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第二章 王宮にて 4


 再びロタに呼びつけられ、警備の打ち合わせを済ませる。部屋への帰り際エイネイに捕まり、お茶につき合わされた。早く着替えたくても着替えられない。さらさらと衣擦れの音をたてる衣装は陰鬱をかきたてるばかりだ。ロルカにエイネイの護衛を代わって貰い、引き上げるころには、すでに日が暮れていた。
 その最中で煌々と篝火の灯された訓練場に、まだ黒い影が動いていることにシファカは気がついた。兵士たちの、姿がある。
 階段を下りて訓練場に戻る。すると、まだ居たらしいジンが同年代の兵士たちと会話で盛り上がっている姿が、シファカの視界に飛び込んできた。
「団長! こいつむちゃくちゃ面白いな!」
 そういうのは他でもないセタである。それにはシファカは目を見張った。セタはなかなか警戒心が強く、気難しい。打ち解けるのは困難を極めるのだ。彼はシファカとほぼ同時期に兵士に志願した人間で、当時きつい目をして、周囲に喧嘩を吹っかけていたことを、シファカは良く覚えていた。
 そのセタが、である。
 一体何の会話をしていてそんなに盛り上がっているのだろうか。腹を抱えてげらげら笑っている。周囲の兵士たちも同じくだ。
「きいてくれよ団長! もう最高なんだってなんだったっけさっきの」
「カメレオン帽子の吟遊詩人?」
「そうそれ! 本気でそんな奴いるのかよ」
「うーん世界は広いから。まぁいろんな人がいて飽きないことはたしか」
 ジンは人の輪の中に入って、請われるままにどうやら別の国の話をしているようだった。ジンは他の国を放浪していたという。博学なのはそのためもあるのだろう。彼自身が拾い集めた各地の話は、どうやらこの荒野の外へとでたことのない男たちの冒険心を駆り立てるかっこうの肴であったらしい。
 手を振るセタたちに呼ばれるままにシファカは輪に近寄る。けれども完全に彼らの間に入ってしまうことは、何故か躊躇われた。砂と汗と鉄のにおい。慣れ親しんだ匂いをまとう男たちの輪の中。
 ぱちぱちとはぜる火の音。城壁の内部でも、荒野の中心にあるこの国は、夜は昼とうって変わってよく冷える。シファカは一歩輪からひいた場所で両肩をだき、結局そのまま踵を返した。


 怯えた少女の姿が思い浮かぶ。女たちの中に、自分の居場所はない。
 父がいったということば。
 自分とは、違うからだをもって笑うひとたち。
 中途半端な自分には。
 どこにもどこにも、居場所は無い。


