BACK/TOP/NEXT

第六章 私が貴方に望むのは 2


 外の騒がしさに意識が呼び起こされる。熱は完全に下がっているようだった。頭の痛みも、身体の重さも全てが消え失せている。水差しからたらいに水を移し、顔を洗い、身体を拭く。洗濯され畳まれていた衣服に袖を通し、きちんと帯を締めてシファカは刀を拾い上げた。
 天幕の戸布を上げると、橙色の光が目を射す。飴色の光が熔けた湖面が煌々しい。日差しの方向から、時刻が日暮れであることを知った。
 集落の門に人だかりがある。集落の人間は男ばかりのせいもあって、シファカよりも身体が一回り二回り大きい。眉間に皺を刻みながらぴょんぴょん飛び跳ねて連なる肩の向こうを確認しようとしていると、背後からあきれた声がかかった。
「何をしておるんだシファカ……」
「あ、ロタ」
 慌ててシファカは笑みを取り繕った。ロタの隣にはセタもいた。二人とも口を引き結び、何かいいたげな顔でシファカを見つめていた。
「まぁいい。おいちょっとすまんが通してはくれまいか」
 ロタが包帯の巻かれた手を一振りして、道を空ける。少し身体が気だるそうだ。大丈夫と問うと、それなりに、と返事が返ってきた。
「いつもの偏頭痛だ。それよりもお前は大丈夫なのかシファカ」
「あぁ――うん、平気だ。なんか最近寝てばっかりいるから、身体がおかしくなっちゃいそうだよ」
 ジンに休め休めと口うるさく言われていたせいか、ジンに稽古をつけてもらっていた頃は頻繁に眠っていた。ここしばらく、彼に付き合うこともなくなって、仕事を詰めてはいたし、荒野を夜通し歩きはしたが、それでもよく休んでいるほうだと思う。
 ロタが呆れた物言いで言った。
「ま、あまり無理はしてくれるな。あんなふうにお前が倒れるところを私は初めて見たぞ」
「急にいろんなことがありすぎたから」
 肩をすくめて、シファカは弁解した。そう。いろんなことがありすぎた。この程度で倒れる自分も情けないが、ある程度物事を整理するためには眠ることも必要だったのかもしれない。
「眠るのは一晩だけでいいのか?」
「ロタ。私の身体の丈夫さは折り紙つきだろう? 回復だってすぐなんだよ」
 どうだか、と吐息するロタを思わず蹴りつけたくなった。が、シファカはその衝動を理性でねじ伏せた。相手は宰相であり父や王陛下の友人も同然であった人物。ジンならともかく、最近彼に対して容赦の無い対応をするためか行動ががさつになってきてしまっていけない。
 ロタの目元には濃い疲労が滲み出ている。もともとロタはそれほど身体が丈夫なほうではないのだ。
「おはようシファカ」
 ロルカや他の兵士たちと共に馬に荷を積んでいるジンが、振り返った。ぽんぽんと手を払いながら彼は歩み寄ってくる。
「丁度よかった。起こしにいこうと思ってたところだから」
「あー……うん。……ありがと」
「この準備が終わったらご飯にしよう。そのあともう時間が無いから、すぐに移動する。詳しいことはあとで話すけれども――身体は平気?」
「あぁ、それは全然平気。ジン、ちゃんと寝たのか?」
「寝たよ」
 昨夜のことが果たして本当に夢であったのかそれとも現実であったのか、シファカには確かめようが無い。ただあの後もう一度目を覚ますと蝋燭と招力石の明かりを借りて、傍で書き物をしている彼の姿があった。話しかけなかった。だから余計に、あのときの現実味が薄れてしまう。彼の全く変わらない態度を見る限り、やはり夢だったのだ。それでいい気もする。現実にあんなことがあったというのなら、気恥ずかしさでジンの顔がまともに見られない。
 むかむかする。
 顔の筋肉をむにむにと動かしながら、シファカは胸中で叫んだ。
(なんで私だけがこんなに気恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ――!)
 次の瞬間には、知らず知らず手が出ていた。
