
73 ヤツが野獣
ヤツはケダモノです。
ニンゲンではないのです。
そうでなければわたしの部屋で勝手にスッポンポンになるとか、アウトですよアウト。
「あーすずしぃー。エアコン神〜。……あ、ヒバちゃん、おかえり」
「パンツ履いて」
わたしことひばりは、窓辺のエアコンを見上げていた鷹臣(たかおみ)が振り返るまえに、足元に落ちていた学校のズボンをぶん投げた。そしてすぐに扉を閉める。別にいまさらたかおみの全裸、しかもそれが背中とおしりなら、恥じらったりしない。ただ真面目に、捕まってほしいと思うだけなのです。
鷹臣はわたしの幼なじみだ。両親が四人そろって小中高同級生の親友で、お互いの家だって徒歩10秒である。加えてわたしと鷹臣は赤ん坊の頃から同じ桶で産湯に浸かり、物心付く前は同じお風呂に入れられ、お互いの家は自分の家も同然で育った。そして中学。距離感がおかしなままここに至る。
「ひばり」
ばん、と扉の開く音とともに鷹臣がわたしのところまで大きく踏み込んでくる。
わたしが振り返った瞬間、耳の側を彼の腕が音を立てて過った。
「ひばりさぁ、どうして最近オレにそんなに冷たいの?」
いわゆる壁ドンの体勢でわたしを見下ろす鷹臣、顔が近い。
わたしは壁伝いにゆっくりしゃがみながら鷹臣を睨んだ。
「たかおみ知ってる? 望まない人に裸をみせるのって、ハンザイなんだよ?」
「ここはオレの家で服着替える途中でヒバちゃんがはいってきただけじゃん」
「ここはわたしの家でそこはわたしの部屋です!」
「ここを鷹臣の部屋にしていいからいかないでってヒバちゃんがいってたじゃん」
「それは鷹臣が中学に上がるときの話だもん! わたしは無知でいたいけな小学生だったの!! もう違うの!!」
小学生のときまでは誰もがわたしと鷹臣の関係を知っていた。皆おさななじみだった。
わたしは四月生まれで鷹臣は三月生まれなので学年が違う。鷹臣は先に中学にあがり、生まれて初めて離れることに騒いだのが去年の話。だけど中学に上がってわかった。中学には小学校のころとは比べものにならないぐらいら男子と女子の色恋がごろごろしてる。
そして鷹臣はわたしが知らないうちに、中学でいまもっともカレシにしたい男ナンバーワンに上り詰めていたのだ。
「中学でからかわれるからやだって? いいじゃん。オレとヒバちゃんの仲じゃん」
「うう、家で服着てくれないデリカシーゼロ男と幼なじみである過去を消したい……」
しゃがみこみ、うううと呻く。
中学に上がり、鷹臣の現在の立場を知った小学校からの同級生はみなわたしたちの関係について極力くちをつぐんでくれていた。もしもばれたら鷹臣のファンクラブのお姉さま方にどれだけもみくちゃにされるか予想がついたから。
わたしは鷹臣をキッと睨んで叫ぶ。
「がっこではぜったい、ぜーったい、他人だからね!」
キャアァァァ!! と、黄色い歓声がプールとスタジオを隔てる廊下に響いている。
鷹臣がいるんだな、と、ここ数ヶ月で学習したわたしは、体育のスコアボードをぎゅっと胸に抱え直した。
わたしと鷹臣の通う学校は田舎ながらスポーツ系はなかなか設備が揃っている。なんでもオリンピックだか国体総体だかの元施設を買い上げて、高校と共用して校舎にしているからだ。本格的な屋内プールがあって、季節問わず練習できる水泳部は強豪と全国に知られているらしい。
鷹臣はその水泳部のエースだった。昔っから服を着ることが煩わしくて、すぐスッポンポンになりたかったやつである。服が嫌いなんて動物みたい。水泳部は合法的に限りなく服を着なくていい部活動としてすぐ入部した鷹臣は瞬く間に成績をあげた。健康的な肉体美とやらも人気の理由だそうだ。
「「たかおみくーーん!!」」
先輩たちの呼びかけに、美術の彫刻みたいな身体を晒して手を振る鷹臣を視界の端に収めながら、ぜったい、ぜったい鷹臣と幼なじみだってことは、内緒にしなくちゃ。
と、固く心に誓った。
のに。
どうしてわたしは放課後、先輩たちに囲まれているんでしょう。
おねえさま方に囲まれるかと思いきや、ここは警戒していなかった鷹臣の先輩。水泳部男子の皆さまです。
「ひばりちゃんさぁ、篠宮の幼なじみなんだって?」
「はい!?」
「おれたち篠宮となかよくなりたいのに、あいつ全然自分のこと口割らねーんだよな〜」
校舎裏にある、熊よけの金網とトタン屋根に囲まれたゴミ集積場から出ようとしたわたしの行手を遮る三人の男子が代わる代わる言う。
「ひばりちゃんはとっても仲のいい幼なじみって聞いたし、なんかおもしれー話ねぇの?」
「お、面白い話? ですか?」
「たとえばすっぽんぽんで走り回ってたとか」
それは面白くもなんともないいつものことですが!?
