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第四章 失踪 1


 樹木に侵食された石造りの宮殿内部の空気は、どこもかしこも埃っぽく、そしてひやりと冷たい。光差し込む場所においては常にちらちらと埃の影が躍っていた。足元に気をつけていなければ、突然石畳を割って姿をのぞかせている木の根に足をとられることがある。
 遺跡と呼んでもおかしくはない、樹木の侵食を受けた古い建築物である城の内部は、驚くほどに入り組んでいる。複雑な迷路を踏破することは、潜入などの仕事が多い都合上慣れてはいたが、それでもウルは閉口したくなった。自分がこのような、右も左もわからない場所にいる理由はただ一つ、人目を忍ぶようにして歩く王の近習の姿を認めたからである。
 彼の後を追ってきたまではいいものの、慣れぬ飛び出した木の根にうっかりと足をとられた。足音もたてず、呻き声も漏らさなかった点においては、修練の賜物としかいいようがない。が、その結果、彼を、ついでにいうと、道も見失ったのである。道のいたるところに迷いのまじないが仕掛けられていることに気付いたのは、道を引き返してすぐであった。おそらく、正しい手順で道を選ばなければ無限回廊へと閉じ込められる。魔の公国で開発された古典的且つ、いまだ広く使われている仕掛けだ。舌打ちしたときは、遅かった。
 太陽の位置も動いていないから、もしかすると時間すら弄られている可能性がある。大そうなまじないだ、と思った。そもそも、この国を侵食する、榕樹という樹木自体が莫大な魔力を蓄えているという。かつて、医療国家としてのリファルナの地位を支えた榕樹は、今は沈黙と闇を内包して光に蓋をしている。
 気が狂うな、と思った。蠱毒と呼ばれる王たちの気分もわからないでもない。確かにこのような陰鬱な城に閉じ込められていれば、兄弟同士で、血で血を洗う諍いを長く続けていたくもなるのかもしれない。
 城とは、この国の城に限らずどこも似たり寄ったり薄暗く陰鬱だ。どこの国であっても、王室において、きな臭い諍いが絶えない傾向にあるのは、このような場所に長く閉じ込められていなければならないからかもしれない。共食いを、始めたくなるのかもしれない。蠱毒を作るために壷に長く閉じ込められるという、蟲たちと同じように。
 なんにせよ、今の自分にとって必要なのは歩くことである。足音を殺すこともやめている。罠に掛かってしまった今、そういった一切の努力は労力以外の何でもないからだ。
「カンウ様に迷惑が掛かっていなければよいですが」
 ウルは嘆息し、窓まで歩み寄った。ためしに、窓の外に手を伸ばしてみるが、玻璃かなにかに触れたかのように弾かれてしまう。さきほどから繰り返し確認していることだった。
 やれやれと首を回し、外を見下ろす。太陽の光は砂埃のためか、どこかくすんでいた。同じく、かすんでみえる街並み。こんもりと広がる黒い森。濁った河が海のように横たわっている。
「いや本当に困った。叱られるどころじゃすまないですねこれ」
 相手によってはちっとも困っていないかのような響きで、剣呑にウルは呻いた。窓枠に頬杖をついて、うーんと唸る。
 するとふと。
 ひゅ、と、何かが空気を切る音が耳元で弾けた。


 城に戻ると、ウルの姿が見えなかった。他の部下に所在を問いただしてみても、昼食前に見たきりだという。いくらなんでも託なしに姿を消すというのは奇妙にもほどがある。
 何かが、あった。
 何かがあったのだ。ひょっこりと顔を見せてくれればいいが、いくら待てども彼の姿は現れない。リファルナの大臣たちとの会合をこなす間も、彼が戻ったという連絡は受けられなかった。ウルは、忠義深い男であり、過去に何があったのかは知らないが、ラルトに絶対の忠誠を誓っている。仕事を途中で投げ出すような男では決してないのだ。何かあったと考えるほうが普通であった。
 日が沈み、夜の帳が下り、燭台に火が灯されても、ウルは戻らない。翌日の暁の刻に、エイは部下を二人部屋に呼びつけ命令を下した。
