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第五章 宴と毒と口付けと 2


 ざくざくざくと。

 夜の間に乾いた大地を黙って進む。遠くには獣の遠吠え。月は中天に昇り、その紅い色で大地を血生臭い色に照らしている。
 目の前には、背中があって。時々、振り返る背中があって。
 手を差し出されるけれども、それを振り払って、歩いた。
 自分の手が、振り払われる前に。
 草木一つ見当たらない大地には、記憶が一つ染み込んでいる。


「なぁ」
 大地の棚からようやく目的地の集落を見下ろすことができたという時に、セタが不安げな声をあげた。
「……今まで考え付かなかったのも阿呆かもしれないが、徒歩の俺たちよりも城を占領した奴らのほうが、馬を使って集落に連絡をとれるよな」
「そうだな」
「うんそうだね」
 シファカは同意し、ジンもまた同意した。それにセタが憮然となる。彼の言いたいことは判っている。視線の先にある集落の『明かり』。
 そう明かりである。篝火が炊かれているのだ。
 夜明け近いというのに、煌々と火が炊かれている。集落では夜の間、獣や鬼畜の類を寄せ付けぬために門の近くに松明を翳す。が、町の中心に明かりが灯されることは滅多にない。つまり、何かを待ち構えてその集落は『起きている』ということである。それは集落がシファカの報告を待たず、すでに宮城とその城下での騒動を聞きつけている可能性を示唆していた。
「そうだなって……団長」
「それぐらい判ってたことだよ最初から。だけどどうあってもここにこなきゃいけなかった。この集落が一番近いし、他へいっても餓死するだけだ。水だって限られているわけだし」
 基本的にはどの集落への距離も似たり寄ったりだ。一番この集落が近い、というその意味は、ただその道程が一番易しいという意味にほかならない。どんな結末が待っているにしろ、自分たちは集落か、町か、どちらかを選ばなければならなかった。食料だってろくに持たずに出てきた自分たち。ジンが前もって用意していなかったら、ここに来ることさえかなわなかった。ジンも、食糧を携帯していたからこそ、町を出ようなどという暴挙にも似た提案をしたのだろうが。
 シファカたちが見下ろす『移動する六つの湖』のうち一つは、集落の傍で篝火の橙と夜の黒を、交互に映し出している。ゆらゆらと光を照り返す湖はかなりの大きさがある。こうしてみるとそれが忽然と移動するなど考えられないが、事実なのだ。
 <婚礼の宣>の折には下の道を通ったために、集落と湖を見渡すことがなかった。改めてその大きさを確認し、あんな湖がどのようにして移動するのかと、今更ながらシファカは不思議に思った。
「もし襲われたりしたらどうするつもりだ? あれは俺絶対誘ってるつもりだと俺は思うんだが」
 不安そうにセタが呻くと、ジンがシファカの横で軽く肩をすくめて見せた。
「そしたら食べものくすねて強行突破、でいいんじゃないの?」
 絶句して息を呑むセタの背を、とりあえず軽く叩いてやってシファカは笑った。
「いこう。とりあえず、ここで油売っているわけにもいかないんだ」
 幾許かの不安はあるが、立ち止まってはいられないのだ。それに立ち止まっていないほうが、何も考えずにすむ。
 自分はそうしてもう十年以上、生きてきたのだから。
 ジンは素早く荷物を担ぎ、セタは小さくため息をついて肩を揺らした。


 が。不安げに最後まで足取り重かったセタの懸念は杞憂に終わったらしい。
「ロタ……」
「宰相殿! ご無事だったんですか……」
 集落にたどり着いて門番に状況を説明するや否や、連れて行かれたのは湖近くの最奥の天幕だった。そこに集っていた面々と顔を合わせ、シファカは思わず感嘆の声をあげた。横ではセタが喜色をあらわに、声をあげている。ただジンだけが口を閉ざして、一歩引いて物事を見守っていた。
 天幕の中、揺り椅子に憔悴した様子で腰を下ろしているのはロタ。そして彼を取り囲んで数人の兵士だ。その中には親しい顔ぶれも揃っていた。ロルカもいる。
「無事だったんだ?」
