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第五章 忘らるる都にて 1 


 外に出たのは、久しぶりであった。
 近頃、来客が多く、先日も久方ぶりに古い友人が訪れたばかりであった。先日、といっても一月ほどまえになるか。が、悠久の時を生きる自分たちにとってみれば、一月などは昨日と呼んでもさして変わりがない。つまり数年に一度来客があれば、それを来客が多いと呼ぶのが自分たちである。ましてや一ヶ月足らずで新たな客人を迎えるとなると、嬉しさよりも珍しさと、何かの兆しなのではないかと勘繰ってしまう。悪い癖であった。
 女はため息をついた。
 見下ろしたその下に[うずくま]るのは二人の男である。手を横にすっとひくと、その二人に群がっていた獣たちは、躊躇いもなく離れていった。そのうち一匹が足元に擦り寄ってくる。獣の頭をかるく叩いてやって、女は男たちの顔を覗き込んだ。
「いきておるかぇ?」
 男たちは死体かと見紛[みまご]うほどに憔悴していた。実際、死体かと思った。
 しかし女の判断を裏切って、西大陸の容姿をした男の方がうっすらと瞼をあげ、唇を動かした。生きているらしい。
「…………ヵ?」
 その小さな呟きは、かすれて聞き取れない。雪は音を吸収する。唇に付着した水の結晶が、男の呟きを飲み込んでいった。
「何をいうておるのか、わからんよ」
 どうにか聞き取ってやろうしたが、その努力が無駄に終わったということを悟って、女は渋面になった。冷えた男の身体に触れて、出来る限り優しく語り掛ける。
「しゃべるでない。今すぐ、暖かなところへつれてやるぇ」
 女は立ち上がり、獣たちを見回した。男たちの体には、獣たちの爪と牙のあと。獣には、男たちがつけたらしい刃の傷。雪の上には真新しい血の跡がある。女は長い髪をかきあげ、獣たちを叱咤した。
「客人をお出迎えせなと、妾は言わなんだか。まったく、誰が襲い掛かれというたんぇ。誰がこの二人を運ぶとおもうておるのかぃ。本当に……」
 男たちの意識は完全に失われている。にも拘らず、剣を手放さないのは本能であろうか。たいしたものだと思いつつ、それでもその行為は、この雪の中では褒められたものではなかった。手が、凍傷になる。実際男の指先は、凍傷で壊死しはじめていた。
 女の疲れたため息は、言葉とともに雪深い森の中に響いた。
「妾一人に、どないせぇというの」


