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第二十章 贖罪の終焉 2


 検問を問題なく通過し、山沿いの道を昇った馬車が宮城に到達するまでに、さほど時間はかからなかった。
 宮城の門前に馬車を付けると、雨具を身に付けた衛兵たちが集まってくる。見慣れぬ馬車を警戒したのだろう。しかしウルが先に下りると、彼らは皆、一様に礼を取り、ウルの長旅の労苦をねぎらった。
 若い兵がこちらに雨具を用意して駆け寄ってくる。しかしこの激しい横殴りの雨に、雨具はあまり意味を成さないようである。馬車の周囲に集まる兵の誰もが、池で泳いできたかのように全身ずぶぬれだった。
 ジンは外套をおざなりに身につけ、頭から目深に被った。シファカを濡れぬように毛布と外套に包んで横抱きに抱え、馬車を降りる。
「閣下、雨具を」
「いいよ。どうせ濡れる」
 ウルから差し出された雨具を断り、ジンは歩き出した。集まっていた兵士たちが、当惑の顔で道を空ける。不審そうな顔をする者。こちらの顔に覚えがあるのか、驚きに目を見開く者。彼らの反応は様々だ。彼らの間を早足で縫って歩きながら、ジンは駆け足で横に並んだウルに尋ねる。
「ラルトは執務室かな?」
「わかりません。ですが今の時間ですとおそらく」
 会合か何かが入っていない限りは、執務室だろう。ジンはそちらに足先を向けた。なるべく人通りの少ない、最短距離を選び取る。
 見慣れた古い宮廷は、ジンがいた頃よりも人が増えたようだった。あの頃はまだ限られた人数で仕事を回していたが、今は要所にきちんと人が配されている。記憶の中の宮城は閑散としていたはずなのに、今進み往く宮の中は、雨音に負けずと人の喧騒が響き渡っている。女官や官吏たちの談笑がそこここから聞こえて、ジンは時の流れを感じずにはいられなかった。
 シファカの身体を抱く手に、力を込める。
 胸中から湧き上がる、様々な感情――郷愁、歓喜、後悔、悲嘆、そういったものを噛み殺しながら、ジンはただ、歩いた。


「ウルの奴……」
 早馬の乗り手とエイがいるという迎賓の間へと向かって小走りに歩きながら、ラルトは歯噛みしていた。手紙の内容を胸中で反芻する。今手の中で丸められた手紙には、ジンを連れ帰ること、そしてその連れの女が悪変された月光草の毒牙にかかっているので、その治療の準備をしておいてほしいということが記されていた。
 水煙草の中毒にかかった女を、ウルがこちらに連れ帰ってくるという話は聞いている。ダッシリナから一足先に連絡があったからだ。伝達できる言語が限られているので、急を要する病人に関してだけ伝えてきたということだろう。それは判るが、あえてジンの所在について触れなかったウルを、憎らしくも思う。もしかすると、彼もまたジンから、そうするようにと命じられていただけかもしれないが。
 ようやく雨脚が弱くなったのか、音が遠くなる。回廊には奇妙なほどに人気がなく、静寂に満ちていた。ラルトの靴音だけが、小さく響く。雨のために温度が下がったのか、冷やされた吐息が、今が春先だと信じられぬほどに白く視界を染めた。時折横切る中庭に植えられた木々も、その寒さに震えるように幹を揺らして、硬く花の蕾を閉じている。
 回廊も終わりに差し掛かったころ、ふと、進行方向から自分と同じく、小走りの足音が聞こえた。二人分の足音だ。何を急いでいるのだか、と、自分のことを棚に上げてラルトは少し笑った。
 こつこつと、足音はこちらに近づいてくる。
 ラルトもまた、速度を緩めてはいない。


