BACK/TOP/NEXT

第六章 暗闇の先に 2 


 よっこらせ、との掛け声と共に穴からはいずり出て身体を起こす。出た先は城の地下通路だ。城から逃げたときとはまた別の通路である。暗闇に向かって真っ直ぐと伸びる、湿っぽい石造りの通路の奥を見据えながら、ジンはのほほんと呟いた。
「結構、広かったんだねぇ」
「おいこら! 何をそこでぼっとしている!」
 足元の穴を見れば、そこから顔を紅潮させて必死に穴から這い出ようとしているアレクの姿がある。はいはいと投げやりに頷いて、その手を引いてやった。体格はアレクのほうがいくらか良い。その分彼の身体のほうが重く、こういった身軽なことには向かないのだ。
「いいから手を引けっ」
 ジンは苦笑し、その手をとって引いてやった。ふぬぬとさらに顔を紅潮させる青年に、思わず噴出し脱力する。すると即座に怒声が飛んできた。
「力を抜くな阿呆が!」
 この王子は、威勢だけはいつもいい。
「……ようやく、城に付いたな」
「そうだねー。それにしても殿下、俺がいなかったらどうやってここまで帰ってくるつもりだったの?」
「正々堂々と門からだが?」
「……捕まって殺されるよ」
「俺はお前みたいに姑息な真似はせん! 泥棒みたいにこそこそと!」
「姑息じゃなくて、頭を使ってるっていってよ。多少の労力であとあと楽にいけるんだったらそのほうがいいじゃん。裏道いくのも真っ当な正攻法だよー」
 最後に壁をよじ登ってきた狼が、穴から這い出て身体を震わせる。ジンは腰を落としてその頭をなでてやった。狼は嬉しそうに目を細め、鼻を鳴らす。再び立ち上がれば、ちゃ、という青龍刀の、鍔鳴りの音。
「さて、そろそろいきますか」
 微笑んでいうと、アレクが不満そうに口先を尖らした。
「お前が指揮をとるな」


 針金一本で器用に牢の鍵をあけて見せたシファカに、ハルマンが感嘆の吐息をついた。
「いやいや、たいしたものですな」
「はぁ……ありがとうございます」
 再び針金を髪の間に仕舞いなおしながら、シファカは生返事をした。このようなことで褒められても、あまり嬉しいものではない。昔受けた護衛の仕事の仲間が、絶対役に立つと断言してシファカに無理やり覚えさせた技術だ。そして彼女の予言の通りに、今こうやって役立ったわけであるが。
 泥棒みたいだ、と思い嫌がっていた過去を思い出しつつ、とりあえず昔の仕事仲間に感謝をする。今はどこぞの空の下であろう。人がよく、旅のいろはがよくわからず頼りなかった自分をよくかわいがってくれた女の顔を思い浮かべつつ、シファカは周囲を見回した。
 小さな独房が、左右に並ぶ地下牢。灯りは壁に掲げられた松明の灯り一つで、橙色のそれが上階へと続く階段の輪郭を僅かに照らし出していた。シルキスが去った方向だ。
「この上、どうなっているのか、わかりますか?」
 シファカは是の答えを期待してハルマンに尋ねた。期待、というよりもむしろ確認に近かった。ハルマンはこの城で働いて長いようであったから、当然知っているものとしての問いであった。
 が、次期国王の側近とも言える老紳士は、静かに首を横に振った。
「牢の位置は、大体わかっていますが、実際には足を踏み入れたことはなかったので。この城には、閉鎖している区画が多くある。牢など、長年使っていないはずですが。なにせ牢へ入れられるような悪さをする人間など、滅多にいない、小さな村のような国ですからな」
 期待から大きく外れた返答に、失望が露骨に出てしまったのだろう。ハルマンが小さく苦笑する。
「お役にたてず、申し訳ない」
「あっ、い、や、あのっ」
「いえ、よいのですよ。こんなことなら、視察なりなんなり、しておくべきでしたな。自分が暮らし、仕事をする城すら、きちんと把握できていないとは、多少自分でも情けなくあります」
 シファカの肩をぽん、と軽く叩いてハルマンが笑う。行きましょうか、と促されて、シファカは素直に頷いた。
 そうして見据えた階段の奥。
 広がる暗闇の先には、一筋の明かりすら、なかった。


