BACK/TOP/NEXT

第四章 国内迷走 1


「本当に、あの甘えたには時々参るんだ」
「ふぅん。温室の花って結構似るもんなのかねー」
「……は?」
「いやこっちの話」
 ジンが作ったという蒸し菓子は、口の中に入れると甘さを持ってほろりと溶けるもので、実は夕飯もろくに食べずにこちらへやってきた身としては、この上ないご馳走だった。
 シファカにとっては見たことも聞いたこともない食べ物だ。東大陸の食べ物で、ジンは調理法だけを覚えてきたのだという。この間も口にした甘酸っぱい果物のお茶と共に食べる。陶器の器いっぱいに盛られたそれはすぐに数を減らしていった。
 みっともないほどのがっつきようだと思うのだが、ジンは機嫌よく器に盛られたものが平らげられていく様を見守っていた。交わされる会話は主にシファカの愚痴だが、ジンはそれに対して嫌悪感をみせるわけでもなく、ただにこにこ笑って耳を傾けている。
「でも普段は本当にかわいいんだよ。エイネイ。すごくうらやましいぐらいに」
「ふうん。でも俺はシファカちゃんのほうが可愛いと思うよ」
「お世辞はいらないよ」
「ホントだよ。お世辞言って俺なんか得ある? そんな風に褒めても冷たく突っぱねられちゃうのに」
「だってジンの言葉ってひとつひとつがうさんくさい」 
「うさんく……ひどいなぁその言い方ぁ」
 苦笑を浮かべるジンの顔がおかしくて、シファカは笑った。笑われたことに対して、憤慨するわけでもなく一緒にジンは笑う。こういうところは、とても凄いことだと思う。どちらかというと短気なシファカには、まねが出来ない。
「でも俺、本当にシファカちゃんのほうが可愛いと思うよ。よく頑張ってる。えらいね」
 真顔で言われると気恥ずかしい。居心地の悪さに肩をすくめて、シファカは手元の小さな菓子の欠片を口に放り込んだ。
「ジンてさぁ」
「んー?」
 指先についた蒸し菓子の食べかすを、舌で舐め取りながらシファカは尋ねた。
「東大陸の出身なのか?」
「……そうだよ」
 少し間があったが、ジンは正直に答えてくれた。どうして? と理由を尋ねてくる男に、シファカは次の蒸し菓子に手を伸ばしながら応じる。
「ジンの話はいろんな国の話がごちゃごちゃになってるけど、東大陸の話はとても細かいし、数も多いし」
 頭の中に思い浮かべる。書庫で目を通した、辞書。
「武具演舞、調べたら東大陸で盛んってなってたから」
「……そっか」
 しばらくシファカの飲食の音だけが部屋に響く。夜も更けて、工房の明かりも落ちた。ナドゥは、まだ帰ってこない。
「……俺ね、水の帝国から来たの」
 ややあって、ジンが躊躇いがちにそう口にした。
「……裏切りの帝国?」
 シファカは尋ねた。東の大陸に古くからある水の帝国の二つ名を裏切りの帝国という。水の帝国の正式名称を知らぬ者の中でも、その名前なら聞いたことのあるものも多いだろう。
 ジンが苦笑する。
「あそこはもう<裏切りの帝国>じゃない。……呪いは、解かれたから」
 珍しく神妙な面持ちで、ジンが瞼を伏せる。呪い、という言葉がどういった意味で使われているのか、シファカには判りかねた。
「あの国、ひどかったって聞いたけど、それが旅を始めた理由?」
 水の帝国は長い歴史を持つ国だが、同時に荒れた時代も長い。シファカが生まれた頃には既に、いつ国が滅びてもおかしくないような状況であったときいている。
「ううん」
 ジンが首を横に振った。
「ちょっと違う。国も今は立ち直ってる、と思う。大分政治も軌道に乗ったって感じかな」
「……そうなんだ?」
「うんそう」
