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第八章 こどくの王 1


「貴方がリヒトへ兵を差し向けたのですか?」
 水の帝国への帰還を控えた数刻前だ。久方ぶりに袖を通した衣装と、正規の使者として身につける黒の冠が重かった。
 今後の処置が決まったという男の下を、エイは尋ねていた。
 ドルモイ。王の近習の一人であった男。
 この男がかつて車の中で、エイに語った言葉は真実であると、いまだに思っている。この男は確かに、身の振りかまわぬやり方で、この国を救いたいと思ってはいた。助けて欲しいとエイに願いでたあの目の真摯さは、確かに真実だった。
 それでも、許されぬこともある。
「そうとも」
 男は窓辺の椅子に腰を下ろしたまま、エイの言葉を肯定した。


「……え?」
 驚きに目を見開いたのはエイとスクネだった。ウルはそ知らぬ顔でエイの傍らに控えている。どうやら、知っていたらしい。
「そんな鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔しないでくださいよ、お兄さん」
 ようやっと叶った、榕樹の小国の新たな王との、謁見の場。
 そこに現れたのは、白い布地に黄色と緑で文様が刺繍された衣服を纏った、顔見知りの少年だった。
「イーザ?」
「はい」
 エイの呼びかけに少年は微笑んで頷き、エイの前の長椅子に腰を下ろした。後に続いてやってきたのはカシマだ。赤髪の近習を見て、エイはこれが冗談ではないことを悟った。
「ご挨拶が遅れ、誠に申し訳ありません。遠路はるばるお越しいただいていた皆様には、失礼の極みであったことと存じます」
 深い緑色の瞳に謝罪の色を宿して、イーザは言った。
「改めて、ご挨拶をさせていただきたい。私が、この国に先だって新たに即位した王。イーザ・ムサファ・リファルナと申します」
 真面目くさった挨拶に、エイは呆然となる。確かに一介の貧民窟の少年にしては、あまりに一目を引くところのある少年ではあったが。
 国王?
 ヒノトをからかっていた、この少年が?
「すみませんお兄さん。普通の口調に戻していいですか? なんか、こんな風に格式ばった物言いを貴方にするのも、とても変な感じがするんだ」
「い……いいですよ、い、へ、いか?」
「イーザでいいです。もし、お兄さんがそう呼んでくれるのなら」
「ではイーザ」
「はい」
 エイの呼びかけに応じた若き国王は、嬉しそうだった。初対面のときと同じように、まるで子供のような笑い方をしてみせる。毒気を抜かれてしまい、エイは嘆息しながら尋ねた。
「騙していたのですか? 人が悪い」
「騙すつもりは全くなかったんだ。あの場所でお兄さんを見かけたのは偶然だった。本当は話しかけるつもりもなかったんだよ。でも、つい誘惑にまけちゃった」
「誘惑、ですか」
「うん。なんか財布スられてるのに全然気付かない鈍感さにちょっと呆れちゃって」
「……」
 思わず絶句するエイの傍らに控えるスクネが、驚愕に息を呑んでいる。そのさらに隣では、ウルが「あ、やっぱり盗られてたんですか」という呟きを漏らしていた。
 ごっ。
「いったぁ!」
 鈍い音が響き、イーザが頭を抱える。彼の背後に立っていたのは、カシマだ。
「こういった場で人の恥をさらしてはなりません。謝りなさい!」
「いたいよカシマ」
 カシマは遠慮なしに、仕えるべき王の頭をもう一度殴りつけた。イーザに、気分を害した様子は見られない。二人の関係を勘繰っていると、カシマが人当たりのよい笑顔を向けてきた。
「私は陛下の乳兄弟です」
「乳兄弟?」
「私の両親は、当時城の庭師だったんですが、私に妹ができたというんで、宿下がりしてきたんですよ。その際に、当時赤ん坊だったこの子をうちに連れてきましてね。この子もうちの子だからよろしく、だなんて。実質陛下のおしめ換えに始まり、乳離れしたあとのこの子の食い扶持を稼いで育てたのは私です。しつけがなってなくて申し訳ありません」
「はぁ……」
 笑顔で事情を説明するカシマを、イーザが睨め付けている。カシマはその視線に気付いているのだろうが、穏やかな微笑を浮かべているだけだ。