 ばし、という肉を叩く音がその場に響き渡る。ジンが驚きの眼でもって振り返り、訝しげに眉を上げた。
「いっつ……シーファカぁ? なにどうしたのーひどいよ何にもないのに叩いてくるなんて」
 ばしばしばし。
「いたたたたた。ちょ、えーなにー?」
 無言でシファカはその背中を繰り返し叩き、逃げ腰の男に無愛想に応じた。
「……べつに」
「……? 意味もなく叩くのはやめよーよー」
「見てるだけでなんとなくむかむかするから叩いたんだ」
「……お、俺ほんとに何かした?」
「なんにもしてない」
 くるりと背中をむけるとセタと目が合う。その瞬間セタはぷふっと噴出し、腹を抱えて笑い出した。
「……何が面白いんだセタ」
「なんもおもしろくないない。無いぜ団長。あはははははははは」
「だったらその笑いは何なんだ!?」
「なんにもないって団長。思い出し笑い。うんそうだ思い出し笑いということにしとくぜ。あははははは」
 背中をさすりながら首をかしげるジンと、意味もなく笑い転げるセタ。そしてその間に立つ自分を眺める周囲の頭には、果てしない数の疑問符が浮かんでいるかのように、見えた。
(なんなんだ?)
 首をかしげて傍の若衆の一人に手伝おうかと声をかける。が、すぐ済みますから、といって断られた。重いでしょうし、と付け加えられる。そんなに非力に見えるだろうか。思わずシファカは黙り込み、その場を離れて一人湖のほうへと歩いた。
 人からは見られない位置について、その場に屈みこむ。湖に移る自分の顔。にっこりと笑みを作ってみせた。エイネイのようには笑えなくとも、微笑を作って見せることは人間関係を作り上げる上での潤滑油だと知っている。むっつりと黙ったままよりも、余裕をもって微笑んで相手に接したほうがいいと知っている。そしてシファカはそうしてきた。
 だというのに、どうしてだか最近、泣いてばかりだ。
 小さく嘆息を落とせば、水面に写る自分の表情が曇る。くしゃくしゃの黒髪は、父やウルムト、そしてハルシフォンの要望、そして自分のわがままで切らずにいたけれども、そろそろ潮時かもしれない。戦いには不向きだ。やせっぽっちの身体は、いくら筋肉をつけようと足掻いても男のようにはならなかった。膝を抱えた非力な少女。長い髪は、それを主張する。横に置かれた刀ばかりが不似合いだ。
 昨夜を思い出す。
 悪夢に錯乱していた自分を抱きしめ、なだめすかし、シファカが眠りに落ちるまでそうしてくれていた。けれどもやっぱり夢だったのだと思う。身体に残る感触は曖昧で、水面の自分の姿のようだ。手を伸ばせば掻き消える。ゆらゆらと輪郭を崩す。
(そうだよな)
 一人で強がって、結局一人では何もできない小娘。
 人の中心で指示を出していた先ほどのジンを瞼の裏に思い描いてみる。本当に人の中心にいるべき人というのは、あのような人であるべきなのだろう。いくら考えても、やっぱり何故彼が自分をかまうのかがわからない。
 それとも、彼が自分を気にかけてくれているということは、単なるシファカの自意識過剰で、ただ彼は他の人間と同じように手を伸ばしているだけかもしれない。
 隣の刀だけがどんどん重くなっていくようだった。
 シファカは刀を手に取り、鞘から抜き放った。髪の毛を掴んで後ろ手でその結わえている根元に押し当てる。さくりと音を立てて髪はあっさり湖に零れ落ち、水の奥に沈んだ。
(しっかりしなきゃ)
 頭が大分軽くなった。まだ少しだけゆらゆらと水面に浮かぶ髪ににっこりと笑ってみせて、シファカは立ち上がった。
 ジンは旅人だ。甘えていてはいけない。
 仕事を、奪うぐらいでないと。自分はいつだって、そうしてきたじゃないか。
 ちくりと胸が痛んだけれども、その痛みには心の目を閉じて、シファカは元の場所へと戻った。
「どうしたんですか団長その髪?!」
 荷物をよろよろ抱えて天幕の中から出てきたロルカが、シファカの姿を認めるなり頓狂な声をあげた。


