BACK/TOP/NEXT

第七章 なにものでもないものたち 2


 朝焼けが、泣きはらした目に染みて、ヒノトは膝を抱えなおした。
「終わりました」
 土を踏分け、背後から現れたのはエイだ。ヒノトの代わりに、ウルと二人でリヒトたちを埋める穴を掘っていてくれていた。ヒノトが本当なら穴を掘るべきであったが、血の臭いにあてられたのか、具合が悪くなって、休むように言われていたのだ。
「……すまぬな。本当なら、おんしこそ休むべきじゃろうに」
「いえ。かまいません。どうやら意外に、自分、丈夫なようですから」
 吊ったままの左腕に触れて、エイは笑った。その笑顔に、ほっとすると同時、また泣きたくなる。
 自分の為に怪我をし、発熱をおしてここまで来てくれている人。
 エイが傍らに腰を下ろす。何も言わずそこにいる男に、ヒノトは膝に顔を埋めたまま呟いた。
「妾の、せいじゃ……」
「そんなはずはありません」
 間髪いれずに、エイがヒノトの呟きを否定する。ヒノトは首を振った。
「妾の、せいなのじゃ」
 罪深き子。
 ドルモイと名乗ったあの男の呼び名を、信じるわけではない。だが、確かにあの男の言う通りの部分もあるのだと思った。自分を慕ってくれていた子供達は、自分が拾った子供達だった。子供の泣き声に、どうしても自分は我慢がならなかった。リヒトにとって重荷であっただろうに、子供達は序々に増えていった。
 殺された子供達は、皆、腹の臓腑をかき乱されていた。
 どれほどの、痛みだったのだろう。
「あのこらは、妾がつれてきたのじゃ。腹をすかせて泣いておったあやつらを、妾は放っておくことができなんだ。けれど」
 もしかして。
「妾が拾わなければ、別の生きる道が、あったのではないだろうか?」
「ヒノト」
「なぁそうじゃろう? エイ。こんな、こんな残酷な、死に方をせんでも、よかったのではないか!?」
 お帰りヒノト。
 そういっていつも賑やかだった、年下の兄弟達。
 抵抗も空しく、おそらく一方的に蹂躙されたのだろう。数人は、滅多刺しにされていた。
「ヒノト、彼らはヒノトが拾わなくても、どこかで死んでいた可能性のほうが高かったと思います。私はヒノトがあの子達を拾ったときを知りませんが、非力な子供がたった一人で生きていける可能性は、万に一つです」
「じゃが死ぬにしても、もう少し穏やかな死に方だってあったであろうに!!」
「ヒノト」
 エイが悲痛そうな面持ちで、もうやめろと名を呼ぶ。それでも、ヒノトは叫ばずにはいられなかった。
「リヒトだって、妾がきち、きちんとっ! スリなんかせず、ちゃんとしておったら! すくえたっ! 救えたかも、しれんのにっ!!!!」
 リヒトの傷は絶望的だった。あの花街の娘にしてもそうだ。あの場所では、おそらくどんな医者もきちんとした処置を行うことなどできなかった。それはわかる。それでも、思わずにはいられない。
 自分がもう少し、医を志すものとして、真剣に学び続けていたのなら。
 彼女らは、死ななかったのではないだろうか、と。
「ヒノト。自分を責めるのはもう止めてください。あれは、どうにもならなかった。カラミティがここにいても、どうしようもなかったでしょう。他の国の、どんな優れた医師がいたとしても、どうにもならなかったでしょう」
「じゃが、それでもリヒトらが死んだのは、妾のせいじゃ。賊は、妾を狙っていたのじゃ」
「……何故?」
 エイの問いに、リヒトは言葉を詰まらせた。どのように答えるべきか、迷ったからだった。
 何故、リヒトたちが襲われたのか。
 金品が奪われたわけでもない。食糧が取られたわけでもない。ただ、殺戮だけが目的とされていた。
「……知らぬ」
 ヒノトは[うそぶ]いた。
 姿を消した賊は、ヒノトを、狙っていたのではないかと、そう思うのだ。
「ただ、いつも妾は、狙われていたのじゃ……」
 ヒノトが襲われる回数は、他の子供達と比べれば群を抜いて多かった。それは薬の値上げに不服として抗議する輩が武器をとっているのだと、最初は思っていた。
 だが、ヒノトも馬鹿ではない。ヒノトばかりが狙われ、時折視線を感じれば、わかるものもおのずとあるのだ。ただ、鈍感なふりに徹していただけで。
 今回、ようやっと理由がわかった。リヒトが自分を連れて長い間逃げ回っていた訳。
 王が定まったと聞いて初めて、この街に戻ってきた理由。
 今までよりももっとも長く、この町に居座ろうとしていたリヒト。
 自分は。
 蠱毒の子。
 そして、医療の民の後継。
 あの館で、ドルモイが語ったことは、本当に真実なのだろうか。ただ、誰も彼もが人違いをしているだけではないのだろうか。リヒトは結局何も語らずに逝ってしまった。いつ、どこで、なぜ、ヒノトを拾ったのか。なぜ、彼女ほどの存在がこんな国の、うらぶれた貧民窟で燻っているのか。カラミティですら認めるリヒトの薬学の知識、医療の技術は、他国にいっても通用するはずだというのに。
 ヒノトはリヒトから手渡された懐剣を見た。柄尻の部分に、この国の古い紋章が刻まれているそれ。柄尻の意匠は、医療の民のものだと、ヒノトは知っていた。遠い昔、リヒトが寝物語に聞かせてくれたことがあったから。
 これは、赤子であるヒノトが、持っていたのかもしれない。
 だから、誰も彼もが勘違いをしているのだと。
 そう、信じたいのに。
 たすけてという子供の泣き声。記憶の奥そこに封じられた何かが、ざわめくのだ。
「妾はっ……妾は一体、何者なのじゃ……」
 皆、ヒノトのせいで、死んでいった。
 直接的にしろ、間接的にしろ。
 そして、ドルモイがいっていた。お前のせいで、この国は十五年前、滅びに瀕したのだと。
 罪深き子。
 本当だろうか、まぼろばの土地におわします主神よ。
 ヒノトは、天に真実を問いたい気分に駆られ、両手を天に掲げながら、叫んだ。
「妾は、いったい、なにものなのじゃ……!?」


