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第二章 迷子の玻璃球 2 


 シルキスと名乗る男は、シファカの仕事場にふらりとよく姿を現す。とはいえども、頻繁に姿を現すのはここ最近のことだ。最初は、人目を忍ぶように短い間だけだった。
 大抵とりとめのない話をしていくだけに留まるのだが、今日だけはやけにしつこく且つ強引であった。共にいこうという。その意味が一時的にどこかへ出かけようという意味ではないことは明白であって。旅の連れになれと、そういう意味合いであることはシファカにも理解できた。
「あんたと一緒に行くつもりは、私にはない」
 きっぱりとそう言い放つ。ぱん、と洗濯物を広げ、順番に干していきながら形を整える。シルキスはその背後にじっと佇んでいて、観察されているようで落ち着かなかった。
「何故ですか?」
「なぜって」
 全て干し終えて、シファカは男を振り返った。仕事が重なって旅の連れになることはあるとしても、それ以外の理由は無い。が、シルキスの瞳は静かな色を湛え、返答を待っているようだった。片眼鏡の奥のその色に戸惑いを覚えながら、シファカは籠に手を伸ばす。
「おいかけてるひとが、いるから」
「追いかけている?」
「会いたい人がいるから、一緒にはいけない。どこへ行くつもりなのか、しらないけど」
「その人がどこにいるのか、わかっていらっしゃるので?」
「……わかんないよ」
 籠を持ち上げて、軽いそれを抱きしめる。吐息は白く冷たく、触れた指先を温めることすらない。
「判らないのに、追いかけていらっしゃるので」
「判らないから追いかけてるんだ。もういいだろ。そういうことだから、私はあんたとは一緒に行けない。さそってくれて、ありがと」
 シルキスは面を伏せる。きつい言い方であったような気もするが、自分にはこういう言い方しかできない。シファカは嘆息して、足を踏み出した。次の仕事が待っている。長々と立ち話しているわけにもいかないのだ。
 すれ違いざま、面を上げたシルキスが、微笑みながら尋ねてくる。
「男ですか」
 その親しげな笑みにほっと肩を落とし足を止めて、シファカは頷いた。
「うん」
「あぁ、好きなのですね?」
「……うん」
「その、方の名前は?」
「……ジン、て」
「ジン?」
 がっと、その腕を掴まれる。ぎりり、と力の込められたそれに、顔をしかめながらシファカは叫んだ。
「放してよ!」


(怖かった)
 厨房からの生ごみが目一杯つまった桶を腕に抱えながら、モニカは先ほどのやり取りを思い返していた。胸にたった一日だけ輝いていた綺麗な赤い石。結構気に入っていたのに、と残念に思うと同時、ジンの冷ややかな目が脳裏にこびり付いて離れない。彼がこの土地に滞在してそろそろ一月になるが、その間彼のあのような目をモニカは見たことがなかった。目的のためなら実力行使を厭わないところがあるのは知っていたが、あんな冷たい目を自分に向けるなんて。
 それだけ、あの石が大切だったということだろうか。
「変なひとよねあの人も」
 名前はジン。職業旅人。
 本を書きながら旅をしているのだといった。けれどもその目的は詳しくは語らない。退屈が嫌いだから。彼はそういって笑っていたが、それが本当の理由ではないのだろう。訳あってどこにも戻れず漂泊する人々には、モニカも度々会う。ジンもまた、そのうちの一人だとなんとなく思っていた。
