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第一章 不在の王 1


「王はお会いになられません」
 祝辞を述べに来て、王の近習だという男の第一声が、これであった。
「何故です?」
 自分は曲がりなりにも正式な使者として、この場にいる。事前に、連絡もついているはずだ。疑惑がにじみ出るこちらの声音に、体躯の良い壮年の男は眉一つ動かすことなかった。彼の顔を二分するように走る一本の赤い傷が、まるで彼の表情を固定しているようである。
「王はあまり、身体が強くおありでない」
 つまり、病に臥せっているということか。位に就いたばかりだというのに、これでは先が思いやられるのではないか。
 並べ立てたい様々なことを、ぐっとエイは喉元で堪えて、出来る限り平静を装った。
「……体力が回復するのは、何時頃でございますか?」
「判らぬ」
 エイの問いに、男は即答した。
「判らぬ……って、そんなにお加減が」
「明日やも知れぬ。明後日やも知れぬ。七日かかるやもしれぬ。一月やも知れぬ」
「……そんな」
「我らも、あずかり知らぬ。我らが王は、即位したばかり。続く激務に体調が優れない。申し訳ないが、しばらく滞在しお待ちになられるのがよろしかろう」
 近習の言葉には、欠片も申し訳なさが感じられない。が、そういわれれば、こちらも引き下がるしかないのだ。かといって、手ぶらでは国に帰ることができない。
 エイは、来賓室の天井を仰いだ。鮮やかな青と赤と白で、繊細な文様の施された天井。時折、木の根らしきものが天井や壁のいたるところから覗いている。最初は驚いたが、外観を思い起こせば、納得のいくことだった――このリファルナの王城は、国の銘にもなっている巨木、榕樹に食われて[・・・・]いるのだ。
「では、お言葉に甘えて、この城に滞在させていただきます」
 嘆息混じりにそう呻けば。
「たいした持て成しもできませぬが、ごゆるりと」
 近習の男は淡白に答え、二人の衛兵を伴って部屋を退室しようとする。
 エイはお待ちください、とその無骨な背中に声をかけた。
「……何か、要望がございますならば、女官にでもいってくだされば」
「そうですね。ならば是非、医療の場を見せていただきたいのですが」
 そこで初めて。
「……は?」
 近習の顔に、表情が、浮かんだ。
 端的にその表情を言い表すのなら、苦渋という二文字が正しい。
 その表情を怪訝に思いながらも、とりあえず思い浮かんだことをエイは口上していった。
「この国はかつて医療の国として名を馳せ、今もなお、世界に名を轟かせる医師団を保有していると聞きます。わが国は残念ながら、医に造詣深くございません。もしよろしければ、彼らと話だけでも、させてはいただけませんか?」
 とりあえず、筋は通っているであろう。しかし、微笑を浮かべながらのエイの懇願に、返されたのは無下な一言だった。
「医師団など、もはや、いない」
 男の言葉のそっけなさを体現するように、扉が勢いよく閉じられた。


「どうなさるおつもりで?」
「さて、どうしたものか」
 護衛役も兼ねている副官の言葉に、エイは頭を軽く押さえながら応じた。仰ぎ見る天井には、先ほどの部屋と同じように彩色が施されている。木の根が部屋の角を斜めに走っており、それを支えに、寝台の天蓋が吊り下げられていた。
 滞在場所としてエイたちに与えられたのは、離れの塔がひとつ。部屋の手入れは、あまり行き届いているとはいえなかった。贅沢はいうまい。ざっと観察してみたところ、この塔だけではなく本殿もまた大して手入れが行き届いているとはいいがたい。おそらくそこまで手が回らない、というのが実状であろうか。よく教育はされていたものの、女官の数もさして多くはなかった。そして来賓をあまり招いたことがないためなのか、どの女官も多少ぎこちない。
 木製の長椅子に、腰を下ろして、ちらりと横を見やる。副官は口元を引き結んだまま顔の筋肉を引き締めている。その無表情さ加減が、あの王の側近を彷彿[ほうふつ]とさせてエイは顔をしかめた。
「そんな顔をしないでほしい、ウル。こちらまで気が滅入る」
「……申し訳ございません」
 ウル・マキートは自分よりも五つほど年嵩の男だが、中性的な顔立ちがあいまって表情が酷く幼い。困惑した表情はなおさらだ。気のいい男だから、こちらのほうが余計に申し訳なく思ってしまう。彼の淡い茶の髪と墨色の双眸の組み合わせは、どことなく愛らしい猫を連想させる。男であるので、それを口にすれば即刻、彼の顰蹙[ひんしゅく]を買うに違いないのだが。