 一人には、リヒトへの託を頼んだ。ウルが姿を消すという非常事態に陥った今、のんびりと子守をしている場合ではない。たとえ姿を現さなくとも、あの薬師のことだ。事情はなんとなく悟るであろうが、自分でも馬鹿らしいと思うほど律儀な性格ゆえに許されなかった。
 もう一人には、内々に調査を頼んだ。ウルの姿を最後に見たというこの部下は、ウルの片腕でもある。組織は違うようだが彼と同じく暗部出身で、内偵の技術には長けていた。エイが下手に探りをいれるより、よほど効率的に動いてくれるであろう。
「疲れましたか?」
 そう問いかけられ、エイはあわてて居住まいを正した。昨夜からの一連の出来事の回想に没頭していたのだ。面を上げれば、強面の顔がある。王の近習――ドルモイだ。顔を分断する引き攣れた傷が目立つ男の声は、酷く、静かに、エイの睡眠不足の脳内に響いた。
「そうですね。多少。失礼いたしました。意識を飛ばして」
「暑いですからね」
 がたん、と乗っている車が揺れた。今自分は人力の車に乗せられて町を移動している。今の町の様子を見せたいとそう、ドルモイが申し出てきたせいであった。天蓋が取り付けられ、幾重にも垂らされた薄布が日差しを遮っている。今の時期、雨季と乾季の境目であるというが、確実に乾季へと季節は移行しているのだ。日差しは日に日に強くなり、温度は信じられないほど急激に上がり続けている。これでは、水が干上がっていくのも無理はないとエイは思った。
 薄布の向こう、見覚えのある街並みが広がっている。乾いた土壁の平屋。その少し奥に、二階建ての長屋が並ぶ花街。そして、貧民窟。この国に着たばかりのころはそこここ泥水に浸っていたというのに、今はすっかり道も乾いて、ほんの数日前エイを道に迷わせる根源となったいくつもの深い水溜りは、姿を消していた。
 人通りは相変わらず賑やかだ。ただ、日差しに耐えられないのか、木陰に座り込む骨の浮いた人の姿が前にも増して目立っていた。彼らの、虚ろな眼差しが、ゆっくりと移動する自分たちに向けられる。エイは顔をしかめ、薄布の影に隠れた。彼らが卑しいと思ったのではない。ただ、何も出来ない己を、糾弾されているようで怖かった。所詮異邦人。水の帝国ではいくら高位の官職についているとはいえ、この国に対して何ができるというわけでもないのだけれども。ただ、彼らの姿が水の帝国のどこかで、貧困に喘いでいる誰かに重なって、かつての、自分の姿に、重なって、怖かったのだ。
 時折、どうしようもないほどの無力感に駆られる。
 ウルの件にしてもそうである。
 どうして自分は、何も出来ない、若造なのだろう。
 覆いかぶさってくる責任に適う力を、自分は持ち合わせているのだろうか――繰り返し繰り返し、同じ問いが、胸の内を締め付ける。
 鼻の奥をつんと焦がす熱に顔をしかめかけた瞬間、ふと貧民窟の子供たちの笑い声が耳元にはじけた。力不足を自覚しながらも、明日へ向かって命を繋ごうと必死にもがいている子供たちの声だ。そして妹のように、自分にまとわりついてくる天真爛漫な少女の声が、耳に蘇る。
『エイ』
 鈴を転がしたような、との形容が本当にしっくりと来る彼女の声にほんの少し笑みを零して、エイは薄布の向こうに見える空に視線を移した。彼女らを持ち出して己の非力さを嘆くのは、お門違いだ。
 陽炎のせいで輪郭のぼやけた太陽が、色粉で染め上げたような濃い青で塗りつぶされた空に浮かんでいた。
「今、貴方のお国の季節は、夏でしたな」
 空を眺める自分をみて、故郷に思いを馳せているとでも勘違いしたのか、ドルモイが声をかけてきた。
「えぇ。初夏です。これからまだまだ暑くなりますが、この国ほどではありません」
「羨ましい限りです」
 社交辞令めいた会話だけが淡々と繰り返される。一体何を思って彼が町の視察を申し入れてきたのかはわからない。彼の鉄面皮から、表情も思惑も読めなかった。
「この国を、一体どのように思われたか?」
