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第一章 旅人と剣士 5


 シファカに渡されたのはあの抜き身の剣で、ジンが手元に留めたのは花瓶に生けてあった花の方だった。いわれた通りに間合いを取り、シファカは男と向かい合う。すると、血相を変えたナドゥが飛び出してきた。
「おいジン! お前何やらかそうってんだ!?」
「ちょっと黙っててね、じっちゃん。とても大事なことだから、そこで大人しくしてて」
「そうは言ってもなぁ……!」
「ナドゥ、お願い。ちょっと静かにして」
 鋭いシファカの口添えに、ナドゥが納得のいかない様相で押し黙った。
 シファカは、この男が何を言い出すのか興味があった。剣の柄の感触を確かめるように握りなおして、能天気に笑ったままの男の顔を見据える。
 ジンが、花をくるくると指で弄びながら口を開いた。
「君の剣は乱雑すぎるよ」
「……一体何を見てそんなことをいうんだ?」
 苦々しく、シファカは呻いた。
 自分は物心ついたときから剣を振るってきた。乱雑だのへたくそだの、言われる筋合いはない。
「さっきの君の剣をみて」
 一方ジンは、花のみずみずしさを確認するようにその茎に指を這わせつつ、至極真面目にシファカに応じた。
「そう思った。力任せでとても乱雑。この国の人はみんなそうだけど、それはこの国の民族特有の、あの筋力があってこそだ。君には合わない。ただ手首と腕を痛めて、最終的には敵に怪我を負わされる前に、剣どころか[さじ]すら握れなくなってしまうかもしれないよ。君はきちんと、そういうことを認識すべきだ」
 あまりにも正論であったので、シファカは一瞬言葉を失ってしまった。それと同時、今でも目に焼きついている、彼の剣を振るう姿が思い浮ぶ。

 踊るように、宙に描かれた銀の軌跡。

 とても軽い力で、けれども相手の急所をきちんとついていた。
 ジンが言葉を続ける。
「あの刀だって、とてもいいのに持ち主がそれじゃぁ宝の持ち腐れだよ。もともと、刀は力の叩きつけには向いていないんだ。使い方が間違っているから、本来折れるはずの無い鋼が折れてしまう」
「……じゃぁどうしろっていうんだ?」
 何とか怒りを抑え、低く呻いて、シファカは柄を握る手に力をこめた。
 ずばずばと言いたい放題のジンの言い方に、もともと募っていた苛立ちが頂点に達しそうになる。男の講釈よりも、今から何をしようとしているのか、シファカはそちらのほうが気にかかった。
 本当に、何をしようというのだ。
 シファカには剣を与え、手元には花を残し、一体何を。
「これから俺が君より強いということを証明する」
 男は静かにいい、シファカは同じ温度で相手に尋ねた。
「……だから、どうやって?」
「君がその剣で俺を殺しにかかってくれればいい」
「…………は?」
「お……おいジン!」
 シファカは思わず目を点にして、ジンを見返していた。ナドゥが何かをジンに叫んでいる。が、ジンは取り合う様子は全くなく、にこにこ笑ってシファカと向かい合ったままであった。
 これにはなんというか、沸点に届いた怒りすら、冷めていってしまいそうだ。
(……この男、あたま大丈夫、だよね?)
