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閑話休題 択郷の都 1


 その日、確かに、背中やら腰やら頭やらが妙に痛かった。
 鉛を詰めたような重さが腰の辺りにあって、それに付随して全身が重い。眉間に皺を寄せていると、ジンが大丈夫? と声をかけてくる。うん、と、シファカは頷いた。この痛みが一体何に起因するものなのかは判らなかったが、間もなく街に入る。かなり大きな港町で、藩主、と呼ばれる君主が治める小国だ。今受けている護衛の仕事も、その街までで契約が終わる。
 変に身体の不調を訴えて、手続きを滞らせるようなことは、したくはなかった。
 が。
「ちょっと、シファカ」
 肩を叩いて顔を覗き込んできたのは、シファカたちと同じく護衛役としてこの荷馬車に同乗しているマリオだった。馬車が酷く揺れているのか、彼女の顔がぶれてみえる。違う、自分の身体が、奇妙に安定を欠いているのだ。
「顔真っ青だよ。大丈夫かい?」
 ジンが、マリオの身体を押しのけて自分の前に屈みこむ。彼の唇が動き、何かを呟いたがよく聞き取れなかった。
 血なまぐさい臭いが、鼻についた。


択郷の都


「まったく!」
 目の前で仁王立ちしたマリオは、怒っているというよりは呆れているようであった。彼女はがしがしと短い赤毛をかき、盛大に嘆息してみせる。
「用意ぐらいしておきよ、日数数えておかなかったのかい?」
「日数って」
「月の障りだよ!」
 その怒声は、シファカを萎縮させるには十分すぎた。声が大きいとたしなめる者もおらず、マリオはそのままの声量で、矢継ぎ早に咎めの言葉を口上する。
「前いつ来たのさ? まったく、用意も全然していないなんて。男ばかりの場所じゃなくてよかったさね本当に。あーもー重たいんだったら重たいって最初っから言えばいいのに恥ずかしい思いをするのは他でもないあんただろうシファカ」
「……これ、月の障りなの?」
「月経じゃなかったら、なんだっていうんだい?」
「シファカ」
 城門備え付けの医務室に、具合よく足を踏み入れてきたのはジンだった。入管審査証を二枚もっているところを見ると、どうやら仕事終了の手続きも、入国の手続きも、全て終えてきたらしい。
 彼はシファカの傍らで足を止めると、空いている手をするりとシファカの耳の下に差し入れた。伸びてきた髪を梳いて、彼は安堵したように目を細める。
「あぁ、顔色、大分よくなったね」
 彼の手は少しひやりとして、心地よい。微熱でもあるのか、熱の篭った気だるい身体に、その彼の温度は心地よかった。
「ちょっとジンも、あんた一緒に旅しているんだったら気をつけておいてやらなきゃ駄目じゃないか。この子、全然月の障りの用意していないんだよ? 一体今までどうしていたんだい?」
「あ、あの、ま、マリオ」
 そういったことを男のジンに堂々と問い詰めないで欲しい。慌てて彼女の服の袖を握り、シファカは彼女の勢いをどうにか収めようとした。一方、ジンの表情はけろりとしたもので、ただ彼女の問う意味がわからないとでもいうように首をかしげている。
「……そういえば……そうだね。シファカ、前きたの、いつ?」
「え? 何が?」
「だから」
 月の、と言葉が紡がれる前に、シファカは慌てて身を起こした。
「よ、四ヶ月……あ、違う、半年前? も、もう覚えてないよそんなの」
「……半年」
「前?」
 顔を露骨にしかめる二人に、一体どうしたのだとシファカは嘆息した。月の障りなんて、半年に一度くればいいほうだし、今日みたいに身動き取れぬほど身体が重くなることなんて振り返ってみても皆無だ。今日は出血量も多いし、一瞬何かの病ではないかと思ったほどなのである。
 が。
「ちょっとそれ、おかしいんじゃないのさねシファカ」
 マリオはそう主張し、ジンもうんと頷いた。
「普通、一月に一度、くるものだよ。そういえば今まで、来たところ見たことがなかったけど……」
「……だって、くること、ほとんど、ないから」
 旅をしていても不都合は全く感じなかった。少し下着が汚れる程度で。こんなに、本当に怪我をしたのかと思うほど、出血することなんて。
 しかも眠い。だるい。身体が痛い。一体自分が何をしたというのだろう。ジンが手続きを終えたということは宿を探すためにこの場所から離れなければならないということだ。いくら港町で宿が数多く存在するとはいっても、良い宿は早く取らなければすぐ埋まる。
 だというのに、動きたくない。
 今すぐ、眠りたい。
 実際ジンとマリオの会話も、夢現の状態で聞いているようなものなのだ。
 ふと、ジンの手が両脇に差し込まれ、彼の表情を確認するまでもなく、身体が浮いた。ひょい、と荷物を担ぐかのように肩に担がれる。
「じ、ジンっ」
 仰天しながら背中を叩くと、はーい暴れないでねーという能天気な声が帰ってきた。
「とりあえず馬車停までいきましょうかお姫様。マリオ、悪いんだけど荷物持ってくれるかな」
「いいよ。それにしてもあんたら、これからどうするんだい?」
「無論、今日の宿を探す。マリオこの街に詳しい感じだったよね。いい宿しらないかな。とりあえず七日はこの街に泊まらないと」
 この辺り一帯をなわばりとしていると、マリオは馬車の中や焚き火の番のとき繰り返し口にしていた。事実、この街のことについてあれこれと教えてくれたのも彼女である。シファカの分の荷物を軽々とその鍛え抜かれた肩に担いだマリオは、にやりと笑った。
「知ってるよ。格安の宿を」
「教えてくれたら助かる。場所だけでも教えてくれたらいいし――」
「あぁその必要はないね」
 何か含んだものいいに、ジンの動きが止まる。シファカは彼の肩の上で体勢をどうにか整えつつ、マリオを肩越しに返り見た。ジンと並んでも引けをとらない大柄な彼女。腕を組んだ彼女は、軽く肩をすくめてシファカに目配せをしてくる。
「もうすぐ、迎えが来るだろうし」
「……迎え?」
 というジンが怪訝そうに問うたのと。
「おっ母ぁさーんっおっかーえりー!!!!」
 という子供の声が、部屋に反響したのは、ほぼ同時のことであった。