 短く言葉を切って、ジンが高杯の中の水を口に含む。己のことになると、彼の普段の饒舌はなりを潜めるのだ。
「……ジンって、旅を初めて何年ぐらい?」
「一年、だね。一年半ぐらい」
「え。そんなに短いのか!?」
「何年ぐらいだと思ってたの?」
「……ずいぶんといろんな国回ってるみたいだから、もっと長いのかと思った」
 高杯を置きながら、ジンは苦笑していた。中庭のほうへと視線を向けながら、彼は言う。
「確かにいろいろな場所を回ってはいるけれども、全ての国で長居するわけじゃないよ。たいていは十日足らず。季節の変わり目で、雨季だとか積雪なんかに足止めを食らうと、一月。ここも長居しているほうだね」
「……そう、か」
 琥珀の液体の中に映りこんだ自分の顔は酷く気落ちしていた。彼が居なくなることを繰り返し望んで、けれども、実際にジン自身の口からこの国を去ることを臭わされると、落胆を隠せない自分に、シファカは苦笑したくなる。
 何故長居しているのかは、聞けなかった。今はまだ、『砂』の時期に入っていない。周囲六つの湖が移動する時期になると、砂が舞う。本格的な『砂』の時期になると、キャラバンも出入りもできなくなる。この国にやってきたキャラバンは、滅多に長居したりはしない。なぜなら砂の時期は、ジンがいうような季節とは違って、一体いつ始まるかが判らないからだ。それをジンが知らないはずはないだろう。シファカが知らないようなことまで、こまごまと調べている男なのである。
「そんなに気落ちしないでシファカちゃん。なぁに俺がいないとそんなに寂しい?」
「……どの口がどういう勇気で持ってそんなことをいうんだ?」
「アレ。なんだ寂しくないの? ちょっといまがーんってきたよ」
「かってに衝撃を受けてろ。ジンがいなくなったところで何も変わったりしないんだから」
 シファカは憤然と呻いた。ジンが再び中庭のほうへと視線を移し、椅子の背に体重を預けながら呟いてくる。
「でも、そうだね。そろそろ潮時だとは思ってる」
「……ジン」
「ほら。そんな顔しないで」
「……そんな顔ってどんな顔だよ」
「鏡で見てみる?」
 からかう様にジンは言い、シファカは肩をすくめることしかできなかった。いくら反論したところで、自分がどんな表情をしているかわかってしまっているために、説得力をもたないのだ。ジンが卓ごしに手を伸ばし、シファカの解かれた髪の中にその指先を差し入れ、そっと梳いてくる。
「大丈夫だよシファカちゃん。俺まだ居るから。シファカちゃんがもうちょっと元気にならないと、心配でこの国離れらんないよ」
 ジンの手を押しのけながら、口先を尖らせてシファカは呻いた。
「どういう理屈だよ。そもそもなんでそんなに私をかまうんだ? 放っておけばいいのに」
「天邪鬼」
「誰が」
 打てば返すように続く言葉の応酬も、慣れればそれなりに心地よい。ジンがくすくす笑いながら押しのけられた手を引き戻す。その手を握ったり開いたりしながら、彼はふと、笑みを消した。
 ジンが笑みを消すことは、酷く珍しい。とたんに整った造作特有の冷たさが浮きぼりになる。城にある、大理石で作られた石像のようだ。シファカは思わず眉根を寄せて、ジンを凝視した。
 ジンが、口を開く。
「……最初は、とても似ていて気になったんだけど」
「……誰に?」
 ジンは瞼をゆっくりと閉じて、薄く笑った。シファカにいつも向けてくる、あの柔らかな微笑ではない。自嘲と皮肉、そして悲哀、だろうか。感情の入り混じった、複雑な微笑だった。
「……俺のとても大事な人に」
「……私が?」
 ジンは頷いた。瞼の裏に思い描いているのは、その『大事なひと』であるのだろうか。そしてその人に、自分が似ている?