 まともに相手にしているのが馬鹿らしくなってくるが、男は真剣そのものだった。
「あ、今俺の頭大丈夫か、とか思ったでしょ?」
 彼に笑われてそう言われてしまえば、ぐ、と言いたいことを飲み込んで、ただ耳を傾けるしかなくなってしまう。ジンは押し黙るシファカに、さらに追い討ちをかけてきた。
「でも多分、殺しにかかる気分できて、俺に一本入れられるかどうかだと思うから。俺にその刃を触れさせることが出来ればシファカちゃんの勝ち。どーぞその剣持って帰ってお仕事してくださーい」
「……あんたはどうするんだ? その花で応戦するつもり?」
「そうだよ」
 ジンは即答し、シファカはますます混乱するばかりだった。
「俺は拳も、蹴りも、何も使わない。この花を刃に見立てて、君の体に触れさせる。もし君の刃が俺に届くよりも早く、俺がこの花を君に触れさせることができたら俺の勝ち。そしたらシファカちゃんは、今夜はここにお泊りしなきゃいけないし、俺と一緒に剣の稽古もしなければいけません」
「け、剣の、稽古?」
「俺が勝ったら俺のほうが上手ってことでしょ? 教えてあげられることはいろいろあるよ。多分」
 どう? とジンは首をかしげて尋ねてくる。その様子から、自分は完全にからかわれているのだとシファカは思った。
 本当の剣と剣を手にとって試合をするのなら、シファカがこの男に勝てる自信は低かった。先ほどの男の動きを見ていても、真剣をつき合わせて勝つのは難しいだろうと予測できる、が。
 剣と、花では。
 決定的に間合いの距離が違いすぎる。ジンが、いくら茎が長めとはいえども、シファカの手首から肘まであるかないかの長さしかない花を、シファカの体に触れさせるには、少々無理がないか。
 だがジンは前言を撤回する気は毛頭ないらしく、ただ笑ってシファカの答えを待っている。
 シファカは仕方がなく、頷いた。
「…………いいよ。けれども私はナドゥの家を流血で汚す気はまったくないんだ」
「手加減するっていうんなら、それを負けの理由にしないでよ?」
「あんた、どこまでも私に勝つつもりなんだな」
「勝つ自信あるから俺。んじゃ、はじめます? じっちゃーん、適当に合図おねがーい」
「え? あぁ……」
 ジンの言葉に頷いてみせたものの、ナドゥは渋面でシファカとジンを見比べている。シファカは安心させるべく、微笑を取り繕った。
 ナドゥの嘆息する姿を視界の端に納めたあと、シファカは再びジンに向き直った。ジンは自然体のまま、きちんと構えをとろうともしなかった。
 ナドゥがどうなっても知らない、という風にきつく顔をゆがめた。彼はそのまま、片手を挙げ。
「…………始め!」
 叫んだ。
 驚愕は、すぐにシファカを襲った。
「…………え?」
 シファカが剣を構えて踏み込もうと体を動かしたのは、決して遅くはないはずだ。けれども気がつけばジンの顔がすでに間近にあり、腰を屈めた体勢で彼は自分を覗き込んでいた。
 彼が、合図まで動かなかったことは知っている。
 ざり、と土が擦れる音がした。
 シファカは反射的に一歩、背後へ飛びのこうとする、が。
 ひたり
 花が、首筋に触れるほうが早かった。
「…………あ……え?」
「はい、俺の勝ち」
 気がつけば、すでに勝負はついていた。
 シファカは剣を握り締めたままの格好で、瞬きを繰り返すことしかできなかった。手から静かに剣がとりあげられる。ジンはすたすた歩いて、同じく呆然とするナドゥの横をすり抜け、立てかけられていた鞘に丁寧にその刃を収めた。
「じっちゃん、どっかにこれ片しておいてよ。俺片付けようにも、場所知らないし」
 腕にそっと置かれた剣を、ナドゥが呆けた様子で黙って受け取った。彼はジンと剣、 そしてシファカを順々に見比べ、唇を震わせている。
 ジンはシファカの前に立つと、にっこりと微笑んだ。
「じゃ、今から晩御飯作るからお部屋入って待っててね」
その口調は和やかだ。先ほど、彼が踏み込んできた一瞬に感じられた緊張感は、一欠けらも見られない。彼はそのまま台所の方向へ、ひらりと踵を返した。
 シファカは空っぽになった両手を見比べつつ、ジンの背中を目の端で追った。そして完全に消えてしまう寸前に、シファカは駆け出して、彼の背中にすがり付いていた。
「もう一回!」
「え?」
「もう一回だ! もう一回、やって!」
 子供じみた懇願の仕方ではあるが、シファカは少しも気にならなかった。それよりも、たった一つの望みが意識を支配し、身体を動かしている。
 もう一度、勝負を。
 あんなもの、納得いかない。
 あまりにも短かった。息を呑む暇すら与えられなかった。刹那の間。その後にひやりと首筋に触れた柔らかな花弁と、薫った芳香。それが、信じられない。
 だって明らかに、こちらのほうが条件は有利だったのに――。
「いくらやったって、無駄だよ」
 目を細めて、ジンは子供を諭すように言葉を落とした。
「シファカちゃん、自分の体のこと今判ってる? 結構がたがたでしょ。でなければ、眠りの印を手にかいてすぐ、見ず知らずの俺の背中で眠れるわけ無いじゃんね?」
「……眠りの……印?」
「簡単なまじないの一種。手の甲に、描いてあったでしょ」
(あの、文様?)