 碧の藩国グワバ。
 北の大陸南西部に位置する小国であるが、北の大陸の玄関口とも呼ばれるほど海の交易の社交場としてその名は広く知られていた。
 首都でもある港街は択郷の都という二つ名を持ち、旅に疲れた旅人たちが帰る場所を振り返り、これからの未来を選択する意味合いをもって、よく長期滞在する。日雇いや短期の仕事が多いせいもあるのだろう。きちんと首都の入り口で入管審査を終えた人間に発行される証明書さえもっていれば、過去経歴を問うことのない仕事が多く、居座りやすいのだ。
「道理で詳しいわけだよ」
 大通りを小麦や野菜などの食料品に囲まれながら、荷馬車で進む。ジンはくたりと寄りかかっているシファカの頭をゆっくりと撫でながら、目の前の女に苦笑した。
「この国の人間だったのか」
「護衛はいい稼ぎでね」
 マリオは膝の上の童女を抱えなおしながらそういった。まるで銅像と人形。それほどの体格差がある。マリオは女性と呼ぶには少々首を傾げたくなるほどのよい体格の持ち主で、一方その実の娘だという童女は、人形めいた華奢な造作をしている。どうみても似ていないのだが、これでも血のつながったれっきとした親子だという。
 世の中いろいろ判らないものだと嘆息しつつ、ジンはマリオの言葉に耳を傾けた。
「霧の節の間、外に出稼ぎにでてるのさね。別に霧の節でも食いつないでいけないことはないんだけど。暇だしね。腕には覚えがあるし」
 霧の節――この一帯における、季節の変わり目のことだ。この辺りでは東大陸のように四季があるわけではなく、外気温はほぼ一定。その代り、季節の変わり目には海流が逆流して、濃霧が頻繁に起こるという。濃霧の影響で、確かに荷揚げの量も減る。マリオの実家が一帯何を生業としているかはしらないが、霧の節の間は格段に客の量が減るのだろう。
「うちは宿をやっているんだ」
 ジンの心中を読んだかのようにマリオはそう言葉を続ける。
「格安にしておくよ。まぁゆっくりしておくれよ。同じ仕事をこなした、よしみさ」
 有難う、と返しジンは馬車の縁に頬杖を付いた。流れいく街並みは、なじみの薄い平坦な壁をしている。商業区画らしいこの一角、継ぎ目のない壁は決まって青い。ただ、窓枠だけは色鮮やかに、白、橙、緑と映える色で塗られていて。玻璃には色が入れられ、茶色の柵や街灯は草花で飾り付けられている。褐色に日焼けした子供が笑い合いながら白い石畳の通りを駆けていた。
 傍らで目を閉じている娘が、気持ちよさそうに風を受けている。ジンは目を閉じた。潮風は、郷愁の匂いも含んでいた。


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