BACK(第二幕)/TOP/NEXT

序章 逗留


 どうしても証明したかった。
 どうしても。
 学び、培ってきた知恵。決別した意味。生きる指針。
 ありとあらゆるものをかけてどうしても証明したかった。
 そうして、この暗闇に。
 光。
 差すのなら。


「ふんふんふーんふんふーん」
「気色の悪い声を上げるな貴様!」
 鼻歌を歌いながらいつもの冊子に街の風景を書き留めていると、怒声が投げつけられた。何やら不穏な気配を感じ、ひょい、と頭を動かせば、先ほどまで頭のあった場所を白い物体が通り過ぎていく。がしゃん、という音を立てて砕け散ったそれを見て、思わず眉根を寄せた。
 再び、怒声が部屋に響き渡る。
「そしてよけるな!」
「あのねぇ」
 ぱたんと冊子を閉じて、ジンは哀れにも壁に叩きつけられて粉砕した陶器の椀の破片を拾い上げた。白い瀟洒[しょうしゃ]な造りであった器は見事に砕け、破片一つ一つの優美な曲線が名残を見せるのみだ。もったいない、とため息をつく。貧乏性の幼馴染なら、眉をひそめるどころではないだろう。相手にとうとうと、ものの大切さを語りだすかもしれない。茶瓶を投げつけられて頭から血を流しながら、壊れたそれを買いなおすのにもお金いるんだぞと呻くのが自分の幼馴染だ。
 が、自分はこの椀よりも。
「こんなもん投げつけないでよ怪我したらどうすんのさ」
 怪我をしないほうが大事であった。
 椀を惜しげもなく投擲した人物は、ふん、と胸を反り返らせさらりと言い放った。
「怪我をしろ。そのために投げつけたんだからな」
「ひど」
 呻いてみるが相手は気にした素振りはない。どかどかどかと足を踏み鳴らし、長椅子に乱暴に腰を下ろして足を組む。彼はそのまま鼻息荒く吐息して近くの鈴を軽く鳴らした。招力石の力によって響いたその音に呼ばれて、女官が姿を現す。
「お呼びでございますか殿下」
「それを片せ。代わりのものをもってこい」
「かしこまりました」
 青ざめた女官は言葉少なに応対して一礼していく。どの女官も、この部屋の主に呼びつけられた折には、常に青ざめているな、とジンは思った。それもそのはず、この部屋の主である国の第一王子――アレッサンドロ・ロト・フォッチェス、通称アレクは、暴君である。今この国で逆らえるものなど、ごく少数。向かい合うときは、常に緊張を強いられるのだろう。
 そして彼が今のように不機嫌の極みにあるのなら、なおさら。
 程なくして二人の女官が掃除道具と茶道具を携えて現れた。彼女らにありがとうと礼をいうと驚かれるのだから、つい苦笑してしまう。王宮の身分階級は、大抵こんなもんだよね、と茶葉の分量を量りながら、ジンは胸中で呻いた。
「今日もまたフラれたの?」
「ふられたとかゆーな! あの強情女、そのうちこの国からたたき出してやってくれる!」
「そんなに気に入らないなら今すぐたたき出せばいいのに」
「そんなことをして何になる? そのうち『あぁ〜申し訳ございませんおっしゃる通りにいたしますぅ』と、土下座させてくれる!」
「はいはい『そのうち』ね」
「何が言いたい」
「お茶入ったよ」
 はい、と新しい茶器に琥珀色の茶を注いで差し出せば、アレクは喧嘩の出鼻をくじかれた子供のような顔をして、黙ってそれを受け取るのだ。自分の分も適当に入れて口をつけると、不満そうな彼の呟きがジンの耳に届いた。
「ジン」
 椀の縁に口をつけながら、目を細めてジンは城の暴君をかえりみた。
 白い肌に猫のような虹彩をもつ薄桃の瞳。髪は緩く波打って、軽く縛ってある。典型的な白子。飛び出る耳の先がほんの少しとがっているのは、冬の森に住むという長命種の証だ。話に聞くところによると、彼の先祖がそうであったらしい。寿命はタダヒトと変わらないとアレクは主張する。
 耳の先がぴこぴこ動く。うーん触ったら気持ちいいかなぁ。へらりと笑っていると、ふと思いがけない一言を掛けられた。
「男の癖に厭味ったらしいぐらいに器用な奴だな貴様。嫌味の塊か? 嫌味でできているのか?」
『……嫌味の塊みたいな男だな』
 耳の奥に響いた、拗ねた少女の声。
 そんな小さなことを覚えている自分がおかしくて、喉の奥でくく、と笑いながらジンは頷いた。
「そうだねーそうかも。なんか前にも言われた気がするよそれ」
「そうかならば貴様は嫌味の塊なのだろう。というか貶されてにやにや笑うな気色の悪い」
「あはは。お買い得だったでしょ俺」
「雪山のど真ん中で俺を助けたらいいことあるよなんて死にかけながら法螺[ほら]吹く奴を助けて、どんな良いことがあるのかと思ったが、まぁ女官の入れた茶より旨い茶が飲めることにかけては褒めてやる」
「あと話し相手になってあげてるじゃん」
「話し相手になってあげてるだぁ? 一文無しの放浪人が! 路銀が溜まるまで客人待遇でここにタダでおいてやっていることをありがたく思え!」
 はいはい、と頷けば、ハイは一回だ! と声が飛んでくる。意外に細かいな、と思いながらジンは椅子を引っ張り出した。ちらりと視界の端に移したアレクは、いつもにも増して機嫌が悪いようだ。
「今日はまたご機嫌斜めで」
「あの女は相変わらず俺になびかん。この俺がわざわざ直々に迎えに出てやっているというのにだ。そしてこっちに戻ればお前がいる。全く不愉快だ。しかもあの女、とうとう用心棒なんぞ雇いやがったんだぞ?」
「へぇ? 用心棒」
 驚きにジンは面を上げた。アレクがあの女呼ばわりする娘に、そんな経済的余裕があるとは思えない。宿を一人で切り盛りしている気丈な娘。大方商人たちの護衛か誰かが彼女に惚れこんで、勝手に用心棒をかってでているに違いない。
 アレクの体術の類は決して悪くはない。その彼を軽くあしらうということは、かなりの腕前なのだろう。
「そうだお前ちょっと行って倒して来い。腕は立つんだから叩きのめせ。そしてあの二人を俺の前に平伏させろ」
 件の用心棒について想像を膨らませているジンに、無情な命令が下った。目をぱちぱち瞬かせて聞き返す。
「いやいや突然何言ってるの殿下」
「問答無用だ即刻行け」
「えーでも外、雪降ってきましたけど」
 ほら、と指差す先、二重に張られた玻璃の向こうには白い粉が舞っている。積もるだろうことは経験上から容易に予想が付く。というよりも、ここでは十中八九、降る雪はみな積もりやすく吹雪きやすい。
 こんな状況で外に出かけるのは馬鹿だ、とジンは思った。だがどうやら自分は、馬鹿にならなければならないらしい。
 むっつりと口を噤み、聞く耳持たずな自分の雇い主にジンはひっそり嘆息し、傍らの青龍刀を手に取った。
「ジン」
「なにー。まだなんかあるの?」
 急いでいるというのに呼び止められることは、あまり好きではない。防寒具をとりに行っている間に、雪足が強くならないだろうかと、急いでいる最中だというのに。
 長椅子にゆったり身体を預けるこの国の第一王位継承者は、意地悪げに口の端を持ち上げた。
「なぁ、賭けをするか?」
「かーけー?」
「貴様がまけたら貴様が奴らの代わりに俺に跪け」
「無茶を言う」
「何が無茶だ! モニカを除けば貴様ぐらいなもんだ俺に[ひざまず]かんのは!」
 だん、と拳を長椅子の縁に叩きつけるアレクを尻目に、そうかなぁとジンは首を廻らした。
 目の前で跪け、と命令されて嫌だとすげなく断るのは、確かに自分と彼女ぐらいなものかもしれない。納得して、ジンはさっさと彼に背中を向けた。急がなければ、雪はこちらの意思など知らぬ存ぜぬで降り積もる。
 出来れば膝丈まである積雪をかきわけて行くのは、遠慮したいものである。
「オイ、跪けよ!」
「やーだーよー」
「負けろ! くたばれ! そしてお前こそ俺に跪け!」
 ジンは廊下に出ると、扉に手をかけながらにこりと笑った。やっぱりさっさとこの国を後にすればよかったかなぁと、少し反省しながら。
「俺が命を掛けてもいいと思う人間になったら、跪いてあげるよ」
「ジン」
「じゃぁねぇ」
 ひらひらと手を振って背を向ける。そして投げつけられてくる怒声と物を防ぐために、ジンは勢いよく後ろ手に扉を閉じた。