「とりあえずだね」
 回廊を足早に進みながら、ジンは頭の中でするべきことの優先順位を決めていく。覚悟を決めたあとは早かった。実行に必要な手順を、積み重ねてきた経験が自動的に脳裏にはじき出す。考える、必要すらなかった。
「モニカちゃんを助けないといけないわけで。殿下口頭で全然いいから、客室って何部屋ぐらいでリシュオ王子の部屋の近くの客室の階段のそばに、これと同じ隠し通路みたいなのってあります?」
「だからお前が指揮を執るな」
「ない? 柱のところに出るような階段」
「……人の話をきけ」
「アハハ殿下しょっちゅう俺の言葉きかないくせにー」
「おーまーえーはー!」
「どうでもいいけど知らないなら知らないってそういって。動くって決めた以上は、俺ちゃっちゃとことを終わらせたいんだ。モニカちゃんが殺されることはまずないと思っていいけど、でも人質にとられたりしたらやっかいだしねぇ。相手は俺と同じ、目的のためなら誰が死のうがしったこっちゃないよ系の人だしね」
 面倒ごとは、早く片付けてしまうに限る。
 騒動に長く首を突っ込んでいるつもりは毛頭ない。解決する方法は酷く単純で簡単だ。シルキス・ルスの首を押さえればよいのである。黒幕がリシュオである可能性を考えないでもなかったが、あっさりとそれは除外された。リシュオは聡い青年で、自分に王の資質がないことを知っている。彼の才気をもってすれば、その資質程度など容易に覆せる気もする。だが何より肝心なのは、彼に、王座に付く意思がないのだ。全く。これっぽっちも。
 もし本当は王の位が欲しかったのだと、彼がいうのであるならば。
 リシュオはシルキス以上に、演技の上手い食わせ物である。
 人を見る目には、自信があった。人の演技を見抜く目にも。
『僕は王の器なんかじゃないよジン』
 雪崩の被災民を労っていたリシュオの言葉が。
『もし僕が王になるようなことがあるのなら、王政を廃止して、国のみんなに政治も富みも土地も、ゆだねてしまうよりほかないよ』
 嘘であるとは思えない。
(シルキス・ルスは、リシュオ王子が王位に就きたくないっていうことは、当然知ってる、よね)
 シルキスとリシュオが一体どれほどの付き合いなのかは知らない。だが、自分とアレクほどの長さはあるはずだと、ジンは踏んでいた。
 それなのに、シルキスは、リシュオに王位を与えたいという。
 意味が、ない。
 リシュオは王位を望んでいない。意味がない。
 証明したいと、シルキスは言った。
『あの方に、この国の全てを与えたいと』
(リシュオにこの国を与えて、証明、できるもの?)
 考えれば考えるほど堂々巡りだ。一体何がしたいというのか。シルキスが本当に、あの王監査役の『ルス』であるというのなら。それほどの叡智をもって、何を証明したいと……。
 民の革命によって滅びた国の、王監査役。
『国のみんなに、ゆだねてしまうよりほかないよ』
 民の革命によって滅びた国の。
「……あ」
 ジンは呻きを上げてその場に立ち止まった。キユが首をかしげて耳をぱたぱたと動かし、アレクが怪訝さからか眉間に皺を深く刻む。
「なんだ貴様どうした。忘れもんでもしたのか?」
 いつもなら軽口を返すこともできるが今回ばかりは、アレクに対して応答する余裕はなかった。その閃きに支配され、立ちすくむ。ジンは口元を手で多い、自分自身の閃きの馬鹿馬鹿しさと、それにも拘らず、それ以外、『証明したいもの』が存在し得ないことに、驚愕した。
「馬鹿な」
 口を塞ぐ指の狭間から、くぐもった呻きが漏れ落ちた。不可抗力だった。
 馬鹿馬鹿しい。
 愚行、としか思えない。
 こんな方法で、『それ』を証明しようなどと……。
「オイいい加減に俺に答えろ!」
「……殿下」
「あぁん?」
 ジンは無意識のうちに青龍刀の柄を握り締めていた。その場所に、もう玻璃球がないことを、自覚しながらも。
「俺、判った」
 アレクが沈黙した後、緩く曲線を描く銀の髪をがしがしと掻き回し、嘆息した。
「だから、ナニガだ」