 ふいにそう問いかけられたのは、町の中心街に入ろうかどうかという頃合だった。市場の衆が、うだるような熱気に負けまいと覇気を見せるように、声を張り上げている。
「この国、ですか?」
 面を上げたエイに、王に代わって自分たちとの応対に勤めていた男は、初めて笑みを見せた。口角を押し上げただけであるが、異様な迫力を見せる笑みである。エイは思わず顔をしかめ、その笑みを睨みすえるようにしてドルモイを見返していた。
 エイの反応に、ドルモイは小さく笑っていた。
「そのような顔をなさらなくともよいのだ。どうして、今更町の視察などに、しかも私と二人きりの視察に、誘ったのか、勘繰っておられるな。性根が真っ直ぐであられるのは悪くはないが、外交の局面には向かぬのではないか御仁」
 からかい混じりのその言葉は、好意的ですらあった。エイは緊張を解き、嘆息しながら呻いた。最近このようなことばかりを言われている。そう、胸中で毒づきながら。
「……自覚はしていますがね。正直言ってしまえば、もともと面役は私に向かないと、思っているのです。裏方が丁度いい。……愚痴ても仕方のないことですが。仰る通り、不思議に思ってますよ。一体何ゆえ、突然誘いが来たのかと」
 がたん、と車が揺れる。ゆっくりと傍らで景色が流れていく。
 ドルモイはゆったりとした動作で胡坐をかいていた足を組みなおした。
「御仁と二人だけで会話がしたかったので。宮城はなにかと都合が悪い」
「……どういう意味ですか?」
「<裏切りの帝国>からおいでになられたというのなら、お分かりになられるだろう」
 ドルモイが立てた膝に頬杖をつき、流れる街並みに視線を寄越す。不遜な態度であるが、失礼にあたるとは思わなかった。その、何かに疲れた横顔のせいかもしれない。
「この国は呪いに侵されている。蠱毒の呪い――そのようにでも呼ぼうか。我が国の玉座は、血で贖われている。穏便に、玉座が譲渡されたことなどかつて一度もない。そういう国なのだ」
「……蠱毒は定まったその後も、やはりその残党が?」
「亡霊はどこにでもいる」
「新王はそれゆえに、姿を現さないのですか?」
 王座を争った兄弟同士、その家臣が残党としてあるのはよくあることだ。主を殺された恨みか、はたまた己が変わって玉座に登ろうとしているのかはしらないが、そういった輩に、新王は命を狙われている。予想していたことではある。
 確認を請うと、ドルモイは思いがけない言葉をエイにもたらした。
「この国には蠱毒などはいないのだ御仁」
 ドルモイの声音は低く震え、擦れていた。
「……それは」
 一瞬思考の止まったエイは、唾を嚥下し、ドルモイの顔色を伺い見た。彼の赤黒い縦の傷が、暗がりに鈍く光って見えた。
「幾度でも言おう。この国にはもはや蠱毒はいないのだ。蠱毒となるべき王の子ら、そして、御仁、貴方の君主が捜し求めているかつてリファルナを医療の国として支えた医師団も。先代がなくなってからこの十五年の間に、玉座を贖うための貨幣として浪費されてしまって既にない。今日私はそのことを伝えに、貴方を呼んだ」
「……蠱毒が……王が、いない……?」
 リファルナに。
 王がいない。
 婉曲的なドルモイの言い回しから、そのたった一つの事実を選び、意味を咀嚼するまで、時間を要した。
 愕然とドルモイを見上げるエイに、彼は一言呟いた。
「水煙草」
 その言葉は、エイに冷静な思考を呼び戻すに十分だった。エイは背を伸ばし、ドルモイに向き直る。王の近習――いや、今となっては誰に忠誠を誓っているのかすら、謎のままである男は、冷徹な眼差しをエイに向けて寄越した。
「東大陸の一部で流行っていると聞く。貴方の君主がとても賢く先見の明のあるお方であるとも。そしてその水煙草が、この国の出であることも私は知っている。大方、処方箋を求めてこの国にやってきた、ということですかな」
「そこまで見透かされているのなら話は早いですね」
「だが私たちは貴方たちに望むものを与えることはできないとだけ、お伝えしておく」
「……何故です?」
