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番外 ロプノール王宮日誌 3


「あれ? 帰るのか?」
 纏めた荷物を手に携えて、足早に城門をくぐろうとする男に俺は尋ねた。男は振り返り、うんと頷く。
「やることあるから」
「へぇそっかぁ。家政夫ってのも、暇じゃないんだなぁ」
 男はまぁねぇと薄笑いを浮かべながら、肩をすくめる。あれ、と思った。少し、なんだか影が薄い感じがする。
「……どうかしたのか?」
「え?」
「いや、なんだ。なんつぅか」
 上手く、言い表せない。影が薄い。気配が薄い。表情が沈んでいる気もするけど、口元に湛えられる不遜な微笑には変わりがない。
 かける言葉を上手く見つけることのできなかった俺は、適当な言葉を見繕った。
「……今度、お前の料理食わしてくれよ。ナドゥ師が自慢してたんだぜ」
 男は少し、眉をひそめる。そうそれだ。なんか傷ついているような、そんな顔だよ。
 男はぽんぽんと俺の肩をたたき、微笑んだ。じゃぁ元気でって。おいおい、なんか別れの挨拶みたいだぜ。飯食わしてくれんのかくれねぇのか。返事になってねぇって。
 それからのんびりと宿舎に戻る途中、俺は噂に聞くからくりの国の弾丸の勢いで駆けてきた団長――いや元団長か。そのシファカと、鉢合わせした。ぶつかった、といったほうが正しい。尻餅ついた俺の首をぎゅうぎゅうに締め上げて、彼女の吐いた科白はこれ。
「ジンはどこ?!」
 ……普通、大丈夫か、が先じゃねぇ?
 城門のほうで見かけたといったら、彼女は足を滑らせながらかけていった。なんだどうしたんだ?
その疑問は、まぁすぐに解消されたけどな。
 俺の名前はセタ。そのうち兵団および護衛団の団長を引き継ぐことになっている。ちっさなちっさな国の、しがない一兵士にしか過ぎない俺だけど、一応言いたいことはあるんだぜ。
 まぁ退屈しのぎにでもきいてくれよ。


 泣き声が、夜更けの城を満たしている。昔の怪談みたいだ。女のすすり泣く声。それは悲痛な号泣にとって代わられ、また泣き疲れた頃には、すすり泣きに戻る。
「どうにかならないかなぁ。セタ」
 本当に疲労困憊の眼差しで俺を見つめてくるのはこの国の皇太子殿下、ハルシフォン様。いやぁそんな目で見つめられたって困るって。どうにかするのは殿下の役目でしょう。
 ちらりとその殿下が一瞥するのは、寝台の上で先ほどから泣いてばかりのお姫様……エイネイ様だ。シファカの双子の妹君。それ以上泣いたら神経いかれちまうんじゃないかっていうぐらい、今日の昼からずっと泣いてる。
 え? 何でかって?
 シファカが、今日の昼のキャラバンに同乗して、男追いかけて国をでていっちまったからさ。
 あのシファカが、まさかそんなまねするとは俺思ってなかったんだけど。いやぁ恋をすると女は変わるってあれ本当だねぇ。何かふっきった顔しちゃってさ。不毛の王国の民らしいといえばそうかもしれないけどよ。
「ひっくひぐっ……うわぁああぁあんっ!! おねーさまーっ!!!」
 ちーんと鼻水をかんで、再び突っ伏す。周囲では女官がおろおろと立ちすくんでいる。昼からこの調子。もう誰もがお手上げ状態だ。
「……そんなに嫌なら引きとめりゃぁよかったんじゃないすか」
 ぼそりと本音を呟くと、鼻水をかみ終え丸められた布が、俺の頭に見事命中した。……お願いだからやめてくださいよ姫さん。
「ひ、引き止めたところでどうなりますのっ。ま、また辛そうに、お姉様が泣くだけですっ。で、で、でしたら、お、お姉様が後悔なさらないように、お、おく、り出して差し上げるのがっわた、私の役目ですわっ」
「もしシファカがジン殿に追いつかなかったり、ジン殿がシファカをふっちゃったりしたら、どうするんだい?」
 うわっつ殿下そんな火に油注ぐような発言を穏やかにするもんじゃないですよっ。
 案の定姫さんは面をあげて、きっと殿下を睨み据えた。ぽいぽいと鼻水をかんだ布を殿下のほうへ投げつけて、ついでに枕も投げつけて、ついでに香も……え、香?
