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第一章 異形の王子 2 


「つっかっれった!」
 久方ぶりに神経を使ったやり取りを行うと疲れるものだ。ジンは寝台に突っ伏したまましみじみ思った。この疲労感。ただ単に年をとったからだとは思いたくはない。相手がなかなかの狸だった。いや狐か。この際、どちらでもいい。だがリシュオに紹介された男は自分と同じ、独特のにおいを纏っていた。人という駒をつかい、知略を武器に戦う戦場の匂い。
 一月居る予定であったが、気が変わった。さっさと荷物を纏めてとんずらしよう。
 そう枕を抱えながら決めていると、部屋の扉が乱暴に開かれた。入室の合図も何もなしで飛び込んでくるのはたった一人しか居ない。そう、この城の事実上の主だ。
「用心棒はぶちたおしたのか打ち殺したのか」
「あのねー殿下。第一声がソレですか。もっと別にいうことないの?」
「ない」
 上半身を軽く起こして、ジンは頭を軽くかいた。
「陛下。用心棒なんてどこにもいなかったじゃん女の子だったじゃんお手伝いさんの。コテンパンにやられたんだって? なっさけないなぁ」
「五月蝿い! それでお前はそいつに勝ったのか負けたのか」
「居なかったよ。お買い物中で、雪だったから帰ってこなかった」
「だったら何で奴が女だったと判るんだ?」
「モニカちゃんが面白おかしく事細かに話してくれたからねぇ」
「あーの―く―そ―女―!」
 街のほうに向かって罵詈雑言を吐き出す青年を、普段なら笑って眺めるところだが、今日ばかりはそこまで余裕がなかった。疲労も手伝って、睡魔が押し寄せてくる。かといって他人が傍にいて眠れる性分でもない。ぎゃんぎゃん一人で騒いでいるアレクがこの部屋から出て行かない限り、自分は意識を手放すことはできない。それは習性だった。獣が火を恐れるように、本能的ななにかが自分に他人がいる場所での眠りを許さない。
「ねー殿下そろそろどっか行ってほしいんだけど。俺眠たい」
「お前それでどうして戻ってきたんだ」
「眠たかったから」
「俺はぶちのめしてひれ伏せさせるまで戻ってくるなといわなかったか?」
「だって宿人で一杯だったんだもんよ。寝る場所なかったんだもん」
「じゃぁ床で寝ろ」
「いや風邪引くよ殿下風邪」
「引け。病気になろうが発熱しようが喉痛かろうが、俺が戻ってくるなといったんだ。女が帰ってくるまで何故待てなかった? もう一回行って来いそしてぶちのめしてから帰って来い」
「やだよ。俺眠い。お休み」
「貴様もいい加減にしろよ」
 拳を握り、声を震わせているが殴りかかってくることはない。一度剣を抜いて自分に切りかかってきたことがあったが、返り討ちにするのは容易かったし、アレクはそのことをきちんと学習していて、安易にこちらに物事を仕掛けてくることはなくなった。返り討ちにあったのは一回や二回ではないのだから、これで学ばなければアレクは正真正銘の馬鹿だ。
「明日でていくから。それでいいでしょう? わかったなら殿下ちょっとどっかいって。俺眠れない」
「なんで主である俺がお前の命令にしたがわなければならん」
「無意識の俺に敵と間違われて切り殺されたければどうぞご勝手に」
 不機嫌そうに口を噤むアレクを、ジンは寝そべった寝台から目を細めて見つめた。
 自分がこの国を出奔した暁に、この王子は多少は寂しく思うのだろうか。いやむしろ、怒り狂っていそうだ。自分が出て行った理由がわからなくて。