「……そ、う、なんだ」
 呟きながら、自分が酷く落胆していることを、シファカは知った。胸を支配する空虚に、言葉を失う。喉が渇いているのに、目の前の高杯の中身を、飲み干す気分にもなれなかった。
 自分が、ジンの大事な人に似ていて、それゆえに、かまわれていた、というのは。
 とても、とても、面白くない。
 シファカに意識を向ける人間は、必ずその後ろにエイネイを見ていた。愛らしいエイネイ。朗らかで明るく、天真爛漫に振舞うことを許された、何もかもがシファカと異なる 双子の妹。
 将来は皇太子妃。その地位を羨むわけではない。
 シファカが羨んでいるのは、誰かに望まれているという、ただその一点。
 ジンは別に、妹を透かし見ていたわけではない。権力に群がってきた人間でもない。
 だから。
 ホントウハスコシキタイシテイタ。
(あぁ。そうなんだ)
 納得してしまえば簡単だ。結局自分は誰の一番にもなることはできないし、無条件に居場所を与えられるわけでもない。当たり前のことだ。自分のようなひねた人間を無条件に好きになってくれるような物好きはいないだろう。
 ジンも結局は、物好きでもなんでもなく、きちんと理由があって自分をかまってくれていたわけだ。
 その事実が、ほんの少しだけ、胸に痛みを落とした。
 どうして、生まれてきたのだろうと思う。
 死ぬほどの勇気はない。けれども、いっそ生まれてこなければよかったのにと、思った。
 いくつもの犠牲を払って生きる自分は、何も生まず、何も育てず、ただ奪ってばかりで。ある意味この、乾いた大地の申し子だった。
『……かわいそうな子……』
(……お母様……)
 すっと零れた涙を、慌てて拭った。ちらりと視線を動かせば、ジンはまだ瞑想している。もしかして、眠っているのかもしれないとも思った。考えれば今は真夜中。もうすぐ夜明けだ。眠ってしまっていておかしくはない時間帯なのである。
 が。
 シファカの予想に反して、ジンは突如に目を見開いた。彼はそのまま勢いよく立ち上がり、椅子に立てかけられていた青龍刀を手に取る。前置きのない彼の行動に、シファカは驚きに息を呑んだ。
 だが、質問を投げかける暇は与えられなかった。

 がだだんっ

 物音と共に覆面をした男が十数人、円月刀を手に踏み入ってきたからだった。
「!?」
 驚きにシファカが瞬いている間に、じり、と間合いが詰められていく。
 軽薄な口調で、ジンが訊いた。
「ひっとつ尋ねるけど、人違いとか勘違いでここに踏み込んできたわけじゃないよねぇ?」
「シファカ・メレンディーナ」
 男たちの一人が、名を呼ぶ。布を通したくぐもった声だった。
「国は我らの手中にある。大人しく投降してもらおうか」
「どういう意味?」
 腰を宙に浮かせた体勢のまま、シファカは静かに尋ねる。だが男たちは答えない。
 弾みをつけて立ち上がり、シファカは刀を鞘から抜き放った。
 刀を引き抜いた拍子に、卓の上に置かれていた玻璃の高杯が横倒しになり、そしてそのまま床へと落下していった。
 男たちが一斉に踏み込んできたのは、がしゃんという玻璃が砕け散る音が皮切りだった。
 猛獣の爪の如く襲い掛かってきた円月刀をシファカは刀と鞘で受け止めた。ぎちぎちという金属の摩擦音を耳に入れつつ、ざっと目測で人数を数える。
(……そんなにいないな。六人?)
 もともとこの狭い居室に体格のよい男が何人も入れるわけが無い。間抜けなことに男たちはお互いに押し合って、身動きがとれないのが現状のようだった。素人相手ならばささいな時間だが、玄人相手にはその一瞬の硬直が命取りになる。
 シファカは身を屈め、隣の男の肩が引っかかって身動きとれずにいる男の懐に踏み込んだ。この状況では、小柄な体が有利だ。細身の刀も有効であり、わずかな空間をすりぬけて、銀の刃が顎を一閃する。
「がっ」
(ナドゥごめん!)