 大人数はかえって目立つということで、自分とジンとロルカの三人が町へ行くことになっていた。他の集落へは兵士と集落が、数人ずつ徒党を組んで向かう手はずになっている。準備の終わった馬にのって、セタとロタ、つまり集落に向かう組が出発した。集落の男たちと兵士たちは方々へと散っていく。彼らを見送って天幕に戻り、用意された粥と果物、そして水を腹に入れる。刻んだ野菜と一緒に煮た穀物は空腹の胃を刺激し、水分が乾いた喉に染み渡っていった。ジンが黙々と果物や粥を口に入れていく様子を見ながら、シファカは匙を口に運び続けた。


 夜を選んで走るのは、昼間の日差しと暑さにやられないためだ。急ぐ場合、月が出ているというのなら夜のほうが都合はいい。温度は低下するが、水の消費は少なくて済む。月光は思いがけなく明るいものだ。鬼畜や獣の類に襲われる可能性もあるが、こちらの腕が立つのならそれほど懸念する必要もない。
 徒歩で五日の行程は、馬でなら一日に短縮される。とはいえども、かなり馬を急がせればの話だ。当然乗馬の技量もそれなりに必要になるわけであるのだが。
(なんかここまで来るとほとんど嫌味だ)
 斜め後ろにしっかりと付いてきている男の気配を感じながら、シファカは口元を引き結ぶ。嫌味とは、無論ジンのことだ。この荒野で何年馬を走らせているのか判らない自分と彼の乗馬の腕は引けをとらなかった。キャラバンの面々でさえ、誰もが乗馬を出来るというわけではないはずである。ところがジンときたら気性の荒い馬を器用に乗りこなして、しっかりとシファカの後を付いてきている。そのあとにロルカが続いていた。
 ジンの乗馬の腕を想定していなかったために、もう少しかかるかと憶測していたがとんでもない。この分では、もう半日もすれば町へ到着してしまいそうだった。
 じゃっ
「……っつ」
 土を変にこする音が響き、馬が跳ねる。どうにか体勢を整えると、背後から声がかかった。
「大丈夫ですか団長?」
「うん平気だ」
 ロルカの馬が横に付く。ロルカは馬術が抜きんでている少年だ。町へ早くたどり着くために、おそらく彼の馬術を考慮に入れて人選したのだろう。ジンは、全く抜け目がない。
 シファカは少し速度を落とした。馬の様子を確認して、声をあげる。
「少し、休憩しよう」