わたしはじっと先輩たちを見上げた。みんな、水泳部だからかわたしとそう年もかわらないはずなのに肩幅広く、威圧感があった。笑っているけれど、底意地の悪そうな顔をしている。
わたしはゴミ箱を抱えて深呼吸した。
呆れた声を張り上げる。
「鷹臣」
「ハァーイ」
わたしの呼びかけに応じる声が空から降ってきて、先輩たちはぎょっとした顔で天を振り仰いだ。
わたしにとっては見慣れた、均整の取れたしなやかな身体が、斜め上空から先輩を蹴り飛ばす。それこそ、猛禽が獲物に狙いを定めて滑空するような動きだった。
ふっとばされた先輩が金網に叩きつけられる。ほかの先輩たちが顔を赤くしたり青くしたりして、ひらりと着地した鷹臣に叫んだ。
「おま、おまえ」
「あーごめんなさい先輩。すぐ下にいるとは思わなかったんですよぉ……おぉっとストップ」
拳を振り上げかける先輩に鷹臣は携帯電話のレンズを向ける。
「先輩、暴力は反対ですよ。俺たちに指一本でも触れたら、ヒバちゃんを囲んで脅していた動画、ケーサツにもっていくんで」
「動画!?」
「まて、手を出したのはてめーが先だろ!」
「俺はヒバちゃんに呼ばれて降りただけだけど? そこにたまたま先輩がいただけだけど? つまり不可抗力。ごめんねっ!」
ぱち、と、ウインクすらしてみせる鷹臣に先輩たちの血管はブチ切れそう。
待って。あおり散らかすじゃん。本当にこいつは……。
「おい、大丈夫か!」
「あ、せんせーい。こっちこっち!」
あらかじめ呼んでいたらしい先生たちを鷹臣が大きく手を振って招く。鷹臣は焦った風をよそって、ごめんなさい、と先生に謝った。
「先生、大変なんだ。僕が上から降りたら、そこに先輩がいて、影になってて見えてなくて、僕、それで!」
僕が先輩を蹴り飛ばしちゃった。ごめんなさい先生。どうしよう。大丈夫かな。
見事なウソ泣き交じりの謝罪に先輩たちは唖然としていたけど、何も知らない先生は金網にキスしている先輩を急いで抱き起している。
「大丈夫か!? ぶつけたのは肩か!? あぁ……骨折していないといいか……」
(肩……狙ったんだ……)
水泳部で肩の怪我は致命的じゃないかな。
「佐原は大丈夫か」
「えっ、あ、はい!」
佐原はわたしの苗字です。先生に呼ばれてわたしは反射的に背筋を伸ばして、大丈夫です、と答えていた。
きっと先生は上級生に囲まれていると鷹臣に訴えられて呼びつけられたに違いない。そうか、と、安心した様子で、先生は怪我をした先輩を背負って、ほかの人たちに声をかける。
「お前たち、いくぞ! 下級生にどうして絡んだんだ!」
怪我をした先輩がうめいて、先生は慌ててここを離れた。これから保健室に駆け込むんだろう。
他の先輩たちは青ざめた顔で立ちすくんでいる。たぶん、わたしたちを放置していいものか、迷っているんだ。
わたしは深い深いため息をついた。
「鷹臣の、小学生のころの話なんですけど……」
唐突に切り出したわたしに全員が注目する。
「昔、鷹臣の体格をからかった子たちが、まるっと転校させられたことがありまして」
「え、ヒバちゃん、ここでいまそれ話す?」
「鷹臣は黙って」
「ハイ」
「とにかく……、先輩」
鷹臣は、やると言ったら、やりますよ。
これは脅しというか事実である。
たぶん、鷹臣は自分が多少痛い目を見ても徹底的にやり返す。今回だって先輩を蹴り飛ばしたから、水泳部や学校から謹慎を言い渡されるぐらいのことは覚悟していると思う。でもそれ以上に先輩たちを排除して見せるはず。
先輩たちはわたしに手を出した。
鷹臣が自分のものだって思っているらしい、わたしに。
――小学生のころ、早生まれの鷹臣は体格が大きな同学年の子たちにからかわれることが多かった。でも当人はへらへら笑って気にした様子もなくかわしていた。からかわれている鷹臣が嫌だったのは、わたしだ。わたしの唯一無二の鷹臣をからかう相手が許せなくて、言い返した。そんなわたしを生意気に思ったのか、からかいの対象はわたしに移り――……。
鷹臣はわたしをからかった同級生たちを「排除」した。
それを知ったのはわたしが中学生になったとき。
わたしたちのことをよく知る、同級生のみんなが教えてくれた。
『ヒバちゃん、ひばりちゃん。気を付けて』
『鷹臣くんと仲良くするのは気を付けて』
『嫉妬でヒバちゃんに絡んでくる子、絶対いるから』
『ヒバちゃんがそれでほかの子にいじめられるなんてことがあったら』
もみくちゃにされることが、あったなら。
「水泳部ってさ」
ゴミ捨て場の周囲はいつの間にかわたしと鷹臣のふたりだけになっていた。鷹臣の影がわたしに覆いかぶさっている。目前に立つ鷹臣の背はすらりと高い。昔はわたしとそんなに変わらなかったのにな。肩幅も腕も足も何もかも、ひと回り以上、大きい。
「身体をいい感じに鍛えられるのが、いいよね」
「身体を鍛えたかったの? すっぽんぽんになりたかっただけじゃなくて?」
「え? うーんまぁ裸族的にそれもあるけど」
裸族なんだ。いや知ってたけど。
「大きくなりたかったんだ」
鷹臣はわたしを見下ろして、目を細めて笑った。
「ひばりは、ちっさいねぇ」
あぁ、神様。
鷹臣は野獣(ケダモノ)です。
わたしの大事な幼馴染ではありますが、彼の目は。
わたしを見る、その目は。
まるでわたしを自分の獲物だといわんばかりなのですから。