 刀を引きながら、シファカは胸中で家主に謝罪した。引いた刀にまとわり付いてきたのは、人の体に流れる命の水だ。紅の鮮血は宙に踊り、ぱたたっと床の上に円を描いて零れ落ちた。
 シファカはすぐさま屈みこんで、顎を押さえる男の足を払った。転倒した男の腹を力いっぱい踏み抜く。ごほっと泡を吐いて男は悶絶した。
 振り下ろされてくる円月刀の陰が射す。シファカは体を捻って背後の男のわき腹に肘を入れながら、手首を返して目の前で円月刀を振り下ろしてくる男の体を縦に、下から上へと一閃した。円月刀を振り下ろしてくるその手めがけて、弾みをつけて刀を滑らせる。
 両手の筋を斬ってやった。
「あがぁぁあああっ」
 男の取り落とした円月刀が、横を落下してすとんと床に突き立つ様を視界の端に収め、シファカはそのまま腹部をけりつけた。体勢を崩した男は両手を抱え込むように体を圧し折ったまま壁に叩きつけられる。弾みで壁にかかっていた絵が落下し、男の首にが つんと衝撃を落とした。
 振り返ってみればジンが四人目を昏倒させているところだった。
 場が、沈黙する。
 この場の戦闘が終わったことを確認して、シファカは外へ飛び出した。
「シファカちゃん」
 背後からジンの声がかかるが、立ち止まっている暇はなかった。恐ろしい予感が、脳裏を支配する。警鐘のように心臓が音を立てている。血流の音が五月蝿い。
 飛び出した夜の町は、決して静かではなかった。
 乱闘が、あちこちで起こり、城から、火の手が上がっている。
(賢人議会だ)
 一度止めた足を再び動かしながら、シファカは胸中で呻いた。
(賢人議会だ――!)
 近頃、その動きもなりを潜めていたというのに。
 町を駆け抜けながら、シファカは下唇をきつくかんだ。少し血の味がする。城に戻っているべきだった。夜明けのように町を明るく照らす炎が、城の上部から上がっていた。それがどこであるか、シファカにはすぐ見当が付く。あの場所は、王陛下――ウルムトの寝室であるはずだった。
「がっぁ」
 ふと目の前を、円月刀をもった男が転倒した。白目を剥いて悶絶しているその男から離れた円月刀がくるくる回りながら石畳をすべり、シファカの足先で止まる。続いて路地からふらりと姿を現した男に、シファカは目を剥いた。
「セタ!」
 剣を杖代わりに膝をつき、なんとか転倒することを留まっていたのはセタだった。体中にべったりと血が付着している。まるで頭から桶一杯の血をかぶったかのような酷い有様だ。そのむっとする臭いに顔をしかめながら、シファカは傍らに膝をついた。
「だ、団長……無事だったのか」
「セタ。怪我は、大丈夫なのか?」
「俺はほとんど、コレは返り血で……。それよりも、大変だ。王陛下が、暗殺、されたぞ、シファカ……」
「……陛下が、暗殺?」
 息も切れ切れに、身体全体で呼吸を繰り返すセタは、かなり疲労していることが窺えた。唐突に降りかかってきた事態に、頭が混乱してしまう。男たちが国は自分たちの手に落ちたといい、セタが血まみれで、その彼は国王が暗殺されたという。
「陛下が?」
 最後に顔を見たのは何時だったか。あぁ散歩に付き合ったとき。笑顔で手を振ってくださった。
 陛下が?
 事態が、急転している。
「あ、あんた」
 セタのかすれた声が上がる。
 二の次の言葉が継げずに硬直してしまった自分の肩が、背後からぐっと掴まれる。
 思わず刀の柄を握り、シファカは腰を浮かした。しかしそっと背後から伸びたもう一つの手が、それを押さえ込んだ。


BACK/TOP/NEXT