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第七章 そうしてヴェールは取り払われた 2


「……ロルカ?」
「何してるんですか団長こんなところで」
 足を止め、振り返ったシファカの前にひょっこり姿を現したのはロルカだった。浅黒い肌に金がかった髪。典型的なこの国の民族。小柄ではないが、シファカよりも年が下であるためにまだ体格は華奢だ。それでも、シファカよりも背は高く、筋力も比べるべくもなく上であったが。
「そ、それを言ったらロルカだって。何をやっているんだ?寝てたんじゃないのか?」
「いえ。実はなんか悠長なことしてられなくて、ついつい先に探しにでてきたんですよ。下水道。いくつか心当たりもありますし。大体あのジンって言う奴――そりゃ確かにここまでお膳立てをしてくれたのには感謝しますけど、のんびり構えすぎなんですよ。やっぱりこの国の奴じゃないからかな」
 歩みよってきながらぶつぶつと不満を漏らすロルカに、シファカは噴出した。
「本当その通りだよね」
 腕を組み、苦笑を浮かべながらシファカはロルカに同意した。
「やっぱり、流れものだからかな」
 つ、と。
 涙が零れて慌ててシファカは目をこすった。まなじりから零れでた水滴はほんの一粒であったが、シファカの心臓を飛び跳ねさせるには十分だった。ロルカに気づかれなかったかと冷や汗が噴出す。目をこすっていると、ロルカが怪訝そうに首をかしげた。
「砂入ったんですか?」
「あ、あぁうん。外套、おいてきちゃったんだ。被ってないと結構入らない? 砂」
「確かに。ところで団長はなんでこんなところに?」
「もちろんロルカと同じ理由だよ。悠長に、ねて、られなくて」
「あぁ、妃殿下、ですしね……」
「……うん」
 そう。ロルカの言う通り。
 エイネイのことが、自分は心配だったのだ。
 どちらからともなく歩き出し、肩を並べる。目的地を確認しあってその方向へと足を向けた。心当たりのある場所、なんてお互い似通っているものだ。近い場所から順々に。城へと向かって思いついた候補地を潰していく。
「どうして、国って望むひとたちの分だけ与えられないんですかね」
「……なに?」
「いえ。考えたんですけど」
 ロルカがそう切り出したのは、畑のため池の周辺を調査し終えたあとだ。ため池の傍に寄れば、確かにジンが言ったとおり水の落下音がする。けれどもその落下する先を突き止めることも、またそこに続く道を探し出すことも叶わなかった。
 そろそろ日の出という時間で、うっすらと空に光が射している。残る心当たりは城だけとなり、休憩もかねて湖畔に腰を下ろした。ここからは城の城壁が見える。所々黒ずんで見える石造りの宮殿。一番高い尖塔の壁はまるで火傷のように生々しい傷を残していた。
 ロルカが、遠くに視線をやって淡々と呟く。
「世界に居る民族の数だけ均等に、土地を割り振れたらいいのに、と思いませんか。この国だって、あんなにたくさん集落がいて、けれどもロプノーリアの一族だけが中心を占めているっていうのは、少し、不公平だ」
「……賢人議会みたいな言い方だね」
「……そういうわけじゃ」
 ぽちゃん、と石を湖に投げ込みながらロルカが言葉を濁し、小さく嘆息した。
「リムエラが、死んだときいて。何を、信じればいいのか、わからなかった」
「ロルカ」
 ロルカが吹っ切るように立ち上がる。シファカも倣って腰をあげ、土を払って静かな光を孕み始める湖面を眺めた。町を守る城壁に守られて、朝日を直接浴びることのない湖は、ただ静かに日陰の面積を小さくしていく。
「……え?」
 ふとシファカは、その湖面に映った影に目を瞠った。急かされたように足を動かし水面を覗き込む。ゆらゆらとわずかに波打つその際のした、翼が見える。石の、彫刻の、翼。
「……なにこれ」
「どうかしたんですか?」
 隣にたったロルカもまた何気ない様子でシファカの視線の先を追い、表情を凍てつかせた。ありえないものの輪郭が、水面に映っている。それの端を捉え、シファカは眩暈を覚えた。
(今まで、気づかなかったのか?)
 その輪郭は、おそらく些細な偶然が重なって浮上したのだ。
 朝日のわずかな光、水の透明度、立ち位置。普段底を覆い隠しているはずの水草が、移動していたせいもあるのだろう。光の屈折によって現れ出でたのは、普段目にすることのない湖の深底だ。それは太陽の移動によって掻き消えていく。が、輪郭ばかりはしっかりと、シファカの網膜に焼き付けられた。
 町。
 町だ。湖の青灰色に染め上げられた、きっちりと区画整備された町。城の上階から町を見下ろしたことがあるのなら、水の下に沈む町が丁度それと酷似していることに気づくだろう。幻惑ではない。確かに町が、湖の下に存在した。
 膝をついて、水の中に手を差し入れる。すでに町の姿は欠き消えて、透明度の高い碧い水の表面にシファカの顔が映っている。ゆらりと描かれる波紋。唇を震わせて、シファカは呻いた。
「……な、んなんだ、これ……」
 十九年間この国で生きてきた。
 知らないことは多くある。それを痛感させられている。けれども、これは論外だ。
 湖の下に、街があるなどと。
 地下下水道どころではない。もし本当に湖の下に町が沈んでいるというのなら、この、今立っている大地の下にすら、町が広がっているという可能性がありうる。
「……さすがに水中は無理ですよね……」
 ロルカは水面を凝視したままだ。シファカは腕を組んで眉をひそめた。いい案を出してくれそうな男の顔をぱぱっと手で脳裏から振り払い、細やかな光の乱舞をその面に浮かべる湖全体を、目を細めて見渡した。
 まるで切断されたかのように一部を城壁で区切られた『中心』の湖。この国の中核だ。この湖がなしには、いくら移動する湖が他にあったとしても、不毛の王国はそれこそ生物を内包することの無い不毛の土地へと還っていく。いつ移動し始めるかわからない六つの湖では、人が生きるにはかなり不安定だからだ。定期的に水が無くては、作物も育たない。キャラバンから送られる物資のみで生きるには、人は強欲すぎる。
 考えれば考えるほど奇妙なことだ。移動する六つの湖。それがどういった原理で移動を行っているのか誰も知らない。そして移動しない唯一、中核の湖は、城壁によってその形をぷつりと切断させている。
 その城壁の向こうは、荒野なのだ。湖の形について考察するのはこれが始めてであるが、その形を見るだけで、自然に湧き出た湖というよりは人工的に形作られ、そこに水を流し込んで作られた、という推論が頭をもたげてくる。
 シファカは城壁に目をやり、自分たちが一度この町から抜け出す折使った、排水口に目を留めた。ひたひたと、わずかな波を受け止めるそれは、先日シファカが斬り壊したままになっている。
「ロルカ、ちょっと」
 そして一瞬脳裏を掠めた考えに、シファカは傍らのロルカを振り返った。


