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第一章 旅人と剣士 3


 いつからか、心の中に巣食うものがあった。
 何故そんな風に考えてしまうのか判らない。しかしいつからか、それは音もなく、痛みもなく、シファカの全てを蝕んだ。そしてシファカは、暗い方向につい思考を向けがちな自分に気付くのだ。
(本当は、そんなんじゃいけないんだけどな)
 心に邪が棲むと、思ったように剣が振れなくなる。だから心だけは清く、揺ぎ無いものを立てておくこと――今は無き父は、いつもそのようにシファカに言い含めていた。
 てくてく歩きなれた街並みを進んでいきながら、思考の海にシファカは没頭していた。こうやって一人になると、ついつい考えることが多くなってしまう。ふとした拍子に零れるため息。いつから自分は、こんな風にため息の数が増えたのだろう。涙を零す数を減らした代わりに、胸のうちに沈殿した何かは吐息となって口から出るようになった。
 湖周辺は木々に守られているためか、一歩街の外に出ると荒野では黄ばんで見える空も青く、太陽の光は射すように眩しい。赤茶けた街並みに落ちるくっきりとした人々の影が、躍るようにうねっている。その影だけを見つめ、シファカは世界に自分だけが取り残されたような錯覚を覚えた。
 父は、おそらく息子が欲しかったのだろう。
 母はひどく病弱であった。シファカの両親は共に異国の民だ。特にこの国の気候が母に合わなかったのか体調を崩し、容態は双子の自分たちを生んでからますます酷くなった。妹は母の傍に置かれ、父は自分におもちゃ代わりに剣を与えた。

 ――それが、シファカとエイネイの最初の運命をくっきりと分けた。

 自分は父が好きだった。陰気臭い部屋に押し込められた母の傍よりも、太陽の光を浴び、埃にまみれ汗だくで剣をふる父の元が。王陛下のもと、きちんと正装をして佇む彼には威厳があり、よく焦がれた。よく父に連れられて王宮に幼い頃から出入りも繰り返したが、それはシファカに醜い権力争いや、民族差別を垣間見させた。女に剣を持たせることを忌み嫌うことも、差別の一端といえよう。
 この国の女は商売はできるが、宗教の戒律もあって女が剣をもつことは頓に嫌われている。この国において、数少ない国家事業として鋼の精錬を行っていることにも起因するのだろう。女が触れると、せっかくの錬鉄が穢れるという。今でこそ元王の治世の下男女が対等に口を交わすことも多いが、父がこの国に来たばかりのころは、今よりもうんと男尊女卑の風潮が強かったのだ。
 よく笑い、女らしく人形遊びに、裁縫に弦楽に没頭していたエイネイは、すんなりと友達を得ていた。母の傍でよく笑いをとっていた妹は、使用人たちの間でも誰からにも可愛がられる。対して王宮で垣間見た人々の差別の視線を始まりに、人の輪から一歩引きがちになってしまった自分。
 自分と妹の間には、大きな隔たりができてしまった。
 父が亡くなり、庇うものが誰もいなくなった自分は、父が自分に残してくれた剣の腕一本で、居場所を確保していかなくてはならなかった。
 幸いにも、街を代表する鍛冶場の主人であるナドゥが、シファカをこれ以上ないほどに可愛がってくれた。ナドゥの部下も幼い頃から居つくシファカに抵抗をもつことはないし、妹は自分を慕ってくれている。同僚たちにも、いい人間は多い。

