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番外 ロプノール王宮日誌 1


「追わなくていいのかい?」
 そう問うと、目の前の男は珍しく笑みを消した。その面に浮かび上がったのは苦渋。あぁ、このような顔もするのだなぁと、僕はどこか感心すら覚えた。
 僕の背後で消えて行く足音は、僕のかわいい恋人と瓜二つの顔を持つ少女のもの。
 僕が妹同然にかわいがっているその少女の名を、シファカ・メレンディーナという。
 目の前で、傷ついたような表情をして立ちすくむのは、ジン、と名乗る旅人。
 少し間を置いて、彼はいいんだよ、と微苦笑を浮かべながら答えた。
 僕の名前はハルシフォン。湖の王国ロプノールで、これでも一応皇太子をやっている。
 思春期真っ盛りな僕の最近の悩みを、すこーしみんなに聞いてもらいたい。


ロプノール王宮日誌


「本当に本当に本当に!」
 ぼすり、と枕が少女の拳を受けて大きく窪む。僕の話を聞いた僕の可愛い人は、ふるふるとその小柄な身体全体を震わせて憤りあらわに絶叫した。
「むっ…………かつきますわ!」
 彼女、エイネイ・メレンディーナは、どす、ごす、どす、ぼす、と立て続けに、拳やら蹴りやらを枕にお見舞いしただけに留まらず、さらにその枕を持ち上げて、力任せに僕のほうへ放り投げた。
 ぶん、という空気を裂く音と共に、その枕は僕の耳を掠めていく。ねぇエイネイ。いくら八つ当たりしたいからって、僕に向かって力いっぱい枕を投げることはないんじゃない? あたらなかったけど。
 寝台の上でぜーぜーと息も絶え絶えに肩を震わせる少女と、壁際でご臨終の枕を見比べながら、僕はため息をついた。最近、彼女の機嫌がとことん悪い。いつもこの調子で、僕はちっとも構ってもらえない。
 賢人議会の騒ぎがようやく落ち着いてきたとはいえ、事後処理に走り回って疲労困憊で帰宅する身にとっては、彼女に甘やかしてもらえないばかりかほぼ完璧に無視状態っていうのは、ちょっと切ないんだけど。
 それもこれもあれも、みんな、彼女の双子の姉の、恋が原因なんだよね。
 エイネイの双子の姉、シファカが、目に見えて綺麗になりだしたのは何時のころからだったかなぁ。
 どこか怯えた目で他人を見て、渇いた笑いを貼り付けながら、女になることを拒絶して生きていた少女。
 砂だらけになりながら、剣を頼みに必死に生きていた少女。
 異国の血を引くせいで小柄なのはエイネイもシファカも同じだけれども、一卵性であるにもかかわらず、一挙一動が二人は全く異なっている。愛らしさを常に身にまとうエイネイとは対照的に、女だてらに剣を振るい、護衛の兵として働くシファカは少年のようだった。男の中に混じっていても、女らしさが際立つということは全くない。
 それが、いつのころからだったかな。
 おや、と思ったのは、あぁそう、シファカが毎日、外へ出るようになったころからだ。
 シファカが構ってくれなくなって、寂しい寂しいとエイネイが不機嫌だった。その寂しさの反動で僕に甘えてくれるのかとおもいきや、このお嬢さん僕には見向きもくれなくなるんだから。
 ……ごめん話がそれたね。
 それで、だ。シファカが久しぶりにエイネイの茶会に、護衛として付き従ったときだ。髪の毛を綺麗に結い上げていて、彼女の瞳と髪に映える金の簪を挿していたのも、珍しいなぁと思ったんだけど。
 シファカの顔が、なんというかねぇ。
 綺麗だった。おや、と思わせるような、なにか匂うような雰囲気があった。そこにいるだけなのに、何かが花開いたような存在感があって。
 少しずつ少しずつ。
 彼女は綺麗になっていった。表情が、柔らかくなったね。張り詰めていたものが少しずつほぐれていくようだった。予想はなんとなくついていたけど、ここにきて明白になった。
 彼女は、恋をした。
 相手の男の名前はジン。水の帝国から来たという、旅人だ。
 この賢人議会の騒ぎを収めた功労者の一人でもある。彼がいなければどうにもならなかったと、皆が口をそろえて言う。というわけで、ちょっと素性怪しいけど、ロタもやけに推薦するし。、当面の間の僕の政治の補佐役――宰相として、ここで働いてもらえなかなぁとか思ってみて、今朝も口説きにかかってたんだけどね。
 あっさりと、断られました。
 シファカ、僕一応君の恋路を応援するためにがんばってみたんだけど、あのお兄さんの意思は固いみたいだったよー。
 筋がないわけじゃない。むしろジンのほうが、シファカに惚れこんでいると、僕は断言できた。じゃないとシファカに立ち去られただけで、あんなに傷ついた顔しないでしょう。
 僕はねぇ、君たちに丸く収まってもらわないと、困るわけだよ……。
「本当に、本当に、私のっ私のお姉様をもてあそんでー! 本当に殴り倒しますわよ蹴り殺しますわよお姉様を泣かせたら! あの男! あの男! 様付けしてやるのも腹立たしいですわ! くぬっくぬっ!」
 僕は寝台に突っ伏して、むかつく腹立つ悔しいあまつさえ殺してやるなどと、物騒なことを呻いている婚約者の傍らに腰を下ろした。その背をさすりながら、ためしに尋ねてみる。
「ねぇエイネイ」
「……なんですの?」
「僕とシファカ、どっちが大事?」
「お姉様に決まっているでしょうと何度言わせたら判りますのハル」
 そうしてエイネイは、再び寝台に突っ伏してしまう。あぁ、叩かれる枕が、哀れ。
 ……という風に、僕の恋の平穏は、どうやら彼女の姉君の恋路の行く末次第らしいから。
 お願いだから、早くまとまって欲しいんだよねぇあの二人には。
 でないと僕、夜のほうとかもお預けになりそうで……あ、いやごめんなさいこちらの話です。
 うん最終的に何を言いたいかというと。
 エイネイにかまわれなくて、すこぉおおし、寂しいです……。


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