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第六章 私が貴方に望むのは 3


 町への道中、キャラバンと合流した。
 どうやらシファカが寝込んでいた間に、ジンが顔見知りのキャラバンと連絡を取っていたらしい。一足先に町へと向かっていたキャラバンに協力を仰いで、その一行にまぎれて町へ入ることになった。ジンが町へ急ぎたがっていたのは、彼らを待たせていたからなのだとようやく知れた。協力の代価は馬三頭。シファカたちが乗ってきた馬である。二人のキャラバンの人間が馬番として野営地に残り、その代わりにシファカたちが馬車の幌の中に転がり込んだ。
 シファカはキャラバンと行動を共にするのは初めてだった。ロルカもそうだ。キャラバンには比較的腕の立つ旅人が路銀稼ぎのために護衛として雇われていることが多く、自分たち王宮付きの出番は無い。状況がこんな非常時であるというのに、彼らが運ぶもの珍しい物資に、ついついシファカは目を奪われていた。ロルカが神妙な顔で女物の細工に目を向けている。見たことの無い文様の布を眺めていたシファカは、そんなロルカの姿を視界に納め、ハルシフォンの代わりに毒見をして、そのまま帰らなくなった少女を思った。
 ジンは馬車に揺られながら器用に何かを書きとめていた。見覚えのある冊子で、題名も何も書かれていない。ただ良く使い込まれているのか、手垢が付き、縁が擦り切れている。目があうとジンは微笑むだけで何も言わない。シファカと彼の間に交わされる会話の数は、目に見えて少なくなっていた。
 キャラバンを通じて町に入るのはさほど難しくはなかった。
 中から外へと出るのは制限されているようであったが、キャラバンの出入りはさほど厳戒ではないようだった。それもそうだろうと思い直す。この不毛の王国において、キャラバンの存在は必要不可欠だ。物資と情報を他国から運んでくる彼らの存在がなければ、この王国は容易く滅び去ってしまう。外套を頭から深く被り、町に入る。いつも賑々しく人あふれていた通りは、驚くほど閑散としていた。
 城の周辺は警備が厳しく、入り込むことができないと知って、とりあえずナドゥの工房に足先を向けた。火の落とされた工房は静寂に支配されてはいたものの、奥の居室を覗けばよく聞き覚えのある声が響いていた。
ただしそれは。
「うぉあっち」
 がしゃがしゃーん
 調理道具をひっくり返す音と一組であったが。
「うわーじっちゃん何やってんのー!?」
 慌てて飛び出したのはジンだ。今にも落下しそうになっていた調理道具を押さえ、元の位置に戻し、彼もまた慌てていたのか、沸騰したてと見られるお湯に触れて、その温度に飛び跳ねる。シファカも慌ててロルカの横をすり抜けて飛び出し、ジンの手をとった。
「大丈夫か?」
「あつ。うーん平気。じっちゃん何やってんの危ないなぁもう」
 シファカはジンから離れて床に尻餅をついたままのナドゥを助け起こした。その瞳がぱちぱちと瞬いている。物言わぬナドゥに首をかしげていると、つんざくばかりの大音声がシファカの鼓膜を貫いた。
「なんでお前ら平然とここにおるんだ――!!!」


