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第五章 二人の後継 3


「じゃぁ、僕が中をかき回すから」
「本当に、大丈夫ですか?」
「任せてよ」
 自信たっぷりに胸を張るイーザに、エイは思わずカラミティに助けを求めていた。カラミティは逃走経路を確保するために、一人留守番だ。イーザはいつもこのような様子なのか、カラミティは咎めることもなく、呆れた眼差しのまま肩をすくめてみせるだけだった。
 再会したイーザが、この屋敷にヒノトがいるという確証を与えてくれた。これで行動を起こしやすくはなったが、問題はどのようにして屋敷の内部に侵入し、どこかへ連れ去られたヒノトと接触するかだった。もしこの屋敷が、イーザとカラミティの予想通り、月光草の競売に使われているというのなら、ヒノトが月光草の効果の宣伝として人形とされる前に、彼女を救い出さなければならない。
「やはり、私が参りましょうか?」
 少年一人では心もとないと思ったのか、スクネが申し出る。だがイーザは首を横に振ってやんわりと断った。
「ありがとうスクネさん。でもあなたも、お兄さんも、どちらも看板を背負ってる[・・・・・・・・]でしょ? ここは僕一人が行ったほうがずっと楽なんだ。好き勝手できる」
 看板を背負う。つまり、一国の代表者としての、責任を背負っている。
 イーザの意味するところを悟って、スクネがエイを無言で追求する。エイは苦笑しながら、違う、と彼の胸中を否定した。
「私は何も」
 東の大陸出身であることは話したが、水の帝国の出身であることも、ましてや王宮勤めであることも、エイは何も語っていない。
 だが、彼は初対面のときから知っていた。
 エイが、水の帝国の皇族に仕えていることを。
 彼は言っていたのだ。英雄の末に宜しく、と。英雄の末とは古い隠語で、水の帝国の皇族を意味する。
「最初から、何故か判ってしまうらしい。先見の力が、あるのだと」
 ヒノトの居場所も、その力を通じて知りえたのだろうと説明すると、スクネはしぶしぶ納得したようだった。
 が、まだなお、不安げなスクネに、イーザが微笑みかけた。
「それに、僕は殺されないよ。人形にされることは、あっても」
「……どういう意味ですか?」
 殺されない、とは、どういうことだ。
 エイは思わず尋ねていた。イーザは貧民窟の少年で、切り殺したとしても相手には痛くもかゆくもないだろうに。
 だがイーザは不敵な微笑を口元に刻むだけで、何も言わなかった。
「時間がないぞ」
 月の位置を確認しながら、カラミティが言った。
 イーザが、立ち上がって笑う。
「さぁ、いこうか、お兄さん」


 ヒノトの脳裏は、混乱の極みにあった。
 自分のせいで。
 国が荒れた、などといわれても、何も、ぴんとくるものがない。
「人違いではないのか?」
 掠れた声で尋ねれば、一笑されるだけだった。
「……本当に、妾が?」
「お前の面差しは、母君そっくりだよ。そしてお前の瞳は、王族にしか許されぬ祝福を受けた濃い緑ではないか。緑の目は数あれど、翡翠の原石すら寄せ付けぬ美しい、榕樹の葉を写し取ったようなお前の濃い緑は、王族の証に他ならないのだ」
 そんな馬鹿な、という言葉を、ヒノトは飲み込んだ。
 確かに、緑の目は珍しいほうだ。だが全くないわけではない。現にリヒトも、淡い翠の瞳なのだ。だから自分の瞳が、酷く色のくっきりとした緑だったとしても、個人差程度だと思っていた。
 それが、王族にしか現れない?