 彼にとっては己が世界の中心であり、彼の意思に反して動くものを彼は知らない。例外は、モニカぐらいなものであろう。王は昨年崩御し、アレクは今だこの国の仮の王。正式に王として即位していないのは、彼の容姿によって引き起こされる、とある問題のせいであるらしい。なんでも異形に生まれた太子は雪嵐の時期が終わるまで待たなければならないのだとかなんとか。所詮は部外者であるジンの詳しく知るところではない。だが、彼が即位したところで何も変わらないのだろう。夜にゆたう眠りの残滓のような生ぬるさで、この国の時はゆっくりと流れていく。何かが、起こらない限りは。
 自分はこの青年が嫌いではない。暴君であり、庶民の娘たちに手をだしていて、部下たちを所有物のように扱い、政治のところどころに穴があいているとしても。
 彼の不遜さを、無能さを、補助して国を平和に保っているのが、弟太子だとしても。
 リシュオは兄であるアレクに逆らったことはない。傍目から見ると、彼はさりげなく兄の欠損を埋めて回るような、そんな青年だ。
 だからこそ、リシュオは自分にあの男を紹介したのだろうか。それとも、新しくできた優秀な友人をただひけらかしたい。それだけだろうか。
(わっかんないなぁ)
 狸寝入りを決め込んで、アレクが諦めて退室していくのを待つ。その間ジンは、頭から被った毛布の暗闇に今日であった男の風貌を思い描いていた。
 そして、その男が吐いた一言も。
『私は、この国の全てをあの方に差し上げたいと』


 食堂はいつもに増して賑わっていた。常連に加えて、見慣れない風貌の男たちが席について談笑している。子供もちらほら見え、奥の一塊は女の集団。どうやら噂に聞いた通り大きな――しかも家族連れで移動している――商隊らしい。芳しい料理の匂いが辺りを満たしている。そういえば、昼飯時だった。
 食事時だけ手伝いにきている恰幅のよい給仕に今日の料理を一つ頼んで奥へと進むと、見慣れない青年が一人、席についていた。
「シルキス」
 傍らのリシュオが片手を上げて名を呼ぶ。するとその黒髪の青年は、わざわざ椅子から腰をあげて一礼した。
 年は、ジンと同じか少し年下だろうか。
 涼しげな目元をしている男だ。薄い唇に切れ長の紫の目。肌は少し浅黒い。女子と見まごうほどの冷徹な美貌を宿している。肩甲骨の辺りまで伸ばされた黒髪は一つに束ねて背におろされ、珍しくも片眼鏡をかけていた。学者か、司書か、そういった職業が似合いそうだ。
(なんとなく、食えない感じ)
 一目見て、ジンは判断した。あまり勘は外したことがない。顔には出すつもりはなくとも、あまり関わりになりたくはないなぁ、と正直思ってしまっていた。
 そんな心中を、傍らの青年は知る由もないのだろう。嬉々として彼を紹介してくる。
「ジン。こちらはシルキス・ルス殿。シルキス殿、こちらはジン殿。兄上に乞われて城に逗留している旅の人なんだ」
「初めまして」
「どうも。ジンです」
 差し出された手を握り返すと、それは酷くひやりとしていた。外の雪よりも、冷たいのではないか。
 一瞬ぞっとしたが、次の瞬間には、青年の顔には人好きのする笑顔が浮かんでいた。
「お噂は伺っております。各国を旅して回っていらっしゃるとのことで。私めもお話を拝聴したく、是非にと殿下にお願いしたのです」
 人懐っこい声だな、と思った。
 そして即座に判断する。
(俺と、同種か)
 胸中でこっそり嘆息する。一番付き合っていてメンドクサイ人間だ。気を抜けば骨の髄までしゃぶられる。自分がたてた矜持を守るためならどんな犠牲も厭わない。ある意味わかりやすくもあるが、見ていて自分を見ているようで鬱になる。
 はは、と笑って肩をすくめた。
「いい噂だといいねぇ。でもたいしたお話できんよ俺。なんてったってお話下手ですんで」
「冗談はなしだよ。私がどんな話を降っても、驚くほど的確に意見を返してくるじゃないか。長い旅の生活で培われた見識に、誰もがうらやむ英知を持って、謙遜はよくないなぁ」