 がしゃんっ
 ……遅かった。香の器が、壁に叩きつけられ見事に砕け散った。とんでもない速さで投げつけられたにも関わらず、涼しい顔でそれを避けていらした殿下。もしかして、よくあることなんですか? ちょっとこの夫婦生活を覗いてみたいようなみたくないような……。
「そうしたら、私がっ、も、戻ってきたおねーさまをお慰めして、国の全精力を挙げてっ…ひぃっくっ…あの男を探し出し、けちょ…っく…んけちょんにして差し上げるから、よ、よろしいですわっ。まったく何なんですのっ…ひくっ…ここの殿方は乙女心に理解がないというか…っく…なんというかっ」
 ジン。あんたとんでもない人、敵に回したみたいだぞー。しっかりシファカ捕まえて、くっついて、彼女幸せにしてやってくれー。でないとさぁ、俺お前をひっ捕らえにいかなきゃならんかもぉ。
 突如、殿下は俺の腕をくいくいと引いて、部屋の隅まで連行した。壁に向かい直り、ごそごそと秘密の対談。
「で、何かいい案は浮かばない? このお姫様をお慰めするのに」
「なんで夜半に俺をたたき起こして質問してくることがそれなんですか殿下? 俺の部署、間違えて覚えてません? 俺は兵士です。相談係でも家庭教師でもありませんよ?」
「いやぁ、長年僕のお姫様を思慕の念で見つめ続けてくれていた人なら、参考意見きけるかなと思って」
 ご、ほ。
 何か飲み物を口に含んでいたならば、確実に俺は噴出していただろう。というかねぇ殿下、今貴方様なんておっしゃいました?
「ででで、殿下?」
 殿下はにっこり笑ってこういった。
「僕が長年の恋敵に気付かないとでも?」
 こここ、恋敵ってあーた。
「……お、俺まったく脈なしの礫片思いですよ」
「うんでもまぁ長年エイネイを見てたってことには、変わりないよねぇ」
 うーわー性格悪いこのひと。改めて再認識。
「というわけで、有益な意見聞けるかなぁと思って。どうですか?」
「……ナニモイケンナドゴザイマセン」
「役立たず」
 ぐさっと。
 さすがにきましたよ殿下。今の。
 俺が姫さんに仄かな恋心を抱いていたのは、そんな遠くないけれども、もう過去のことだ。いやむしろ今はどうしてこんな姫さんに俺がほれていたのか、青かった自分の襟首を締めてやりたい。求婚した殿下に拍手だ。
「……めっちゃくっちゃに甘やかして、姫さんには自分がいるんだっていうこと、教え込めばいいんじゃないですか?」
 適当に投げやりに俺はそう答えた。俺のいい加減な言葉に、殿下は意外にも乗ってくる。
「へぇ? どうやって?」
「どうやってって……」
 彼女いない暦が人生の月日と被っちまう俺に訊くなよ…。
 殿下はふむ、としばしの間、黙考したようだったけれども、ぽん、と俺の肩を叩いた。
「君の意見、採用ね。ありがとうがんばってみる」
 表情を凍てつかせて面をあげると、悪魔の微笑を浮かべた殿下。
 ……何をどう頑張るんだか、ちょっと教えてください。
 ねぇ姫さん気付こうぜ。ジンよりこっちの男のほうが、よっぽど胡散臭いってことをさ。
 後、俺と女官たちは外に叩き出されて、殿下が姫さんを慰める声がほそぼそと扉越しに耳に届いた。そうできるのなら、最初からやっておけよ! と思うけれども叫べない、哀れな一兵士の俺。
 誰か、俺にも俺を慰めてくれるかわいい彼女、ください。
 切実な願いを、主神さまは聞き届けてくれただろうか。
 ……無理なんだろうなぁ……。



 目を真っ赤に晴らしたエイネイが、恨みがましく自分を見つめてきた。その視線を肩をすくめていなしながら、ハルシフォンはその肩を優しく擦る。しゃくりあげていた娘は、徐々にその呼吸を落ち着かせていった。