 出身はおそらく西大陸。宿にたびたび滞在する西出身の旅人の容姿が、彼のまさにそれであるからだ。あの淡い亜麻の髪や、自分たちの白さとはまた異なる白い肌、彫りの深い顔、しっかりとした骨格と高い背丈。
「西の貴族かなぁ」
 魔の公国メイゼンブルが滅びたと聞いたのは何時だっただろう。閉ざされたこの国であっても、世界を賑わした大きな事件は耳に入る。そこの、やんごとなき人なのではないかな、とモニカが推測を立てているのは、彼の礼儀作法がきちんと教育を受けた人のものだからだ。
 アレッサンドロがジンを気に入って傍に置いているのは、彼がアレク当人と対等であるからだけではない。傍においていても、気に障ることのないその洗練された作法だ。本人は粗野であろうとするが、どうしても滲み出るものがある。
「変な人」
 彼は、この国を出て行くという。
 本当は、もっと居てほしかった。
 でないと、あの人はまた一人ぼっちだ。
 馬鹿王子。この国の第一王子。アレッサンドロ。
 本当ならこの国の王。なのに即位が遅れているのは、彼の容姿のせいだった。人ならざるものの名残を見せるその容姿。大人たちは、彼に即位を雪嵐が終わった後の清めに合わせたがった。それゆえに、いまだ彼は王子のまま。
 清めなければならないほど、彼はそんなにも穢れて見えるのだろうか。
 だれも彼を恐れて近づかない。異形の王子は孤独で、ジンはそれに対等に接することの出来る人だ。
 だから、もう少しだけ。
 もう少しだけ国に居てほしかったのに。
「あーやっぱり渡さなきゃよかったかしらアレ」
 腕に抱える生ごみの臭さに顔をしかめながら、モニカは呻いた。
 彼が血相を変えて取り戻したがっていた赤い石を脳裏の隅に思い描く。けれども渡さなければ、本当に殺すよと目が言っていた。旅人なのだから、人を殺したことはあるんだろうなと思う。自分たちが今日食らう分の獣の肉を裂く、それと同じ必要さでもって。
「――放してよ」
 ざ、と予め掘られた廃棄物用の穴にごみを流し込んだところで、モニカはその声を聞いた。聞き知っている声だ。空になった桶を抱えて、声のしたほうへと向かう。
 そこには先日から手伝いとしてこの宿で働く娘がいて、その娘の腕を取る男がいた。


 割ってしまった水差しを片付け終わり、すっかり冷めてしまった粥を小なべで温めなおしてもらった。舌先に残った、粥に振り掛ける黒砂糖と練乳の甘さを濃く入れた茶で押し流す。普段なら大抵周囲の人間に声をかけて、談笑しながら食事を取る。だが今朝ばかりは、そんな気分ではなかった。
(こう妙に意気消沈しちゃってるのは、夢見たせいだからですかね?)
 胸中で自問する。口元には自然と自嘲の笑みが浮かんでいた。久しぶりに見た。少女が泣く夢。
 あれは、少女の剣を身に受けて、命を落としかけたときだった。熱にうなされた自分は、夢を見たのだ。
 地平の彼方まで雪に染まった銀世界。死者の葬列。かつて愛した女の手を振り払って、自分は少女の下へ駆ける夢を見た。
 今朝方は今指先できらきらと招力石の明かりを照り返す瑪瑙玻璃の喪失に気をとられて、その夢の深い意味など、考える暇もなかったけれども。
 ここしばらく見ていなかったのに。一体なんだというのだろう。
 玻璃珠を握り締めたジンは、食堂内のざわめきが止まったことを訝り、面を上げた。入り口に、見慣れた尊大な態度で腕を組み、仏頂面をして食堂内を睥睨する男がある。アレクだ。彼とぱちりと目が合う。アレクはさらに目を細めて、つかつかとジンに歩み寄ってきた。
「貴様、何している?」
「何って、朝ごはんですよ」