 けれども。
 どうしても。
 どうしても付きまとう。

『…………貴方がいなければ、あの人も死ぬことはなかったのに』

 どうして、貴方はここにいるの。
 ……どうして、生まれてきたの。

(……お母様)
 ほんの一滴、胸に落ちた黒い染みは、いつしか広がり、折にふれてシファカを苦しめる。
 息苦しさにぎゅっと胸元をつかみながら歩いていると、どん、と肩に衝撃があった。
「……っつ」
 軽くよろけ、それでもシファカは体勢を立て直した。体格の差から、まともにぶつかれば簡単に吹っ飛んでいってしまうからだ。この体は確かに嫌いではない。が、いくら鍛えようとも、女の身である上、元々の血が反映して国の人の中では小柄に位置する。こんなときに無力さを感じて、泣きたくなるのだ。
「ごめんなさい」
 顔を上げ、目に飛び込んできた面にシファカは内心舌打ちした。衝突してしまった人間が、あまりよい類ではないと判ったからだった。五、六人の若衆。身なりはあまり褒められたものではなく、しかも朝方だというのに呼気が酒臭い。
 シファカはひとまず身につけている外套の下、剣の柄を確認した。やり過ごすために、素早く身を翻す。
 が。
「ちょっとまてよこの野郎!」
 ぐ、と掴まれた肩にシファカは再び舌打ちしていた。
 多勢に無勢。突き放されよろけた衝撃で、頭を包んでいた外套の頭巾が滑り落ちる。現れ出た顔をみて、男たちの顔色が変わった。
「なんだなかなか可愛い顔の姉ちゃんじゃねぇか」
「離せ」
 肩にかかる手を払い落とし、早足で歩み始めれば、素早く男たちが行く手を阻む。億劫さに、シファカは唇を引き結んで、目の前の男たちを睨みすえた。
 おそらく髪が短く切られているのなら、男達はシファカを少年と見做していただろう。男だったらやり過ごせることも多いというのに。その上、この髪は手入れするにも手間が掛かって色々と不都合が多い。それでもこの長い髪を切り落とせない自分を、シファカは少し忌々しく思った。妹がシファカの短髪を許さないということもあるが、切っていないのはほかならぬ自分の意思だ。
 相手を女とみると、この類の男たちはとても執拗だ。完璧に痛い目に遭わせないと引き下がらない質。
「急がないといけないんだ。どいてくれるかな?」
 シファカは努めて穏やかに尋ねた。だが男たちは無論引き下がる気配はなく、じわじわとにじり寄ってくる。自分に女を感じることの出来るこの男たちが信じられない一方で、どうあがいても自分は、女という生き物なのだということを思い知らされる。
 剣を手に取り体を鍛え、少年のような言葉遣いをしてみたとしても。
 生まれついた性別はどうすることもできない。
 陰鬱とした思考を振り払いながら、シファカは剣の柄に手をかけた。無駄な思考は怪我のもとだ。牽制のために、僅かばかり鞘から剣を抜いて刃を見せる。歩みを止めた男たちに、シファカは冷ややかに繰り返した。
「怪我したくなかったらどくんだ」
「オイオイ、物騒なもん振り回したら、怪我するのはオネエチャンだぜ?」
 この雑踏で本当なら剣を抜きたくないのは正直なところだった。熱くなる日中に向けて人通りが徐々に少なくなってはいるとはいえど、剣を振り回すのは危険すぎる。雑踏の音に耳を澄ませ、周囲をざっと一瞥する。嚥下した唾で喉を湿らせると、シファカは傍を通りかかった引き車を力いっぱい引き寄せ、男たちに向かって蹴りつけた。
「なっ………」
「え、ちょと」
「ごめんなさい!!」
 がしゃんっ、と音を立て、派手に転倒した引き車は男の一人を巻き込んだ。転倒した引き車を踏み台に男たちを飛び越えて、シファカは男たちの背後に降り立つ。引き車の主の抗議には、ひとまず謝罪の言葉だけ残して全力疾走。
「このアマぁ!!!」
 とかなんとか叫ばれたところで、自分は売られた喧嘩は全て買う類の人間ではない。
人間、逃げるが勝ちのときもあるにはある。
 が。
 ひゅ、と外套の裾が踏まれて、シファカは体の均衡を危うく崩しかけた。その拍子に近くの人間とぶつかってしまう。
「ちょっとぉ痛いじゃないの!」
 踏まれた外套を素早く脱ぎ捨てながら、シファカは金髪の女と茶髪の男を視界の端にいれた。本当ならば勢いよく衝突してしまったことをきちんと謝りたいところだ。しかし顔を真っ赤にして追いかけてくる男たちがその向こうに見えた、脱兎の如く逃げるしかなかった。