「……大丈夫ですか団長」
 じんじんと痛む鼓膜を直接押さえつけることなどできるはずもない。無駄な努力だと知りつつも、耳の影響でぐわんぐわんお星様が回っている頭を、水でぬらした布で冷やた。卓の上に突っ伏しながら、シファカはロルカの問いにどうにか返答を試みる。
「なんとか……」
「す、すまんなシファカ」
 卓の上で、頭と手の先をつかって綺麗に三角形を描き出し、ナドゥが平謝りしてくる。シファカは苦笑して手を振った。
「いいよナドゥ。それよりも元気でよかった。大事無い?」
「それはこっちの科白だ。なんなんだいきなりきおって心配したぞ。部屋んなかには男共が縛られて転がされているし血だらけであたり色んなものが壊れて散乱してるし」
「あぁそれは」
「片付けが大変だっただろうが」
「え? そっち?」
「冗談だ」
 思わず押し黙ったシファカに、ナドゥが柔らかく微笑んでくる。とりあえず無事を確認しただけでもよしとしよう。ナドゥが軽口を叩くのは、おそらく自分たちの無事を確認してはしゃいでいるからだ。
「……まぁこっちはいろいろあったが平気なことは平気だ。賢人議会、だったな。新しい国主だと宣誓してきよった。こっちが大人しくしていれば住民には手出ししてくる気配はないな。お前たちはどこへ行っていたんだ?どこかに匿ってもらっていたのか?」
「リリルカの集落に行ってたんだ。ここに居たら危ないっていうことで。上手くなんとか脱出できた。けれど外でも……まぁいろいろ」
 シファカはナドゥに向き直り、頭を覆っていた布を外した。それを折りたたみながら小さく嘆息して、手短にことの成り行きの説明を試みる。
 集落でロタたちと再会したこと、集落にも賢人議会の息がかかっていたこと、集落とは一時的に和解したこと、そしてこの町に、戻ってきた訳。
 台所の片づけを一通り済ませたジンが、お茶を盆に載せてきた。順番にお茶が配られていく。久しぶりに薫る甘い芳香だ。
「ありがと」
「どういたしまして」
 案外普通に微笑み返され、シファカはほっと胸を撫で下ろした。どうにもぎくしゃくしていけない。自分の思い過ごしかもしれないが。
「じっちゃんこの国って地下への入り口ないの?」
「地下?」
「うん」
 椅子を引き、そこに腰を下ろしたジンが、手早く彼の考えを話して聞かせる。改めて彼の話を聞くと、地下水脈による空洞、という彼の考えは、やはり行き当たりばったりの憶測ではなくこの国の地質をよく調べた上での推測であることがわかった。あの短い数日間に調べられるようなものではない。もっと長い時間をかけて、ジンはこの国のことを調べている。
 一体何のために、というシファカの脳裏を掠めた疑問は、ナドゥの一言によって打ち消された。
「地下下水道ならばあるがな」
「あるの?」
「あ、もしかして畑に水入れる用水路のことですか?」
 ロルカが口を挟み、ナドゥが頷く。ジンがあぁ、と合点がいったように頷き、一人シファカだけ蚊帳の外だ。
(もしかして私、自分の国のこと、本当に何もしらないの、かな)
 会話についていけないことの哀しさよりも、自分の無知にシファカはあきれ返る思いだった。この国に一月半程度しかいないジンが知っていることを、どうして自分が知らないのだ。
 とりあえず記憶の箱をひっくりかえして、彼らの言葉からものを推測する。畑の用水路。この国の畑は高い防砂林に守られている。湖畔の一角、ほんのわずかな土地を人と動物の排泄物を使って綺麗に耕す。水は無論湖から引いて。確かに、記憶が正しければ細い水路とため池があった。
 が、それは地下と呼べるような代物ではない。
「ため池があったでしょ。シファカ」
 黙りこくったシファカに、ジンが笑顔と言葉を向けてくる。
「うん」
「そのため池は、どこかに水を排出している。どどどって音を、傍で聞いたことない? 地下に水を落としているんだ。多分」
「……聞いたこと無い」
 思い返せば畑に足を向けるのは、仕事で年に一回程度。町に遊びにでかけることすら、ろくろくなかった。手を抜けば周囲から叩かれる。ほんのわずかな休みの時間すら、仕事と名前が付かなければ外へは出ずに、書庫や訓練場にこもっていた。
 町を歩いて、物を食べて飲んで、様々なものを見て、お腹を抱えて笑ったのは、ジンに連れ出されたときが初めてだったのだ。
「もともとこの国にはなんのためだか、下水道があったらしくてな。大体水をほとんど使わない国だ。排泄物は肥溜めに溜めて畑にまくし……国の誰もがもうそんな存在忘れ去っている」
 ナドゥの言葉に、シファカは耳を傾けた。シファカはそのようなものが存在していると知らなかった。雨量が絶対的に少ない不毛の王国。雨の多い土地では水を地下水路に流すのだとジンから聞いた。けれどもこの国では、そのようなもの全く必要が無い。水は湖から汲んで濾して飲む。町の端に住む人間に対しては、湖まで距離があるため水汲みの代行を生業としているものもいるほどだ。
 水路、というものが、この国には存在しない。
 それであるのに、地下下水道は存在する。奇妙な話だ。
「入り口とかわかる?」
「いや。こっちも爺に聞きかじって知っていたという程度だからな。城の地下にならあるんじゃないか?」
「それはありうるかも」
 城の中心から賢人議会の兵士たちが姿を現したことは、セタやロタ、そしてロルカからも確認済みだ。
「いくつか心当たりがあるから、明日見て回ろうかなぁ」
「そんな悠長なことを言っていていいのか? 時間は押しているんだぞ」
 のんびりと呟くジンに、シファカは思わず意見を述べる。身体を休めることは大事だが、それでも悠長に構えている時間はないのだ。
 けれどもジンはジンで引き下がるということを知らない。
「もう夜中だもの」
 にっこり微笑まれてしまえばそれで終わりだ。主導権を握っているのはシファカではなく、ジンである。ロルカもやや呆れ顔であったが、ここまで策を整え、町への帰還を穏便に済ませたのは全て彼の手腕によるものであった。彼が今夜は行動を起こさないと存外に口にすれば、何もいうことはできない。ここまでの彼の言動をみていれば、何か策があるのかとも思えるが。
「じゃぁ俺ご飯作るからたっぷりたべてね?」
 嬉々として台所に立つ姿を見れば、単に彼がこうやって家事をしたいだけなのではないかと、勘繰らざるを得なかった。