 ほらみてこれ、と空になった皿を指差す。が、判っていたことではあるのだが、アレクの求めていた返答とは違うらしい。彼が不機嫌になっていくさまを肌で感じ取る。茶器を置いたジンは、ぴりぴりしていく空気に軽く身構えた。
「俺はそういうことを訊いているんじゃない!」
 ばん、と拳が食卓の上に叩きつけられる。その際に飛び上がった食器類が、がしゃんと音を立てた。かたかたと揺れる皿を眺めつつ、この食器まで割ってしまったらモニカ怒るよなぁとのんきなことを考える。横から伸びた手に胸倉を掴み上げられ、ジンは眉をひそめた。すぐ傍にアレクの顔がある。その短気さに呆れて、相手を半眼で眺めていると、怒声が眼前ではじけた。
「お前俺の了解なしにどこかへいくとはどういう了見だ!」
「はぁ? 何言ってるの殿下。『用心棒』のお嬢さん叩きのめすまで帰ってくるなとか言ってたのどこの誰さぁ?」
「俺だ!」
「いやあのそのそんな威張って断言されても」
「だが勝手に行かれるのは我慢ならん。それで、あの小娘はどうなった?」
「どうなったも何も、まだ顔合わせも済ませてないけど」
 言い訳ついでに呻いたあとに、そういえばまだ会っていないな、と再確認した。アレクを軽くあしらったというお嬢には個人的に興味引かれるものがある。が、その一方で、今頃紹介されてもなぁ、と思う。モニカの言葉に従って、この国の滞在を伸ばす気にはなれなかった。食堂を満たす空気は平和そのものであるが、騒乱が起こるのはわかりきっている。シルキスはやるだろう。宣言したのだから。
「だったら朝から何していたんだ?」
「え? えーっと」
 ちら、と握った拳を一瞥する。その拳の中にはちいさな玻璃珠。これを、暁の頃から探し続けていました、などとはいえない。言ったが最後、この男は面白がって、この珠を奪いにかかってくるに違いなかった。奪われるヘマはしないが、その攻防がまた面倒だ。
 えへ、と笑って、とりあえず誤魔化してみる。
「雪遊び?」
「そんなに雪遊びがしたいのなら雪の中に貴様のむかつくにへら顔を埋めてやるが?」
「とっても冷たい気がするので遠慮するよ。ねー殿下、そろそろこの手、放してくれないかなぁ?」
 襟首のアレクの手を空いている手で外しにかかりながら、ジンは呻いた。
 だがやって欲しいと頼まれれば、その逆をしたがる天邪鬼がこの男だ。ジンの襟元を握るアレクの手には、さらに力が込められる。息がつまり、ジンは顔を少ししかめた。この不快をあまんじて受け入れてやるのも、ここまでが限度だ、と思った。
 投げ飛ばせるかと、周囲をちらりと観察する。ジンの周囲の席についていた人々は、いつの間にか遠くの席へと避難し、ちらちらとこちらを観察しながら食事を続けていた。空間が十分であることを確認し、腰を少し浮かせる。
 が、邪魔が入った。
「兄上! 一体何やっているんですか!?」
 いや助けか。ジンの襟首にかかる手を、現れたリシュオが半ば強引に引き剥がす。ちょっと鬱憤が溜まっているから身体動かしたかったんだけど、と遠のく身体を残念に思いつつ、後で組み手でもすればいいかとジンは思いなおした。
「大丈夫? ジン」
「うん大ジョブジョブ。気にしないで。それよか――」
 ちらりと視線をめぐらせるが。
「シルキス殿は?」
 先日の男の姿が見えない。
 リシュオが人の良い微笑を浮かべた。
「気に入った?」
「あぁいや――ちょっと……」
 会わなければ会わないでいいのだ。疲れる相手なのだから。
「何だ何だ何の話だお前ら」
「シルキス殿の話ですよ兄上」
「あぁ? あぁ…あのひょろっこいのがどうかしたのか?」