 間違いなかった。
 ジン。名前だけの一致ではない。ハルマンと話せば話すほど、アレクに付き合ってこの国に滞在していた旅人は、確かにシファカが探していた男であるということが明らかになった。
 今日の朝、シファカが用意した屋根裏の部屋も、どうやら彼のための部屋であったらしい。ということは、自分と彼は僅かな間だとしても、同じ建物のなかにいたのだ。あんな狭い空間にいて、どうして会えなかったのだろう。考えれば考えるほど泣きたくなってくる。モニカとの筆談によって、彼女がジンとアレクにトキオ・リオ・キトの鍵を手渡したということも判った。そして、シルキスが裏で糸を引いているということも。
「それでは私はシルキスを拘束する手立てを整えましょう」
 廊下の角でハルマンは一度立ち止まりそういった。シファカは頷いた。自分はこれから一度トキオ・リオ・キトへ向かう。アレクとジンを衛兵が追いかけているとのことだったが、上手く彼らが外へ出られたのなら、モニカの宿へまず向かうであろう。そう、推測したのだ。
 では、と別れて踵を返し、シファカは足早に階下へと向かった。石造りの城。その回廊の空気は冷たく、針を刺すような痛みを肌に与えるのに、少しも気にならなかった。早く早く早く。急げと鼓動を刻む心の臓。
 階段を駆け下り、手すりを軸に踊り場で身体を反転させる。が、シファカはその踊り場で、立ち止まらざるを得なかった。階下に、男がいたのだ。
 シルキス・ルスが。
 シファカはすれ違おうとした。今ここで下手に騒ぎたてても効果はない。ハルマンに任せておいたほうがいい。だが肩と肩がすれ違う寸前、腕を引かれて壁に押し付けられた。
「っ…………いったっ。な、何するんだ!」
「どこへ行かれるのですか?」
 シルキスの声は穏やかであったが、眼前まで近づけられた彼の顔は笑ってはいなかった。冷ややかに細められた黒紫の瞳に、背筋の産毛がぞっと逆立つ。刀を握りなおし、手を彼の体と自分の間に挟みいれる。深呼吸をし、どうにか不自然になっていた体勢を整えて、シファカは低く呻いた。
「どこだっていいだろう。私がどこへ行こうと、あんたの関することじゃない」
「気になりますね。この雪の中、どこへいこうというのですか」
 シファカはちらりと視界の端に窓を収めた。暗闇の向こう。ちらちらと天から舞い降りる白いもの。本当によく降るな、と感心してしまう。
 シファカは嘆息して、投げやりに答えた。
「トキオ・リオ・キトだよ。モニカさんの着替えをとりに」
「いけません」
「なんでだよ?」
「なんでもです。着替えぐらい、どうとでもなるでしょう。大人しく部屋にいてください」
 ぐっと力を込めて肩を掴んでくるシルキスの手を、シファカは振り払った。そのまま階下へ降りようとするが、強引に再び身体を押さえつけられる。
「聞き分けのない子ですね」
「なんであんたに命令されなきゃいけないんだ」
「宿を訪ねたところで、王子はおりませんよ」
 ぴしゃりとした、物言い。
 思わず、息をのみ目を見開けば、やはり、とシルキスが低く笑った。
「モニカ嬢がおっしゃったのですか。そこになら、あの王子がいらっしゃるであろうと。やはり喉だけつぶしてみても、なんの時間稼ぎにもなりませんでしたか」
「シルキ――」
「ですが、王子はあそこにはいらっしゃいませんでした。もぬけの殻でした。どこへ逃げたのかは判りませんが、足跡からすると森の中へ逃げたようです。愚かな。森の中へ逃げようなどと、自殺しに行くようなものでありましょうに。いや、実際自殺しに向かわれたのでしょうかね。ならば手間が省けてよいのですが」
 シルキスの言葉から、シファカはジンもまたそこにいなかったことを知った。アレクについていったのであろう。モニカの話によれば、アレクは負傷しているとの事であったから、そんな状況で、確かに雪深い森の中に入ることなど自殺行為の何者でもない。
 が。
「自殺しに行くなんて、そんなはず無い」
「わかりませんでしょう。相手はあの、全てを投げている、殿下でいらっしゃいますから」
「たとえ殿下がそうでも、ジンがそうさせないだろう?」
 ジンが、そんなことをするとは思えない。
 自殺をするために道を行くひとではないから。
 生きなければならないんだと、言った人だから。
 何か理由があって森に入ったに違いないのだ。そう、シファカは信じる。
「……貴方は、あの男と知り合いではないと思っていましたが?」
「知ってるよ」
 シファカは、明確に断言した。それと同時に、胸がきりきりと締め付けられる。
 知っている。
