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第八章 閉じ込められた歴史 2


「……国を、取り戻そう」
 シファカは立ち上がり、静かにエイネイとハルシフォンを見下ろした。二人は揃って困惑の表情をその顔に浮かべ、セタが慌てて腕を引く。
「な、え、取り戻そうったって団長」
「シファカでいいよ。今からセタが団長で」
「……は?」
 シファカは指折りでするべきことを組み立てた。実はハルシフォンの説明を聞いている間も、焦燥感で身が焼き切れそうであったのだ。とりあえず、この国の秘密が明かされるにつれて、シファカを支配していた混乱は収まってきていた。ロタだけではない。ロルカやあの見たことのある兵士も、最初から賢人議会の人間であったのだろう。一体どうやって彼らがセタと同じ民族の血を手に入れ、表舞台に上がってきたのかは判らないが、それはハルシフォンに問うてもしかたがない。本人に直接、問いたださなければ。
「お、俺が団長ってどういう」
「今からセタがエイネイと殿下を連れて、外に出てもらうから。私はついていけない。殿下、いくつか質問したいのですがよろしいですか?」
「……え? あ、あぁ」
 シファカは狼狽するハルシフォンに、どれぐらいの人が閉じ込められているのかを尋ねた。移動する湖の集落の、賢人議会に連れ去られてしまっているという女たちがいるはずだ。セタがここにいるということは、兵士も何人か捕らえられている可能性があった。
 目隠しはされなかったので、道順は覚えている。歩測ではあるが、位置は大体城の地下だ。上手く道を選べば、城の内部に直接でられるだろう。
「セタ。集落の人とは話つけてたの?」
「あぁ、それは付け終わって、実際いくつか協力してくれるっていうところもあった。その帰りだ。襲われたのは」
 他にも二、三、質問をして、部屋の様子を観察する。部屋には大きく取られた窓があり、覗き込めば真下は轟音と白い飛沫をあげる河。天井も壁もむき出しの岩肌。ついさっき転落したばかりなこともあって、恐怖を覚えている身体が一度震えた。
 遠くに渡り廊下が見える。シファカも引きずられながら通った道だった。そこまでの距離を目測し、頭を引っ込めた。
「何をするおつもりですの? お姉さま」
「決まっているだろう。ここから出なきゃ」
「ですがお姉さま」
「エイネイ」
 シファカはエイネイを振り返った。青ざめた妹。今からシファカが彼女らを巻き込んでしようとしていることが、推測できたのだろう。白い手を顎の下で組み、身体を震わせている。いつも朗らかに、時にわがままに他者を魅了してみせる笑顔は、なりを潜めている。
 シファカはゆっくりとハルシフォンの傍らに立つエイネイの元へと歩み寄った。今から、言い出す一言が怖い。それを言い出せば、自分の今まで全てが壊れそうで、恐ろしい。
 けれど、言わなければならないのだ、と、唇を一度引き結んだ。