 そんな馬鹿な。ヒノトは胸中で繰り返した。顔見知りの一人を、連想してしまったからだった。
 ヒノトは自分以外にも、この濃さの緑の目を持つ人間を知っていた。
「妾を、どうしようというのじゃ? 殺す気か」
 ドルモイという男が本当は何者なのか知る術はない。だが、一つ判ることがある。この男にとって、自分の存在は酷く邪魔なのだ。
「殺しはしない」
 だが、と、男は一拍置いて言葉を続けた。
「城の一角を飾る、美しい人形にでもなってもらうだけだ」
 人形。
 それは、一体どういう意味か――……。
 だが、ヒノトにそれを問う時間は、与えられなかった。
「失礼いたします!」
 叩扉の音がするが早いか、扉が開き、兵士の一人が部屋に飛び込んできた。
「何事だ!?」
「大変です。賊が侵入、競売の会場に向かっています」
「何人だ?」
「ひ、一人ですが」
「愚かもの!!」
 獣が吼えるかのような怒声が、部屋に響き渡る。ドルモイの叱責に、兵士が震え上がった。
「殺せ! たった一人の賊に、一体何を躊躇っている」
「で、ですが……相手は緑の目の」
 兵士がそこまで言うと、ドルモイの顔色がみるみるうちに蒼ざめた。ヒノトは、それは予想もつかぬ事態に困惑したからだと思った。だが次の瞬間、ドルモイに浮かんだ喜色に、彼は顔色を失うほどに歓喜したのだと悟る。
「鼠が二匹、鼠捕りにはまる。今夜は、なんとすばらしい夜なのだろう」
 ドルモイがこの上ないほどの歓喜に身をゆだねている間、冷えていく指先を自覚して呼吸を止めなければならなかったのは、ヒノトのほうだった。
(緑の目)
 兵士は確かにそういった。賊の目は、緑の目だと。
「お、お前、一体何をする気じゃ?」
 尋ねたヒノトを、冷ややかな男の目が見下ろす。その眼差しに肌が粟立った。
ドルモイは無言で、絨毯の上に這いつくばるヒノトの傍を通り過ぎ、兵士に先導されて、部屋を出た。
「何をする気なのじゃ!?」
 叫びは、扉の閉じられる音に遮られ、廊下の向こうまで届かなかった。


 兵士たちが、血に濡れて廊下の片隅で蹲っている。
 誰もが、苦悶の表情を浮かべてはいるが、死んではいなかった。ほとんどが、足の腱や腕の腱を切られてその場に崩れ落ちているだけだ。いっそ殺してやったほうが彼らの為であっただろうに、とドルモイは同情した。足をやられては、農作業に出ることも叶わない。家族にしてみれば単なる重荷だ。
(いや。いずれは、死ぬか)
 どうせこの国にまともな医者は、城以外にいやしない。彼らにその医者をあてがってやる余裕はなかった。然るべき手当てを行えば必ず助かるだろう兵士達は、そのうち、不潔による破傷風から死んでいくだろう。一撃でしとめることを、賊がしなかったのは、兵士達の死を嘆いたからか、それともそうするだけの余力がなかったからか。
 おそらく、後者であろう。
 競売の会場の舞台に立つ、細い少年の身体を認めながら、ドルモイは胸中で独りごちた。
「これはこれは、王陛下」
 元は歌劇を見るための劇場である競売場の片隅で、逃げ遅れ固まっていた外国からの内々の客人たちや鎖に繋がれた娘達が、ドルモイの言葉に息を詰め、ざわりとさざめいた。
「わざわざこの場に来ていただかなくとも、お迎えを差し上げるというのに」
 芝居がかったドルモイの言葉に、舞台の上で血塗れの細い剣を手に提げ、佇む少年が、微笑んだ。
「妹を返してもらいにきたよ。ドルモイ」
「王陛下。物事は焦るといつも失敗すると、私は申し上げなかったか?」
「御託なんて聞きたくないよ」
 銀の髪に浅黒い肌。そして、ヒノトと同じ、濃い緑の双眸。
