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第八章 閉じ込められた歴史 1


 招力石というものは、ありとあらゆる魔力を封じ込める力を持った、樹木の化石である。
 北大陸の北方、ディスラ地方を中心に産出される招力石は、世界全土で見ることができる。が、樹木の姿をそっくり保った招力石を見ることはなかなか稀有だ。
 今眼前にその招力石があった。
 この不毛の王国を永きに渡って潤し続けた、同時に不毛にし続けてもいる、国の命の結晶が。
「そろそろ、狸寝入りはやめたらどうだね」
 ロタは後ろ手を組み、青白く発光する柱を眺めながら呟いた。部屋にあるのは沈黙と、招力石が水を通すこぽりという水泡の音。再び口を開こうとしたとき、背後から望んだ男の声が響いた。
「……ばれてた?」
「シファカを連れていったときに、わずかに手が震えていたからな」
 くるりと振り向くと、床に横たえられた男の姿がある。ジン、という流浪の男。その髪の色や面差しはどことなく西大陸の人間であることを匂わせる。だがささいな仕草が西ではなく東の人間であることを指し示していた。長い間身体に染み付いた癖とは、そうそう隠し切り拭い去れるものではない。
 男はしかと目を開けて、天井を睨みすえるようにしていた。小さな、男の嘆息が空気を乱す。
「動くことができなくてね」
「……首を?」
「さぁ……でも神経が繋がっていない、という感じはしないね。単に疲れて指一本動かせないというのが正解かな。何せ、本気で死ぬと思ったから」
「それだけ饒舌にしゃべることが出来れば、上出来であろう」
 ジンは首を動かして、こちらを見ていた。こんな状況に追い込まれているというのに、口元には余裕がある。顔色も幾分かよくはなったが、吐息は荒く、饒舌なのは余裕に見せるための演技であろう。この期に及んで演技できる、というその点は、驚嘆に値する。
「……お主には本当にしてやられたな。もっと穏便に素早く済むはずだった」
「たいしたことはしていないけれども」
「何ゆえこんな小国のいざこざに首を突っ込むのか、理由をお聞かせいただきたいが」
「それは」
「よろしいか? ジン・ストナー・シオファムエン宰相閣下」
 そこで初めて、男は押し黙った。演技するのも面倒だという風に、表情がかき消される。彼は額に手をやりながらごろりと身体を仰向けに動かした。実際、全く動けないというわけでもないようである。
「……ここで誰それっていっても、話進まないよね?」
 疲れたような響きでもって、ジンが呻いた。ロタは密やかに笑う。
「長い間滅びの危機に瀕していたという世界最古の帝国を、七年足らずで復興させた若き皇帝とその右腕の宰相の話は、その筋では有名だ。しかも東大陸にここは近い。辺境の王国であっても噂は届く」
「あーそ」
「……その宰相が、外交上の理由で長く不在となっていることも。まさかとは思ったがな。だがあの鮮やかな手腕と見識、判断力実行力は、経験をつまなければ得られない。加えて、人に命令することに慣れている。……シファカから、一年半ほど前から旅をしているのだとお前のことを聞いた。水の帝国からやってきたのだとも。それにジン、という名前。東大陸出身者でその名前を持ち、かつ、西大陸の容姿を持つ人間など他におるまい。ここまで要素がそろって思い当たらぬ同業者はもぐりだ」
「あーもー俺シファカちゃんにしゃべりすぎなんだよねー。くっそしゃべるんじゃなかった」
「……お前がこの国のことに口をだしたのは、シファカが原因だな」
「他に何かあるように見える?」
「いや」
 知らずロタは苦笑を漏らした。シファカとジンのやり取りは、それはそれで微笑ましいものがあるのだ。本人たちは至って真剣なのかもしれないが、傍目にみている分にはよっぽど。自分はほんの一日と少ししか彼らのことを見てはいないが、セタが語るにはもっと微笑ましいのだという。
 シファカが、この男の傍でなら、笑うのだ。
 あの、シファカが。
 熱であの娘が倒れたときの、この青年のうろたえ様をロタは思い出した。厳密に言えば、狼狽、とは少し異なるかもしれない。これ以上ないほどの鮮やかな切れ具合で命令を下し、シファカの床の準備を整えさせ、議論の内容を素早くまとめてさっさとシファカの元に引きこもった。
 その手際のよさといったら、周囲を唖然とさせたものである。
 何ゆえあの少女に執着するのかわからない。だが、大事なのだろう。
「……すぐに気づいていたのか?」
「あんたらのこと? あーうん」
「どうやって気づいた」
「あんた言ってたじゃん食事んときからって。俺自身が確認したのもあったけど、決まったものしか食べてなかったから、あぁ毒が入ってること判ってるんだな、っていうぐらいにはね。それを目安にしていたら、失敗したよ。何人か、あんたら処分するつもりで直接毒を盛ってたね? 蹴り飛ばしても起きてくれなくって、結局見殺しにしちゃった。まぁそれは俺にとっちゃどうでもいいことだけど、シファカが怒っちゃって。アレには参ったよ俺」
 最初から、全部気がついていた。
 食事のときから薄々視線を感じていたので、もしやと思っていたし、それを口にしもした。だがこう明確に本人の口から聞かされるとなると、別の感情がもたげてくる。
 喰えない奴め。
「俺の国はね」
 ジンの声はよく通る。冷ややかに、この静寂を突き破るようにして。
「ご存知の通り裏切りの帝国だった。その名前は伊達じゃないし、俺たちはなおさらだ。俺は物心ついたときから、いや付く前から、毒の味を覚えていた。人の動向に常に目を配り、昨日守ってくれた人間が明日刃を返してくるかもしれない恐怖にさらされながら、相手を出し抜く方法を、人間が歩くことを学ぶのと同じ自然さで覚える。人の不自然さはすぐに目に付くよ。……さて、そろそろ、俺からの質問に移ってもいいよね。ロタ・メイ・ディオ宰相閣下?」
 返答をせず、ロタは男を見下ろす。
 見ているものに薄ら寒さを覚えさせる冷笑が、ジンの口元に浮かんだ。
「だって俺の質問に答えてくれるから、ここに俺だけ運ばせたんじゃんね?」