 ずっと、追いかけてきたのだ。遠ざかってしまった。あの。背中。
『シファカ』
 もう直ぐなんだ。
 もう直ぐなんだ。邪魔をしないでほしい。あの人に名前を呼んでもらえる。まだ覚えているものがあるのだ。手のひらの熱を、皮膚の硬さを。優しさを。自分を見つめるときに瞳の細め具合や、自分の名前を呼ぶときの音律を。
 シファカは、繰り返した。
「知っている」
 自分の、瑪瑙玻璃の片割れを、ずっと、持っていてくれたひと。
 その人に会いに行くのだから。その人を探しにいくのだから。
 邪魔を――。
 ふとシルキスの目が、くっと細められた。怪訝さに眉をひそめた瞬間、がっと首が掴まれる。後頭部が壁に叩きつけられ、気管支がぎりぎりと、男の手によって締め付けられた。その、首を絞めてくる男の手に手を添えながら、シファカはどうにか声を絞り出す。
「し……るき……」
 シルキスの瞳には、見たことも無いような冷たい光が宿っていた。常にその紫水晶の双眸には、冷ややかな色が輝いてはいたが、これほどまで無機質だと思える冷ややかな眼差しをみるのは初めてのことであった。
「随分と、愛しそうに名前を呼ぶものだ」
 シルキスが喉をならして向けてきた双眸には、シファカの姿は映っていなかった。懐古の眼差し。見ているものに、他者を重ねる眼差しだ。
 喉に更なる力が加わった。
「貴方も、私を捨て置くのか」
 シファカは渾身の力を込めてシルキスを突き飛ばし、その反動で刀の鞘尻をシルキスの喉笛に向かわせる。が、身体の均衡を崩してしまったせいもあってか、それは男の喉笛を掠めただけに終わった。舌打ちしながらシファカはどうにか階下へ足を踏み出した。空気を欠乏して、視界が霞む。だがここで立ち止まるわけには行かなかった。ほとんど転がり落ちるように階段をおりて、壁に手を突きながら咳を繰り返す。
「ごほっ、けほけほっ……けほっ……はっ」
 階段を下りてくるシルキスの足音を聞いて、シファカは直ぐに廊下を駆け出した。が。その道を兵士たちでふさがれる。兵士は困惑の表情を浮かべているものの、背後から響いたシルキスの命令には従順だった。
「捕まえなさい」
「っ!」
 シファカは刀を鞘から抜き、襲い掛かってきた兵士たちの脛を斬りつけた。まず一人。正当防衛だと霞む意識の端で思いながら崩れ落ちた男を踏みつける。まだ若い彼は、モニカを手伝うためにこの城を訪ねた折、親切に広間まで案内してくれた男だった。相手の脇を掻い潜って、二人、三人。人数は僅か五人足らずだ。普段ならそのまま逃げ出すことは可能であったが、まだ、先ほどの絞首が尾を引いていた。シルキスは、自分を殺す気であったのだろうか。
 走り、相手を切りつけ、もう一度走る。ハルマンはどうしただろう。この騒ぎを聞きつけて、避難している住人が集まりだした。兵士たちに混じって、彼らもまたシファカを取り押さえようとしてくる。状況が悪い。自分は、血の付着した刀を手にしていて、そして斬りつけられているのは衛兵たちだ。当然、住民たちは異分子である自分よりも、同じ国の人間のほうを味方しようとするだろう。
 出来る限り傷つけないように、と配慮できるのは、自分が何も傷を負っていない場合である。首がじくじく痛む。次第に、手をとられ、足をとられ、気がつけば、敷かれた絨毯の上にうつぶせに取り押さえられている自分がいた。
「一体あれと、どのような付き合いなのですか?」
「……あ…れ?」
「ジン・ストナー・シオファムエン」
 絨毯に膝をつき、顔を覗き込んできたシルキスが紡いだ名前は、ジンのものであるようだが聞きなれない響きが混じっていた。
「まさか会うなどとは思いませんでしたが。こんな、辺境の地で。相手は私を知らぬようですが、私は彼を知っている」
「…………な、に」
「貴方の言う通り、あれは大人しく自殺するような男ではない。モニカ殿をこちらにおいておけば、生きているならばあの二人、戻ってくるでしょう……」
 肌に触れる絨毯がちくちくと痛い。シルキスの手が伸びてきて、ゆっくりと、首を絞められる。シファカは瞼をこじ開けて、男を見上げた。狂気に彩られた笑みを浮かべる男の顔は、泣きそうにも見えた。
 シファカは耐え切れずに目を閉じた。手から力がぬけて行く。もう少しなのに、と思った。諦めそうになったことは幾度もあった。フォッシル・アナの内乱から先は、足跡も途切れて、暗闇の中を彷徨い歩くようだった。
 ようやく、手が届きそうなのだ。
 ようやく。
 光が、見えたと思ったのに。
 けれども。
 瞼を閉じたその先には。
 ただ闇が。
 広がるばかり。