「まぁおかげさまで命拾いした。どうにか城下を抜け出すことができてな。馬で逃げたものだから、上手くこちらにたどり着くことができた」
 苦笑いを浮かべながら答えるのはロタだ。身につけているものは清潔な衣装ではあるが、宰相のものではない。そして手足、首、肩と包帯が覗く。他の兵士たちも同様で、額や頬、手の甲、身体のありとあらゆる場所に手当ての跡が窺えた。
「シファカとセタが無事でよかった。ずっと一緒だったのか?」
「城下で再会したんだ。丁度私は、ナドゥのところに行っていたから……」
 そもそも自分がナドゥの工房へあの夜足を運んだのは、ロタが自分に遣いを頼んだからであった。ロタは納得するように深く頷き、表情を少しだけ曇らせる。
「あぁ。私が頼んだ書簡のためだな。ナドゥ殿は?」
「ナドゥは……」
「大丈夫だよ。出掛けに会ったし、大人しく工房に居ると思う」
 初めて口を挟んだジンに、ロタは首をかしげる。そういえば彼らは初対面だ。ジンがいつもの軽口で何かを言い出す前に、シファカは間に立って紹介役を買って出た。
「ロタ。こっちはジン。ナドゥのところの手伝いをしているんだ。ジン、こっちはロタ・メイ・ディオ宰相」
「はじめまして。ロタ・メイ・ディオと申します」
 ロタが手を差し出すが、ジンは一瞬だけ躊躇を見せた。けれどもすぐにあの陽気な笑顔を浮かべて、彼はまるで何事もなかったかのようにロタの手を握り返す。
「はじめましてぇ。ジンでいいよ。どうぞよろしくね、宰相閣下」
(この馬鹿!)
 穏便に済ませようと思ってわざわざ仲介しているのに、何故そんな軽口を叩いたりするのだ。この国は大国ではない。閣下という呼び名が、嫌味のように聞こえてしまうことだってあるのに。
 思わずシファカは彼の足をぐりぐりと踏みつけていた。
 ジンが苦笑を浮かべて耳元で呻いてくる。
「シファカちゃんいたいー」
「馬鹿!ロタにそんな口の効き方するからだろ!」
「えー他にどんな口の効き方すりゃいいのよ俺―」
「普通に! 誠意をもって! 丁寧語で話せ!」
「今さっきのは俺の精一杯の誠意なんよ?」
「嘘をつくな嘘を!」
「嘘じゃない――あ、ゴメンナサイ」
 きつく睨んでやると、ジンが諸手を挙げて降参の意を示してくる。ふん、と鼻息荒く疲れたため息をつくと、動きを止めているロタが目に入った。
「……どうかしたロタ?」
「……いや、ちょっと……なんというかだ。いや……えーこほん。うむ。まぁとりあえずだシファカ」
「その前置きが何なのか訊いたら駄目なんだよね?」
「そうしたら話が進まなくなるな。追求は後にしてくれたまえ」
 唖然としていたロタの表情がものすごく気になりもするのだが、今はどうこう言っている場合ではない。とりあえずシファカは敷物の詰められた下に胡坐を掻き、セタや他の兵士たちも続いた。ジンだけがテントの柱にもたれかかるようにして、輪から少し離れて立っていた。
「……それで、城の状況は?」
「私が無事城を出られたのも、おそらくセタと同じような頃合だろう。城門は閉じられたときく。町の方々から火の手が上がっていたな。全体に広がっていなければよいが……」
 不毛の大地の空気は常に乾燥している。湖の周辺である城一体は比較的ましだが、それでも一度火が出ればそれが回るのはかなり早い。一軒からの小火が、その区画全体を焼いてしまうこともある。それをロタは懸念しているのだ。
「殿下と妃殿下はどうなられたのですか?」
 セタが急くように口を挟む。シファカもまたそのことを訊きたかった。国王陛下が暗殺された――次に考えられるのは、ハルシフォンと、エイネイである。
 ロタは一瞬逡巡した後、小さく頭を振った。
「殿下と妃殿下はどこかに連れ去られた――それ以後、行方がしれない」
「……連れ去られた?」
「情けないことだが、お二方は私の目の前で連れ去られてしまったのだ、シファカ。その場で殺された様子はなかった。おそらく、どこかに監禁されているものだと思うが……」
「確証は、ない、と?」
 静かに問えば、ロタは頷く。シファカはため息をついた。
「……そか」