 体を清めているときに気がついて、そして手ぬぐいで拭うとすぐに消えた、赤茶けた文様。
 あれが、まじない?
 まじないは初めてではない。この国にも薬師はいるからだ。薬師は同時に治療の魔術にも長けていて、かといって滅多に見られるものではない。きちんとした術式と魔力が必要であると、シファカも知っている。
 魔術大国として知られた、滅びて早十数年になる魔の公国メイゼンブルには、もっと簡略化した術がたくさんあったという。そういえば、男の風貌はいつしか見たかの国からの難民に似通っていた。
「……あんた、西大陸からきたの?」
「ううん。ちょっと簡単なものを知っているだけ。だけど簡単だから、効力だって薄いんだ。健康な人間にはまるで効かない場合が多いし」
 それなのに、効いたっていうことは、とても体が疲れているということなんだよ、と彼は付け加えた。
「シファカちゃん。実力の面でもそうだけれども、今のシファカちゃんがいくら俺に食って掛かっても結果は同じだよ。本当だったら今日だって、もし体調が万全だったら俺の助けもいらなかったんだよね? 自分の身体のことをきちんと管理しておくのもいい剣士の条件だ。とくに君は女の子だから。いくら男のように体を鍛えたところで、生まれ持った決定的な違いがある。ちゃんと体をきちんと治しておかないと、取り返しのつかないことになってしまう。後悔してからじゃ、とっても遅い」
「でも今――」
 周囲はとてもきな臭い。自分が守らなければ、誰が妹を守るのだろう。
 自分は決めたのだ。せめて妹を守らなければ。妹を守っていかなければ。
 自分は。
 ジンは軽くシファカについた土埃をはたいた。朝、あの袋小路で血や埃を拭ったときと同じ優しさで。羽で撫でるような軽さでもって。
「じっちゃんから事情は聞いてる。とても今忙しいことは判るけれども、だったらなおさらだよ。何もないときに無理をして、何かあったときに動けなくて、つらい思いをするのはシファカちゃんじゃんね。いい子だからきちんということを聞いたほうがいい」
 一拍おいて、細められた目が相手を凍てつかせるような鋭さを帯びる。そして絶対零度の冷たさをもって、最後通告が囁かれた。
「……今夜は、もう動くな」
 今度こそ、動けなくなる。
 命ぜられた通りに。
 あの若衆を打ちのめしたときと同じだ。まるで魔力がこめられているかのように、その言葉には絶対的な力が宿っている。唯一違ったのは、どこか労わりの響きがあったことだが、それでも感じ取れる厳しい余韻に、足がすくんだ。
「じっちゃん、シファカちゃんと一緒に席ついて待っててよぉ」
 不意に顔を上げたジンが、シファカの肩越しにナドゥへ向かって声をあげた。
「じゃないとシファカちゃん大人しくしててくれないからさぁ。嬉しいでしょじっちゃん、愛しの君と向かい合ってお話でもしててー」
「……? 愛しのきみ?」
「だぁほ! この野郎余計なくち叩かずさっさと飯作りやがらんかい!」
 背後にいつの間にかナドゥが立っていて、肩を掴まれシファカはジンから引き剥がされる。ジンはおかしそうにけたけたと笑い声をたて、シファカと目を合わせて微笑んだ。
「じゃ、そういうわけだから待ってて。苦手な食べ物ある?」
「…………特には、ない、けど」
 先ほどとの、雰囲気のあまりの差に当惑しながら、シファカはどうにか返答した。背後のナドゥは噛み付かんばかりの勢いでジンを睨みすえている。ちょっと怖いぐらいだ。けれども尊敬に値すべきはジンで、それを綺麗に受け流していた。鍛冶の弟子たちでさえ、長い付き合いでもこのようには相手できない。それが、まぁジンがこの家の居候を務めることができている所以なのであろうが。
「おいしくて消化にいいもの作るから期待してていいよ」
「まずいもん作りやがったら俺がお前をたたき出してやるわ」
 すかさず入ったナドゥの突っ込みにジンは苦笑を浮かべながら部屋へ入っていく。
「シファカ、入るぞ風邪を引く」
 しわくちゃで皮膚の厚いナドゥの手にぽんと肩をたたかれるまで、シファカはそのまま、その場所から動くことができなかった。


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