『ジン』
 誰かが、呼んでいる。
『置いていかないでよ』
 泣いている。
『一緒にいるって』
 少女の声。
『いったのに』
 ごめん。
『ジン』

 ごめん。

『生きろ』
 幾度夢にみたか判らない。幼馴染はそう繰り返す。浮かべられる屈託の無い笑みが、自分は心の底から好きだった。
『そうでなければ』
 幼馴染は言う。
『俺はお前を憎めないから』
 だから。
『生きて、存分に幸せになって。帰ってこいよ』
 誰かを愛し。
 誰かに愛され。
 幸せになって。
 傷を癒して。
 かえってこいよ。
 まっているから。
 まっているから。

 しなないで。

 ジン。


 霞んだ視界に映ったのは、白い、天井であった。
 一瞬、とうとうあの世へ足を踏み込んでしまったのかと勘繰ってしまう。それほどまでに周囲は白く、また暖かだ。身体を起こそうとしたジンは、ぴり、と身体の端々を走る痛みに顔をしかめた。どうやら、自分はまだ生きているらしい。
「……っ……えぇ?」
 重い瞼を押し上げたジンは、視界に命一杯広がる狼の顔に驚愕した。身を起こそうにも力が入らない。手には真っ白な包帯が幾重にも巻きつけられており、その機能を果たしていなかった。どうすべきか硬直していると、ぺろりと頬をなめられる。振られている尾が目に入り、どうやら気に入られていることは判るのだが。
「う、うわーちょ、ちょっとまっ」
 狼に、別の意味で襲われる趣味はない。決して。
 べろべろべろと頬やら耳やら首やらをひたすらなめられ、くすぐったさに涙目になりながら笑い声を上げる。というか。
「うわーほんと、ほんとや、やめてひははははははっちょ、まったーひーマジっマジやめてひははっうあーもーひぃぃいいっ」
 半泣きで懇願した。
 獣の重さが身体に掛かる。視界に飛び込んできた張った乳から推測するに、どうやらこの狼はメスであるらしい。女は確かに好きであるが、狼のメスにまで手を出す趣味は無い。
「こら。やめや」
 狼がようやく動きを止めて背後を振り返ったのは、かつんという靴音と共に、叱責の声が響いて直ぐのことだった。
「妾がおらぬ間に何をしてるかキユ。早ようそこからおりなぇ」
 やんわりとした叱責ではあるが、力が込められている。狼が身体の上から立ち退いて視界に捕らえることができたのは、妙齢の女であった。
「え……と?」
 狼が尾をふりながら、女の下へと走り寄って行く。その頭を撫でた女は、体を起こすと、ジンに向かってにやりと口角を曲げた。
 ジンの目に、その女の容姿は奇異に映った。
 まず肌の色が異様に、透けるように白かった。青白いといってもいい。細い瞳は冬の森の奥で凍てついた湖の青、髪は水銀に青の色粉を溶かしたかのような色をして、すとんと背に落ちている。背は高く、身体の四肢が今にも折れそうなほどに華奢だった。人間の姿をしているのに、人間ではない気配がする。
 実際、タダヒトではないと、直ぐに知れた。髪から突き出ている両の耳の先は、長くとがって、ひくひくと動いていたからだ。かといって、アレクの雰囲気とも異なっていた。アレクは多少姿形が異質でも、人間であるとジンは断言できる。が、歩み寄ってくる女は、その姿は確かに人間であるのに、獣がそのまま人間に変体したかのような雰囲気を身にまとっていた。一歩一歩女が踏み出すたびに、手足に付けられた鈴がしゃらりと音を立てる。その音が神経を刺激し、ぞわりとジンの肌を粟立たせた。
「そのように怯えるでない。とって喰うことなどしやせぬ。まったく、近頃はメトセラも見たことがないのかぇ」
「め、メトセラ?」
「長命種よ。エルフの名も、聞いたことはないのかゃ」
「いや、エルフぐらいは。ただ、長命種の呼び方をしらなかっただけで……メトセラって、いうの」
 エルフ、ドワーフ、その他多くの精霊種族。名前は確かに聞いたことはあっても、姿は見たことは無い。それなりの個体数があったと記録にあるが、それもはるかな昔、といってもいいほどだ。精霊種族や、亜族と呼ばれる彼らと鉢合わせすることなど、皆無に等しい。魔に造詣が深い西大陸の人間や、畸形が生まれやすいディスラ地方、その他いくつかの土地の人を除けば、暮らす人々のほとんどが、彼らをもはや伝説上の生物として彼らを取り扱っているのだ。
