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第四章 国内迷走 2


「どういう状況?」
「ジン」
 背後ジンが身を屈め、傍らに膝をつく。シファカは柄を握る手の力を抜いた。嚥下した唾で喉を潤し、抑揚を抑えて声を紡ぎだす。
「国王陛下が、暗殺されたって」
「……副団長、だったよね。その様子じゃ城は占拠されたんだ? 相手の人数は? 頭は?」
 ジンは驚いた様子もなく淡々とセタに問いかける。その一方で、柄にかかったシファカの手を握りこむジンの手には、力がこめられていた。震えているつもりは無かったが、労わるようなその握り方にほだされて、高ぶっていた気が僅かながら静まる。混乱を極めていた頭の中を整理し、セタの言葉にシファカは耳を傾けた。
「……判らん。どこから湧いてきたのかすら、判らなかった。外から進入した様子はなかったんだ。城の真ん中から突然湧いてでたように奴らが現れて、兵士も女官も、みんな散り散りに……」
「……エイネイと、殿下は?」
 セタは静かに首を横に振った。
 シファカは立ち上がった。刀を握り締めたまま。ジンが怪訝そうに仰ぎ見てくる。
「……助けなきゃ」
(助けなければ、ならない)
 蘇る記憶がある。土埃に白ずんだ空、褐色の大地、そこにできた、黒い染み。
 冷たくなっていく手が。
 どこまでもどこまでもどこまでも歩いても。
 自分の足を掴んでいる。
「助けなきゃ、いけない」
 ふらりと歩き出したシファカを、ジンの手が引きとめた。
「どこへ行くつもり?」
 立ち上がった彼を見上げて、答える。
「城」
「駄目だぜ団長……。もう表の門が塞がれちまってる。戻ったところで切り殺されるのがオチだ」
 遠くで、悲鳴が聞こえる。喧騒。足音。炎が爆ぜる音。
「……でも、行かなきゃ駄目なんだ」
 たった一人の妹だから。助けなければ。
 助けなければ今度こそ。
 でなければ、意味がない。
 剣をとった意味も。ここに立っている意味も。犠牲にしてきた命、この手で多くの人を殺めてきたその行為、生きている意味、生まれた意味。
 その一切合財が、失われてしまう。
『あんたなんか、生まれてこなければよかったのよ……!』
「私が、守らなきゃだめなんだ。たった一人の妹だから」
 たった一人の妹。そして殿下。大事な幼馴染にして、彼女の婚約者。
 その二人を。
「守らなきゃ、だめ」
「シファカ」
 ぱちん、と軽く頬を叩かれて、シファカは目を瞬かせた。目の前にジンがいる。いつの間に歩き出していたのだろう。場所が少し、移動している。
 シファカは、刀を握り締めて、ジンを睨め付けた。
「どいて。ジン」
「どかない」
「ジン……」
「シファカちゃん。今は城に行くべきじゃない。一刻も早くこの町を出るべきだ」
「町をでる!? そんなことしたら……」
「シファカちゃん。状況をよくみて」
 肩を揺すられる。暗がりに浮かぶ亜麻の双眸。光が入って怖いぐらいに綺麗だ。その顔はとても真剣で、どこか憤っているようにも見受けられた。
「町のあちこちから火の手が上がって、乱闘が起きている。多分城を襲撃したどっかの誰かの一派と、住民が衝突しているんだ。ということはこの団体は、かなりの人数ということになる。城の状況はわからない。けれどもやり方を見るに、おそらく頭がいい集団だ。誰も外に逃げることがないように、遅かれ早かれ、相手は城門を閉めようとするだろう。こんな小さな町では、どこかに隠れて体勢を立て直すことも難しい。……外に、出るべきだ」
「ジン」
「俺もそいつの言う通りだと思うぜ団長」
 おぼつかない足取りで、セタが歩み寄ってきながら言ってくる。彼は言い難そうに口元をまごつかせながら、小さく嘆息して躊躇いがちに口を開いてきた。
「……今城に戻ったら、殺されんのがオチだ。いくら団長でもな。俺も、命からがら逃げてきたぐらいなんだからよ」
「……でも、私はっ……?」
 唐突に体を抱き寄せられて、シファカは目を見開いた。ジンの腕の中に、いつの間にか閉じ込められている。驚愕の目でもってジンを見上げると、耳元で小さく囁かれた。
「ごめん」
 瞬間。
「え、ふっ」
