囲う柵の外に出た。それに沿って村の外周をとことこ歩く。目指すは大道芸の一座の野営地である。
座長が荒野を越えた先の隣町までダイたちを連れて行く対価として労働を求めたときだ。問題がひとつだけあった。
つまり、マリアージュに何をさせるか、ということである。
掃除、洗濯、食事の支度、小道具の整理、大道具の手入れ。手伝うべきことは山とある。が、ダイの主君にそれらをさせることは躊躇われた。第一、できるとも思えない。マリアージュは不器用ではないが、初めてのことを見よう見まねでできはしない。
その結果、マリアージュに割り振られた役目は、というとだ。
「待ちなさいよ! あんたたち!!」
ダイも聞きなれた怒声に追い立てられて、数台並んだ幌馬車の影から、ちいさな子どもたちが勢いよく飛び出す。わ、と、叫びを上げながら蜘蛛の子のように散る彼らに続き、腕を振り回しながら姿を見せる娘は無論、マリアージュだ。
「ダイ! そいつ! そいつ捕まえなさい!」
「え? この子ですか?」
傍を通り抜けようとした子どもの入り首を引っ掴む。やー、やー、と抵抗する彼をずるずる引き摺りながら、ダイはマリアージュの下へ歩み寄った。
「マリア様、何してらっしゃるんですか?」
「見て……! わかるでしょうがっ……!! 捕まえてんのよこいつらすぐ逃げ出そうとするんだから!!」
「もー、こいつとか言わないでくださいよ、口が悪い」
マリアージュの悪態をたしなめつつ、ダイは馬車の周囲に視線を走らせた。
(いち、に、さん……うーん、ふたり足りないな)
しかし彼らを探しに行く気配はマリアージュに見られない。彼女はぜいぜいと肩で息をしながら、馬車の影に置かれた椅子に腰を落としている。
ダイは苦笑し、片手で捕えていた子を、逃げなかった三人の間に放り込んだ。
片手で年の足りる年端もいかない子どもたち。台本によっては舞台に立つこともあるという。が、今回は台詞回しが難しいということで、彼らもお役御免らしい。座長から勉強を言い渡されている彼らの監督をすることが、マリアージュの役割である。
ただの子守、というわけではない。初歩の読み書きと計算を子どもたちに習得させる、という難問である。
木の枝を筆記具代わりに子どもたちが砂を撒いた地面にごりごり文字を書く。するとマリアージュは意外にも根気よく、次はこう、その次はこれ、と、足元に手本を枝で書きつけていった。
が、身体は椅子にぐったりと預けたままだ。起きる気力はないらしい。
「お疲れですね、マリア様」
「そういうアンタは元気そうね……」
マリアージュがダイを恨めし気に睨みつける。
「すぐに逃げ出そうとするのよこの子たち……。ちょっとは私の苦労を知りなさいよ」
「ミズウィーリの皆の苦労をわかっていただけたでも進歩ですね」
「なにそれは私がこの子らと同じだって言いたいわけ……?」
「あれ、なんでわかったんですか?」
即位以前のマリアージュは決して勤勉ではなく、彼女を机に縛り付けるために、ミズウィーリ家の使用人たちは苦労していたものだ。
マリアージュは頬杖を突いて長く息を吐くと、急に伸びあがり、ぽいと木の枝を手放してダイに跳び掛かった。その勢いたるや、猫科の肉食獣が獲物を捕捉するときのごとし。
「ひっさびさにあんたに口の利き方を思い出させなきゃいけないみたいねぇええぇええ!!」
「いっひゃいれふまりあさまいっひゃいいっひゃい!!」
――実にひさびさにひよこ口の刑に処された。
顔が変形しそうな馬鹿力で両頬を挟まれるこの技に感嘆したらしい。マリアージュから逃れようとしていたはずの子どもたちまでも好奇の目で彼女の必殺技を眺めている。
ダイは悲鳴を上げた。
「いっ、ほんほいはいですからっ! いひゃいいひゃい!!」
このままでは冗談抜きに骨格が変わりそうだ。助けを求めてダイは視線を周囲に走らせ――頃よく踏み込んできた青年に手を伸ばした。
「へいふはん!」
セイスは一座の手伝いのみならず、村の家の補修を請け負っている。
わざわざ捕獲して連れてきてくれたらしい。彼は姿の見えなかった子どもふたりをずるずる引き摺っていたが、ダイの叫びに足を止めると、うん、と首をかしげた。
