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終章 不毛の王国


 その大地は、何も生まぬ土地というけれども。
 それでも、確かに息づくものはあった。


 石を踏んだ車輪が、がたんと弾かれる。
 馬車というものはどうもなれないな、とシファカは思った。四つん這いになりながら奥まで移動して、背中を壁に預ける。隣に腰を下ろしている芸人の少女が、にっこり微笑んで干した果物を手渡してきた。微笑み返して受け取りながら、御者の声を耳に入れる。
「そろそろ町が見えなくなるよ」
 立ち上がって窓から外を覗き見た。十九年、過ごしてきた、自分の祖国。遠くに王宮の先頭が針のように見えている。
『……だからしっかり捕まえておけといっただろう』
 別れを告げに行ったとき、ロタは呆れ返ってそう呻いた。
 妹は仕方ありませんわね、という顔をしてそれでも寂しがって泣いてくれたし、セタはこうなると思ったといわんばかりに、仕事の引継ぎの残りは自分でやるといった。もともと一兵士に戻るつもりで行っていた引継ぎの作業はほとんど終えていたから、丁度いいといえばそうだった。
 ナドゥは刀の手入れについてこまごまとお小言を述べ、あとジンに馬鹿野郎といえと一言託を預かった。トリシャはこの芸人と早速話をつけてくれた。
 元気でやれ、と背中を押してくれたひとたち。
「……がんばるから」
 頑張るから。
 みていて。
 シファカは小さく手を振って、窓の布をぱさりと下ろした。


「おーい。そろそろ門閉まるぞ。中はいれー」
 入国手続きを終えた商隊の男は、荒野のほうを眺めて微動だにしない護衛役に声をかけた。
 西大陸の容姿をした男だった。あんな土地に出入りしているのは珍しい男。胡散臭いとも思ったが、いかんせん腕が立つ。ここで手放したくはないのが実際のところで、門の外で野宿するといわれてはたまらないと思った。
 護衛役の男は軽く手を振って、歩み寄ってきた。
「すみません。終わりました?」
「終わったよ。他の奴らはもう中に入って宿探してるぞ」
 護衛役の男はにっこりと微笑んで横に並んだ。城門の中への入り際、彼は再び立ち止まって、荒野を返り見る。
「……おい、おま……」
 商隊の男は、そのとき見た。
 夕日の光を受けて、一瞬だけ男の頬で煌いた、

 涙。

「……おまえ、大丈夫か?」
「え? 何が?」
 振り向いた護衛役の男はからりと笑って首をかしげた。見間違いだったか、と胸中で独りごちる。いやいいよと手を振って、商隊の男は先に城門をくぐった。


 たとえ強引に手に入れたとしても
 愛しているというその一言は、失うまじないに等しくて。
 喪失という名の足音に、怯えて手を放す自分をどうか詰って。
 泣かないで愛しい人。不毛の土地に生きるなら、貴方はそれほど弱くはないから。
 ただ、周りに愛されているということだけは記憶に刻んで。
 けれどもその一人である、自分の存在は記憶しないで。
 見なかったように目を閉じて、聞かなかったように耳をふさいで。
 囁いた愛の言葉の重たさも、触れた唇の甘美さも、この手の熱さも忘れてしまって。
 もしもそれでもこの熱を、覚えているというのなら。
 手のひらからこぼれていく、灼熱の砂の温度だと、思って。

 この、不毛の大地の。



何も生まず
何も育てず
何も生めず
何も育たず
ただ、あるのは人ばかり
人が紡ぐ、命の軌跡、そればかり

ここは

不毛の王国


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