 頚椎[けいつい]に鋭い痛みが走った。
 走りぬけた電流に痺れて、身体全体の力がぬけていく。視界が湾曲した。かしゃんという刀が落ちる音がする。大地がシファカの足を突き放し、支えきれずにシファカ自身は落下する。
 泥のような闇が、そのまま意識を飲み込んでいった。


 目の前で起こった出来事に、セタは驚愕し、ようやく口を開けたのは、ジンがそっとシファカの体を石畳の上に横たえたあとのことだった。
「な、な……一体何してるんだあんた」
「足手まといになる」
 ジンは即答しながら、横をすり抜けて先ほどセタが殺した男の傍へと歩いていった。そこに、ジンが持ってきたらしい荷物が置いてある。彼はその荷物を抱え上げ、早足にこちらへ引き返してきた。
 荷物のなかからシファカのものであるらしい外套を取り出し、ジンは彼女に着せ掛ける。その頬にかかった髪を、指で払いのけた後、彼は外套の紐を結んで、丁寧にシファカをそれで包んだ。
「コレ持ってて」
 ジンがシファカのむき出しの刀を鞘に納め、差し出してくる。訳の判らぬまま、セタは言われたとおりにシファカの刀を受け取った。
 ジンはセタが荷物を抱えたことを確認し、シファカを背負った。荷物を肩に斜めがけにして、薄く男は微笑む。
「それぐらい持てるよね? 俺、彼女運ぶから、遅れないように付いてきて」
「……ほんとに町出る気なのか」
「……あのねー。この期に及んで何をいってるのさ。さっきからそういってるじゃんね」
 呆れた口調でそういい捨てて、ジンはすたすたと、城門とは別の方向に歩き始める。
「お、おいでも城門はあっち……」
「真正面に行ったらそれこそ捕まるよ。もうちょっと頭使って。俺さすがに二人も背負っていくわけにはいかんもの」
 その言葉は冷ややかで、シファカに見せていたような労わりの欠片も含まれてはいなかった。しぶしぶ、その男に従って、歩き出す。ジンは厳しい目で周囲を観察しながら、黙々と町を歩いていった。その歩調は、小走り、といっていいほどの早足である。
 いくら自分が疲弊しているからとはいえ、相手は女一人をその背に負ぶっているというのに、距離は開いたまま縮まらない。セタは疲労した体に鞭打って、歩かなければならなかった。
「……なんで団長を気絶させたりしたんだ?」
 この男を警戒すべきだとは思う。が、状況がそれを許さなかった。どのみち、警戒したところで自分は彼に敵わないとセタは自覚していた。自分は負傷している身で、対するジンは全くの無傷だ。幾日か前、一度シファカの剣の稽古をつけに、この男が訓練場にやってきたときを思い出す。万全の体勢で望んでさえ、自分はこの男にいいようにあしらわれてしまったのだ。たとえ今飛び掛っていったとしても、自分は一瞬のうちに叩きのめされてしまうに違いない。そう、推測できた。
 付け加えるなら、ジンがシファカに危害を与える気は毛頭ないということだけは明白だった。
 だが、シファカを気絶させる必要が、一体どこにあったというのだろう。町を早く出なければならないといったのは、この男自身であるだろうに。
「気付かなかった?」
 嘲笑うような響きをもって、ジンは言った。
「彼女は精神が不安定だった。何かに追い立てられているみたいに。町をでる最中に、彼女だけ忽然と姿を消してる、なんてこともありうる。それは困るもん。俺は守りきれない」
「精神……?」
「女の身で男の世界に入ることが、どれだけしんどいことなのかあんたらわかってないね。特にこんな女と男の観念がしっかり固定されてしまっている小さな国ではなおさらだ。判例だってないんだろう? 普段必死に耐えていても、何かの拍子で全てが崩れ去りかねない。彼女がどんなことに追いたてられているのか、俺は知らないけどね。危うい均衡のうえに、この子は立っているんだ。あんたら何年の付き合いがあるんだよ。全く」
 深いため息に、ジンが肩を揺らす。一度立ち止まって背を揺すり、シファカの体を支えなおして、彼は再び歩き始めた。
「なぁあんたもしかして」
 表情は窺い知れないが、今の彼の口調から滲み出るものがある。
「……怒っているのか?」