「ほ、本当にやるんですか団長」
「やるんだ。そこで見てていいよ。覗いてくるだけだから」
 ぴしゃ、と足を水の中に差し入れる。場所はあの排水口。最初にここに訪れたときにおかしいと思ったのだ。湖の底へ続く階段があったし、ここまでくるのにジンもセタも、泳いでいた様子はなかったから。本当に泳いでいたのなら、シファカを背負ってここまで移動することはできなかったであろう。
 彼らは、壁沿いに存在する、細い道を歩いてきていただけなのだ。
 問題は、何故そんな道が存在するのか、ということである。
 あの夜は、暗くて気づくことができなかったが光が入り、透明度の増した今ならわかる。
 町の一端が、この排水口なのだ。城壁に沿って道があり、この排水口から水中へ潜っている階段はあの幻惑のように浮かび上がった水底の町への入り口なのだ。階段の続く先をみることはできないが、階段の横を潜って入り口が近くにないかどうか確かめることはできる。
 実際泳いだことの無いシファカが湖の底まで泳いでいくことには無理がある。そしてそれはロルカも同じであろう。水草がいたるところに生えて足を取るこの湖は、危険であるため遊泳が禁止されている。
 だから誰も、その底をのぞき見たことはなかった。
(いや、居たのかも)
 五百年は長い時だ。その間に誰ものぞき見ることがなかったとは言いがたい。なら何故秘密は沈黙を保ち続けることができたのか。
 それはおそらく、王宮が隠し続けていたからだ。
(賢人議会が一体どういった集団なのか、隠し続けてきたように?)
 ざん、と飛沫をあげて身体を滑り込ませる。呼吸を止めて階段の壁面にしがみついてシファカは浮力に抵抗した。普段感じることの無い水圧に奇妙な感覚を覚えつつ、そろりと目を開ける。
 そこには美しい彫刻に縁取られ、内部へと人を誘う闇が、ぱっくりと口を開けていた。


 その闇の向こうは、ひやりとした空気で満たされた回廊だった。
 横には咳き込んでいるロルカ。潜水などとなれぬことをしたので勢い余って水を飲んでしてしまったのだろう。彼は四つん這いになりながら体を圧し折り、喉を震わせている。シファカはその背中をさすってやりながら、視線を周囲に廻らせた。
 王宮の内部に、よく似ていた。
 白亜の石造りである回廊は、美しい曲線を描く天井と、歪みない直線を描く壁と床で構成されている。精緻な彫刻によって描かれる陰影の見事な柱は等間隔に配置され、奥はふつりと闇の中に埋没していた。柱の一部分に光源――<光>の招力石が見えるが、それも本当に必要最小限、といった様子で、近くに顔を寄せてロルカの表情がどうにか窺えるという有様だった。天井に星屑のように散りばめられた小さな招力石の破片たちが、そこに描かれた色彩画の見事さを訴える。王宮に、似ているのではない。こちらがまるで王宮の一部分のようだった。
 振り返れば水の帳がさらさらと入り口を閉じている。歩み寄って手を差し入れれば、その向こうには水の抵抗がある。あの階段のすぐ下に存在した、この回廊への入り口は、水を完全に遮断してしまっているようだった。入り口の縁に彫刻されていた幾何学模様を思い出す。あれはおそらく、魔術の陣だ。それが水の浸入を拒んでいるに違いない。
「……すごいな、これ」
「ですね」
 ロルカと顔を見合わせて、シファカは刀を取り上げる。ぴっちりと閉じられ隙間ない鞘は水の浸入を拒み、刀身には雫の一滴もなかった。それを確認して再び鞘に鋼を収め、ぬれた衣服を軽く絞ってロルカの背を叩く。
「先、いこう」


 馬車が止まった。
 それだけならば怪訝に思うことは何一つない。問題は場所である。静かに本を開いていた自分の前で、男が顔をしかめながら立ち上がり、剣を手に取った。
「何だ?」
 この馬車が停泊すべき場所はまだ先だ。あと二、三刻は必要であろう。本当なら。
 けれども、ここでよかった。
「すみません」
 心から謝罪する。男が眉をひそめ、「何が」と返してきた。けれどもそれに答えることはできない。ただ、謝罪のみを繰り返す。
 そして馬車の幌が勢いよく跳ね上げられ、足音が静寂を踏みにじった。


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