 女はやれやれと呆れかえると、ジンの傍に椅子を引き寄せた。近くで見るとなおさらその異様さが際立つ。外見は全く人と変わらないのに、何か本能のようなものが、拒否反応を起こすのだ。何時だったか、これを経験したことがある。魔女を初めて前にしたときだ、とジンはふと思い出した。幼馴染のもとへ献上されてきた、滅びの魔女。その美貌は人間のそれからはかけ離れていて、見るものにある種の畏怖を抱かせる。
 彼女の雰囲気に、似ていた。
 何をされるのかと、無意識のうちに身を引いた僅か一瞬の後。
 ぺし。
「あたっ」
 景気よく、頭をはたかれた。
 大して痛みは感じなかったものの、つい呻いて傍らの女を上目遣いで見つめる。すると女は、盛大に大きなため息を零した。
「怯えることなど何もありゃせぬ。そのようにして身構えるのはおやめ。まったく英雄の末の癖になさけないと思わぬのかぇ」
「英雄の、末」
 それは水の帝国の皇族をあらわす古い呼び名だ。名前すら名乗っていないこの状況で、出身を言い当てられたことにジンは驚いた。
 自分も一応、血はついでいる。宰相家シオファムエンは、元はリクルイトの分家であるからだ。数代に一度はリクルイトの姫君を妻に迎える決まりがあって、そうして血の濃さを保ち、もしリクルイトに男子が生まれない場合、シオファムエンから養子をとることもある。
 だがそういった一切を、無論ジンはこの女に話した記憶は無い。第一、自分の容姿は西出身の母の血を色濃く継いでいることもあって、出身が東大陸であると見抜く人間は皆無に近い。自分を東の人間であると見抜く人々も、自分の所作や言葉に滲む発音の違いから判別するのであって、この女のように眠っている間に判別をつけるなどという芸当はまず不可能である。
 女は、笑った。
「頭の中がよめるのか、という顔をしているな。が、残念ながら、妾はおんしの頭のなかなぞ読めやせんぇ」
 ジンは閉口し、女はからからと笑ったあとジンの胸の辺りを指先でとんと突いた。に、と笑みの形に彩られる、橙の紅が塗られた薄い唇。
「妾が読むのは、そのものが持つ魔力と、その軌跡でな。西の聖女の血もついでいるようだから、わかるであろ。おんしがまとう魔力の粒子の色、形、流れ、そういったものから、妾はおぬしの素性を判別したまでよ。人の中にもおるやろて。星を詠むものが。あれに似よる」
 そのようなことが、果たして可能なのであろうか。
 人は魔力を魔術という形で行使するとき、その粒子が見える。世界を流れる銀の砂。少なからず、ジンもまたそれを目にすることが出来る。母から継いだ魔術の才がそれを可能にしていた。
 けれども、人が纏う魔力の色、などと。そのようなものを判別することはけっしてできない。魔力の粒子は銀。それ以外、ジンは目にしたことが無かった。それが、彼女には見えるという。ならばやはり、彼女は人ではなく、本当にメトセラとよばれる亜種族であるのだ。彼女の言葉を信じていなかったわけではない。だが、今ようやく納得できた気がした。
 女は立ち上がった。しゃらりと手足の鈴が鳴る。肩にかかった青銀色の髪をぱらりと払って、彼女は言った。
「そやし、妾はおんしの名前もしらぬよ。教えてくれぬかぇ。英雄の末」
「……ジンです」
 女はにこりと笑い、良い名だ、とこちらの名を褒める。人でもない彼女が、お決まりの社交辞令めいたことを口にすることが何故だかおかしかった。
「妾はアマランス」
 立て、と腕を引かれる。引かれるまま寝台を降りれば、思ったよりも身体は軽いことが判った。おいでと手招きされて、ぺたりと裸足の足をならしながら窓辺へ歩み寄る。
 手すりに手をかけ外の眩しさに目を細めたジンは、即座、驚愕に息を呑んだ。
 広がっていたのは、白い石造りの宮殿である。いや神殿か。美しい曲線を描いたそれは森の中に埋もれるようにしながらも仄かな光を湛えてそこに在った。空は薄墨色をして、いまだ夜であることはわかるのではあるが、それにしては異様な空間である。
 傍らに立つ長命種の女は、にやりと笑ってこういった。
「ようこそ、歓迎するぇジン。この、北の果ての忘らるる都へ」


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