(とりあえず、戦える場所探さないと)
 息荒く走り続けながら、シファカは思考をめぐらせた。
 男たちはとにかく、執拗だった。一度何がなんでも組み敷き屈辱を与えないと気がすまないとでもいうように。いい若い者が、なにを些細なことで苛立っているのやら。問いただしてみたい気もするが、そんな暇はなかった。地利条件はお互いに地元人であるが、彼らのほうに分がある。自分はなんといっても王宮勤めだ。毎日街中をたむろしているわけではないのだから。
 相手に追い込まれている気が、しないでもないのだ。
 たどり着いた場所は町の外れの行き止まり。本通からはかなり離れていた。高い壁を越えるとその向こうは荒野だ。砂よけの壁は高く上れたものではない。この袋小路は具合のいい広さではあるが、追い詰められたのはすこし痛かった。
「このアマ、ようやく追いついたぜ」
 ぜ、と息を切らしながら男たちが追いついてくる。合計六人。二人が入り口を固めて、四人がじわじわと距離を詰めてくる。シファカは仕方なしに剣を抜いた。
 その瞬間、予想外に腕にきた重量に、顔をしかめてしまった。
 久方ぶりに扱うから、というだけではなさそうだ。おそらくこの必要以上に感じる重みの原因には、やはり先日の負傷がある。安易に彼らを相手にするのは、軽率だったかもしれない。襲われたりでもしたらどうするんですか、と護衛の必要性を必死に主張していたエイネイの顔にシファカは苦笑した。
「何ニヤニヤ笑ってやがる!」
 笑ったわけではないが、言い返してやるつもりもない。こういう輩は、どんな言葉も通用しないということはよく判っている。ただ手中にある重みに必死に集中した。
呼吸を整えて、跳躍する。
 ひゅっ……
「………っつぅ!」
「こ………のやろう!」
 刃の先が空と相手の皮膚をまとめて切り裂いた。赤い鮮血が乾いた宙に踊って、横の男が血相を変える。
 一方シファカは、予想以上に思い通りに動かない体に毒づいていた。思ったよりも剣の重心に引っ張られてしまい、深く踏み込みすぎる。軽く身を屈めて体勢を整え、後方に飛ぶ。左手から飛び掛ってきた男の横隔膜部分に素早く剣の鞘を食い込ませながら、右手の男の腕を剣ではたき倒した。
「ひぃいいいっ!!」
 腕から血をこぼしてのたうつ男を尻目に、次の男のあごを剣の腹をつかって跳ね上げる。突然顔を襲った衝撃に、目を瞬かせている男の腹を貫こうとして、剣の形状と自分の筋力がそれを許さないことをシファカは思い出した。手首を返して刃を腹に叩きつける。男は悲鳴をあげて、腹部を抱えながら悶倒した。
 咳き込んでいたはずの男は、鞘の突きが浅かったのか思ったよりも早く面を上げて、シファカの脚をとった。
「調子にのるなメスがぁ!」
 ひゅっと体が浮く。持ち上げられることを悟る。腹筋を使って体を起こし、自分からワザともう片方の足を地面から離した。その腹部に蹴りをいれたところまではよかったが。
「あ」
 シファカが呻きを漏らしたときにはもう遅かった
 がだん、という震動と衝撃。脚に鈍い痛みが走った。男が自分の足を捕らえたまま転倒したのだ。頭を押さえながら立ち上がるが、気がついたときには別の男の足が腹部に衝撃をもたらしていた。
「―――――ふっ………く!!!!」
 がらがらがらっ
 積み上げられていた空の酒樽を巻き込みながらシファカは派手に転倒した。
「けほっごほごほごほっけほっ………ふっつうっ……げほっ」
 詰まる息にせきこみ、嘔吐感に瞳孔を開く。手に剣が握られているのには自分ながら感心したが、それを持ち上げられるほどの余力が今のシファカにはない。頬をすべる冷や汗、引いていく血の気。