「うっわ褒め殺しっすか殿下。褒めてもなんもでないよ」
 苦笑しながらジンが腰を下ろすと、他の二人もそれに習った。本来ならリシュオをたてて彼が座るまで腰を下ろすべきではないが、ジンは異国の人間だ。美人の婦人でもないのに、そんなことをしてやる義理はない。
「どれぐらい旅をしていらっしゃるので?」
「んーそんなに長くはないね。あ、敬語じゃなくていいよ俺もこのまんまのしゃべりだし」
「いいえ。そんなお話を聞かせていただくのに、不遜なことはできません。ご出身はどちらで?」
「見たまんまだよ。そういうそっちは? どこの人? その風貌だと、南国っぽいね。諸島連国あたり?」
「まぁ、その辺りですね」
 正面をきって付き合いたくない相手。
 ジンの中で、相手の位置は確定した。
 会話で出身を濁す相手は、旅をしていてよく会う。が、そういった相手はこちらのことにも踏み込んでこないことが暗黙の了解となっていた。だがこのシルキスという男は、自分のことをもやの中に隠しながら、値踏みをするようにこちらに追求の手を伸ばしてくる。自分と同類だが、場数を踏みなれていない素人。けれども侮ればその分火傷をする。それが、短い会話の中で得た感想であった。
 会話自体はよく弾んだ。リシュオも博学な男であったし、シルキスもあちこちを放浪したのかその流れを汲んでジンとはよく話題が合った。久方ぶりに神経を使ったとはいっても、それなりに楽しめた会話だった。
 最後の、一言がなければ。
「私は、この国の全てをあの方に差し上げたいと」
 リシュオが一足先に食堂から抜け出たあとだ。すでに夜も更けて、街の明かりが消されていた。雪は止んだのか、天窓にちらつく白は見えない。積雪が屋根を滑り落ちる音が、灯りの芯が焦げる音を掻き消すように、断続的に響いていた。
「思っています」
 シルキスの声には温度がない。
 身体を温めるためだけの目的で酒に口をつけながら、上目遣いでジンは男を見上げた。
「あの方って、今この席にいないひと?」
 それは問いではなく確認だ。はい、と短く頷かれ、どう答えるべきか考えあぐねる。酒を軽く呷ると、それは喉を焼いて胃の腑に落ちた。この土地の酒は、とてもきつい。
「シルキスさんここに来て何日目」
「三日前、ということになっています」
 にこり、と微笑んだ顔に微笑み返してやる気はおきなかった。
 この男は、おそらく商隊と一緒にやってきたのではないのだ。いや、確かに商隊と共にこの国に入り、三日前から滞在しているのかもしれない。ただ、この国にやってきたのは今回が初めてではないというだけで。
 単なる、憶測だが。
「なんで俺にそんなことを話すわけ?」
「協力して欲しいので」
「直球だねぇ」
 膝を叩いて笑ってやるが、それはあくまで作り笑いだ。すっと目を細めてジンは相手を冷ややかに見つめた。
 何を、と。
 答えなど、聞かずとも判っているが。遠まわしにいってはいても、その意味は明白だからだ。
 目の前の男はこういっている。
『この国の王位を、ひっくり返したい』
と。
 だが王位をひっくり返して何になる。確かにリシュオは有能であるが、怠惰な平和をこの国が享受できているというのなら、外野が口出しすべきではない。自分は流れ人。そして目の前の男もしかりだ。
 ジンは薄く笑い、残った酒をもう一度呷った。
 交渉に立つときの酒は、いつもこんな風にまずかった。そんなことを思い出しながら。
「遠慮する。厄介ごとは御免だからね」
 ならば早めに国を出られますよう。その男の言葉に、ジンは小さく頷いた。


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