「昨日ちょっとお話させてもらったんだよ」
 ひょろっこい、というほどでもなかったような気がするが。アレクの表現に思わず噴出しながらジンは応じた。
「ひょろいのと?」
「私が紹介したんです兄上。シルキス殿もジンが気に入ったみたいで」
(俺は別に気に入っていないけど)
 胸中で呻いて苦笑する。おそらくシルキスも同じはずだ。利用できる人間だとは思ったかもしれないが。飼い馴らせる相手ではないと理解しているだろうし、利害が一致しないのなら、邪魔にしかならない。気に入った、と口にするのは表面的なことであろう。
「兄弟揃って、こんなところで油売ってていいの?」
 椅子に腰掛けなおしたジンは、暇な兄弟だなぁと半ば感心しながら問いを口にした。皮肉のつもりではなかったが。
 だが自分の問いに次いでアレクが口を開いたとき、なんとなくジンは肩を落としたくなった。
「そうだぞリシュオ。お前こんなところで何を油売っている」
(いやアナタがそれをいうべきと違うでしょう殿下……)
 本来執政を取るべきは、次の王であるアレクであるはずなのだから。
 だがリシュオは気を悪くした素振りをみせない。本当に人がいいのか、それとも演技なのか――リシュオの場合、この素直さは素であるとモニカはかつて断言した――気の毒なぐらい殊勝な表情をしている。
「すみません。実はシルキス殿がどうしても出て行かれるといって、僕も兄上の姿が見えないものだからつい後を……」
「ツイで済まされると思ってるのか?!」
「あー殿下殿下。そこ殿下が叫ぶところと違うから。怒りの矛先収めようよ」
 苛立っている腹いせにだろう、今にもリシュオに飛び掛っていきそうなアレクをジンはなだめすかした。シルキスでなくとも、こんな馬鹿兄に責められるリシュオを見ていれば、気の毒になるというものだ。責任転嫁もよいところである。
 だがジンの諫言が気に入らなかったらしいアレクは、ばっと振り返り、唾吐く勢いで怒鳴り散らしてきた。
「大体! 最初に怒らせたのは誰だと思っているっ!?」
 ジンはアレクの唾をとりあえず品書きで防御しながらにこやかな微笑をリシュオに向けた。
「で、シルキスさん見失っちゃったの?」
「はぁ……兄上はこの通りこちらだったんだけれど……」
「おーれーをーむーしーしーてー話を進めるな貴様ぁ!」
 ばーんと卓上に拳を叩きつけたアレクは、招力石によって常に一定の温度を保っている、熱めのお茶をばしゃりとその手の甲の上に零す。次の瞬間には、彼はあちぃっ、と賑々しく飛び上がっていた。
「……ねー殿下、もうちょっと落ち着こう? ね。君主としてもうちょっと落ち着きを見せよう?」
 じゃないと、と忠告しかけ、それは余計な世話だろうと思いなおす。アレクのことは気に入ってはいるが、彼が王座に付こうが、リシュオが国主となろうが、自分の関心の範囲内ではない。
 ふとジンは、変わらず騒ぎ立てているアレクたちから目線を上へとずらした。噂をすれば、なんとやら。その視線の先では、憮然としたシルキスと、そしてなぜか彼の腕を引っ立てるようにして掴んで、憤然とこちらへ歩み寄ってくるモニカだった。


「ちょっとそこの馬鹿王子二人!」
 騒ぐアレクとリシュオに向かってシルキスを蹴りだしたモニカは、腰に手を当てて鼻息荒くそう怒鳴った。その剣幕に、椅子に腰を下ろしたままジンはぱちくりと瞬きを繰り返す。モニカは確かに表情豊かな娘であるが、この夜叉のような怒りの形相をすることは滅多にない。怒っていても、次の瞬間には笑ってものごとを許せる度量をもった娘だ。その彼女が見せる珍しい様相に、かわいい火傷で騒いでいたアレクすら、ひくりと息を呑んで動きを止めた。