 先だって即位したこの国の新しい少年王、イーザ・ムサファ・リファルナは、不機嫌そうに口元を歪めた。
「やっぱり、ばれてたんだ。判らないように外套を深く被っていたつもりだったのに」
「声でわからぬとでもお思いか。そしてイーザという名前も、さほどあるようなものでもない。偽名を使っておくべきでしたな、陛下」
「お兄さんに、釘を刺しておけばよかったかな。まぁ、貴方の前に出たこと自体、失敗だったとは思っていたけれど」
 先日、エイを追いかけて、二人の少年が車を止めた。その片割れに探し続けていた少年の姿を認めたとき、どれほど歓喜したか。
 即位してすぐ、暗殺を恐れてこの王は姿を消した。城下のどこかに潜伏していることはわかっていたが、幾度も妨害にあって、探し出すことが叶わなかった。
 事態が急転したのは、水の帝国からの使者であるエイが、やってきてからだ。念のためと思い彼に監視をつけていたところ、この十数年探し続けていた罪の子供が見つかり、そして芋づる式にイーザを発見することもできた。
 あの若造には、感謝してもしきれない。
 ドルモイは嗤った。
「これで、長きにわたる古い争いが終わりますな」
「そうだね。終わるね」
 イーザは、ドルモイに同意を示し、細い剣を構えた。
「貴方が、今日ここで死ぬことで」
「なぜ私が死ななくてはならぬのか」
「なぜ?」
 今度はイーザが、嗤う番であった。
「僕を暗殺せんと刺客を放ち、国政を乱した。罪状はそれだけで十分だよね?」
「暗殺など、する気は毛頭ないと、申し上げなかったか?」
「あまり変わらないよ。捕らえようとしたこと自体」
「王がいることのほうが、この国の為によくはない」
 この国には、確かに王は必要だ。だが、物言わぬ飾りでよいのだ。
 繰り返し繰り返し、血塗られた争いばかりし、国を乱す王のどこに、存在の意義があるというのだろう。
 この国は復興しなければならない。どんな手段を使ってでも。そのために、リファルナという名前を持つ王族は邪魔なのだ。
 彼の、裏切りの帝国の、裏切りの呪いのように。
 建国当時より、神の呪いによって、血塗られた争いを架せられた王族は、邪魔でしかない。
「僕を人形にするために、月光草なんて物を作り出しておいて、国のためなどと、よく言う」
 月光草。水煙草の草に改良を加えた薬草は、もともとは殺さず生かさずの人形を作り出すためのものであった。この国には、今しばらくお飾りの王が必要だ。意思を持たぬ、美しい緑の目を持つ王族が。月光草とは、もともとはそういった目的で作られたものだった。
 それが、中毒性や快楽性を孕むと発覚するや否や、好事家が求めるようになったのだ。今はこの榕樹の小国に外貨をもたらす闇の商品として、このような場所を通じて売りに出されている。
「数年前、貴方が引っかからなかったときには臍をかんだ」
 この少年をおびき寄せるために、かなり大掛かりな芝居を売ったのは数年前。だが結局その芝居には引っかからず、餌になった少女達は、この少年を守るためにドルモイの意図に反して月光草を[あお]ってしまった。
 だが、そんなことはもういい。
「けれどそれも全て終わり」
 この夜、今、目の前に、袋の鼠同然の王がいるのだから。
 さらり、と剣を鞘から抜いて、ドルモイは言った。
「殺せるのなら殺すがいい。私は貴方を乗り越えて、私のやり方でこの国の復興を目指す」


 がた、がた。
 天井の板が、揺れている。
 ヒノトは恐々と天井を見上げた。天井の中央付近の正方形の板が一枚、酷く揺れているのだ。
 がんがんがん!!!