「何からききたい?」
 そう問うてきたハルシフォンに、シファカは静かに切返した。
「……賢人議会、とは本当はなんなのか。彼らは、移動する湖の権利すら手に入れることができなかった、弾かれた一族だと聞きました」
『湖の傍に生きる権利すら剥奪された一族――それが賢人議会だ』
 王族しか知るはずのない事実を知っていたロタ。
 それもそのはずだ。彼自身が、その賢人議会の出身だったのだから。
「……正確には、少し違う」
 小さく嘆息して、ハルシフォンは言った。
「じゃぁまず、この国の歴史から、きちんと語ろう」


 かつて、水晶の帝国、と呼ばれる大帝国があった。
 存在したのは五十年にも満たなかった。だがその国が他国に与えた影響は計り知れない。その帝国は、十数年に満たないわずかな時間で混乱の最中にあった北の大陸全土を統一し、数百年北の大陸の実権を握っていた大国、機械の王国を打ち滅ぼした。
 湖の帝国ロプノーリアは、その影響の一端として生まれ出でた国である。水晶の帝国の侵攻によって生まれた残党兵、難民が、人住まぬ不毛の大地に身を隠した。ここまでは、誰もが知る歴史だ。
 だが、その建国に当たってどの国の難民が一番貢献したのかなどということは、全く語り伝えられてはいない。


「この国の土台を作り上げたのは、機械の王国の民だ。シファカが見ただろう都市は、彼らが彼らの技術力をもって作り上げたものだよ。城も……そして、湖も」
「……湖も?」
 シファカの言葉に力強く頷いて、ハルシフォンは続けた。