 ロタを見た瞬間、妹たちもまた逃げおおせているのではないかと一瞬希望の光が胸に差した。が、事態はそう上手くはいかないということか。ただその場で殺された、という証言を耳にするよりは格段によい。まだ生きている、という可能性が残っている。
 ロタの言う通り、その場で殺さなかったのなら生きている可能性のほうがうんと高い。利用価値があるということなのだろう。シファカは最後に、確認のつもりで尋ねた。
「……相手は賢人議会?」
「そのようだ」
 ロタは苦々しく、肯定した。
 国の王権を狙っているという<賢人議会>。一体何人がその襲撃で命を落としたのか。もう少し警戒しておくべきだったのだ。思い返せばその兆しは、<婚礼の宣>に始まり、確かにあったのだから。
 シファカは顔を両手で拭った。眉間がじんじんする。身体を埋め尽くすのは後悔。
(戻りたい……)
 戻ってどうなる。戻ってどうする。何も事態は変わらぬ。今やるべきことは、とりあえずここの集落の長に助けを請うことだ。
「……ここの長とは話つけたのか? ロタ」
「話は通してみたが、返事はない。とりあえずこちらもこの有様で、話ができるような状態ではなかったのだ……」
 軽く腕を掲げてみせるロタ。白い包帯が生々しく映る。他の兵士も同様の有様だ。おそらく血まみれの状態で、この集落に転がり込んだというのが正しいところなのだろう。
「失礼いたします」
 若い男が、天幕の戸布を上げた。集落の男だ。彼は胸に手を軽く当てて、拝礼の仕草をとり淡々と告げた。
「お食事の用意が整っております。ご案内いたしますので、どうぞこちらへおいでくださいませ」


 床の平たい板の上に、所狭しと並べられた料理を見て、シファカは思わず息を呑んでしまった。
 数日間、水だけが食糧といってよかった自分たちにしてみればなおさらだ。天幕に入った瞬間に鼻についた、むせ返るような料理の匂い。そしてその料理を取り囲むように並んだ老人たち。誰もが褐色の肌と金の髪を持っている。典型的なこの国の民族だ。
「お疲れでしょう。どうぞお座りください」
 長らしき白髭を蓄えた男が、手の平を返した。
 乾いたつる草で編み上げられた座に腰を下ろして胡坐をかく。奥のほうにはロタ。ジンはシファカの隣だ。この男、放っておけばどんな軽薄な口調で物事を言い出すかわかったものではないから、シファカがお目付け役だった。
 ただ、ジンは珍しく口を閉ざし続けていた。この人数に緊張しているというわけではないだろうに。じっと眺めていると、にこりと微笑まれる。おいしそうだね、といわれて、頷くしかなかった。
「町の様子は聞き及んでおります。よくあの場所からここまでを徒歩で来られましたね。健やかそうにあらせられること、まことにお喜び申し上げます」
「……はぁ。ですが」
 こちらの無事を喜ばれても対して嬉しくはない。大切なのは国。ハルシフォン、そしてエイネイ。自分たちが生き残ったところで、彼らが生き残ってなければどうしようもないのだ。
「おっしゃりたいことはよく存じております。が、お疲れでしょう。とりあえずよくお召し上がりになり、ひとまず休んで英気を養ってください。そうでなければ何も始まらないでしょう」
 ぱちんと彼がかしわ手を打つと、小さな子供が酒の筒を持ってわらわらと現れた。ロタと顔を見合わせる。長らしい男の言う通りだが、罪悪感が募る。この事態に、酒なんて。
 横ではジンが笑顔で酌をしてくる子供に礼を言っている。彼は杯を傾けながら、いつの間にか隣の兵士たちと談笑していた。
 これが無礼講だというのなら。
(まぁ疲れてるし、仕方がない、のかな)
 空腹を腹の虫が訴えていることもまた事実だった。焦燥が身体を襲う。本当はこんなことをしている暇は無いと怒鳴りつけたかった。けれどもそれを必死に押さえる。身体はよく休めないと動きたいときに動けない。この一月近く、散々隣にいるふざけた男に教え込まれたことだった。
(でも、もしこうしている間に、エイネイが殺されていたら?)
 杯を口元へ運ぶ手を、宙で止めて、下唇を噛む。周囲の声が、ぐんと遠ざかる。
 ぞっとする。この一瞬、自分が身体を休めている間に、銀に輝く刃にその胸を貫かれて、冷たくなっていたら?
 そうしたら?