「リシュオ殿下! この人の飼い主ならちゃんと首輪つけて見張っておいて! ふらふらふらふら、仕事場の回りうろつかれていたらたまらないわ!」
「……なんかしたの?」
 絶句している兄弟二人に代わって躊躇いがちに問うてみれば、モニカは怒り狂いながら返答してくれた。
「うちのお手伝い口説いてたの! じゃまよ! どっか連れて行って!」
 私の可愛い可愛いシーちゃんを口説こうなんて、百年早いわ、と、怒っている焦点が微妙にずれている発言をしながら、モニカが再び怒りの吐息に肩を揺らす。シーちゃん、というと、食事の給仕の手伝いにやってくる小柄な少年のことか。自分はそこまで好色ではない。生理的嫌悪に、思わず身をひいてしまった。
「それからアレッサンドロ殿下!」
「な、なな、なんだ?」
「もうちょっと落ち着いたらどうなの!? そんなガキみたいに騒がないでよ他のお客様に迷惑でしょうが! あんたお仕事はどうしたのこんな明かりだって煌々灯されてる真昼間っから! 少しは次のオウサマだという自覚持ちなさいよでないとリシュオに王座うばわれたって私知んないわよ!」
 まさしく先ほどジンが言いかけたことをすぱっと言い放ち、モニカは仁王立ちでアレクとリシュオを見下ろしていた。その圧倒的な威圧感に、この人こそが一番国王――いやいや、女王に相応しいのではないだろうかと冗談交じりに思う。
「それからジンも!」
「は、え、はい?」
 頬杖をつきながら事態を観察していたジンは、急に矛先を向けられて条件反射で背筋を伸ばした。こういった相手には逆らわないほうが身のためだと、なんとなく本能が告げている。
「ご飯食べたならさっさと出ていって! 片付かないでしょうが!」
「……はひ」
 お茶もこぼしちゃってまったくもう、と憤られ、これはアレクが、と抗弁しかけて、やめる。
 大人しく、食器をさげたほうがいいに決まっていた。
 かちゃかちゃと皿をまとめるジンの横で、なんとか我を取り戻したらしいアレクが、つっかえながら口を開いた。
「お、お前、わかってるのか誰にそんな口を利いているのか」
「わかっておりますともこの国の第一王子にして次期国王アレッサンドロ・ロト・フォッチェス殿下でございましょう?」
 たっぷり嫌味の篭った馬鹿丁寧な言い回し。
 普段そういう言い方を、モニカはしない。一体シルキスが何をしでかしたのかはしらないが、相当腹に据えかねているらしい。
「だ、だったら貴様」
「でも私は言っとくけど」
 この国の暴君も、このモニカの怒りの前には屈服しなければならないらしい。二の句をつげずにいるアレクに、モニカが畳み掛けるようにして早口でまくし立てる。
「このトキオ・リオ・キトの主よ。いわばこの宿の王様よ女王様よ。あんたは王子だろうが皇帝だろうが伯爵だろうが乞食だろうが旅人だろうが学者だろうが農民だろうが――私の前ではほかのひとと変わりないただの客! 商売の邪魔するなら」
 そうしてすっと目を細めた彼女は、野次の集団が固める出入り口のほうを、すっと指差し冷ややかに告げた。
「出て行って頂戴!」


「……なんで俺まで」
 ばたん、と乱暴に閉じられた扉を呆然と眺めながら、ジンは呻いた。とりあえず足元に投げ捨てられた乾燥済みの防寒具を手早く着込む。極寒の外では、いくら比較的温かな町の中といえども、防寒具なしにはわずかな時間すらいられない。
「覚えてろくそ女!」