 雨が止んだのかもしれない。
 つい先ほどまで、大地を洗い流さんという勢いで降り注いでいた水の礫の屋根を叩く音が、聞こえなくなっている。そこかしこから響いていた人々の会話や感じ取っていた気配もまた、ふつりと途絶えていた。横について歩くウルもまた無言で、二人分の靴音と、荒い呼吸音だけが耳につく。この程度の距離で息が上がるとは、お笑い種だ。おそらく道中に僅かずつながら吸い続けていた水煙草のせいだろうと、ジンは思った。身体は気だるいというのに、意識だけが明瞭で、神経が四方に張り巡らされていることを自覚できる。
 緊張していた。
 一歩一歩、確実に、決別してしまったものに、近づいていることに。
 だからこの静寂を、痛いとすら、感じるのだろう。先ほどの賑やかな空間に向けて今すぐ踵を返し、できることなら人に紛れて隠れてしまいたいほどだった。
 けれど許されない。
 もう、逃げることは許されない。
 向かい合わなければ、自分はまた一つ、失いたくないものを失ってしまうのだから。
 ふと、ジンは進行方向から聞こえてくる足音に気が付いた。その足取りもまた何を急いでいるのか、自分たちと同じように小走りであることが窺える。ジンは知れず笑っていた。この空間に、自分たち以外の人間がいること。そのことに、なぜか安堵を覚えたからかもしれない。
 こつこつと、足音は近づいてくる。
 相手が誰にしろ、遠慮するつもりはなかった。ジンはそのままの速度で歩を進めていた。


 二つの道が交わる小さな広間。
 そこに、影が差す。
 こつりという踵の音を響かせて、その影は止まった。一体誰がそれほど急いでいるのか、気まぐれに顔を確認してみたくなった。
 面を上げる。
 目が合う。
 そして、息が止まる。


 日に焼けたな、と。
 麻痺しかかった思考がはじき出した感想は、間抜けにもそんなものだった。確かに今も白いことに変わりはないのだが、幾ばくか日に焼けて、こちらの肌の色に近くなった、そう、思った。しかし無造作にうなじの辺りで束ねただけの亜麻の髪や同じ優しい色の瞳は、あまりにもそのままで。
 長い旅の労苦がそうさせたのか、覚えている頃よりも幾分か厳しい表情を浮かべてはいた。しかし彼は笑った。それがあまりにも懐かしい笑みだったので、ラルトは笑い返した。


 髪が伸びた、と。
 麻痺しかかった思考がはじき出した感想は、間抜けにもそんなものだった。別れたあの頃、古い因習に縛られることを嫌って、彼は髪を短くしていた。しかし結局は、伸ばしたのだろう。黒曜石の色の髪は背に届くまでになって、うなじの辺りで縛られている。しかしどこか人を惹き付ける、柔らかい深緋[こきあけ]の色の瞳はそのままで。
 彼に対してどんな表情を浮かべていいのかわからなかった。泣けばいいのか、笑えばいいのか。困惑に表情は知れずに強張っていた。しかし、結局は笑った。迷ったとき、自分はいつも笑っていたなということを思い出したのだ。思いがけず、彼がそれに微笑み返してくれたので、ジンはまた、どのような表情を浮かべていいかわからなくなった。