 久しぶりの寝台だというのに、気が高ぶって眠ることなど出来なかった。
 最近自分は身体を休めすぎである気がする。幾度も寝返りをうち、目を閉じるが、その度にエイネイやハルシフォン、ウルムトの顔が思い浮かんだ。
 今まで息つく暇があまり無かった。一度熱に倒れたときを除けば、ここに来るまでの道中時間があったとしても、常に警戒していなければならなかったのだ。荒野は敵無き場所ではない。気を抜けば、すぐに鬼畜や獣が襲ってくる。
 こうやって寝台で眠る、という行為は、シファカに問答無用に考える時間を与えた。
 連れ去られたエイネイ、ハルシフォンのこと。そして、暗殺されたというウルムト――あまり哀しさを覚えないのは、自分がその場に居合わせなかったからであろう。自分の目の前で殺されたわけではないから、単に実感がわいていないのだ。最後の笑顔を思い出す。ほんの少し哀しそうな、ウルムトの笑い。父の死に目にシファカと並んで居合わせ、あの襲撃の生存者であったウルムトは、何かとシファカを気にかけてはいたが、最後までその眼差しから憐憫が拭われることは無かった。いつもいつも辛かった。ウルムトの眼差しは、否応が成しに父の死に目と母の狂気の笑いを思い起こさせる。
 エイネイは死んでいない、と信じられる。それでも決して死ぬことがないなどと断定は決して出来ない。遅かれ早かれ、賢人議会はハルシフォンとエイネイを殺すだろうし、こんな風に悠長に寝台で横になっている場合でもないのだ。
(大体、何で私がジンの言いなりになってなきゃいけないんだ)
 ここに来るまでの道筋を引いたのはジンだけれども、だからといって自分がすることを決めてはいけないというわけではない。ふとそのことに気づき、シファカは苛立ちと共にかけ布を跳ね除けた。衣服に袖を通して帯を締め、刀と外套を腕にかける。窓から覗く暗闇には、寄り集まった星屑によって河が描かれている。赤みと丸みを帯びた月はすでに傾いて、時刻が夜半を回ったことであることを指し示していた。うっかり癖で紐を取り出して、髪の毛を切ってしまったのでもう結わえる必要はないのだと思い知らされた。頭が軽い。鏡の中に映る自分は少年のようだ。散切りの黒髪が紫金の眼光を引き立てる。
 シファカは靴を腕に抱え、そっと裸足で床を歩いた。ジンの部屋の戸布は閉じられている。勘のいい男だから。足音一つで起きる可能性があった。
 が、部屋で寝ているだろうというシファカの予想に反して、階段を下りれば、何故かいまだに台所の戸棚を片付けている、この家の家政夫がいた。
(なんでまだ起きているんだよ……)
 刀を抱えて思わず階段の上に腰を下ろす。そのシファカの耳に、意外な人物の声が届いた。
「……わしは国をでたのだと思っていたぞ」
(ナドゥ?)
 動物の脂が、燭台で灯りを担っている。その光量はわずかだ。居間に揺らめく影は、壁に阻まれているせいもあって確認できない。
 だが響いてきたのは、確かにナドゥの声だった。
「……路銀を貯め終わった。お前はそういったな、ジン」
「言ったね」
 ジンが静かに返答をする。会話の意図がつかめず眉をひそめるシファカの鼓膜を、ナドゥの神妙な言葉が奮わせた。
「……アレは、別れの挨拶ではなかったのか?」
 思わず、息を呑む。
(わかれの、ことば)
「……でていきそこねた」
 ジンの返答には、苦渋が滲んでいた。ジンらしくない言い方だ。だがそれを考えるよりも前に、その言葉に滲む余韻と意味が、シファカの胸中をかき乱した。
 ぎゅ、と胸元で手を組んで、下唇を噛み締める。
(ちょっとまって。ジンは、つまりは)
 この国を、でていくつもりだった。
 にぎりしめた刀。きりり、と指に絡みついた飾り紐が軋みをあげた。
 その拍子に、だろうか。

 かちん

「…………っ」
 こん、こん、こん、こ………
 紐の結び目が緩み、刀に結び付けられていた双子の飾り玉の片割れが落下した。伸ばした指先は届かずに、赤い瑪瑙の飾り玉は、階段の上を一段一段順に跳ねて、転がっていく。
 息を呑んだシファカの耳に、ナドゥの誰何の問いが届いた。
「誰だ?」
 身を、萎縮させる。
 飾り玉はまだ、転がり落ちている。
 こん、こん……こっ
 縞瑪瑙玻璃の飾り玉を拾い上げたのはジンの指だった。その飾り玉と自分を見比べる男の瞳からシファカは目をそらした。ジンの横に立つナドゥが困惑の表情を浮かべて立ち尽くしている。
「じっちゃん。ごめん席はずして」
「あ? なん」
「お願い」
 ジンの言葉には力がある。有無を言わさない力だ。ナドゥは小さく嘆息し階段を上ってくると、シファカの肩をぽんと叩いて奥の部屋へと姿を消していった。
「お茶を飲む?」
 そろりと顔を向けると、ジンが微笑んでいる。いつもの微笑だ。どうしてこの男はいつもにこにこ能天気に笑っているのだろうとずっと思っていた。
 でもそうではない。きっと、この男も無理をして笑っているのだと、気づいた。
 あぁだから、シファカの笑いのぎこちなさに、気づいたのかな、とも。
 今なんとか取り繕っている笑顔は、きっと彼には痛々しいばかりにしか映らないだろう、とも。


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