 天に、掲げられたその手は。
 夜明けの太陽の光にさらされ、黒く汚れていた。
 爪の中まで、ひどく黒ずんで。
 たった一夜の間に繰り返し、医を志すものとして、その限界まで、身近で死にゆく人々を救わんと全力を尽くした少女の手は、非力を嘆き、そして己の存在の意義を問うて、天に伸ばされていた。
 小さな手だ。エイは思った。自分が知る少女の誰よりも小さな手だった。だが、その手を掲げる少女の華奢な肩には、酷く大きな使命が架せられているのだ。決して、国を治めることや、革命を率いるといった、そういった類の使命ではない。
 彼女に架せられた使命。それは、誰もが背負うようなささやかな使命だ。
 生きて、己の役割を、全うすること。
 たとえば、母親には、母親としての使命が架せられているように。
 たとえば、人には、幸せになるためにあるくという使命が、架せられているように。
 医療という使命を架せられた少女の、赤黒く汚れた手。
 その小さな手を。
 守りたいと思った。
 己の使命を全うせんと、生きもがく人々の手を。国というものを作る民人の手を。
 彼らが、彼らの使命を全うできるように。
 彼女の手は、その代表だった。
 守りたいと。
 エイは、強く、そう願った――……。
 エイは少女の背後から、少女をその手ごと包み込んだ。左腕が使えないことを、もどかしく思う。
 少女の髪に顎を埋めて、エイは神に代わって彼女に答えた。
「貴方は、ヒノトです」
 自分は一体、何者なのか。
 何をすべきで、どこへいくのか。
 人は常に問い続ける。自分もいつも、問い続けている。
 あの暖かい春の日に、去り行く男が自分に架したものは何なのか。それができる存在なのか。彼の代わりになれるのか。
 けれど結局自分は自分以外の何者にもなれず、己が見つけて他でもない己に架した役割を、全うするしかないのだと。
「貴方は、ヒノト。リヒトから医療の心得を学び、そして今からも沢山のことを学んで、人を助ける存在を、志つづける、女の子」
 自分はエイ・カンウ。皇帝に仕え、彼を自分のやり方で支え続けることを誓った臣のひとり。
 [まつりごと]を通じて、あの国の人々の手を守りたいと、そう願った男。
 エイは、瞼を閉じた。
「それで、いいではありませんか」
 自分に言い聞かせるように、エイは繰り返した。
「それで、いいでは、ありませんか……」
 エイの手の下で、少女の拳に力が込められるのが判った。
 少女はエイの手をその胸に抱くようにして、赤子のように泣いた。


 ウルは夜明けの中、支えあうように影を重ねる男と少女を遠くから見つめていた。
 自分は知っている。あの少女が何者なのか。
 少女ももしかすると、己が何者なのか薄々感づいているのかもしれない。あの少女が背負い込んでいくものは、とても大きなものだ。
 自分は知っている。自分の上司である男が何に苦しんでいたのか。
 自分達を置き去りにして、姿を消した男がいた。かつて自分を暗闇のなかから見出した男は、何も言わずに自分達に彼最愛の主君を支えるように命じた。とりわけ、去った男の穴埋めに奔走しなければならなかった自分の上司が背負った責任と重圧は、いかほどであったのか。
 道を見失いかけていた二人が、夜明けに二人。
 少なくともあの二人は孤独ではない。
 そのようにして、支えあい、零す涙を拭うことができるのなら。
 ウルはその事実に、安堵した。孤独なものが孤独なものを支えきることは難しいというのが、ウルの持論。でなければ、互いの存在に頼りきって、いずれは共倒れになってしまうと思うからだ。
 重圧も、責任も、使命も、たった一人で背負うものなのではないと、守り支える誰かは、必ずいるのだと、そして自分も誰かに支えられているのだと、知っておいて欲しいとウルは思う。
 自分達は、孤独な玉座に座する皇帝を、支える民人以外の、なにものでもないのだから。