 玻璃に触れるとひやりと冷たい。防寒のために、二重になっているにも拘らず。雪は止んだが、相変わらずの暗闇。夜明けには、まだ半日ある。
「こんなことをして、何になるというのですか。シルキス殿」
 その問いに、シルキスは薄く笑っただけであった。シルキス・ルス。内海からやってきたという旅人は、一月ほど前、国の入り口で雪の中に埋もれ、凍死寸前であったのを、自分が見つけだしたのである。
 頃合が悪かった。丁度ジンが兄に連れられ、この国にやってきたのと時を同じくしていた。彼を連れて行けば、兄と対抗しているようではないか。理由は些細なことであったが、自分は保護した旅人をひそかにかくまうことに決めた。幸いにも城には閉鎖されている区画がいくつかある。そこに彼の部屋をあてがい、ひっそりと世話を行えば。知られて一番困る相手は兄であったが、彼は一日をほとんど町で過ごす。そして城のものとほとんど言葉を交わさない。世話役となった城のものに緘口令を敷けば、シルキスの存在がもれることもほとんどなかった。
 もし、最初に彼のことを兄に相談していれば。
 こんなことには、ならなかったのであろうか。
 こんな、だまし討ち、みたいな。
 柔和に微笑む男の瞳は、けれども凍てつく玻璃に似て、感情の色を何一つとして宿していない。この男は、本当に自分が助けた男であろうか。リシュオは思う。自分が助け、そして一月面倒をみたシルキス・ルスという旅人は、くだらない話にもよく耳を傾けてくれる、良い話し相手であったのに。
 兄がジンを話し相手として選んだ気持ちがよくわかる。この狭い国では、誰もが自分のことを知ってはいるものの、誰も自分のことを理解していない。そのくせ、狭さからくる親しさゆえに、判ったふりをして近づいてくるのだ。幼少のころから、お前をみている。だから、知っていると。
 本当は、誰も、自分の胸中なんて知らないくせに。
 自分には、客観的に自分の言葉に頷き、そして意見を与えてくれる人間が必要であった。
 行きずりの旅人に過ぎない。ジンも。シルキスも。
 けれどもジンは兄の心を捉え、シルキスに対して自分はかつてないほどの親近感と友情を抱いた。兄がジンにさりげなく何か相談を持ちかけるように、誰にも語れないことを、彼に対してなら打ち明けられた。
 心からの、友人を、得たと。
 喜んでいたのは、自分だけであったらしい。
「気に入りませんでしたか」
「気に入らないもなにも……私は、王座など、いらないのですから」
 モニカの宿で働いていたシファカという娘。そしてアレクの近習であるハルマン。反逆などありえないのに、その二人が反逆の罪を問われて投獄されたとリシュオの耳に入ったのは、昼も回った頃だ。何かがおかしいとは思っていた。アレクが人を殺し、ジンと共に城から逃走。その際にモニカを負傷させて。
 アレクが人を殺したといわれただけならば、自分は信じてしまったかもしれない。自分は、未だにあの兄が理解できないから。だが、あの兄がモニカを傷つけることだけは、絶対にありえないのだ。それに続く、このハルマンとシファカの騒ぎ。
 シルキスを問い詰めれば、彼は特に否定することもなく、微笑んでみせた。
『お世話になったお礼に、玉座を貴方へ差し上げたかったのです』
 と。
 自分は彼にいわなかったか。
 自分は、玉座など、王という位など、いらないと。
 自分が、王に向いていないことは判っている。勤勉ではあるだろう。他者の面倒をみることも嫌いではない。人当たりも、悪くはないのであろう。そのように、努力してきたのだから。
 けれども、自分は王には向いていない。そして、王にはなれない。この、神の律が支配する夜の国で。それだけは、判るのだ。自分は王にはなれないと。そして自分もそうなる気はなかった。
 それなのに、シルキスは自分に玉座を与えたいという。
「私には、貴方が王になる資質があると思いますので」
「ですから」
「貴方がいくら否定しようとも」
 蝋燭によって浮かび上がるシルキスの影が、揺らめいて壁面を移動する。絨毯の上を音もなく移動して、男はリシュオに宣告した。
「貴方は、王になるでしょう」
 そしてその宣告は、予言でもあるのだ。
 アレクがこのままこの夜の王国に戻らなければ、確実に、自分は王になるだろう。
 確かに、自分はこの国の王子であることには変わりがないのだから。
「もし」
 背後に佇んだシルキスが、囁いた。
「もし、そこまでご自身一人に王になる意志がないというのなら――」
 民人全てが、国の王になればよいと。


BACK/TOP/NEXT