「……なんですのハル?」
「なんですの、は酷いんじゃないのかい? 泣いている奥さんを慰めようとして何が悪いの?」
「……そんなことが出来るほど甲斐性ありましたのあなた」
「……エイネイ。実は僕のことを思いっきり見縊っているでしょう?」
「えぇ」
 躊躇のみられぬ肯定に、思わず沈黙してしまう。前々から疑問であったのだが、この娘の自分に対する評価は低すぎないか。絶句したまま動けないでいると、エイネイがのろのろと身体を起こした。
「膝、あけてくださいません?」
「膝?」
 寝台の上に腰掛けていたハルシフォンは、首を傾げつつ一先ず上半身を起こして膝を開けた。すると程なくしてそこに柔らかく温かな重み。
「どうしたのエイネイ?」
 ぎゅ、と抱きつかれて、困惑してしまうのが哀しいところであった。エイネイは滅多にこちらに甘えてくることがない。この気丈な娘が本当に甘えるのは、姉だけなのだ。
「今日は一緒に眠ってくださいねハル」
「今日は、というかいつも一緒に眠っているけどね。言われなくても眠るけどね。どうしたの?」
「……本当に頼りがいのないお話していても面白いことのいえない生真面目で気弱な皇太子ですけれども」
「エイネイさーん。僕はどこから突っ込んだらいいのかなー?」
「あぁとりあえず」
 ハルシフォンの訴えはさらりと無視されたが、続けてエイネイの口から吐かれた言葉は、ハルシフォンの機嫌を損ねることはなかった。
「貴方がいて、よかったですわハル。この国で一人で取り残されてしまうのは、とても心細いですもの」
 ね、と少女は、同意を求めるように首をかしげて柔らかく微笑んだ。
 その言葉で、知る。
 自分が、きちんと必要とされていること。
 この少女もまた、心細い娘なのだ。両親ともに異国の人間だった。この国に血族はいないし、自分もいまや天涯孤独の身であるが、先祖を遡ればこの土地の人間だ。遠い親戚ぐらいならば確実に国のどこかにいるであろう。
 姿かたちも似通うことのない人々が支配する国で、たった一人。
「大丈夫だよエイネイ」
 ハルシフォンはそっとその背に腕を回しながら優しく囁いた。
「大丈夫。他の誰がいなくなっても」
 自分がいるのだから。
 エイネイはすすんと鼻をすすると面を上げた。いつもの勝気さはなりを潜め、華奢な可憐さが際立っている。かわいさに鼻を伸ばしそうになりながら、抱きしめる腕に力を込めようとすると。
 が。
 すかっと。
 その腕は宙をかき抱いた。いつの間にか膝の上の重みがきえて、エイネイはハルシフォンの傍らに佇んでいる。彼女はちーんともう一度布で鼻水をかむと、それを洗濯籠の中に投げ入れて、ふふっと笑った。
「いやですわ私ったら。泣きっぱなしでお腹がすいてしまいました」
「……え?」
 首を傾げるハルシフォンの呻きを、エイネイの耳は拾い上げることはなかったのだろう。彼女はうん、と背伸びをして、足取り軽やかに戸口のほうへと歩き始める。
「ちょっとお夜食とお茶、いただいてまいりますわ」
「え? ちょ、ちょっとエイネイそんなのこっちに運ばせればい」
 きぃ、ばたん
 扉の開閉音は残酷にもハルシフォンの言葉をあっさりと遮断した。扉の向こうへ消えたエイネイの鼻歌が、耳の奥に反響して消える。ハルシフォンは沈黙した扉を眺めながら、ぐったりとため息をついた。
「エイネイぃぃぃ」
 その夜、ようやく収まった皇太子妃のすすり泣きの変わりに、皇太子殿下の嘆きが、石造りの回廊に響いていたという……。
 合掌。


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