 やがて、疲れた様子で肩を落としたイーザが、エイに向き直った。
「カシマはサブリナの実兄なんだ、お兄さん」
 それが心底認めたくない事実でもあるといわんばかりに、イーザが呻いた。
 サブリナ。イーザが幼馴染だといっていた、月光草に侵されてしまっている少女だ。確かによくみれば、カシマの無傷である顔の輪郭と、あの少女の面差しにはどこか似通ったものがある。
「しかも兄弟揃って命がけで、僕のことを助けてくれちゃったりしているものだから、頭が上がらなくて」
「火傷はなかなか痛かったです」
 顔の火傷はイーザの窮地を救ったときのものらしい。イーザに対しては嫌味であろうが、カシマの言葉はどこか誇らしげに聞こえた。
「家臣に頭が上がらない国王って、どう思う?」
「どうって……」
「よろしいのではありませんか?」
 ため息交じりのイーザの言葉に応じたのは、エイではなく、ウルだった。
「うちの陛下も、女官長に頭があがりませんので」
「へ?」
「あぁ……あがらないね」
「あがりませんねぇ」
 ウルの言葉に納得し、エイはスクネと頷きあった。水の帝国の皇帝は、女官長に頭があがらない。正確に言えば、皇后ティアレの後ろ盾を得た、女官長に、だが。
 皇帝が溺愛している皇后の後ろ盾はもちろん、もともと女官長は皇帝の幼少のころからの付き合いらしく、彼女は皇帝の知られたくないような秘密を懐に溜め込んでいるのだ。世界で最も古い歴史を誇る国は、女の強い国である。
 エイはイーザに忍び笑いを向けた。
「それぐらいが、丁度いいんですよ、きっと」
「……そう?」
「えぇ」
 自分が万物の頂点だと錯覚しないためにも、それぐらいがよいのだとエイは思う。
 そうかなぁ、とまだ首をかしげているイーザに、カシマが厳しい口調で進言した。
「陛下、そろそろ本題を」
「あ、そうだった」
 和やかに談笑もいいが、ひとまず状況を説明してもらわなければならなかった、と、エイも思い返した。
「えーっと、そう。僕がお兄さん達に、きちんと挨拶できなかった理由だけど、即位したはいいものの、ドルモイや他の一派に命を狙われていたものだから、ちょっと事態が落ち着くまで隠れていたんだ。月光草のことも、自分の手で調べたかったし。本当にごめんなさい」
「もう大丈夫なのですか?」
 うん、とイーザは頷いた。
「明後日、城内の人間に対してのおひろめ式があるんだ。外の人間に対しての式典の準備も整ったし。あ、お兄さんもしよければ、水の帝国の代表として式典に出席していただけると嬉しいです」
 エイはウルを見上げた。この国に来た公式の目的は、新王即位の祝辞を述べにくることだが、式典参加となると話はまた異なってくる。
「連絡を取ってみましょう」
「うん頼む」
「ありがとうございます。あなた方の温情、わが国は決して忘れないでしょう」
 カシマが丁寧に頭を下げる。エイは苦笑した。
「大げさな。まだ出られると決まったわけでもない」
「それでも、あなた方を使者として迎え入れることができたのは、わが国の祝福です」
 カシマの眼差しは真剣で、それが心からの意を述べているということがわかる。エイは当惑しながら、曖昧に微笑を返した。
「お兄さんたちに、もう一点、謝っておきたいことがあるんだ」
「もう一点?」
 鸚鵡返しに尋ね返す。イーザは謝りたいと口にしながらも、その内容が何であるのか、口にすることを酷く躊躇っていた。
「陛下」
 カシマが、イーザに先を促す。しぶしぶといった様子で、イーザがようやっと口を開いた。
「うん……嫌いにならないでね、お兄さん。僕らはお兄さんたちを、陽動作戦につかったんだ」
 陽動作戦。
 どういう意味か、と問いかけて、エイはすぐに思い当たった。
 月光草競売の、摘発だ。
「僕はお兄さんたちを、あの中に巻き込まないようにすることもできたけど、僕は一人でも多くの助けがほしかった。僕も囮の一人だったけど、お兄さん達も囮にしたんだ。それを、許して欲しい」
「……あれは、ヒノトを助けるためのものではなく、最初から、完全に、月光草摘発の為のものだったのですか?」
 ヒノトを助けるために屋敷に侵入しようとしていた自分の中で、真っ先に撹乱役を買って出たイーザ。あのときの彼の行動は、心底ヒノトを案じてのものだと思っていたが。