「兄上、負け犬の遠吠えにしか聞こえませんよ……」
「うるさい! 大体お前が変な男連れてくるからこういうことに!」
「申し訳ございません……殿下、お願いですからリシュオ殿下の首をお絞めになるのはどうか……」
 真横で騒ぎ立てるにぎやかな国主ご一行に、ジンはため息をついた。モニカが怒りたくなるのも無理はない。というかこんな面々が、国を背負っていていいのか、と思わず疑問符を浮かべたくなる。
 だが、そういえば自分も若い頃は賑やかだった、と思いなおす。あぁ年食ったなぁとなんとなく時の無情さを感じながら、冷えた肩をすくめて思い出し笑い。
「ところで、君、あんまり趣味良くないねぇ」
 兄弟の取っ組み合い――まぁ一方的な組み手であるのだが――に途方にくれているシルキスに、ジンは距離を保ちつつ語りかけた。
「は?」
「いや。あんまりいい趣味はしていないな、と思って」
「私のどの辺りがでしょう……」
「俺が理解できない辺りが」
 困惑の表情を浮かべるシルキスに、ジンはさらりと笑顔で返した。
 手伝いの少年の容貌を思い浮かべる。この夜の王国ガヤは、それほど豊かに食べ物があるわけではない。けれどもたっぷりと肉のついた、気弱そうな表情を浮かべる少年。まぁ抱き心地とやらを考えれば、悪くはないのかもしれない。だがジンにはそういう趣味は全くないし、ただ趣味が悪いとしか映らない。
「何か――」
 ますます怪訝そうに眉根の皺を深めるシルキスの言葉を遮ったのは、リシュオを殴り倒してとりあえず満足したらしいアレクの言葉だった。
「おい! お前らさっさと城に戻るぞ!」


 男四人をたたき出したところでようやく腹の虫も収まり、ついでに食堂の様子も落ち着きをみせ、給仕をシルルカ――給仕の手伝いをしてくれている小柄な少年――に一任したモニカは、汚れたかけ布や毛布の類を抱えて廊下を歩く少女と合流した。
「シファカちゃん」
「あ、全部集め終わったよ。先に集めたのは洗濯場」
 腕いっぱいに布を抱えた少女の足取りは思ったよりもしっかりとしている。さすが一人で旅をしているというだけあって、細身のわりに腕力はあるようだった。頼んだ仕事全てにおいて真剣かつ丁寧に取り掛かってくれる。これで速さが加われば云うことがないのだが。少女は意外にも不器用――というより、要領が少し悪かった。
 だがその不器用さすら、モニカにとっては愛らしいものでしかないので。
 機嫌よくシファカの腕から少し毛布を貰い受けて、横に並んで歩くだけで、荒んだ気分が心なしか癒される気がした。
 が。
「あ、さっきの、シルキス、さん。どうなったの?」
 だからといって怒りが消沈したわけでもないらしく、よいしょ、とずり落ちかけた布を抱えなおしながらの彼女の問いに、モニカは眉根を寄せた。たとえ彼女の発言に顔をしかめたといっても、シファカに非があるわけではない。断じてない。だがそれを敏感に感じ取ってしまうのが、シファカという娘であるようだ。
「……ごめん」
「あ、あやまらないでよごめんねー。だって一番嫌な思いしたのシファカちゃんでしょう? 大丈夫よ。馬鹿王子たちとまとめて外に追い出したから」
「いやあれぐらい、私でも返り討ちにできるんだけど」
「だ、め、よ! 玉のお肌に傷でもついたらどうするの!」
 片腕で器用に毛布を抱えたモニカは、空いた手の人差し指をびしりとシファカの鼻先に突きつけた。驚きに満ちた眼差しをその指先にしばし集中させていたシファカが、ふっと笑う。
「ありがとう」
 ……あぁんやっぱり可愛いメロメロだわ!