「……っ!?」
 何かをたたきつけるような音がその板の向こうから響き、ぱらぱらと埃が落ちてくる。
(い、一体)
 何事だ、と。
 息を詰めて様子をみることしかできないヒノトの目の前で、とうとう板が外された。瞬きする間に人が一人、開いた暗い穴から落下してくる。
 とたんっ
 足音軽く、膝を曲げて器用に衝撃を殺し降り立った男は、驚愕に声も出せないヒノトを静かに見下ろした。
「ヒノト、様?」
「誰じゃおんし?」
 ようやく出た声は、自分でも呆れてしまうほどに震え、擦れていた。
 様付けで呼ばれるような身分ではないはずだ――少なくとも、今のところは。
 そもそもこんな男を、自分は知らない。
 黒髪黒目の、東方人。エイに似てはいたが、身のこなしがまるで異なっていた。足音すら立てぬ歩き方をするその男は、ヒノトに歩み寄り、眼前に跪く。
「ヒノト様ですね?」
「そうじゃが」
 男の確認に、ヒノトは思わず頷いていた。
「ご無事ですか?」
「……枷に手足が繋がれて、擦れて痛いことを除けばの」
 手足を背後で固定してしまう枷のお陰で、立ち上がることすらできない。枷の周囲は、確実に痣になっているだろう。
「誰じゃ? おんし」
 男は、ヒノトの問いに答えなかった。彼は無言で立ち上がると、ヒノトの傍を通り抜け、用心深く扉を開いた。鍵は、開いていたらしい。
 男は扉の向こうに誰もいないことを確認すると、どこかに向かって手招きをした。急いた足音が徐々に近づいてくる。
「ヒノト!」
 扉の向こうから現れた、見知った顔に、ヒノトは泣きたくなった。


「ヒノトっ……!」
「エイ!」
 手足に枷をはめられて、色鮮やかな絨毯の上で蹲っている少女は、確かに行方不明になっていた少女だった。
 エイはその姿を認め、手放しで駆け寄り抱きしめてやった。
「あぁよかった! 心配しましたよ!」
「……エイぃぃ……」
 ヒノトが頭をエイの胸に押し付けながら、呻いた。怖かっただろう。目立った外傷は見当たらないので、乱暴には扱われていないようだが、鎖に繋がれるということだけでも大人でさえ失禁してしまうような相当な恐怖だ。
 イーザが騒ぎを起こしている間に屋敷に侵入したエイとスクネは、偶然ドルモイが部屋を出る姿を見かけた。彼らが場を離れたことを確認してから、身の軽いスクネに天井裏から部屋の内部の様子を探ってもらったのだ。案の定、ヒノトはここにいた。
「カンウ様。少し離れてください。枷を」
「あ? あぁ、そうだった」
 エイはヒノトを放して、スクネに場を譲る。スクネは髪の中から細い針金を取り出すと、ヒノトの手枷の鍵穴に差し入れた。かちゃかちゃと穴を穿ることしばし、かちん、という音を立てて枷が落ちる。
「は、はずれた」
 枷のはずれた手首を目の前に掲げて、ヒノトが感嘆の声を上げた。
「次は足を。じっとしていてください」
 器用に枷を外していくスクネを見やりながら、エイは心底、彼がついてきてくれたことに感謝した。自分では、こういったことはどうしようもなかっただろう。
 ヒノトの足の枷がはずれたのは、それから間もなくのことだった。
「大丈夫ですか? 歩けます?」
「う、うむ……わからぬ」
 エイは、立とうとするヒノトに手を貸した。彼女はどうにか立ち上がりはしたものの、繋がれていた足首を酷く痛めているのか、足元がおぼつかない。
「ひとまず、この場所から離れましょう、カンウ様」
「うん」
 イーザが時間稼ぎをしてくれているお陰で、警備は手薄だったが、今からはそうはいかないだろう。彼の身もまた心配だ。早くこの場から離れて、カラミティと共にイーザの逃げ道を確保してやらなければ。
「ヒノト」
「大丈夫じゃ。歩ける」
 ふらふらと、それでも前を向いて一歩踏み出す少女を見て、スクネが感心したように目を見張る。エイは苦笑した。彼女自身が歩けるというのなら、こちらとしても助かる。
「カンウ様」
 ふと、誰よりも早く面を上げたスクネが、開いたままの扉の向こうを厳しい表情で睨み据えた。
「スクネ?」
「ヒノト様を抱えあげられますか?」
 彼が懐から暗具を取り出す。エイには扱えない類の武具だ。
「敵が?」
「きます」
 スクネがいうが早いか、足音がエイの耳にも届いた。
「エイ? うぉ!?」
 エイは問答無用でヒノトを肩に担ぎ上げた。彼女の体格が小さなほうで、本当によかったと思う。そうでなければ、ただでさえ男として非力な部類に入る自分では抱えきれなかっただろう。
「えぇぇぇ、エイ!?」
「黙ってくださいヒノト! 舌噛みますよ!」
 エイは、スクネの先導に従って、ヒノトを抱え上げたまま走った。
 エイの脇を弓矢が掠めていったのは、部屋を飛び出してすぐのことだった。


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