 自分は。
 いきていられない。
『なんでお前だったの。なんでお前が生き残るの。なんでお前がなんでなんでなんで』
「シファカちゃん」
「え? あっ」
 いつの間にか杯が傾いてその中の液体を膝の上に零していた。汚れた服そのままであったから今更多少濡れたところで問題はない。が、気持ち悪いことは確かだ。横から手が伸びて、ジンが布を膝に押し当てる。
「いいよ自分で」
 その手を慌てて振り払って、床に杯を置いた。膝に乗ったままの布で簡単にふき取るが、一部分べったりと腿に張り付いている。ジンがシファカの腕を引きながら立ち上がった。
「結構ぬれちゃったねー。着替えもらって着替えたほうがいいよ」
「でも」
「あ、ねぇごめんそこの人」
 反論する間もなくジンはすぐ傍で給仕をしていた少年を呼び止めている。一言二言言葉を交わした少年は、すぐに用意すると頷いてその場を退出した。
「ジン」
「いいからこっちおいで」
 腕を強く引かれて後に付いていかざるを得ない。ジンはこういう時酷く強引だ。有無を言わさない強さで引っ張られる。
「ジン! はーなーせ!」
 少年から着替えをジンが受け取る。少年に着替えのための天幕に案内され、奥の天幕の喧騒が消えた。閑散とした、誰かの家であるらしい天幕の中、シファカはその手首をくるりと包んでいたジンの手を払いのけた。地団駄を踏むようにして怒鳴る。
「大丈夫だって言ってるじゃないか!」
 が、ジンは全く意に介する様子がない。そのままにへらと笑って彼は言った。
「俺あっち向いてるから着替えてね」
「いい加減にしろなんでいっつもそんなに強引」
「あ、それとも覗いていてほしい?」
 シファカは黙ってその背中を蹴り付けた。もう何を言っても無駄だ、この男。痛いと涙目で抗議する男をさらにもう一回蹴り付けて、シファカは出て行けと叫んだ。が、それは出来ないとさらりとこの男は宣った。こうなったらこの男は梃子でも動かない。シファカ自身が天幕を出て行こうとすると、また腕を掴まれる。どうあってもジンの監視つきで、借り受けた服に着替えてほしいらしい。
 しぶしぶ、この数日で汗と土にまみれた服を脱いでいく。ジンは天幕の入り口のほうを向き、シファカに背を向けたまま微動だにしない。手は青龍刀の柄にわずかにかかって、何かを警戒しているようだった。
「……ジン?」
「水と焼きもの、それから果物。その三種類だけだ。焼き物でも、香草焼きは食べたらだめだよ」
「……何が」
「酒も飲んだら駄目だ。煮つけも駄目。杯の中身、零してくれて丁度よかった」
 とりあえず服を着替え終わり、床においていた刀を取り上げていいよと呟く。ジンはくるりと振り向いてにこりと笑った。
「それだけ言おうと思ってね」
 それは。
 それは詰まるところ、料理、酒、振舞われたものすべてに――。
「……毒もが」
 開いた口を手でふさがれ、すぐ近くに顔が寄せられる。
「はいそれ以上言っちゃ駄目。壁に耳あり障子に目ありってことわざ知ってる?」
「ショージ……?なんていった?」
「あはははわかんないよね。やっぱり」
 口元を覆うジンの手を引き剥がし、シファカは眉をしかめた。大体何故この男は毒が入っていると見分けられるのだろう。
 怪訝さが露骨に顔にでていたのだろう。ジンは時折そうするように、わずかに目を細めて虚空に視線を投げる。
 細く息を吐いて彼は言った。
「俺の国は裏切りの帝国だった」
(……何を、いいだすんだ?)