 少女の笑顔に腰砕けになりそうな心中を、とりあえずひた隠しする。
 シファカはそれくらい、といったが、実際アレクはかなりの実力者なのだ。馬鹿王子で勉強は嫌いだが、頭は悪いわけではないと思うし、剣術武術は国で敵うものが居ない。今現在、彼を捻り倒せるのは、あのジンのみなのだ。だが少女の言は決して謙遜ではない。それは、先日証明されている。
「ねぇシーちゃん」
「んー?」
「シファカちゃんの好きな人って、シファカちゃんよりも強かったの?」
「……は?」
 洗濯場の籠の中に毛布を放り込んだシファカは、一瞬怪訝そうに面を上げただけであったが、一瞬後にはモニカの言葉の意味を理解したらしい――頬を赤林檎のように紅潮させて、口ごもった。
「な、な、なにいきなり…」
「素朴な疑問よ」
 シファカが、彼女の想い人を追いかけて旅をしていることは既に聞きだしている。火種の節約のために自分たちは同じ部屋で眠るのだ。夢の世界へ旅立つまでの時間は、おしゃべりの時間であった。
「だって、シファカってば、ぜぇったい自分より弱い人には見向きしなさそうだわ。この間のアレクのときと同じように軽くあしらってしまいそうだもの」
 実際、シファカのことを酷く気に入ったらしいシルキスが、ひたすら彼女を口説きにかかっているのだが、シファカ自身は歯牙にもかけていない。今日はシルキスが人の家の庭先で実力行使にでようとしていたので、問答無用でモニカが直々に塵箱を使い殴りつけたのだが、あのまま手を出さなくともシファカが一蹴していたであろう。
 そのシファカの想い人。
「ねぇ。強かった?」
 シファカは羞恥心にであろう、渋面になりながら、モニカの手から毛布を引き取った。
「ありがと」
「……強かったよ。足元にも及ばない」
「……シファカちゃんの腕で?」
「あいつは――」
 埃をはたきだす道具を取り出しながら、シファカが口を開く。モニカは掛け布と毛布を分別するために腰を落として、彼女の言葉に耳を傾けた。
「本当、嫌味なぐらい頭がいいんだ。頭が良くて、器用で、剣の腕もなにもかも、私全然かなわなかった。一緒にいて、あいつほどむかつく奴はいないよ」
「……一緒にいて腹立たしいのに、追いかけてきたの?」
「馬鹿みたいだよね?」
 シファカは、苦笑したらしかった。自嘲にも似た笑みが口元に刻まれる。そんな笑い方、この娘には似合わないのだが。
 そう思って、モニカは精一杯首を横に振った。
「……ありがと。でも、自分でも思うんだ。甘かった。すぐ追いかけたから、簡単に追いつけるものだと思ってた。けど全然、追いつけなくて、フォッシル・アナの内乱でもう全然消息が途絶えちゃって。だけど、追うのをやめられないんだ。なんてしつこいんだ自分って、ちょっと思った」
「シファカちゃん」
「一年、経つのに」
 まだ、覚えていることがあるのだと。
 手のひらの温かさと声を、覚えているのだと、ほんの少しはにかんで少女は言う。
 その目元は、少し泣きに歪んでいたけれども。
「大丈夫よ」
 モニカは立ち上がってシファカの手をとった。剣を握る人の手だ。指先が少し平べったくて、手のひらの皮膚が厚い。
 アレクも、彼女と同じ手をしている。
「まだ、一年よ。シファカちゃんはこんなにいい子なんだから。ちゃんと見つかるわよ。諦めるなんて早いわ」
「……うん」
「それにしてもその人酷いわ。シファカちゃんには悪いけど、ついそう思っちゃうわね。こんないい子、置いていくなんて男の風上にも置いていけないわよ。私だったら絶対、傍に置いて離さないんだから」
 モニカの発言に、シファカが可笑しそうに肩を揺らした。
「本当酷いよ。最低の約束破りだ。私もそう思うもん」
「あら? そうなの?」
「うん。だからまずあったら最初に」
「最初に?」
「馬鹿野郎っていって殴りつけてやる」
 そのために追いかけているんだから、と鼻息荒く宣うシファカに、一瞬言葉を失ったモニカは、即座笑いを弾けさせた。
 可笑しさのあまりに腹がよじれる。シファカも釣られたように笑い声を上げて、しばしの間それは、しんと冷えた空間を満たし温める。
 ようやく笑いから復活したモニカは、目じりに浮かんだ涙を指先で拭いながら、冗談混じりで断言した。
「きっと今頃、その人どっかでくしゃみしてるわよ、シファカちゃん」


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