BACK/TOP/NEXT

番外 ロプノール王宮日誌 2


 扉の前で逡巡して、結局逃げるように駆けて行くお姉様の姿が見えました。しばらくして、開いた扉。そこから顔を覗かせた男が、迷うことなくお姉様の消えた方向へ面を向けます。
 そんな表情をなさるのでしたら、追いかけて謝ればよろしいのに! 何を謝るのかなんて存じませんけれども、あの男がお姉様に悪さをなさったのだと、決まっております!
 あぁ腹立たしい。今すぐその横面を蹴り飛ばして……あら嫌ですわ。淑女はそんなこといたしませんのよおほほほほ。
 こほん。
 まぁとにかくちょっとそこの貴方。
 お暇でしたら、お茶を一杯片手に、私のお話、聞いていきませんこと?


 私、エイネイと申します。この国の皇太子であるハルの、婚約者ですの一応。次期、王妃ですわね。賢人議会の騒ぎがまだ冷め遣らぬ今は、婚儀も延期ですし、やることといったらお勉強とやけに甘えたなハルをあしらうことだけで。
 その二つとも、とても今手につきそうにありません。何故ですかって?
 原因はあの男にありますの。
 ジン、という、水の帝国から来たという旅人ですわ。ナドゥ師の家の家政夫をしているのですって。西大陸の容姿をしておりますが、お姉さまがおっしゃるには東大陸の出身なのですとか。まぁ私にとってはそんなことどうだってよろしいのですけれども。
 何よりも重要なのは、そう。
 あの胡散臭い笑顔を浮かべる正体知れずの男が、事もあろうに、私の命より大切な双子のお姉様――シファカお姉様を篭絡し、そしてどんな間違いがあったのか存じ上げませんが、お姉様も、あの男に篭絡されてしまったのです!
 あぁああああ腹立たしいったらありゃしませんわ!!!
 そりゃぁ見目は悪くはありませんし、食事を共にしてみたところ、基本的な作法もどうしてだか身についているみたいです。頭だってむしろとんでもなく切れるみたいですし、女の子には優しいみたいですしって……いやだわ私、あの男を褒めているみたいではありませんの。
 ですがですがですがっ!!!
 たとえ、どれほど他の女の子に対しては、まぁ一重丸ぐらいは上げてもよろしいですわよ、という殿方でも、お姉様を泣かすのはいただけません。むしろ成敗! 成敗してくれますわ! お姉様にあんな辛そうな顔をさせて、この世から消えておしまい!! 全くもう!!!
 シファカお姉様は、私にとって、憧れの、お姉さま。
 話は変わりますけれども。
 私のお母様は、それはそれは嫌ぁああな方でした。
 いつもめそめそ泣いておりましたし、何でも他人のせいにして。私は遊びに行きたいのに、ちっとも離してくれないし、遊びに行きたいのっていったら、母さまを見捨てるのねって癇癪を起こしなさるし。
 けれど私はとても弱くて、お母様の束縛から逃れることなど、出来はしませんでしたの。
 お姉様は、そんな私と違って、いつも一人で立っていらっしゃって、お父様の意思をついで剣で一角の地位をご自分で確立なさって。
 その強さが、少し、ねたましかったことも、そりゃぁありましたわ。けれどもお姉様はいつも一番に私のことを考えてくださいました。私のことを守るからねと、小さい頃に約束なされてから今まで、その約束を破ったことなどありませんし。
 そうそう、一番決定的だったのは、ハルとの、婚約です。
 私、もしかしたらお姉様は、ご自分ではお気づきになられていらっしゃらなかったのかもしれませんけれども、ハルのことが好きだったのではないかと、思っておりましたの。
 ハルは、私たち姉妹に一番近しく、一番優しかった人ですわ。
 私はきっぱりはっきりいってハルのことがずっと好きでしたし、ハルに婚約を申し込まれたとき、嬉しさと同時に、ほんの少し、お姉様に初めて、優越感を抱きましたの。今ですから、告白いたしますけれども。
 あぁ初めて私は、お姉様に、勝つことができたのだと。
 お姉様は一人で、その身一つで、ご自分の居場所を築いていらっしゃる。私なんて、何にもない。お姉様や今は亡き王陛下、そしてハルの庇護がなければ、きっと砂地に放り出されていたことでしょう。
 近寄ってくるのは、金と地位目当ての、頭の軽い男女たちばかりなのですもの。
 私を見てくれるのは極僅か。その中の一人、ハルシフォンが、ほかでもない私を、選んでくれた。これほど嬉しいことがありまして?
 けれどもすぐに、罪悪感に変わりましたわ。
 あの、お姉様が一瞬だけ浮かべた、傷ついた顔。
 けれど即座、何もなかったかのように、私のことを祝福してくれたこれ以上ないほどの、笑顔。
『おめでとうエイネイ。私の妹が、そんな凄いひとに選ばれるなんて、本当に嬉しい』
 至上の喜びといわんばかりの弾んだ声。
 私、泣いてしまいました。
 嬉しさではありません。悔しさと、哀しさと、自分の愚かさにです。私は、お姉様から共有すべきものを奪ってしまったのです。お姉様は本当に私のことを考えてくださっていて、それなのに優越感だとかなんだとか。
 馬鹿みたい。
 たった二人だけの姉妹。たったふたりだけの、血族。
 そのとき私は決めました。私はお姉様の為に、命を懸けます。この人が幸せになるためなら、何でもしてさしあげようと。
 ずっとずっと、幼い頃からお姉様がそうしてくれていたように。
 だ と い う の に!!!!
 よりによって私のお姉様に手を出しやがった馬鹿野郎が、お姉様を幸せにするどころか泣かせてばかりいるのです。私の目の前に初めて現れたときもお姉様に無礼を働きましたし、二度目現れた時は血まみれで瀕死でお姉様蒼白になって泣きじゃくっておりましたしっ。
 なのにその馬鹿野郎を、どうもお姉様好いていらっしゃるものですから、私もお姉様を引き剥がそうにも、引き剥がせないわけです。要するに、私には手がだせない。お姉様の為に何もして上げられない。あぁもどかしい!!
 だれか、どうにかしてくださいませんこと!? これ以上お姉様を泣かしたら……覚えてらっしゃいあの似非笑い男っ! 安穏にこの国から出られると思いまして? というよりも、平和にこの国で暮らしていくことも、許しませんことよっ!!!


BACK/TOP/NEXT