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終幕 終古の帝国 5


 遠い昔、男が願った。
 誰もが、笑い合える国が欲しい。
 遠い昔、女が祈った。
 誰もが、幸せに向かって歩める国が欲しい。
 ただ、誰かと手と手を取り合って、未来を切り開いていける、国が。


 廊下に響く靴音は二人分。それもかなりの早足だった。予定の時刻に間に合わぬと、互いに競うように歩を早めている。
「だからさー、そこんとこは保留にしておいて、まず米の税率から攻めておこうよ。ダッシリナ、麦が値崩れしてるしさ」
 足音に混じって響いた声は、宰相のもの。彼は抱えている資料をとんとんと指先で叩きながら、隣を歩く男に主張していた。
「だからだろうが」
 応じたのは皇帝。どうしてこちらの意図がわからないのだと、宰相の理解不足に多少苛立ちを滲ませ、嘆息交じりに彼は続ける。
「相手はきっとそっちから話し合いたいんだろうから、待たせるだけ待たせておけばいいんだ。まず、漁獲量のほうから畳み掛けていく。で、考える時間を与えてやる間に、米のほうに移って、でまた話題を戻す」
「あーでもあいつそんな小手先の技で翻弄されるような奴とちゃうよ」
「馬鹿だな。別にそれで混乱するような輩じゃないことは俺だって知ってるさ。小手先の技を使う裏に、何かあるんじゃないかと勘ぐらせられればそれでいい」
「あーなるほどねー。がんばって俺顔色読まないと」
 今日の使者を率いる男は親しくしている分、互いの手の内も知っているし、抜け目ないこともわかっている。胸中が動揺しているのか、そうでないのか、隠すことも上手い。
「がんばれー」
 皇帝は宰相に声援を送った。我ながら、実に力の篭っていない声援だと皇帝は思った。
「うっわ、人事みたいな声、あげんといてよ」
 一方の宰相は脱力から肩を落として呻いた。確かにがんばらなければならないのは己だが。
「イルバのことはいつ話すんだっけ?」
「右僕射の席が埋まったことは一応大陸内の国には通達を出してあるよ。昼食のときに紹介すればいいだろう?」
 宰相の話題転換に、皇帝は肩をすくめながら答える。午前の会合は二人だけだが、昼食時には左僕射と、新しく着任した右僕射も合流することとなっている。正式なお披露目はまだだが、隣国とは早めに関係を作っておくにこしたことはない。右僕射については、昼食の席で顔合わせするときでいいだろう。わざわざ貴重な時間を割いて、会合の最中に話題に上らせる必要もないはずだ。
「あぁ、そっか」
 納得に頷く宰相に、皇帝は煩雑極まりないこれからの会合を思って呻いた。
「いろいろ面倒だな……俺、逃げてもいいか?」
「だめだめだめ。だめでしょソレ」
「冗談だって」
「目がマジでしたよ?」
「そう思わせてるだけだ」
「本当かなァ」
 冗談に聞こえない。宰相は大仰に天井を仰ぎ、その様子に、皇帝は笑った。
「気を引き締めていかなきゃな」
「ほんっとーに、色々面倒だけど」
「それでも、笑っていてほしい奴らがいるからな」
「まったくです。手が抜けないよねぇ」
 自分たちを救い上げてくれた人々がいる。
 彼女らの生きるこの土地を、さらに豊かにするために自分たちは足掻くのだ。
「でも、お留守にしてたことにねちねち嫌味言われるんだろうなぁ」
「一年は覚悟しておけよ」
「はいはい。判ってますよー。嫌味言ってくる奴には五十倍には返しますよ」
「百倍にして返してやれ」
「うっわぁ鬼」
「はははは」
 笑い声が響く、黄金の日差しに照らされた道を行く。
 道の先に、扉がある。
「さぁ、いこうか、宰相」
「承知いたしました、陛下」
 そしてその扉を二人で開けた。


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