 包み込まれる温かさと体中に悲鳴をあげさせる痛みから、意識を手放してしまいそうだ。
(…………温かい?)
 ふと、シファカは違和感に顔をしかめた。体中が痛いのは当然だが、どうして酒樽が頭上に降ってこないのだろう。そして、どうして背中が温かかったりするのだろう。
 ふと。
「あんねぇ、女の子は大事に扱わなきゃだめだと、俺思うよ?」
 聞き覚えの無い男の声が、吐息と共に耳元を掠めた。
 朦朧とする頭を、シファカは思わず勢いよく起こした。自分の体をすっぽり抱いてしまう形で、男がシファカの背と密着していた。彼の軽く掲げられた腕が、自分を落下してくる樽から守っていてくれたのだと知る。驚愕の目でもって見つめていると、その男に柔らかく微笑まれた。
 まず彼が最初に立ち上がり、その腕でもって抱き起こされる。とん、と地面に立たされ、軽く埃をはたかれた。男はそうやってシファカの身なりをかるく整えた後、自分の着衣の乱れを簡単に整えた。
「…………な、なんだお前」
 突然の乱入者に、驚いているのはシファカだけではない。短剣を抜いている男も同じである。一方シファカの傍らに立つ男はにっこりと笑ったまま、シファカの剣を手に取った。
「コレ貸してね」
「……え、あ、の」
「オイだからお前はなんだって!」
「ただの通行人でいいじゃん」
 少し長い、肩に触れるか触れないかの薄茶の髪を煩わしそうに軽く掻きあげ、男は面倒臭そうに言った。
「それがいやなら正義の味方で」
「…………はぁ!?」
 男の一人が男の発言の訳が判らないというように大口を開き、もう一人の男が短剣を抜き放って怒鳴りだす。
「お前ふざけてるとお前も一緒に」
「うん」
 薄茶毛男の言っていることは無茶苦茶だが。
「いい子だから一緒に眠っちゃってね」
 動きは素早かった。
「がっ……!」
「…………くっは……!」
「………………え?」
 文字通り。
 それは瞬きするほどの時間だった。
 軽く、一歩距離を詰めただけなのだと、シファカは思った。男は、たった一歩踏み出しただけに過ぎなかったのだ。
 だが次の瞬間、彼は素早く若衆の急所に剣の柄を打ち込んでいた。いつの間にか二本の短剣は彼らの手から離れ、壁に向かって地面の上を滑っている。男の足元には別の若衆が。その若衆はおそらく起き上がろうとしていたところ、彼に踵落としを食らったのだ。若衆は泡を吹いて悶絶していた。まるで流れるように、演舞のように動く銀の軌跡。するりとそれが最後の一人の腹部を滑る。綺麗に衣服と表皮だけが斬られたのが判った。
「あ……あぁ?」
 他人事のように己の切り口をみて喉を震わせている若衆の男に、活劇を演じて見せた男はにこにこ笑ったままだ。
「邪魔だから、どっかいってくれる? 今すぐ」
「……お、ま、い、…………今なにして」
 彼は、その微笑を冷笑に塗り替えた。幕を落とすような素早さで。
「死にたくなければ」
 ぞっと。
 一瞬シファカの腕が総毛だった。笑顔はとてつもなく綺麗なのに、その声が、冷ややかだ。とても。
 声だけで、相手を殺せてしまいそうなほど。
 若衆の中で逃げおおせたのはその一人だけ。慌てて、こけるようにしてその場を駆け出している。他の男たちは皆悶絶していて、起きる気配もない。
 乾いた風に乗って、シファカの鼻先を少しだけ血の臭いが掠めた。それに顔をしかめていると、目の前に影がさした。
 あの、男が立っている。
 逆光で表情が上手く読み取れない。ただ蜜だか黄金だかの双眸の色が鮮やかだ。体が上手く動かない。息を詰めてシファカは立ち尽くすしかなかった。
 手が、伸ばされる。