相変わらず表情の乏しい顔だが、わずかながら怪訝の色が窺える。彼はマリアージュとダイをしばらく眺め、ちいさく納得したように頷いたあとで、子どもふたりを突きだした。
「このふたり、逃げてたよ」
「あら、ありがと」
「ひゃはくへ! たすけへくははいよ!」
「え、助けるって、何を?」
見ればわかると思うのだが。
ふたりの生徒が戻ってきたことをきっかけに、マリアージュは役目に戻ることにしたようだ。ダイを解放した彼女は、逃亡を図ったこどもふたりの頭を大人げなく叩き、びし、と彼らに人差し指を突き付けた。
「あんたたち、さっきはよくも逃げてくれたわね。いまから私が書く文字を五十回書き写すのよ! じゃないと座長から預かっているお菓子、あげないわよ!」
『えぇえぇえ……』
「文句があるなら言う通りになさい! 次はこれ!」
マリアージュが席を立って胸を張り、子どもたちに向け堂々と命令を下す。その覇気に気圧されたか、はたまた目先の人参につられてか。子どもたちはしぶしぶとマリアージュの手本に倣って文字を地面に書き始めた。
(……なんだかんだで楽しんでる、んですかね、これは)
痛む頬を擦りながらダイはマリアージュを見つめた。
子どもたちに命令する彼女はそこはかとなく、生き生きとしている。
「楽しそうだね」
隣に並んだセイスがまるでダイに同調したかのように感想を漏らした。
「セイスさんもそう思います?」
「うん。お嬢さん、元気になってよかったね」
セイスが目元を緩めてマリアージュを見る。ダイは訝りに瞬いた。
「……マリア様も怪我をなさってたんですか?」
彼女に目立った負傷はなかったと聞いているが、違ったのだろうか。
セイスが首を横に振る。
「そうじゃないよ。……君が寝てるとき、とても疲れていたから、彼女。……元気になってよかったよね。君も」
「……あぁ……そうですね」
ダイが覚醒したとき、マリアージュは安堵からか、寝台の上に崩れていた。
ダイが目覚めぬ数日の夜を彼女はまんじりともせず過ごしたのかもしれない。
ダイはセイスに微笑みかけた。
「セイスさんのおかげですよ」
「そんなことないよ」
「でも、治療してくれたのはセイスさんでしょう?」
「僕がしなくても、あのひとが治療したでしょう」
確信的な物言いだった。ダイは身を強張らせてセイスを見上げた。魔術師の青年はダイを見ていなかった。子どもたちと騒ぐマリアージュを眺めていた。
「お嬢さん、僕たち、仕事場に戻るよ」
「はいはい……。っていうかダイ、あんた、何か用事があったんじゃないの?」
犬を追い払うように手を振りかけたマリアージュがふいにダイに向き直る。ダイは苦笑した。
「いいえ……ちょっと時間が空いたので、マリア様のお顔を拝見しにきただけです」
また来ます、と、言い添えてダイは踵を返した。セイスはすでに歩き出していた。
「一応、訊いておきたいんだ。参考までに」
ほとんど靴音のしない、ゆったりとした、それでいて早い足運びで、歩きながらセイスが言う。
「君たちはあのひと、魔術師だってわかってるよね」
「……あのひとって?」
「アルヴィナさん」
ダイは逡巡した。とぼけるべきか否か。
しかし正直に白状することにした。嘘は不得手だ。顔に出る。
「……わかってますよ」
「とてもすごい魔術師だってことは?」
「逆に訊きますけど、どうしてアルヴィーが魔術師だってわかったんですか?」
アルヴィナは自ら素性を伏せたのだ。安易に口を滑らせるとも思えない。
セイスが追いついて並んだダイを一瞥する。その煙水晶めいた双眸が眇められた。
「……魔は嘘をつかないだけだよ」
「……もしかして、アルヴィーの魔力を視たんですか?」
今度はセイスが意外そうに目を見開く番だった。
「魔を視る技を知っているんだ? 君」
「えぇっと……アルヴィーから聞きました。そういうことができるって」
アルヴィナはダイに述べた。魔を視れば性別は無論、時に血統すらわかると。
ただし、その技を行使できる魔術師はダイの知るかぎりアルヴィナひとり、だった。