「ジンは何者なの?」
 馬に持ってきた飼葉と水を与え、毛を梳いてやりながら、シファカは同じく馬の世話をしているジンに尋ねた。ジンはその問いに硬直するわけでもなく、あせるわけでもなく、やんわりと訊き返してくる。
「何者ってどういう意味?」
「そのまんまの意味だ。ジンはどこから来た、何をしに、どうしてここにこようと思った? どうしてそんなにいろんなことを知っていて、いろんなことができて」
「ちょちょっと、そんなに一度に言われても俺答えられな」
「どうして、私にかまうんだ?」
 ジンがまじまじと見返してくる。シファカは亜麻の双眸から目をそらし、毛を梳き終わった馬の顔に手を伸ばした。擦り寄ってくる馬の顔をゆっくりとなでてやりながら、瞼を閉じて呻く。
「教えて」
「……どうしてそんなこと聞きたいの?」
 かちゃかちゃと道具を片付ける音に混じってジンの問い。彼は横から手を出してシファカが使っていた道具も一緒に仕舞いなおした。
「ありがと」
「いいよ――それより、どうしてそんなこと聞きたいの?」
「気になるからに、決まってるじゃないか」
 今度こそ、ジンの瞳をシファカは見据えた。
 気にならないはずが無い。考えてみればみるほど疑問は付きまとう。どうしてこれほどの才能を隠している男が、自分のような小娘にかまいたがるのだ。
「単なる道楽?」
 最初に思い当たるのはそれだった。才気あふれるものは、時折厄介ごとを背負い込むことを道楽とする。それは他者が四苦八苦する壁を、容易に飛び越えられてしまうのからこその道楽だ。
「それとも、優越感を得るため?」
 自分より劣っているものを助けることで、自尊心を満足させるためか。
 ジンは押し黙っている。ほんの少し悲哀に目を細めてシファカを見下ろしている。酷くひねくれたことを言っていることは理解していた。けれどもジンが優れているということを一つ見つけるたびに、自分の非力さが浮き彫りになるような気がしてたまらない。そうしてそんな風に思考が行き着いてしまうこと事態に、自己嫌悪を感じる。
 ジンが自分にしてくれているのは好意だ。そうだと判るのに、どうしてその事実だけを受け止めておけないのだろう。
「……シファカ」
「それとも、私が誰かに似ているから?」
 大事なひとに似ているのだと、彼は言った。恋人? 妻? その相手が誰でもいい。ただ重要なのは、大事な誰かに似ているから相手をしているのだという理由だ。
 それはシファカという存在を見ているわけではない。
 エイネイのときと同じ。顔だけならばよく似ている双子の姉妹。皆自分を通して妹の影を見る。そうして失望する。決定的な差に。
「似ている誰かに重ね合わせて私の相手をするというのなら、失望する前にどこかへ行って」
 ジンは優しい。この国の騒動は彼とは全く関係がない。その気になれば国から出てしまえばいい。それなのにここまで自分に付き合ってくれている。自意識過剰かと思ったけれども、やっぱり彼は他でもない自分に付き合ってくれているのだ。大事な誰かに似ているという理由一つ。放っておけないという曖昧な動機一つ。そんないい加減なものに振り回されてはいけないのに、自分はそのうち、この男を本気で頼るようになるだろう。そうではいけないのだ。自分は一人で生きなければならない。
 町に入れば忙しい。話をとる時間はきっと取れない。だから、今のうちに。
 突き放す布石を作っておく。
「シファカ」
 伸ばされるジンの手を払いのける。抱きしめられたらそこでおしまいだ。甘えたくなる。縋りたくなる。そんな風にして誤魔化されるのは嫌だった。