 ジンの言葉の端々から窺い知れるのはある種の怒りだ。憤慨、といっていい。自分たちのシファカに対する鈍感さに、この男は酷く怒っているようだった。
「……そうだよ」
 低く、ジンは呻いた。
「そうだよ、怒ってる。鈍感なあんたらにも、平和にことを終わらせてくれないどっかの誰かにも、そして自分の命の重さを、これでもかというほど軽視するシファカにも……そして、俺自身にもだ! まったく、最初はここまで付き合うつもりはなかったのに。こんなに……こんなに、入れ込んでいるなんて知らなかった。面倒ごとは御免だっていうのに――」
 そう、思っていたのに、と小さく呟き、ぎり、とジンが歯を鳴らす。どうやら彼を苛立たせているのは、自分たちへの怒りだけではないらしい。何かに対する焦燥――それが、彼の神経を蝕んでいるのだ。
 沈黙が落ち、そうしてしばらくたった後、彼は独り言のように呟いた。
「それなのに、どうするんだ、俺」


 体を包む浮遊感。
 膜のようなものが体を取り巻き、ぴちゃん、と水音がする。シファカは薄く目を開け、そしてすぐ鼻先を掠めるものに目を見張った。
 水。
「え!」
「暴れないでシファカちゃん」
 体を跳ね起こすまえに、鋭い声音で静止がかかる。眼前に、ジンの頭があった。
「……じ、ジン? え、な、これ」
「じっとしてて。じゃないと溺れちゃう。そして、出来れば体の力を抜いていて欲しい」
 ジンに言われたとおりに、体の力を抜いて、ジンに縋った。いい子だね、と囁かれる。いい子もなにも、これだけ切羽詰った状況ならば、誰だって言われたとおりにするだろう。
「団長、平気か?」
 背後から声がかかる。セタだ。背後を顧みると、苦笑を浮かべる良く見知った男の顔があった。
「……これ、どういう状況?」
「ご覧の通りだ。そいつが城門じゃなくて水路をぬけるとかいったもんだから」
 セタの答えを耳にいれながら、シファカは言葉もなく、視線をゆっくりと巡らせた。
 周囲にあるのは水だ。昼は宝石のように碧く輝く水。けれども今は夜の色を吸い込んで、のっぺりとした闇色をしている。自分たち三人の体は頭を除いて水に漬かっており、城壁伝いに、湖のなかを移動している最中だった。セタは子供が舟遊びをする際に使用される小舟を引いていて、その上には刀や青龍刀、セタの円月刀がまとめて乗せられている。よくよく見ると自分は下着姿で、ジンもセタも似たような格好である。衣服は丸められて、同じく小舟の上にあった。
「……誰が服、脱がせたの?」
「俺。お叱りは後で受けるよシファカちゃん」
「お、俺やめようっていったんだからなぁ」
 セタが慌てて弁解してくる。シファカは怒るというよりもジンに呆れた。いくら緊急の事態でも、躊躇いなくこのようなことができる人間はなかなか居ない。出来るとすれば二者択一、物事を遂行するためならば多少の羞恥は厭わない冷血漢か、それとも物事の状況に便乗した助平かのどちらかである。
(……ジンの場合どちらもありそうでコワイ……)
 とりあえず溺れないように彼の背中にしがみつきながら、シファカは深々ため息をついた。
「シファカちゃん。悪いけどコレ斬ってくれる?」
 しばらく壁伝いに泳いでたどり着いたのは、水の排水口だった。等身大ではあるが、格子で阻まれている。もうそこまでくると底は浅く、排水の調査の折にでも使われるのか、どうやら湖底へと続く階段があるようだった。そこに足をつけてジンの背中から降りる。ぱしゃ、と踏み抜いた際に水が跳ねた。
「……ジン。この向こう崖みたいだけど」
「そだね」
「……そだねってオイオイ。どうすんだ今更引き返せないぞ」
「俺の記憶が正しければ」
 ジンが格子の傍に寄ってその向こうを覗き込む。その口角を笑みの形に吊り上げて、彼は言った。
「この下、滝つぼになってるんだよね」
「……タキツボ?」
「水の落下によって、土が大きく抉れている池のこと。ここから落下しても死んだりしないよ。大丈夫」
「……ほ、ほんとに? え、でもそのまま沈んでしまうんじゃないのか?」
 冷や汗を浮かべながらシファカは尋ねた。実を言ってしまえばシファカは泳いだことがない。おそらくセタも同じだろう。水に漬かっている、という状況すら体を落ち着かなくしていたのだ。落下した後、どうなるのか。そのまま沈んでしまうのを、ジンが助けてくれるとでもいうのだろうか。