「あーやだやだ。だから雪のとき外出るのやなのに」
 すでに深くなりつつある雪を踏み分け、ため息混じりにジンは独りごちた。
 身につけている防寒具は寒さを遮断しても、この雪を遠ざけてくれるわけではない。小さな国であるから、城から街までの距離はそれほどでもないし、遭難することはない。にしても、不自由な視界は道から足をそらさせ、獣用の罠へと導く。他国の人間である自分はなおさら。この国で生まれ育ったものたちにとっては大したことのない勢いの雪も、自分にとっては致命的であるのだ。
 さらに、この暗闇だ、と天を仰ぎ見て顔をしかめる。
 今は昼。だが太陽の姿は見えない。光の王者はまだ地平の彼方。この国では、六日に一度しか太陽は昇らない。
 夜の王国ガヤ。
 北大陸北西部。ディスラ地方の化石の森よりもさらに奥、黒き森と天嶮と呼ばれる峠に囲まれた、古い国だ。地理的に閉ざされてはいるが、氷の帝国へと向かう商人たちの通り道としてそれなりの賑わいをみせ、慎ましやかに平和を享受している。
 童歌はこの国をこう詠う。
 北の北。神眠る土地へ通ずるという、夜の闇すら取り込む暗き大地の果て。
 獣と人と人ならざるものが住まいし深遠に、明かり灯す小さき王国。
 その名を。

 常闇の燈国、と。




常闇の燈国



BACK(第二幕)/TOP/NEXT