 びくりと体をすくめたシファカに触れた手は、予想を裏切って優しかった。
「ひどいよねぇ。女の子こんな風に追っかけまわして。いったい何が面白いんだろね。俺にはよくわかんないなぁ」
 顔にかかった土埃を、頬に跳ねた血を、綺麗に男の手で拭われる。そして肩にふわりと外套が掛けられていた。街中に捨て置いてきたはずの、シファカの外套だ。
「あ、あ……ありがと」
 何をいうべきかさっぱり思い浮かばない。ついて出た言葉といったら、そんなありきたりな感謝の言葉一つだった。
 けれども男は嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
 綺麗な、男だ。
 何故だかそんなことを思ってしまった。綺麗、だなんて男が言われて喜ぶ表現でもないとは思うけれどもでも。
 とても、綺麗。
 きちんと整った造作。この国の部族では見られない形で、彫が深い。肌は日に焼けてはいたけれども、それでも国の住民と比べればシファカと同じぐらい、いや、それ以上に色が薄い。髪の色は先ほどに述べた通り。亜麻、という単語が頭の端を掠める。それは肩口ぐらいの長さなのか首のあたりで無造作に縛られていた。瞳の色も髪の色に近いけれども、透明度が高くて、そしてほんのり薄桃色がかっているようにも見える。<夕焼けの黄金>と呼ばれる赤みのある上品な黄金と同じ色だった。
 一見華奢に見えて、けれどもしっかりとした体躯。身長はセタと同じぐらい。セタと並べば体格は負けてしまうだろうが、厚い胸板や肩や腕や、そういったものをきちんと見ていけば鍛えて絞られていることがわかる。一見この国において小柄に見えてしまうのは、民族的違いからに違いない。
「お腹大丈夫?」
「え……あ、うん大丈夫……」
 頷きかけてシファカは、腹部をするりと撫でた男の手を振り払っていた。距離をとって睨みつける。
「何をするんだ!? ……っいっ」
「え? いや何ってあーもーほら急に動くから。大丈夫?」
 叫んだ拍子に体を襲った衝撃に、シファカは体を圧し折った。蹴り付けられた場所に鈍痛がある。涙目になりながら、痛みをこらえているシファカの顔を、男が覗き込んできた。
「動ける? 負ぶさる?」
「……ど、どこへ連れて行こうって言うんだ!」
「どこって、シファカちゃん鍛冶場にいくんでしょ?」
「何でソレ……」
 シファカは息を呑んで、男を見返した。確かに目的地はナドゥの工房――鍛冶場である。いや、そもそも何故この男はシファカの名前を知っているのだろう。
 ジンは胸元をまさぐって何かをとりだし、それをシファカの目の前でひらりと振って見せた。見覚えのある上品な白い紙。蝋で厳重に封がされている。
書簡だ。
「あ…………! お前!」
「落ちてたから拾った。国で一番の精錬鉄鋼師、ナドゥ・サマイリシカへ向けた書簡。これ届けるんだったんでしょ?」
「か、返して!」
 手を伸ばしてもぎ取ろうとするが、一瞬早くに男の手は高く掲げられてしまった。するりと立ち上がられれば身長差もある。今の自分に、跳躍してもぎ取る気力はなかった。
「鍛冶場につれてってあげるから。背中に負ぶさる? 一人で歩ける? 返事してくれたら、コレ返してあげるよ」
 そう問う男の笑顔はかなり意地悪だ。二者択一。絶対本人は前者を望んでいるような気がする。あぁだんだん、その目がいやらしいもののように見えてきた。書簡を奪い返したくとも、その余力が無い。ぎり、と歯を噛み締め拳を握り締め。
「……自分で歩く」
 そうシファカは、答えるしかなかった。


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