 ちらりとロタは視線を移した。暗がりにぼぅと浮かび上がった老人の遺体。美しい目の覚めるような碧い布で飾られ、精霊か何かのように、一つ高い場所に座禅を組んだ形でロタを見下ろしてくるそれは、かつての賢人議会の長。
 祖父だった。
 その奥には、さらに多くの長老たちが、土に半分身体を埋める形で眠っている。呪詛を唱えながら、化石となった、人々。
 ロタは嘆息して、目の前の蒼い輝石に向き直った。
 この国を支える、水柱だ。
「賢人議会は人工的に作り出した湖を制御するために設立された機関だ。水柱の民と、我ら自身は呼ぶ」
 ロタはその蒼い招力石の柱を、幼子を撫でる手つきで優しく触れた。これに触れるたびに思い出すものがあった。嫉妬の言葉をひたすら呪詛のように唱え続ける老人たち。彼らは、外の世界で生きることを切望していた。
 外の世界で生きるだけならば、もっと早くに達することができていたものを。
「機械の王国から落ち延びた技術者たちが、その知力の限りを尽くして、地下水脈から水をくみ上げる装置と人工の都市を作り出した。湖の王国とはそれそのものが湖であり、また都市であるのだ。本来なら湖の王国とは、巨大な装置に支えられた人口の巨大な湖のなかに浮かぶ、島国のような形をとるはずであったのだ」
 移動する六つの湖。
 本来ならばその場所まで荒野は全て水の中に沈み、一つ中心の島と橋で繋がる六つの島がその水面に浮かぶ形で、湖の王国は完成されるはずだった。
「かなり大掛かりな話だね」
「けれどもそれを成し遂げた。五百年前の技術力は、どの面をとっても現在とは比べ物にならん。……問題は、完成したその後だ」
 ロタは静かに瞼を閉じる。古い地図をその瞼の裏に思い描いた。幾度も指でなぞった古ぼけた地図は、祖父たちが怨恨を口にする折に常にその手に握られていたものだ。
「砂礫の小国という国があった。これもまた、水晶の帝国の侵攻を受けて滅びた国のうちの一つだ」


 湖の中に浮かぶ、島国。
 在るべきロプノーリアの姿をハルシフォンがそう呼称したとき、シファカは一枚の絵を思い出していた。
 王宮の壁面に飾られた、一枚の古い青い絵画。
 あぁあれは。
 シファカは瞼を下ろし、胸中で呻いた。
(本来のこの国を、描いたものだったんだ……)
「砂礫の小国アントンの王族が、ロプノーリア王家の直接の祖先に当たる」
 ハルシフォンは己が血縁をそう説明した。
「そして彼らが中心となって、大陸各国から流れてきた残党兵たちを指揮し、賢人議会を武力でもって制圧したんだ。……彼らの妻子供を人質にとって。もともとの民族の体格差もある上、研究者と兵士では、どうあっても兵士のほうが武力は上だから、制圧されるには時間はかからなかったんだろう。どれぐらいの体格差かっていうと、多分シファカとセタみたいなものだろうね」
 言われてシファカはセタと顔を見合わせた。シファカ自身は異人の血を引いている。両親共に、北大陸の西北の出身であった。体格はセタと比べればかなり華奢で小柄。黒髪に、色素の薄い肌。シファカが浅黒い肌であるのは、単に日に焼けているためだ。対してセタは、先祖代々おそらく建国当初からこの国に住まう民族の生粋の血を引いている。髪と目の色素は薄く、けれど肌の色は濃い褐色で、筋骨隆々としている。
 自分のほうがおそらく機械の王国のものに近いのであろう。だがそれにしては、その一族だというロタは、あまりにもセタの容貌に近い。
 ハルシフォンが言葉を続ける。
「僕らロプノーリアを中心とする一族は、僕らを受け入れてくれた機械の王国の民を、侵略したんだよ。その湖の権利をめぐってね」