「ヒノトを助けるためのものでもあったよ。もちろん」
 イーザは微笑み、少し眼差しを厳しくした。
「お兄さんたちには、今からいうことをけして口外しないでほしい。あなた達の主君には、事情を説明する書簡を送るけれど、今から僕が口にすることは、貴方たちと、貴方たちの主君と、そして僕らだけの秘密だ。なぜなら、この国の根幹に係わることだから」
 イーザの口調は重苦しく、かなり切迫したものを宿していた。エイはどうすべきか逡巡した。あまり彼らの懐深くを知りすぎてしまうのは得策ではない。かといって、ここまで彼らの深い事情に足を踏み入れてしまったのなら、閑念して聞くしかないような気がした。 エイは頷いた。
「わかりました」
 エイが頷くが早いか、イーザは言った。
「ヒノトは、僕の妹なんだ」
「…………はぁ?」
 真剣な口調で紡がれたわりに、拍子抜けするような内容だった。
「いや、そりゃわかってますよ貴方がヒノトを妹のように思っていることぐらい」
「そうじゃないってお兄さん」
 イーザが苦笑した。
「ヒノトは、本当に僕の妹なんです。母親違いの妹。僕に最後に残された血族。先王の末の子。ヒノト・カ・エンジュ・リファルナ。それが彼女の本当の名前です」
 一瞬、場の空気が止まる。
「…………えぇぇええぇぇえぇぇぇぇぇええぇ!?!?!?!」
 イーザの言葉の意味を真に理解したとき、エイは思わず長椅子から立ち上がって、これ以上ないほどの叫び声を上げていた。
「ひ、ひの、え? えぇえぇえぇぇぇぇ!?!?」
「いやぁ、お兄さんがこんなに驚いてくれるなんて、僕は結構うれしいなぁ」
「陛下、のんびり呟いてないで、事情を早く説明してあげてください」
 エイの狼狽の度合いを不憫に思ったらしい。カシマが哀れみの目をエイに向けてくる。エイは己の取り乱しように僅かに赤面しながら、長椅子に再び腰を下ろした。
「十六年前、跡目争いが一斉に始まるきっかけとなったのが、ヒノトの母親であり、リヒトの姉であった医療の民カ・エンジュの長です。彼女は禁を破って、王の子供を生んでしまった」
 それがヒノトです、と彼は言った。
「リヒトが連れて逃げたまま、行方知れずだった。死んだのだと、いうことになっていました。リヒトと僕の養父は顔見知りで、彼がリヒトがこの城下に戻ってくる手引きをした際に、ヒノトが実の妹だと、僕は知ったんです」
 一息に説明されてしまったが、それは、酷く大変な事実だ。
「……ドルモイの月光草の競売の情報を手に入れたとき、僕は密かに摘発の準備をカシマに命じて準備させていました。カラミティには知らないふりをしていたけれど、お兄さんと一緒に彼女の話を聞いたときは、既に町の女の子達が消えていることを、知ってはいたんです」
 あの、月光草に侵された娘達の部屋の隣で、カラミティから話を聞いていたときには、既に。
 イーザは言葉を続けた。
「けれど、ヒノトがドルモイの手中に落ちてしまったと知ったとき、僕はどうするか迷った。ヒノトを殺させるわけにもいかない。一方で、ドルモイも押さえておかなければならない。僕が苦し紛れにだした案は、僕が一番目の囮になって、カラミティに屋敷に入ってもらって、ヒノトを助けてもらう。幽閉されている場所から出れば、ヒノトもけっこう身が軽いほうだし、カラミティも流れ者をしていたぐらいだから、屋敷の外にでることは叶わなくても、逃げ回って時間を稼ぐことぐらいはできると思った。その間に、手配していた兵で屋敷を制圧する。……そんな、筋書きだったんです」
「二人だけで? そんな無茶な方法を取ろうとしていたんですか?」
 エイの言葉が、咎めるような響きに聞こえたのだろう。拗ねたように口先を尖らせて、イーザが反論した。
「だって、人手が足りなかったんだ。信用置ける人なんてものは本当に限られていて、実際僕が新しい王だって知っている人間は、ドルモイに殺されてしまったせいで、カシマぐらいなもので。お兄さん、あの屋敷を鎮圧した兵士だって、あれが僕の動かせる、国王軍の全てなんだ。町の友達は何人かいるけれど、ヒノトと懇意にしていて、なおかつある程度腕がたって、そして全てが終わったあとに、事情を説明しても信用できるような人間なんて、カラミティ以外にいなかった!」