どうやらセイスにもまた魔を視て識別する才があるらしい。
「アルヴィーの魔ってそんなにすごいんですか?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「僕はだいたいのことを魔で識別できるけど、彼女のことはわからない。魔が多すぎる。あんなひと、初めてみた」
セイスのくちびるが続けて音なき呟きを綴る――僕みたいだ、と、言っているように、ダイには見えた。
「多すぎる魔を制御するには技術と知識が必要だ。暴発させてしまうから。あのひとは自分の魔をきちんと支配下に置いている。だから……彼女は魔術師だ」
「……アルヴィーが魔術師である、というのは認めます。でも私たちにはよく……。すごい魔術師なのは、知っていますけど」
「マリアお嬢さんもそのことを知っている?」
「えぇ」
「そうか。わかった。ありがとう」
セイスは礼を述べて口を閉ざした。確認すべきことは終わった、とでもいうように。
彼の行動にひっかかりを覚える。
「……どうしてわざわざ私たちにアルヴィーのことを確認したんですか?」
セイスは参考にと言っていた。ダイたちの素性を詮索するためという風ではない。
アルヴィナが魔術師であると、ダイたちは知っているか否か。それだけをセイスは確かめたかった様子だ。
「彼女を借りたいときに手間が省けるから。……下手な理由を作る必要がなくなる」
セイスは非魔術師を必要としない場所にアルヴィナを連れる可能性を示唆しているのだ。
「魔術を使いたい特殊なことでも?」
「警備にね」
ダイは眉をひそめた。魔術を用いた警備――かなり物々しい話だ。
ダイが沈黙したことで補足の必要性を感じたか。セイスが説明に口を開く。
「最近このあたりはいつも以上に賊が増えてるから。用心するに越したことはない」
「そうなんですか?」
「エスメルはここのところ景気がいい。田舎のこの村だって例外じゃない。だから村は大道芸なんていう娯楽を呼び寄せられたし、一座も念入りにエスメル領をまわっている」
この村や一座が多少の謝礼だけでダイたちの支援を決めた理由も懐に余裕があったからなのだ。
「でも、いいことばかりじゃないけど」
「あ、それで賊ですか」
そう、と、セイスはダイに肯定を返した。
景気の良さは賊にとっても村々を襲えば実入りがよいことを意味する。
エスメル領は賊にやがて転じる流民の、入口ともなる西北の国境に近い地域だ。ただでさえ治安が悪化しやすい。
「それほど怖がらなくてもいいとは思う。ここはエスメルでも南に近いから」
「でも用心するに越したことはない、と」
「そういうことだね」
会話も区切れたころよく楽屋のある家屋に到着した。薄い扉からはルゥナの笑い声が聞こえてくる。どうやら皆が集まっているようだ。
「楽しそうですね、ルゥナさん」
「そうだね。……よかったよ」
セイスが眩しそうに目を細めてルゥナがいると思しき方を見る。
ひどく、やさしい顔だった。
ふたりの関係性をダイは知らない。恋人、と、判断するのはやや短絡的な気もする。ふたりだけのときであっても彼らの空気に甘さはない。
ただ、大事なのだろうとは、思う。
「それじゃあ、僕は村の周りを見回ってくるから」
セイスがダイに向き直り、先の穏やかな顔のまま微笑む。
「君もつかの間の休暇を楽しんだらいいよ」
「そうですね。ありがとうございます」
礼を述べたダイに頷いて、セイスがその場を去る。ダイもまた仕事に戻るべく扉に手を掛け、はて、と、静止する。
セイスはすでに影も形もない。
ダイは自問するように呟いた。
「……休暇って……何のことです?」
セイスの一言に首を捻りつつダイが楽屋に戻ると、舞台に上がっていた団員もまたすでに揃っていた。
「ダイちゃん、遅いよぉ! どこへ行ってたの?」
「すみません。ちょっと遠出していました」
ルゥナの叱責に謝罪を返して、ダイは即座に仕事鞄を開けた。化粧落としと保湿の乳液を取りだす。団員たちは髪を解いて着替えを済ましてしまっていた。
「遠出ってどこに?」
「マリア様のお顔を見に……」
「なぁるほど。マリアちゃんはちゃんと子守できてた?」