「だが侵略された我ら賢人議会もただ黙っているわけにはいかなかった。侵略されてすぐの彼らの行動とは、水をくみ上げるのを止める事だった。かくて湖は荒野に戻り、七つの島はそれに伴って埋没した。王宮はその名残だ。六つの島が移動するのは、その場所の水を食らいつくしてしまわないようにするためだったらしい。一定量の水を使い汚すと、次の場所に少しずつ移動していく。招力石は負担を嫌う。水のくみ上げも、浄化も、招力石一つで行われる」
「それが、この国の命の柱っていうべき招力石?」
 ジンの瞳がロタの目の前の仄青く発光する柱――一見すると、巨木の幹――を示唆した。あぁ、と頷く。
「これが中核。そしてそれぞれの島の地下に一本ずつ。合計七本。これが一番太い。そして負担にも耐えられる。水の勢いも強いから、多少水を汚したところでびくともせん」
「ちょっと矛盾してない?」
 ジンが天井に視線をやって、口を挟む。
「だって最初はでっかい湖だったんでしょう? それなのに島一つ、支えるだけで負担なの?」
「取り外されたのだ。中核の柱のほとんどが。おそらく、どこかの国へと持ち運ばれ捌かれたはずだ……売れば、相当な額の金になるのはご存知だろう。よって、ほかの集落の呼びかけにだした条件……固定することはもう無理なのだがね」
 そんなことが本当にできるのであれば、とうの昔に実行に移している。あの不可思議なからくりと魔術の組み合わせで動く湖を止めるすべがあるならば、この不毛の大地を緑の原野に戻すことができる。そうすることができるのなら、とっくに賢人議会は、それを取引に使っていただろう。王家も、背に腹は返られなかったはずだ。
 それなりに平和を享受しているとはいえども、緩やかに、何も生まぬこの国は、荒廃へと向かっているのだから。
「……当時、賢人議会を制圧したものたちは、この辺りに湛えられていた豊かな水が、制圧と共に消え去るなどと考えもしてなかったのだろう。賢人議会が水のくみ上げをやめたのは、ロプノーリアへの反抗というよりは、残りの招力石の負担を軽減するためでもあったはずだ。……ロプノーリアたちは焦った。焦って、賢人議会を地下に押し込んだ。妻子を助けたければ、再び水を、とな」
「それで結局、あんたらは押し込められたままだったわけ?」
 ジンのその言葉には、わずかに同情の色が込められていた。彼の問いは、単なる確認の問いだった。
 自嘲に嗤い、ロタは頷いた。
「無理な話だ。招力石の負担は変わらない。湖を内包した島は地下で密やかに移動する。その際に地下の震動を受けて砂が巻き上がる。巻き上がった砂は植物の育成を阻み、そうして不毛の王国と呼ばれる国が、出来上がった」


「時間というものは罪なものでね」
 手を膝の上で組んでハルシフォンは言う。
「閉じ込めた僕らの側は、地下に押し込められた技術者たちを忘れ去っていった。いや、忘れようとしたんだ。地下に押し込めている彼らにこれ以上の圧力をかければ、幸いにもわずかに残っている水すら取り上げられかねないと。地下に沈んだそれぞれの島からは、くみ上げられた水が染み出し小さな湖を作っていた。そのわずかな水を、享受するだけでいいではないかと。彼らはそれぞれに契約を結んで、忌まわしい侵略の過去は封印することにした」


「忘れなかったのは、賢人議会、その子孫だけだ」
 地下に押し込められ、太陽の光も忘れて。招力石の灯りによって、盲になることだけは避けられたものの、身体の弱体化をそれは呼び、子供たちは皆死んでいき、水、暗い土と水の臭いと向き合って。
 大地に生きるものたちに、嫉妬と怨恨を向けながら、ひたすら機会をうかがっていた。
「おまえが地下水脈に従って空洞があると推測したのは、間違ってはいない。実際あるのだ。地下の奥深く、水が長年かけて削り作り上げた空洞が。実際島の移動も、その空洞に沿って行われている。中心を除く六つの島自体は完全に埋没しているが、水だけが上に噴出すのだろう。話に聞く、火山地帯にあるという、間歇泉のようにな。それが、移動する六つの湖の正体だ。……五百年かけて、その地脈を探り、地下を掌握し、少しずつ人を面に出して人脈を作り上げた」
 ロタはがん、と招力石を拳で叩いた。金槌を振り下ろそうとも砕くことの出来ない招力石は、この程度は亀裂一つ入らない。招力石に当てた拳に額を触れさせて、苦々しく、呻く。
「全ては、この国を、取り戻すために」


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