「イーザ、落ち着いてください」
 エイは興奮しはじめた少年を窘めた。彼を責めていたわけではない。そして、権力に係わる人間において、信頼の置けるものを探すことがどれほど困難であるのか、エイは知っていた。
 自分は、裏切りという呪いに喘いでいた国の人間なのだから。
「……そこに、お兄さんたちが現れたんだ。カラミティよりも実力的に安心できると思って」
 ごめんなさい、と、叱られた少年のように呟いてみせるイーザに、エイは頭を振って、彼が少しでも安心できるように微笑んだ。
「大丈夫です。皆、こうして生きているのですから」
 そう呟く傍ら、そうか、とエイは明らかにされた事実に納得していた。
 ヒノトに以前、こっそり護衛、つまりスクネをつけたことがある。妙に彼女を監視し、付けねらう輩がいたからだった。
 そういう、理由だったか、と納得した。
 彼女が、この国の医療の民の末裔。
 そして、この新しい王の異母妹。
 それゆえに、彼女は狙われていたのだ。
「リヒトは、医療の民ではなかったのですか?」
 リヒトは以前、己が医療の民であることを否定してはいたが、イーザの説明によればヒノトの叔母にあたるらしい。本来は、医療の民ではないのか。
 エイの疑問に答えたのは、カシマだった。
「リヒトは確かに一族として生まれましたが、その後、カ・エンジュと一度縁を切っていた人間でして。姉君の才があまりに秀でていたので、権力闘争から逃れるために、カ・エンジュから、よくいえば解放された。悪くいえば、追放されたのです。血筋ではありますが、厳密には民ではないのです。それでも、やはり才能はあったのでしょうね」
 薬師として一流の腕を持っていた、ヒノトの育ての親。
 彼女が最後に書いた月光草の処方箋は、天才が書くものだとカラミティが舌を巻いていた。エイが依頼するよりも前から、彼女はあの草について研究していたのかもしれない。
 処方箋は、写しをこの国に残して、エイが国へ持ち帰ることになっている。この国よりも、そちらで処方箋の内容を検証し、薬を作ったほうが早いからだった。
「そういえば、ヒノト様はうちの国にお出でになることになっていますが、それは国としてはよろしいのですか?」
 スクネの言葉に、エイはそうだった、と慌てて身を起こした。
 ヒノトがそんな高貴な出とは知らなかったし、天涯孤独な少女を引き取るつもりで、既に手はずを整えているのだ。ヒノトが一介の孤児なら何も問題はないが、この国に残された最後の王族の一人となると。
「それは大丈夫です」
 イーザが微笑んだ。
「どうぞ、連れて行ってあげてください。今まで、僕とヒノトは殺しあうようなまねをせずにすんでいる。けれどこの国にいれば、いつどんな形で、この国の呪いに巻き込まれてしまうとも限らないんです。僕が僕なりの形で、この国の呪いを打開するまで、彼女にはこの国にいてほしくはない。迷惑でないのなら、どうぞ彼女をお兄さんの傍においてやってください」
 この国も、呪われている。
 水の帝国の王族が、裏切り合いを繰り返すことを定められていたように、血縁同士で殺し合いを演じることを定められている。
「どの道、この国では満足な勉強をさせてあげることはできないから。カラミティを御殿医として招くつもりですけど、あなた方の国のような医師団を結成するなんて夢の又夢みたいな感じですし。まずは一般の学校から作ろうっていう段階なんです。お兄さんたちの国のほうが、ヒノトもよく学べるでしょう」
 微笑みを、哀しげに少し曇らせて、イーザは付け加える。
「……少し、寂しくなりますけれど、ね」
 彼の、たった一人の妹。
 それ以上に、町の友人でもあるヒノトを、そう容易に会えない場所へつれていく。
「……謹んで、お預かりします」
 エイは、頭を下げた。
 寂しさを紛らわせるためか、続くイーザの声は、酷く明るかった。
「お願いします。大変だとは思いますけれどね。ヒノト、わがままだし、怒りっぽいし」
「えぇそりゃもう、よく身にしみてますよ」
 胸中ではらはらと涙をこぼしながら、エイは言った。


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