「私は一人でも平気」

 ひとりぽっちは、いや。

「あんたの手助けはいらない」

 たすけて。たすけて。ゆるすといって。いきていてもいいっていって。あのゆめはげんじつだったと。もういっかいしらしめて。

「単なるあんたの娯楽に付き合うほど、私はお人よしじゃないんだ」

 くるしいよ。

「あんたがなにものでもいいけれど、ただそれだけ言っておきたかった」

 そばにいてよ。

 自分は酷いことを口にしている。
 けれども言わずにはいられなかった。これで彼は自分に失望するだろう。たとえ明日姿を消していたとしても、自分はそれを悲しんだり寂しがったりはしない。
 馬の腹をそっと一撫でして、最後にジンに向き直る。出来る限りの微笑を作って、その腕を仲間たちにするように軽く叩いた。
「でもありがとう。あんたのおかげで、いろいろ助かった」
 ジンが毒を忠告しなかったせいで死んだ兵士もいる。が、それを差し引いても、彼には多くのことをしてもらったのだ。
 そろそろ、おしまいにしなければいけない。
 本当は、誰の手も借りずに、きちんとエイネイを助けに行かなければならなかったのに、ジンの手助けがあってようやっとという感じだ。エイネイは生きている。今はジンの説得がなくてもそう信じられる。今なら自分ひとりで考えて、きちんと歩き出せる。
 ジンの横をすり抜けながら、岩を一つ越えたところにある野営地にシファカは歩き出した。
「そろそろ戻ろう。ロルカがご飯作り終えてうわっ……」
 突如、腕をとられ仰向けに引きずり倒された。鈍い痛みが背中を襲いと、がん、という衝撃が後頭部を走る。たんこぶが出来ているのではないかと頭を押さえようとして、その手がしっかり地に縫いとめられていることに気がついた。
 中天に輝く紅い月を背に、とろける黄金のような亜麻の双眸が自分を見下ろしている。
「ジン……?」
 その眼差しに、ぞっとなる。
 見下ろしてくるジンの目は凍てつくように冷ややかだった。まるで毒を盛られたかのように身体が痺れて動かない。シファカは一瞬、今自分を組み敷いている男が短剣でシファカの首を掻き切ることを覚悟した。いつもシファカの手を優しく包み込んできた男の手は、骨を圧し折らんばかりの力が込められて、シファカの両手を固定していた。
「俺は」
 ジンの片手がシファカの頬に触れる。城の地下で、招力石の力を借りて作られる氷を思い出す。氷のような、ではない。この温度は、まさしく魔力の力をかりて作り出される水の結晶と同じ温度だ。
 シファカの震える唇をつっとジンの親指がなぞってくる。唇の上をなでるようにその腹で幾度か往復し、手は頬へと滑った。彼の指はそのままシファカの黒髪に差し入れられて、それをするりと梳く。シファカの、唾を嚥下する音が、こくりと夜の静寂に響き渡った。
「俺は」
 ジンの額が首筋を掠めて地についた。吐息が頚動脈を撫でて行く。ざり、と土を握る音。
「……だれも、重ねたりなんかしていない」
 血が滲むような苦渋を滲ませて吐かれる、その、一つ一つの言葉が。
「同情でもない」
 重い。
 初めてシファカは、この男の本質を見た気がした。最初出逢ったときを思い出す。若衆を一蹴し、なおも邪魔しにかかってくる男に、たったひとことだけ言葉を吐いた。まるで刃物のようだと思った。普段の饒舌さと軽薄さは、それと相対するこの男の本質を隠しているに過ぎないのだ。
 ジン、という男は、シファカが今まで誰よりも出逢った中で、『重い』。
 この男の中に渦巻く感情を、シファカは理解することが出来ない。
 そんな男が、どうして自分を。
「ただ、俺がそうしていたいからそうするだけで」
 労わろうとするのかがよく判らない。
「道楽とか、優越感とか、そんなものは一切関係ない」
 ジンの面が上がる。吐息がかかるほどの距離。あぁやっぱり綺麗な顔をしている。異国の顔のつくり。はめ込まれた宝石のような瞳が泣きそうに歪む。
「……ただ、笑っていて欲しいだけなのに」
 だん、と拳が耳の傍に叩きつけられ、シファカは身体を萎縮させた。手が開放されて、ジンの身体が離れる。立ち上がった彼は弱弱しい微笑を口元に微かに浮かべて、視線をそらしながら謝罪してきた。
「……ごめん」
(……なんで、ジンがあやまるの)
 そうじゃない。そんな風に謝ってほしかったわけじゃない。
 緩慢な動作で身体を起こしながら、シファカは胸中でそう呻いた。
 笑って、シファカ。
 彼は繰り返しそう言った。笑って。……そんなに、自分は笑っていなかった?
 わらって。
 表面だけの笑顔なら、いつも取り繕えているはずなのに、この男には通用しなかった。すぐに見破られて、怒鳴ったり泣いたりするはめになってしまう。いつも、放っておいてほしいときにばかり、この男は口出しをしてきて。
 ひとりぼっちのときに、口を出してきて。
 ジンが背中を向ける。外套の裾が風にのってふわりと翻る。そこに出来た距離に、寂寥感を覚える。
 思わずシファカは手を伸ばした。
「ジン」
「団長。ご飯できましたけどー」
 岩の向こうからロルカの呼ぶ声がする。ジンが立ち止まり、くるりと振り向いた。
「晩御飯できたって。お腹すいた?」
 にっこりと微笑みかけてくるジンは、いつものジンだ。
 シファカは唖然としてジンの顔を見上げていたが、彼がそのまま態度を変えないことを悟った。このままへたり込んでいれば、いつもの様子で身体を引き上げようとしてくるに違いない。実際痺れを切らしたジンは、こちらへ一歩踏み出そうとしている。
 シファカは慌てて立ち上がって、土を払いながら言った。
「今行く」


BACK/TOP/NEXT