「いいのだけれども。暇になってしまったな」
「それにしてもおかしな話ですね。医師団が、もはや、いない、などと」
「気になる言い回しだ」
 ウルの呟きに、エイは同意する。医師団が、いない、などという話はありえない。どの王室も大抵御殿医というものを召抱えているものだ。水の帝国もその例外に違わず、規模は小さくはあるが有能な医師団を抱えもっている。王室になんら大事があったときに、医者がいないのでは話にならない。
 実際、医者はいるはずだ。王が病に臥せっているというのなら、なおさら。混乱の末、ようやく玉座に登った王に倒れてもらっては困るはずだ。だが、ならば、『もはやいない』とい表現は一体何を示しているのか。エイは、あの時王の近習に、医師団と会話だけでもさせてほしいと申し出ただけである。
(医師団、か)
 エイは背もたれに重心を預けながら、胸中で独りごちた。
 ラルトから頂戴した資料は、国においてきている。なんら間違いがあってこちら側に手渡ってしまっては困るからだ。医師団の存在は、その資料に明記されていた。
 医師団――正確には、一族、というべきか。一族をあげて医療を生業とし、国が最盛期にあったころ、医療の国としてのリファルナを支え続け、混乱しつづける今日まで、王家に絶対の忠誠を誓っているという、医療の一族。
 一族の名を、カ・エンジュという。
 さて、どうしたものかと思いつつ、エイは傍らのウルを仰ぎ見た。
「ウル」
「はい」
「暇な間、皆とともに探りを入れてくれないか。城の内部、拾える情報もあるだろう。どうやら玉座が埋まったとはいえ、なにやら問題があるようであるし、このままでは陛下の望むものも持ち帰れそうにない」
「探りを入れることは……かまいませんが。カンウ様はどうなさるおつもりで?」
「外に出てくる」
「……は?」
 意味がわからない、という風に聞き返してくるウルを、頬杖をつきながらに見返して、エイは笑った。
「お一人で、ですか。街のほうへ?」
「他に何がある? 一人のほうが身軽でいい。護衛がいれば、怪しまれはしないか」
「ですが、危険です。私もついていきます」
「いや。ウルのほうには城のことを頼みたい。私の留守中、何かあっても体裁を整えて対応できるのは、ウルだけだろうから。大丈夫、上手くもぐりこめるだろう。私はもともと、市井の出であるし」
 ウルは渋面になっている。納得がいかない、という文字が顔面に張り付いているかのようだ。
「下手をすれば城よりも安全だとおもわないか? ウル。盗み聞きする輩もいない」
「……そうですね」
 嘆息したウルが何気なく手を上に振り上げた。かっ、という音とともに錐に似た暗具が天井に突き立つ。それに続いて、ごとごとという振動。どうやら天井には、巨大な『鼠』がいたらしい。
「こういうものがあるということは、知らないのだろうね」
 のんびりと呻きながら、エイは首に皮紐で吊り下げた、ごくごく小さな玉を指で弄ぶ。淡い橙に発光するそれは、<消音>の招力石だ。魔力を養分に育つ特殊な樹木を削りだし加工したもので、封じた陣に応じて効力を発揮する特殊な石。硬度は金剛石ほどで、一見美しい宝玉に見える。携帯用であるので大きさは小指の爪の先ほどしかないが、これだけで十分一定区間の音を文字通り消してくれるのだ。天井からでは、自分たちの会話は全く聞き取れなかったはずだ。
「知っていても購入できるほど、金銭豊かでないだけでしょう。うちの国は、もともとやたらめったら、こういったものが、多く置かれているので、陛下は輸入などさしてしたことがないようですが」
 ウルは器用にもう一本の錐を利用して、天井に刺さったままの暗具を回収していた。ふっと落ちてきた空中で受け止めたそれを、彼は目にも留まらぬ速さで懐に仕舞いこむ。引き換えに、ウルは一本の短剣をエイに差し出した。やや大振りのそれは、エイが護身用に身につけている短剣よりも一回りほど大きく、刃の肉が厚い。実践用の、短剣なのだ。
「外に出て行かれるのでしたら、この程度は身につけていただかないと」
「……ありがとう」
 エイは大人しくウルの手から短剣を受け取った。
 受け取らなければ、縄で縛り上げてでもこの場所に留まっていただきます、という顔を、ウルがしていたためだった。
「くれぐれもお気をつけて。陛下の[めい]もそうですが、きちんと、ご自分の大切さも理解なさってください。命を無謀に投げることを、陛下は好みませんでしょう」
「……判って、いる」