「……今から、私はエイネイと一緒にいけないから」

『まもりなさい。あの子を』
(ごめんなさいお母様)
『それすらもできないあんたなんて、生んだ価値がない』
(ごめんなさい)
『あんたこそ、本当に生まなければよかった』
「セタと殿下に、守ってもらって」
『妹を守り抜いてみせなさいシファカ。でないとあの人も浮かばれないわ』
 だけど自分は今から彼女を守ることはできない。
「私、他にやることがあるんだ」
 彼女がセタとハルシフォンと共に、地下を脱出している間に、自分はジンを助けに行かなくてはならないから。
 爪の中、まだジンの血が残っている。
 身体の冷たさが、まだ手の中に生々しく残っている。
 ずっと、助けてもらいっぱなしだった。
 だからいかなくては。
「……ごめんね」
 拳を握り、シファカは肩を震わせながら、謝罪を搾り出した。
 エイネイはきょとんと目を丸めると、シファカの頬にそっと触れた。
「やだ、お姉さま泣いていらっしゃるの?」
 面を上げた先にあるエイネイの表情は、驚くほどあっけらかんとしたものだ。
「え」
「そんなに心配しなくてもよろしいですわお姉さま。守ってくれる王子様がお姉さまでなくたって、私むくれたりいたしませんわよ」
「ちょっとまってエイネイ。僕の所在ないじゃないか」
「だってハルは弱いですもの」
 抗議するハルシフォンをばっさりと一言のもとに切り捨てて、エイネイはにっこりと笑った。
「セタがいますし平気ですわよ。私、ここでずっと大人しくしているようにいわれて、暴れたくてうずうずしてますの。だって酷いと思いませんお姉さま。私難しいことはわかりませんわ。ですけれども乱暴にここに閉じ込められて、そりゃぁ三食昼寝付きでお勉強がないのは嬉しいですけれども、ハルと二人っきり。最初は新婚みたいねって思いましたけれども、三日もすれば飽きますわ。だってハルってば、面白いお話何もできないんですもの。セタがここに来てくれたときはどれほど嬉しかったか」
「いや俺連れてこられたんですけどね姫さん」
「怪我をしているセタの手当てもするのもなかなか楽しかったですしね」
 早口でまくし立てるエイネイに、シファカは唖然となった。頬は紅潮として、どこか陶然としている。先ほどの青ざめた様子をどこへ消し去ったのだろう。シファカは当惑して、言葉を紡いだ。
「お、怒らないの?」
「怒る? どうしてですの? 私、お姉さまがこうやって生きていてくださったことだけでも嬉しく思いますのに。セタから聞きましたわ。ずっと私のことを心配して、助け出そうとしてくださっていたって。一体どこにお姉さまを怒る必要がございますの?」
(……心配? そうじゃない。私は……ずっと)
 義務感からだった。
 母の言葉が、エイネイを救うように命じ続けていた。
 それを妹は一言で、全てを一蹴する。
「お姉さまは、好きなようにしたいことをすればよいのですわ。私、お姉さまに王子役を務めていただかなくとも、もうここに弱いけれども一応立派な王子がいますし。あ、ですけれどもお体は大事にしていただかなくては困ります。お姉さまがお亡くなりになられたら私ハルを放って日々泣いて暮らさなければなりませんもの」
「エイネイ。時々聞きたくなるんだけれども、私とシファカどちらが大事なんだい?」
「お姉さまに決まっているでしょう何当然のことを訊いてきますの?ハル」
 ぷっ、と噴出したのは、セタだった。彼はげらげら腹を抱えて笑っている。意外に笑い上戸だな、と思った。ジンとのつまらない口論の後も、彼が真っ先に笑っていた。
 そんなことも、自分は知らなかったな、と思い返す。
 違う。知ろうとしなかった。知ろうとしなかったから、居場所がないなんてさびしいことを言っていたのだ。
 自分の周りには、こんなに人が居たのに。
 自分は、自分の周囲の人も、国も、見ていなかった。
 エイネイはか弱いだけの少女ではなく、妃の器と認められるだけ屈強だった。セタはうんと融通のきく気さくな男だし、国はたくさんの秘密を抱えて、微妙な均衡の上にあって。
 もしかしたら、自分がしっかりしていたら。
 ロタやロルカの葛藤も、見て取れたのかもしれない。
 もっと、もっと早く、対処が出来ていたのかもしれない。
 けれども後悔するべきときは今ではなく、過去を振り返っている暇はなく、前をみて歩かなければならないと、意識がシファカに命令を下す。
『自分を大事にして』
『笑ってシファカ』
 どうしてだか。
 母親の声も、死んでいく父の声も、思い出せなかった。
シファカは微笑んだ。微笑んでエイネイに言った。
「うん。御免。ありがとう」
「……で、団長。今から俺は何をすればいいんだ?」
「セタ。護衛の団長は今からセタだよといっているだろう?」
 シファカは苦笑し、表情を真剣なものにすり替えた。それがわかったのだろう。セタを含め、三人が表情を引き締める。
「……これから、言うことをよく聞いて」
 シファカは頭で組み立てたものを、説明すべく息を吸った。