「シファカちゃん」
 背後から声がかかり、シファカは振り返った。訓練場のほうから、こちらに駆け寄りつつ手を振る男がいた。
 ひとまずシファカが立ち止まると、男は走るのをやめた。彼はそのままのんびりとした歩幅で距離を詰める。目の前に立たれるとかなりの圧迫感だ。この国の男たちに比べれば、痩身といっていいほどなのに。
「主役がぬけてきていいのか?」
 にっこり笑うジンに、かなり刺々しいと自覚せざるをえない口調でシファカは尋ねた。それに、ジンは一瞬首をかしげる。
「……主役?」
「おしゃべりの」
「……あーよく判らないけど、いいんじゃない? 別に俺が主役なわけがないよ。ものめずらしいから尋ねてきているだけで。元気だねー彼ら。これから町へ繰り出そうって何人かいってたよ。シファカちゃんはお仕事終わった?」
「……終わった」
「いかないの? いきなり居なくなったから、副団長たちが団長はー? ていってたよ」
 これは、外出に誘われているのだろうか。
 シファカは小さく頭を振った。
「行かない。……なんだか疲れて、眠りたいんだ」
 身体が酷く疲れている。頭が痛くてたまらない。とくに頭痛はここのところずっとだ。きちんと休んでもいるし、動くことに関してはなんの差し障りもないというのに。
「あぁ。体がなれない動きをしたからだろうね」
 ジンは頷きながらそう呟いた。確かに、今日彼が自分に要求したことに対しては普段使っていない筋肉とは別の筋肉を使う。確かにそのせいもあるのだろう。
 本当の理由は、別のところにあるような気がしていたが。
「大丈夫?」
「え?」
「寒くない?」
 ジンの問いに答える前に、シファカの肩にはふわりと肩にジンが来ていたらしい外套がかかっていた。驚きに顔をあげると、柔らかい笑顔がそこにある。きゅ、と外套を止める紐が結ばれた。その結びに手を当てながら、シファカは詰まり詰まりに言葉を吐いた。
「あ……り、がと」
「どういたしまして。じゃぁ俺も帰ろうかな。明日の朝ごはんの仕度しなきゃだしね」
 また明日ね、といって向けられる背中に、シファカは慌てて飛びついた。ジンがきょとんと目を丸めている。その瞳の中に、同じく自分自身への驚愕から、目を見開いているシファカの姿が映りこんでいた。
 ジンが子供のように相好を崩してシファカに向き直る。
「どうしたのシファカちゃん。俺積極的な子は嫌いじゃないけどちょっと驚いた」
「馬鹿! そうじゃなくて。え、えぇっと…………ふ、服! 服、あの今日、返そうと思ったんだけど。陛下の命で着なきゃいけなくって洗濯して畳んでおいておいたんだけど、えぇっと……」
「あぁそんなの」
 ジンはシファカの肩に手をおいて体を離す。やんわりとした動作だった。そうして外套の下のシファカの衣服をまじまじと観察し、にっこりと笑った。
「あげるよ。もともとそのつもりで出したんだ」
「は? ……い、え、いやでもそんなこと言われても、困る」
「なんで?」
「だって着ないし」
「今着てるじゃんね?」
「それは」
「でも俺返してもらっても捨てるだけだし。似合ってるんだからいいじゃんまた着れば」
 シファカは言葉に詰まった。またこの男は世辞をいって。眉根をよせると、ジンにぐっと眉の部分を親指で圧迫された。突然の出来事に目を光速で瞬かせる。すると意地悪そうな顔が、吐息がかかるほど目の前にあり、ぐりぐりぐりと眉間の部分を親指でもまれた。
「きゃああああっ、な、なななにすんの!」
「お。なんか新鮮なご反応……いだ!」
 へら、と笑ったジンの脛に、シファカは力いっぱい蹴りを入れた。珍しく避けることもなく甘んじて蹴りを受け入れたジンは、涙目になりながら低く呻いた。
「うーひどひ」
「いきなり変なことするからだ阿呆! 一体……」
「だって眉間寄せてばっかでさー。若いのに皺が刻まれちゃうよシファカちゃん。ちなみに年いくつ」
「……十九。……あんたは?」
「俺? 二十八」
 二十八にもなってこんなにも落ち着きがないのかこの男は。
 年上だとは思っていたが、こんなに年が離れているとは思わなかった。彼はいつでも目線が対等で、シファカを子ども扱いはしなかったからだ。
 わざと、そのように合わせていてくれたことを今更ながらにシファカは知った。
まぁ脛をさすりながら目じりに涙を浮かべる男を見れば、案外この男が子供っぽいだけなのかもしれないが。
 屈みこんだ男の顔を、睨みつけるようにしてシファカは見下ろした。
 ジンが立ち上がって乾いた笑いを浮かべる。
「ほらその顔。せっかくすごく綺麗で可愛いのに、そんな顔していたら台無しになるよ」
「あいにく、そんな世辞を言われたところで心が動くような人間じゃないんだ。引き止めて悪かった。ただ今日の礼をいいたかっただけ。ありがとう」
 早口でまくし立てて、シファカはその場を去るべく踵を返した。しかし突然手首をぐっと掴まれる。シファカの手首を取るジンの力は強く、振り払えない。しぶしぶ振り返ったシファカは、恐ろしく真剣な男の眼差しがそこにあり、思わず飛びのきそうになった。
「そんなに気を張り詰めないで」
 身構えるシファカに、彼は苦笑する。
「……君はもっと肩の力を抜いたほうがいいよ。でなければ、上手くいくものも上手くいかなくなる」
「……っ……放っておいて!」
 手首を掴む手を振り払い、シファカは後退さった。猛烈に腹が立つ。
 何なんだ。この男は一体、何の権利があってそんなことをいうのだ――。
「あんたに、何がわかるっていうんだ…………!」
「シファ」
「あんたにあたしの何が判るって言うの! どっかいってよ。放っておいてよ! 生まれつき男として生まれて、簡単にあんなふうに輪の中に入っていけるあんたに、わかるものか! あたしが、女の世界から引き離されたあたしが、けれども中途半端に女であるあたしが、こうやって、立っているのは、どんな代価を支払って得ているものか」
 物心付いたころに、すでに妹の世界からは一線を画されていた。父は好きだった。剣も好きだった。けれども彼女らの世界に関心が無かったわけではない。が、あの世界に足を踏み入れることは、一度剣を取らされてしまった女の定めとして、許されなかったのだ。
 剣を学ぶため、師に付くたびに、女として蔑まれるのも、下心あって弟子として取られるのも、耐えなければならなかった。兵士として入団した折にも、それが許されたのはたとえ実力があってこそだとしても、身分や妹、王太子の贔屓があったのではないかと陰口は絶える事がなく。今の地位を勝ち取るにも、男がする数十倍の努力と鍛錬を要した。
 それを話一つで、あの世界に入ることを許される男に、自分の一体何がわかる。
 気を張り詰めていかなければ、置いていかれる世界に立つことしか許されなかったその意味の。
「一体、何が判るって言うんだ…………!」
 爪が食い込み血の気を失った拳を振り回して叫ぶ。みっともなくても、シファカは叫ばずには居られなかった。
 周囲が沈黙し、訓練場での喧騒だけが遠く聞こえる。シファカは奥歯を噛み締めながらうつむいた。もう関わらないで欲しかった。どこかへいってしまってほしい。国から国へと流れる旅人だというのなら、この国からでていって二度と関わらないでいてほしい。
 男のつま先が動かないのを見つめながら、ただシファカはそう願った。
「……そうだね」
 深い吐息と共に、ジンが口を開いた。
「俺には判らない。俺は男だし、君は女だし、俺が生まれ育った国と、この国とではものごとの捕らえ方も違うし。君が負った苦労を、俺には理解することはできないけれど」
 するりとジンの両手がシファカの頬を包み込むように触れて、シファカは目を見開いた。ゆるい力で面を上げさせられる。
「ごめんね。放っておけなかっただけなんだ。あまりにも苦しそうにしていたから。ごめんね泣かせてばかりで」
 す、と男の指が瞼に触れて、離れる。そうして初めてシファカは自分が泣いていることを知った。男の指が濡れていたからだ。
 慌てて[まなじり]をシファカは手の甲でこすった。泣いていることを自覚すると、とたんに鼻がつまりだす。
「……本当にごめん」
 ジンはそれ以上食い下がらず、小さくお休みと口にする。気がつけば彼はくるりとつま先を訓練場のほうに向けて歩き出していた。シファカはその背が小さくなっていくのを見送り、誰にも見られないうちにこの顔を洗わなければならない面倒さに、心底うんざりしつつ鼻をすすった。


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