「意外にもきちんとなさってました」
「あはははっ。意外なんだ!?」
ルゥナがけらけらと笑いながら舞台衣装を片づける。周囲の団員たちもつられたらしい。どっと噴き出した。
「賑やかですねぇ」
「そりゃあね。今日も盛況だったんだ。陽気にもなるさ」
団員のひとりがダイに観客たちの反応を説明する。皆、聖女と騎士の悲恋に入れ込んでね。最後は拍手の嵐だよ。
明日は芝居ではなく曲芸を披露するらしい。ダイが手伝い初めて以降、同じ演目はひとつとない。その持ち芸の多さを考えると、ちいさな一座ながら大したものだと思う。
「でもそろそろこの村はしまいだろうねぇ……」
身支度を終えた年長の団員が煙管をふかしながら言った。
「ひと月いるって言ってなかった?」
「金回りが良ければね。ここらあたりが限界だろって、団長も言ってたし」
「ま、そーかもね。……ダイたちも早いとこ次に移りたいだろうしさぁ」
何気ない団員の一言にその場の視線がダイへと集まる。ダイは苦笑しながら肯定を返した。
「そうですね。町に早く移動できれば助かります」
「あぁ、あたしはヤダなぁ」
天井を仰ぎながらルゥナが大きくため息を吐いた。
「ながーいお休みが終わっちゃう感じ」
「そういえばルゥナさんって何をお仕事にされているんですか?」
セイスには魔術がある。どこへいっても重宝されるであろうし、習得している術次第では護衛も担える。
一方のルゥナは目端が効くし、よく働く。ただ旅暮らしを続けている風には見られなかった。髪や肌は長期に渡って手入れされている気配があるし、何より手が、労働者のものではない気がする。皮が柔らかいのだ。
「んー。何て……じょうほう……んん……」
ルゥナが思案する風を見せてダイの問いに答える。
「調べるひと、って言えば、いいのかなぁ。あちこちの町とか村だとか、あとは地形、かな。いろんなことを調べたりするの」
「あら、ルゥナって学者さんだったのね?」
「えっ、うん。そうそうそれ! それを言いたかったんだよ!」
一座のひとりに代弁され、ルゥナはすっきりした表情で顔を縦にぶんぶんと振る。
ダイは団員たちの肌を順繰りに整えていきながら、ルゥナに尋ねた。
「元々はどこにお住まいなんです?」
「こっからだいぶ南に下ったところ。エスメルからだと、ちょっと遠いね」
(クランのひとじゃないのかな……)
ルゥナは意図的に明言を避けたようだった。もしも彼女がこの国の人間であれば地名程度は答えただろう。
「この村を出たら、お住まいに戻られるんですか?」
「そのつもりだよ。あんまり長くおうちを空けてられないんだよねぇー。でも楽しかったなぁ。大道芸のお手伝いなんてなかなかできないし! 劇も良かったぁ」
「劇だとルゥナはずっと舞台そでで見てるもんなぁ」
「好きなんですか?」
「うん。すっごくね!」
ダイに応じるルゥナは満面の笑みだった。
「……初めて見たときの感動を忘れられないっていうのかなぁ」
「聞いてよダイ。ルゥナってば台本まで借りてずっと読んでるんだから」
「あぁ、それで今日の劇も面白いって言ってたんですか」
「台詞だって覚えてるんだよ。うちらよりも熱心だよ」
「わーわー! やめてよー!! 恥ずかしいってもー!」
顔を紅潮させて恥じ入るルゥナに皆の笑いが弾ける。
(……そういえば……)
彼女たちにつられかけ、ダイはふと我に返った。
(久しぶりだな……)
たわいのないおしゃべりに興じ続ける。長らくなかったことだ。
王城であればどうしても、マリアージュのことや仕事の愚痴、あるいは相談事に終始してしまう。ペルフィリアの表敬訪問から戻って以降はとりわけ。
――セイスは、休暇と言っていた。
あながち間違いではないのだろう。だからこそマリアージュも、子守に疲労の色を見せつつも、生気があるように見えたのだ。
楽屋での作業を終えたらすぐにマリアージュの下へ戻ろうとダイは思った。
先ほどは彼女に顔を見せるだけで終わってしまった。
慣れぬことをする主君を、今度はきちんと労おう。
そして今しかできないくだらない会話に時間を割くことも、きっと悪くはないはずだ。