「全ては……そのために」
「……あんたらが、どんな風に育ったのかはなんとなく想像が付くよ」
 振り返ると、眠ったように瞼を閉じるジンの姿がある。顔色の悪さも手伝って、そうしていると本当に遺体のようだ。けれども遺体は、このように話したりはしないだろう。
「……人の言葉は呪いとなり時に意志とは無関係に……行動と未来を縛る」
「……何?」
 ジンの口元が、笑みに歪む。自嘲の微笑。この男は、普段何かを超越してしまったかのような、飄とした笑みを浮かべているくせに、時折こんな、全てに疲れた、老人のような渇いた笑みを浮かべてみせる。
「俺も、覚えがあることだ。……国を取ったこと、後悔してるの?」
「……私は」
「一つ教えて」
 寝入りそうな響きでジンは尋ねてくる。ロタは首をかしげながら顔だけではなく身体全てをジンへと向けた。
 元気そうに一瞬見えたのは虚勢で、やはりこの男、死に掛かっているのではないか、と。
 出血が止まっていることは運ぶ折に確認済みであったが、打ち所が悪ければそれだけで死に至る箇所だ。相変わらず顔色は青白い。
 だが、次の瞬間見開かれ、自分を射抜いた眼光が、その懸念を払拭する。
「どうして、あんたはシファカを殺さなかった」
 予想外の詰問に、ロタは思わず息を呑んだ。一体どこからその発想が生まれるのだろう。この男の人の機微に関する鋭さは、もう嫌というほどに判りきっているが、それでもここまで見破られているとなると薄ら寒さすら覚える。
「あんた、シファカを大事にしていたね。だから皇太子殿下と妃殿下の二人を殺さなかった? 確かめたわけじゃないけれど、殺していないんだろう? 最初にシファカを襲ってきた男たちも、シファカを殺すというよりは、捕らえたがっていたみたいだった。じっちゃんのところにシファカが届けようとしていた書簡みたよ。なんにも書かれていない白紙。混乱の中で、誤って殺されてしまうのを恐れた? 俺があんたではなくロルカという兵士を選んだのは、あんたはシファカの前では動けないと思ったからだ。尻尾見せてくれなきゃ俺が動けない」
「……きさまは」
 裏切りの帝国の宰相は、淡々と、ある種の強制力を持った響きの声を紡いだ。
「大事にしているようには見えたけど、それは家族愛だとか、親愛の情とは違うものにみえたけれどね。……教えてよ。あんたは一体何を後悔している? 何がこの国で覇権を取ることを躊躇わせる? いいじゃないか。己で望んだ憎まれ役だ。五百年間の妄執を、あんたは成し遂げた。なのにそれに歯止めをかけ、後悔させるシファカ・メレンディーナという存在は、あんたにとって一体なんなんだ」
「……なんのために、知りたいのかね?」
「……個人的興味って言ったら、怒る?」
 急におどけたような響きを含ませ笑う青年に、ロタは静かに首を横に振った。


 国を取り戻し丸く治めるためには、一つ条件があった。
 歴史をあらわにし、賢人議会という民をきちんとした形で受け入れること。
 だが、そういった調印もろもろのことはシファカの役目ではない。今はこんな形ではあるが、国主となったハルシフォンの役目である。
 シファカは一人、窓から壁をよじ登って渡り廊下にどうにかたどり着き、見張りの兵士から剣を奪って片っ端から気絶させた。鍵を奪って部屋を空ける。残り、捕らえられている人たちの救出と、城と国の奪還、賢人議会との和解は全てハルシフォンに任せる。セタの役目は護衛と、脱出の先陣を切ること。エイネイなどはどきどきしますわね! などといって目を輝かせているが、実際そんなに甘くはない。
 けれども、自分は彼らについていくことはできない。
 息は上がっていたが、それでも走らなければならなかった。
 地下はしんと静かで、人はほとんど出払っているように見えた。事実その通りなのかもしれない。こちらの警備にさける人数はわずかで、実際は地上の城と町の制圧に、ほとんど人員は費やされているのだと、シファカは推測した。
 自分を取り囲んだ兵士の一人を見つけて脅迫まがいに問い詰めると、ジンが運び込まれた場所はあっさり割れた。ロタの場所だという。強引にその途中まで案内させて、兵士を殴って気絶させる。
 呼吸を落ち着けて部屋の前にたち、シファカは剣の柄を握り締め。
 そして、青白い光と共にもれてくるロタの声を聞いた。