 穴は実質ほとんどウルが一人で掘ったようなもので、帰ったらまず眠りたいですと、穴の中に子供達の遺体を入れながら彼は言った。まったくだ、と、エイは同意した。今すぐ温かい布団の中に倒れこんでしまいたかった。
 ヒノトと二人組みで、最後の遺体を穴に埋める。リヒトの遺体。
「……案外、若かったのじゃな」
 リヒトの上に、最後の土を零して、ヒノトが呟いた。
「ヒノトは、リヒトの素顔を見たことがなかったのですか?」
 ヒノトは頷いた。
「一度も」
「そうですか」
 エイは土の下に既に隠されてしまった薬師の女を思った。
 覆面の向こうから現れた女の顔は、やはり予想通り若く、そして美しかった。一体何が彼女の身に起こったのかは判らない。喉には刃で裂いたような跡。頭全体を、目を覆いたくなるような酷い火傷が覆っていた。
 それでも、美しい面差しをした婦人だった。
「ヒノト、これから、どうするつもりですか?」
「わからぬ。イーザのところにいってもよいが、あやつと妾は犬猿の仲じゃからのう」
 エイは思わず笑いかけた。犬猿の仲と思っているのは、きっとヒノトだけに違いない。そこに恋人のような甘さは一切ないが、彼らのじゃれあいの関係はそう。
 兄と妹のような、そんなものだ。
「私達は旅を終えて、国に帰ろうと思っています」
 エイの言葉に、ヒノトが面を上げた。
「くに!? か、帰るのか!? この国から、出て行ってしまうのか!?」
「えぇ」
 エイは頷いた。
「帰ります。……私達の国。水の帝国に」
 水の帝国ブルークリッカァ。
 この国と同じように荒れた政治と貧困に困窮していた国。
 かつて裏切りの帝国と呼び習わされていた国。
 今も、数多くの他国が自分達の国をそう呼ぶ。
 その忌み名を、自分達は口にしないことにしている。
 あの国が、いつか別の、祝福ある銘で呼ばれるように。
 不安そうに自分を見上げてくる少女に、エイは微笑みかけた。
「貴方も来ますか? ヒノト」
「……わらわ、も?」
「えぇ」
 少女がウルを顧みる。ウルは肩をすくめた。
「カンウ様が言い出すことはわかっていましたし。私は気にしません」
 再びエイと視線を合わせた少女は、信じられないという風に目を瞬かせる。
「いいい、いいのか? 妾が、いっても。エイについていっても、いいのか?」
「はい。あちらにいけば、色々と制約はあるとは思いますが……」
 彼女を連れ帰れば後見人になるのはエイだが、何せ自分はそれなりの役職を拝命する身だ。面倒な手続きや作法のあれこれ、頭の痛くなるようなことが彼女にも、そして自分にも待っているだろう。
「医療の勉強は、続けさせてあげることができると思います」
 彼女には才がある。エイはそう思う。薬の調合を即席で行えてしまうような少女だ。推薦状を書けば、リョシュン率いる御殿医たちに、見習いとして付き添うこともそう難しいことではないだろう。
 何よりもこの少女を傍に置いておきたいのだと思う。
 自分が、何者であるのか、忘れないために。
 自分が、何故、政を志し、そして何を、守ろうとしている男なのか。
 自分が、単なるエイ・カンウという男に過ぎないということを、忘れないために。
「行く!」
 ヒノトが満面の笑みで答えた。夜明けて初めてみた、かつてのような明るい笑いだった。
 エイは微笑み、言った。
「リヒトにも子守を頼まれていましたしね」
 ヒノトはきょとんと目を見開き、そして頬を膨らませた。
 その表情の変化に首を傾げかけたエイの腰を、激痛が襲った。
「いだ!」
 ヒノトの、回し蹴りだった。
 相変わらず、急所をついた見事な蹴りである。
「……っつぅ……!!!」
「エイの馬鹿もの!!!!」
 走り出してしまうヒノトと、腰の痛さにその場に蹲るエイを交互に見比べながら、呆れた呟きをウルが漏らした。
「本当に、なんて鈍感なんですか、貴方っていうひとは……」


BACK/TOP/NEXT