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74 それはありきたりな

「先輩と旦那さまの馴れ初めを教えていただけませんか?」
 先月よりティアレ付きとして働き始めた女官からの懇願に、レンは思わず身をひいた。
「わたしの……ですか?」
「はい、ぜひ!」
 レンは考えた。夫であるスクネとは馴れ初めと言えるようなものを持たない。レンとスクネは人を陥れ、騙し、殺めることがずっと生業で、なのにいまがあまりに平穏だから、お互いの薄暗い部分に安息を覚えるようになった。それが、うっかり子どもができてしまったので、まぁ、そんな感じである。
「……仕事で顔見知りでしたので、非番のときにたまたま会って……?」
「なるほど、偶然が重なって恋人になったんですね! 素敵!」
 レンより年下、おそらく自分がティアレに仕え始めたときと同じ年頃の若い女官は、レンの告白に頬を染めてはしゃいだ。
「あっ、シノさま!」
 レンの説明に想像の翼をはためかせていた女官は、休憩に戻ってきたシノを捕まえた。
「どうしました? 楽しそうですね」
「いまレン先輩から旦那さまとの馴れ初めを聞いていたのです」
 女官長の顔が笑顔で固まる。
 彼女の不穏な気配に興奮した後輩は気づかないようだった。
「シノさまは右僕射さまとどうなんですか!?」
 女官長と右僕射——外交全般の責を預かるイルバとの仲は、色ごとの噂が大好きな女官たちにとって興味の対象である。
 しかし女官長からしてみれば、煩わしくてこの上ない話題であることは周知の事実、と思っていたが、そうでもないらしい。
 新人ならではの無謀さか、彼女の生来の人懐こさか、女官長に突撃して仕事をたんまり寄越された新人は、しおしおと廊下を歩いている。
 彼女に付き合って歩きながら、レンは疑問を口にした。
「どうしてそんなに色恋ごとが気になるのですか?」
「先輩は気にならないのですか?」
 気にならない。いや、気にはしている。けれどもそれは身体に叩き込まれた警戒心がそうさせるだけだ。片割れがティアレに悪意を向けたとき、他方も同調しそうか、あるいは平穏を脅かす要素を持つ誰かとつながっていないか、等々。
「わたし、生まれがこう、あんまりよくないじゃないですか」
 と、後輩はあっけらかんと言った。
 彼女は貧民窟の出身で、皇后たち女性陣が支援する救貧民制度を利用して学び、皇后まわりの女官増員募集に滑り込んだなかなかの苦労人である。
「だから人が幸せになる話が好きなんです。それを参考にして、わたしも幸せになりたい」
 天涯孤独ではなく、人生の苦楽をだれかと分け合いたい。
 軽い口調だったが、切実な響きをしていた。
「……あなたには、だれか、一緒になりたい人が?」
「いいえ! 全然です!」
 後輩は大きく首を横に降った。
「皆さんお仕事に誠実で、素敵な方ばかりなので、お仕事以外のお話をするのもなかなか……」
 休憩室などに踏み込む機会があれば雑談にもつながろうが、他部署の者とそこまで発展するにはきっかけが必要ということだろう。人懐こいのに変なところで遠慮するものである。
 レンは顔を上げた。廊下の角に番兵がたっている。年若い男で、かたい笑顔を浮かべている。怪しい笑み、というより、そういったわらいかたになれていないといったほうが正しいか。彼に会釈して通り過ぎる。番兵の視線を感じながら場を離れると、後輩が唐突に、ぷっと噴き出した。
「ふふふふふっ」
「どうしたの?」
「いえ、あの、さっきの、わたしの幼なじみなんですけど」
 番兵をしていた彼のことか。
「あんなに緊張してるのみたことないと思って。いっつもわたしをいびってくる人をナメたやつなのに。へんなの」
「はぁ」
 レンは肩越しに後ろを振り返った。件の彼ではなく違う武官が巡回している。この近郊は奥の離宮と本宮の境にある。人をナメた男ならまず採用されない場所だ。
「……仕事は真面目にしているのでは?」
「負けず嫌いなんですよ」
 と、後輩は言った。
「わたしが宮廷の試験に受かったら、自分だって当然受かるし、とかいって」
「あなたと彼は同じ場所の出身なの?」
「えっ、あ、はい。……あの、公にはしないでくださいね……」
 勤務時に出自は調べられるが、あまり広めるものでもない。
 そもそも自分のほうが貧民窟の出というよりもっと後ろ暗い出自だ。
 レンは頷いた。後輩はほっとした顔で笑った。
「……先程の話ですが」
「先ほどの?」
「離宮で話していた……」
「えっ、旦那さまとの馴れ初めですか!?」
 勤務時に出自は調べられるが、あまり広めるものでもない。
 そもそも自分のほうが貧民窟の出というよりもっと後ろ暗い出自だ。
 レンは頷いた。後輩はほっとした顔で笑った。
「……先程の話ですが」
「先ほどの?」
「離宮で話していた……」
「えっ、旦那さまとの馴れ初めですか!?」
 後輩がにわかに興奮し始める。
 レンは迫りくる後輩とそっと距離をとって告げた。
「縁の続いている人と向き合って、大事にしてみると、良いのかもしれません」
 レンと夫との馴れ初めはそうだったから。
 食堂で休憩の時間が重なったり、休日であったり。そのときに知らぬふりをせず、目礼だけは返して、そのうち。
 ありきたりな日常をともに積み重ねることのできただれかが。
 いつしか自分の幸福となるのかもしれない。