「シファカの父を殺したのは私だよ」


 そう告白した瞬間。
 長年せき止められていた何かがあふれかえるような気すらしていた。
「……まだ私が、お前と同じぐらいであったころ、まだ、あの老人たちの言葉を疑いもなく信じていた頃」
 色鮮やかにあのときの光景をロタは思い出せる。自分は若かった。時が妄執によって凍りついた閉鎖空間でたとえ身体が成人していても、どうしようもないほどに幼かった。
 幼かったと、知らされた。
「私たちは王陛下の一団を襲撃した。恩を打って、仕官するための猿芝居だ。人脈を広げるための、第一陣」
 灼熱の太陽の下、砂塵舞う褐色の大地。
「覆面をして一団を奇襲し、完膚なきまでに叩き潰したあとで、怪我をした王陛下のみを何食わぬ顔で助ける。それだけの陳腐な猿芝居。……だがそこに」
 血の色。鉄の臭い。そして。
「シファカ・メレンディーナという少女がいたのだ」
 絹を裂かんばかりの、童女の絶叫。
 怯えた、紫金の眼差し。
 何かが、間違っている気がした。
「……だが、歯止めをかけているのはあの少女のせいだけでは、ないのだろう」
 あの紫金の瞳が糾弾している。
 それだけが、理由ではないのだろう。
 ロタは胸中で続ける。背後で静かな眼差しを湛える男に吐露しても仕方がないことだとはわかっていた。だが、自分にはわかっていた。判っていたのだ。
 今更国を取り戻してなんになると。
 あの襲撃をきっかけに取り立てられ、昇進し、十年近くこの国に宰相として留まっていた。その間寄せられた信頼、集まる仲間、陽だまりの中に響く、笑い声。
 作物がなかなか育たないだとか、外交でも他国にきちんと相手されることが少なく歯がゆく思うことだとか、部下には自分勝手な人間が多く、上司である殿下は比較的暢気過ぎて、その奥方になられるだろう少女は奔放で、女官たちの頭を痛めているだとか。
 ……そんな他愛のない日々が、なんと愛しかったことか。
 それを自分の手で壊した。
『わすれるな』
 私たちには忘れることができなかった。
 死ぬ間際、懇願するようにこの腕に爪たてた皺枯れた手を。
 老人たちの怨嗟の声を。
 血の一滴にまで染み込ませるよう、語られてきた憎悪を。
 歴史を。
 忘れることができなかったが故に。否、それらを忘れることが恐ろしかったが故に。
 失ってはならない大事な何かを、壊した。
 ウルムトを殺したその瞬間、それがわかった。
 彼を殺したその瞬間、涙が零れたから。
 女を上から攫って子供を生ませ、血を薄くして、少しずつ上の民と同じ姿形を手に入れて。
 育てる子供には上の非道さを、真なる歴史を、憎悪を、叩きこんで。
 そんな老人たちの狂気に引きずられて、自分たちが犯した過ち。
 リムエラが、死んだ。
 彼女が死んで、自分たちは引き返せなくなった。
 たった一人の少女の死だ。しかも仲間の死ではない。けれども、彼女の死が、自分たちを引き返すことの出来るところまで引き上げた。
 彼女は毒を飲んだ。ロルカが皇太子に向けて盛った毒だ。恋人であるロルカが盛った毒を、少女が代わりに飲んで死んだ。
『リムエラが、死んだんです。僕らは、引き返すべきではない』
 ロルカを始めとする若い衆。自分は老人に引きずられ、彼らに引きずられ。
 違う。
 本当は。
「引き返すべきだった……」
 老人たちは、自分たちに全てを託し、ただ怨恨の言葉を遺言に死んでいった。
 もう、縛るものは、何もなかったはずなのに。
 新しく、自分たちは地上の人々に混じって生きられるはずだったのに。
 どうして、それでも止まることができなかったのだろう。
 どうして立ち止まろうと、声をあげてやることができなかったのだろう。
「……シファカ」
 ジンの呟きにはっとなって、ロタは横たわったままの男をみやる。土気色の顔を凍てつかせ、亜麻の双眸をある一点に張り付かせた彼に釣られる様にして顔を動かし。
 ロタは、少女が部屋の入り口に佇んでいるのを認めた。


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