「死ぬぐらいなら無様に生きて帰ってきて、地下の書庫掃除を、命を懸けてやりとげろと仰る方ですよ。うちの陛下」
「……」
 真剣な会話をしていたはずなのであるが。いや内容としては、酷く真剣なものであるけれども。
 今も執務室で書物の類に埋もれて、てきぱきと文官たちに指示を出しながら、仕事をこなしているだろう皇帝を、エイは思った。そして同時に、地下の書庫を思った。水の帝国の城にはいくつもの書庫があり、どれも膨大な蔵書を保有しているが、地下書庫はそのなかでもっとも近づきたくない場所のひとつだ。扉をあければ布を垂らしたように蜘蛛の巣だらけ。埃はつま先が埋もれるほどつもり、得体の知れない虫たちの巣窟となっている。時に爬虫類の類もでる。人間の生理的嫌悪の粋を極めたかのような書庫――あそこを掃除しろといわれるならば、むしろ死んだほうがマシなのではないかと思える。あぁ、うちの陛下ならば確かに無駄に死ぬより役に立って生きろといいそうだ。あの書庫を笑顔で指差しながら。
 想像に負けそうになったエイに、ウルが笑った。
「貴方様は少々、生真面目が過ぎるのですよ。先ほどまであぁいっておいて、なんですが、外に出て気晴らしでもしていらしたら、よいでしょう。この一年、閣下のいない穴を埋めることに必死でいらして、碌々外にも出なかったのでは、ありませんか」
 からかい混じりの彼の言葉に、エイはむっと口元を引き結んだ。生真面目、生真面目とよくいわれるのだが、自分にしてみれば一体どこがそうであるのかが判らない。当然の責務を、こなしているだけだというのに。
「気晴らしになるほどのものが、あるのかどうかはわかりませんがね。ただくれぐれも、ご自分の身は大事になさりますよう」
 そう繰り返す側近に、エイは苛立ちを込めてそっけなく、わかっているよ、と返した。


 黄色い土壁の王城は、まるで森と同化するようにして存在する。
 一見、巨木に食われているように見えなくもない。事実、根が壁や屋根という建物の一部を侵食しているところを思い返せば、その表現はあながち間違いではない。国一番の巨大建築物を覆い尽くすかのように、建物の一棟に匹敵するほどの太さを有して食らい付いている巨木は、榕樹という。この国の神木であった。花は薬湯になり、葉は血止めとなり、幹を削って乾燥させた粉末は、解熱の薬になるという。榕樹以外にも、この国には数多くの薬草が群生する。リファルナの過去の栄光は、こういった事実に起因していた。
 古い森に囲まれた、澱んだ水に沈む国。乾季になれば、水がひき、濃い緑は黄砂をかぶって白く霞む。それが、この国だ。気候ゆえに農業は上手くいかず、逆に特殊な気候ゆえに群生する薬草に頼って生きてきたのが、このリファルナ、という国なのである。
 ごごん。
「着きましたよ、お客人」
 先頭が船着場にあたり、舟が大きく傾ぎながら振動する。舟頭は慣れたようすで、水路に突き出た足場に飛び移った。舟先を縄で通路の一角に縛り付ける。これは、水の帝国の水路と、まったく同じだった。ただ、通路の床板が、踏み抜いてしまいそうなほど、腐りかけていることを、除けば。
「大丈夫ですか?」
「はぁ……まぁ、なんとか」
 屈強な舟頭の手を借りて、通路に降り立つ。その際にめきめきっというなんとも嫌な音がした。通路の下はそこの見えない濁った水。膝程度深さなのか、それともかなり深いのかは見当がつかない。ただ、舟頭が用心深く体重を移動させているところをみると、落ちたくはないらしい。落ちたくはない、ということは、それなりの深さが、あるらしい。
 舟頭を見習って、エイも用心深く通路を進んだ。ぎしりぎしりみしみし、という音に、内心冷や汗をかきながら。
「あちらが商店街です。何か入用のものがあればあちらに行けば揃うでしょう。旅籠はその向こうの通りに軒を連ねていますよ。あまり出入りをしないほうがいいのは、居住区ですね。子供が集団で襲いかかってくることもある。気をつけたほうがいいでしょう」
 詳細な情報は、つまりはそれなりの見返りを求めているということだ。
 エイは渡し賃に少しばかり色をつけた。外套を頭から被り、襟元の紐を結ぶ。
「ありがとう」
「いえ。またご贔屓に」
 手のひらの上の小銭をみて、舟頭は破顔していた。エイはその表情を視界の端におさめつつ一歩を踏み出した。水が引いたばかりなのか、ぬかるむ地面を踏み抜くなんともいえない感触に、非常に閉口したい気分ではあった。


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