 ジンはおかしそうに小さく噴出した。
「人間の体は浮くように出来てるんだ。上手く足から入るようにしてね。ちょっと難しいかもだけど。そうしたら、あんまり痛くないから」
「……痛いの?」
「体勢とか高さによっては骨折したりするけど、この高さなら平気だ。というわけで、とりあえずこの格子し斬っちゃってよ」
 小舟から荷物を全て拾い上げたジンが、はい、と刀を引き渡してくる。シファカは眉間に皺を寄せてセタと顔を見合わせる。が、セタは肩をすくめただけで、何も言ってはこない。
 仕方なく、シファカは刀で格子を斜めに切りつけた。もともと『斬る』ことに特化した剣だ。もう長い間修復も行われていなかっただろう格子は脆く、からからと音を立ててその場に転がった。
 ジンは丁寧にそれをよけると、まず手始めに、彼が持ってきたと思われる荷物、および三人分の衣服を宙へ放り投げた。
「え」
 その突然の行為に、シファカは瞠目した。が、彼に気にした素振りはまったくない。思わず駆け寄れば、彼が景気良く投げ捨てた荷物は、タキツボ、と呼ばれるらしい池――それは確かに、壁の真下に存在した――を越え、岸ぎりぎりに落下していた。
 ぽんぽん、と手を払っていたジンが、腰に手を当てながら呟く。
「さて、じゃ、行きますか」
 にっこりジンに微笑まれ、条件反射で、シファカは足を後ろに引いた。ジンはしっかり青龍刀を腰に固定し、同じことをするようにと、シファカとセタに促した。言われるままに腰に刀を固定したシファカは、待っていたジンに手を引かれた。
「それじゃ、副団長がんばって続いてきてね」
 ひょい、とシファカの腰を抱きながら、ジンが言う。そして一瞬後には。
 重力に引かれるまま宙に躍り出ていた。


「げほごほっ……ごほっ」
 地に四つん這いになって、シファカは咳き込んだ。水を吐き出し、つん、と痛む鼻の奥に顔をしかめる。着水の際に水を飲み込んでしまったらしい。ジンが引き上げてくれなかったら、確実に溺れていただろう。
 どぱーんと背後で水柱が上がる。セタだった。しばらくして、彼の咳き込む声と水音が背後から聞こえる。
「大丈夫? シファカちゃん」
 背中からぱさりと外套をかけられる。傍らに膝を突いたジンが、背中を柔らかく撫でて来た。
「あ、りがと」
 振り返りながら、シファカは礼を言った。視線の先にあるジンは、どこか嬉しそうに破顔して、丸めた衣服と剣をシファカに差し出した。
 彼は既に衣服を身につけている。その着込み方はかなりいい加減ではあるが、いつでも出立できる姿だった。
 ジンがセタのほうに歩み寄る間に、さっさと衣服を身につけてしまうことにする。下をはいて、上を被って。男物の衣服はそれだけですんでしまうから楽だ。靴を履いて、外套の紐を結ぶと、ふらふらなセタとしっかりとした足取りのジンが歩み寄ってきていた。
「セタ、大丈夫?」
 シファカの問いに、セタは苦笑いを浮かべて頷く。
「あーなんとか」
「でも休憩している暇はないよ。今の水音を聞きつけて、誰かやってくると思う」
 ジンの言葉はもっともだ。それに夜が明けるまでに日陰に移動してしまわなければならない。外套を着込んでいないセタにとって、日中の日差しは強すぎる。
 シファカはそそり立つ城壁と、その上にかすかに見える城の頭、それから火の名残を仰ぎ見た。
「シファカちゃん」
「判ってる。戻ってる暇はないっていうんだろう?」
 シファカは、静かに瞼を伏せた。妹と、殿下、それから陛下に、ナドゥに、ロタに、部下たち。
 まだ彼らが皆死んだと決まったわけではない。それでも、どうして城にいなかったのだろうと後悔せずにはいられない。
 いつも自分はこうやって、災難を逃れてしまう。
 たくさんの人たちの命を踏みにじって。
「いこう」
 シファカは目を見開き、二人に呟いた。ざく、と荒野の土を踏み分ける。
 黄色い粉砂が、それに合わせて気流に乗って舞い上がった。


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