 一体今の事態と何の関係がある。水の帝国。別名<裏切りの帝国>。この世界で五指に入る大国。最古最長の国――。
「子供の頃、毎食のように毒が入っていた。親しい侍女が、笑顔で短剣を振りかざしてくる国が、俺の国だった。毒なんてものはね、常套手段過ぎてもう俺には効かないんだ。一般的なものなら一口舐めただけでわかっちゃう」
 表面は笑っているが、なんだかジンが泣きそうに見えた。そういうことだから警戒してね、と彼は言って天幕を出て行こうとする。思わずその服の裾を掴んで、引き戻した。
「うわ」
「ちょっと待ってジン。ど、え、ど、う、えっと……」
 体勢をすんでのところで立て直したジンは、苦笑しながら見下ろしてくる。
「落ち着いて。何? 毒のこと?」
「そうじゃない――そう、じゃなくて」
 訊きたいことがある。彼の出自。彼は侍女と口にした。そんな存在を持ったことも無い人間なら、決して口にはしない単語だ。となると、ジンはそれなりに身分のある人間だったことになる。そんな人間が、どうして旅人に身をやつし、ナドゥの家事手伝いなどをしていたりするのだろう。
 訊いてはいけない気がする。が、知りたいという欲求が身体を駆け巡る。もっと教えて。そんな泣きそうな顔をしないで。どこからきたの。どうしてきたの。
 くるしいよ。
「疲れた?」
「え」
 口元に添えられていたジンの手が、前髪を掻き揚げ額に触れる。熱を測るかのように触れられる手はひやりと冷たい。
 いつも、どこか氷のように冷えた手のひら。
 凍えているような、手のひら。
「熱は無いけど無理はしないで。眠らせてもらう? 一足先に」
 抑揚を抑えた声はささやきほどの声量しかなくとも、天幕の中に響き渡る。するりと髪をなぜる指。誰を自分に重ねて、そんな風に触れるのだ。
 ジンは微笑んで言う。
「大丈夫。俺が守るよ」
 下唇を、噛む。
 シファカはうつむいてその手を払った。流されていてはいけない。守るなんて安易に言うな。自分は誰にも守られる必要はない。自分の身は自分で守れ。取り残されたエイネイの守りも自分の義務。 
 紅い記憶が蘇る。灼熱の太陽。痛いほどの眩しさを伴って広がった濁った空。鉄臭い空気。
 冷えていく手のひら。国に戻ったときの安堵と絶望。そして。
『お前がお前がお前がお前が』
 狂気に彩られた眼差しと声。
「私が訊きたかったのは」
 シファカは精気そのものを吐き出すように言葉を紡いだ。
「最初から、疑って、いたのかっていうことだ」
 そうだ。これが訊きたかった。シファカは自分の声に納得した。このことが訊きたかった。
 いくら毒に慣れている人間でも、いきなりがっついて食べれば味を感じることなどできないだろう。兵士と談笑している彼は、ごく普通にものを口に運んでいた気がするのに。
彼は肩をすくめる。
「ここ、女の人いないでしょ」
「……は? ……もしかしてあんた」
 この女好き、軽薄男と怒鳴りつけそうになったところで、ジンが両手をぶんぶん振って弁解してきた。
「うわーシファちゃん変な誤解しないでー。子供は見当たるのに女の子いないって変じゃない? ってこと。老人もあのえらそーな人たちしか見当たらないじゃんね。それってどう考えてもおかしいじゃんね。ここは集落でしょ。生活の場でしょ」
「……確かに」
「露骨にしてみせるのはよくないけど、流れに任せてそれでも警戒はしておいたほうがいいよ」
「……でも警戒って」
「俺とりあえず果物と水もらうー。拝借してとっておく。もしかしたらやっぱり食べ物かっぱらって脱出作戦かもよシファカちゃん」
 つまりは全てこっそりとっておけ、ということか。なんだか情けない作戦だな、とも思う。が、相手の出方次第だ。動きをこちらから見せないのは、相手の背後にあるものが食いつくのを待つためだ。
「判った。気をつけておく」
「うんうん。いい子だね」
「だーかーらー! 頭をなでるのはよせ!」
 あははと笑って天幕から出て行く男に地団駄を踏む。真面目なのだか、ふざけているのだかさっぱり判らない。単なる軽薄なだけの男だったらよかったのに。そうすれば見下して、あしらって、それで終わりだ。なのに彼はきちんと見るべきところを見ている。的を外さない。本当なら、自分がきちんと見つけているべき場所なのに。こういうとき無力を感じる。
「大嫌い」
 自分で腕を抱きながら、シファカは吐き捨てる。守るなんていうな。自分がほしかったもの全てを持ち合わせる男は、自分の唯一の存在意義まで奪おうとする。
 エイネイをまもること。
 それが、何も生み出さず育てられない、ただ奪うことしかできない自分に与えられた存在意義だ。

 そんな自分が、守られるわけにはいかない。
 ふみいってこないで。
 あんたなんかきらいだ。

「だいきらい」
 洗濯したばかりであるらしい衣服に、水滴が一滴零れて黒い染みを作った。


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