「あの水煙草を作り出した存在が、もはや存在しないからだ御仁。複雑な調合を経て作り出された件の水煙草。あれは特殊なものなのだ。我々の弱体化した今の医師団では到底処方箋を書くことすらできまい」
 ドルモイはそういいきり、エイを驚かせるばかりに留まらず、続いて彼の口から吐き出された言葉は、エイに自分の耳を疑わせた。
「私は今日、貴方と、貴方の君主の聡明さを見越して、医師団の留学を頼みたく思い、この場にいるのです」
「……りゅう、がく?」
 言葉を反芻するエイに、ドルモイが大きく頷き返す。彼は、淡々とその言葉の意味するところを述べ始めた。
「私どもの医師団の幾人かを、水の帝国の御殿医とその医師団の方々の下に、医療を学ぶために送りたい」
「ちょ、ちょっと待ってください。榕樹の小国[リファルナ]は曲がりなりにも医療の国でしょう。そして水の帝国[ブルークリッカァ]は確かに優秀な医師団を抱え持っていますが、それでも最先端の技術を持ち合わせているわけでもなく……」
 これでは、本末転倒ではないか。
 言葉を並べ立てながら、エイは思った。医療の国が他国に医療を学びたいと申し出ている。これでは、本末転倒ではないかと――。
 それに。
「それに、あなた方の申し入れを受け入れたとして、うちの国に何か利益でもあるというのですか」
 貧しいだけの国を、単なる慈善事業として助けるわけにもいかない。いくら復興しているとはいえども、水の帝国は国政も経済も何もかもがいまだ不安定だ。ラルトの器量でもって、辛うじて均衡を保っているという状態に過ぎないのである。国益の見込めない他国を懐に抱え込むほど余裕があるわけでもない。
「処方箋は用意できませんが」
 ドルモイは膝を崩して、エイに向き直った。
「この国が、医療の国として栄えていた頃の資料ならば。国家機密としてしまわれているそれらを、全て進呈しよう。それらを解読すれば、おそらくあなた方の医師団の力量を持ってすれば、処方箋を書くことも決して難しくはない。御殿医の筆頭にあらせられるというリョシュン殿は、他国にも聞こえの良い医者と聞く」
 確かに御殿医のリョシュンは、数多くの国を回って医療を収めたというその腕確かな医者ではあるが。
 困惑しながら、エイは素朴な疑問を口に上らせた。
「どうしてあなた方の医師団は、それを解読しないのですか」
 ドルモイは一瞬きょとんと丸め、低く笑った。獣の呻きにも似たその笑いは、自嘲のそれだった。
「基礎のなっていない医師団に、難しい応用書を渡したところで、理解できるはずもない」
 思わず黙りこくったエイに、彼は最初の問いを繰り返した。
「この国を見てどう思われたか御仁」
 繰り返し問い詰めてくる、彼の目線は厳しかった。押し黙っていると、彼は低く笑い、そしてその笑いを紡ぎだした同じ喉の底から、地を這うような声を絞り出してきた。
「首都でさえ、この有様であるのだ。今蠱毒が定まったという布令によって、賑々しく見えるものの、それは一時的なものに過ぎない。まもなく乾季がくる。誰もが飢え、渇き、太陽が国に蓋をし、たちこめるだろう熱は民人から立ち上がる気力すら奪う。先代が崩御し十五年。蠱毒を定めるための王の子らの諍いはかつてない規模で民人にまで波及した。この国にはもう何も残されてはいない。何も。貴方の主君であらせられるお方も、最初からこのような貧しい国に処方箋そのものを求めていたわけではあるまい。何か手がかり程度のものが得られればそれでよい。そう思われているはずだ。我々はそれを提供する。これが、この国にできる精一杯だ。その代り、我らを助けて欲しい。教育という、その面において」
「……教育」
「この国は国土豊かとはいえない。雨季は開墾した田畑を押し流し、乾季は大地を干上がらせる。ウル・ハリスのように、鉱物に恵まれているわけでもない。医療。それしかないのだ。この国にのみ育つ特殊な草花は、薬として加工して売らなければ十分な外貨にはなりえない。……十五年前に医療という国を支える根幹が取り払われてしまったことは、もう取り返せない」
(十五年前に?)
 最後の言い方に、少し引っかかるものを覚えたエイは、思わずドルモイの顔を覗き込む。が、彼の表情は変わらず厳しいままで、厚い唇からは硬い言葉が紡がれ続けていた。
「ならば何に縋ってでも、我々は医療の国という銘を取り戻さなければならない。今の我々に、過去の遺産を惜しんでいる余裕などない。それがあなた方の役に立つというのなら、いくらでも差し上げる。その代り、助けて欲しい。決して、あなた方の国に寄りかかろうというのではない。ただ、学ばせてくれるだけでいい。学ばせてくれるだけで、よいのだ……」
 胡坐の膝の上に肘を突き、胸の前で組み合わせた手に面を伏せて、男は呻く。その響は祈りのようで、なりふり構わず、明日へと踏み出さなければならないものの必死さがあった。
 なんと、声をかけていいのかわからない。
 けれども今この場で、はいそうですかと独りで物事を決定するわけにも行かない。
 臍をかんで渋面にならざるを得ないエイの耳に、思いがけないものの呼び声がはじけた。
「エイ!」
 エイとドルモイが乗る車を、人ごみ押しのけて追いかけてくる少年の姿があった。
見覚えのある顔である。思わずエイは戸布の狭間から顔を出し、車から身を乗り出していた。
 少年は、リヒトが面倒をみている子供の一人だった。あまりヒノトがエイに付いて来ることを良しとしなかった少年だ。おそらく、ヒノトを好いているのだろう。彼は車に殴りかからんという勢いで腕を振り回しながら、叫んでいた。
「エイ! こらちょっとそこから降りてこいよなんなんだよお前! 何者だよっ、てか、話し辛いだろうがコラ! エイ!」
 困惑から、エイは思わずドルモイに視線を投げた。ドルモイは首を傾げつつ、知り合いか、と尋ねてくる。その声音には、信じられないといった響きがあった。それはそうだろう。追いかけてくる少年は、どこをどう見ても最下層の人間に見える。大国からの密使が安易に知り合うような人種ではない。
 エイは逡巡した後、頷いてドルモイに請うた。
「停めていただけますか?」
 ドルモイは天蓋から吊り下げられている縄を強く引いた。色の塗られたその縄は、天蓋の外に取り付けられた鐘を大きく鳴らす。やがて合図に従って車を引いていた男たちが道端に車を寄せ、停めた。踏み台が差し出されるよりも前に車から飛び降りたエイは、胸に叩きつけられた弱弱しい少年の拳を受け止めた。
「テメェヒノトに何しやがった!」
「……ヒノトに?」
 拳を繰り返し叩きつけてくる少年は、顔をくしゃくしゃにしてエイの肩口に額を押し付けてくる。一体、何がどうなっているのか判らない。困惑しながら少年の痩せた肩を見つめ、努めてエイは落ち着きの払った声で問いかけた。
「ヒノトが、どうかしたのですか?」
 ひくりとしゃくりあげて、少年が呟いた。
「……いなく、なっちまったんだ」


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