「お前、ウルに自分のことを、伏せさせたのか?」
 ラルトは呆れてそう言った。恨み言のように聞こえたかもしれないと、彼は思う。向かい合う男の少し後方に沈黙して控えるウルが、申し訳なさそうに頭を下げている。
 ラルトの問いにジンは苦笑を零し、肯定に大きく顎を引いた。
「どんな反応が返ってくるか怖くてさぁ。帰ってくんなって言われたらどうしようとか思っちゃって」
「阿呆」
「えー何が阿呆? 阿呆って言われる意味がよくわかんないんだけど」
「そういう方向に想像することがだ。帰ってくるななんて誰がいうか。そういう方向に考えることが、阿呆っていうんだ」
「だって考えるよ当然じゃんね。俺はそれだけのことをしたんだからさぁ」
 恨まれても呪われても仕方がない。ジンは思った。自分はレイヤーナに罪を犯させたのだからと。狂ったレイヤーナは、多くの命を奪って死んだのだ。同じ一つの夢を抱いて、共に生きてきた人々の命を。
 もし己が罪を犯さず、レイヤーナが狂っているとラルトに伝えられていたら、誰も死ななかっただろうか。ラルトを裏切らずに、すんだだろうか。この国を離れ、幾度となくジンは同じ問いを自問していた。答えはいつも是だった。きっと、幼い頃の自分たちを知る大勢を救えた。その答えはいつもジンを苦しめていた。
 裏切りの帝国。永劫の呪いに蝕まれた国で、ラルトへの裏切りは計り知れない意味を持つ。誓ったというのに。裏切らぬと。共に国を、皆が笑い合える国へ導くのだと。
 誓ったというのに。
 呪いから自由になったとしても、ラルトを裏切ったという事実がまるで真綿の糸のように、己が首に絡まる。
 ジンは目を伏せた。そして思う。
 ラルトを裏切り、彼を置き去りにし、歩いてきた自分が、今更かどうして彼の前に立てるだろう。
 それでも、ぎりぎりに迫って選択を要求されたとき、自分はこの場に立たずにはいられなかった。
 立たなければならなかった。
 今、腕に抱く人のために。
 その人の重みゆえに。
 ラルトはそのジンの胸中を知ることはできなかった。しかし彼がこの国に戻れるかどうかわからないと思いたくなるのも無理はないと思った。なにせ、己は彼を追い出したのだ。あれほどまでに、己を愛し守ってくれていた彼を。
 ジンがいない五年になろうかという月日の間に、己がどれほど彼に頼りきりだったか知った。この国の闇を、ジンはたった一人で抱えた。レイヤーナの狂気を、彼がたった一人で受け止めた。本当ならば、自分が一番に気づかなければならなかったのだ。レイヤーナのことも、ジンのことも。守られていた。守られすぎていた。
 だというのに、彼の裏切りを許せなくて、苦しくて、悲しくて、呪わしくて、もう、傍で生きることはできないと、ラルトは思ったのだ。そして彼を追い出した。この国を誰よりも愛していたのは彼だったのに。この国で誰よりも生きたいと望んでいたのは、彼だっただろうに。
 この手で彼を追い出した。だというのに、独りで背負うこの国の闇が重くて、嘆いてばかりいる。同じ場所で足踏みばかりをしている。そんな己のもとに、ジンが戻ってきたいと思わないのは当然だと、ラルトは思っていた。
 その幼馴染が、目の前にいる。
 そのことにラルトは感動を覚え、そして何故彼は戻ってきたのかと怪訝に思った。
 ラルトは改めてジンを見返した。ジンは外套に身を包み、その髪を濡らしている。雨の中を来たのかと、ラルトは思った。その濡れ具合から風邪をひかないかとジンの身を案じてラルトは眉をひそめ、そして一方のジンはあまりに濡れそぼったわが身が、床を濡らしてしまうことを申し訳なく思った。
「頼みが、あるんだ」
 ジンは言った。そして腕に抱える女に負担が掛からぬように、そっとその場に膝をついた。ラルトはジンは何を抱えているのかと首を傾げ、そこに抱かれているものが、丁寧に毛布と外套に包まれた女だと知った。
「たすけて、ほしい」
 ジンは言った。あまりに単純な懇願だというのに、緊張からかジンの喉は渇き、舌が口内に張り付いていた。
 たすけてほしい。まるで子供のように拙い願いだ。
「助けて、欲しい……」
 床に擦り付けるように頭を垂れて、そう願い出るジンを、ラルトは驚きの目で見下ろした。床に伏せられる手は震えている。凍えているのか、それとも別の意味か、ラルトには判らなかった。
「何を、助けてほしいんだ……?」
 ジンの腕にしかと抱きかかえられた女を見つめながらラルトは尋ねた。それは半ば回答のわかっている問いかけではあったが、尋ねずにはいられなかった。
 ジンはラルトの問いを耳にして、何を助けてほしいのか、目的語を述べていなかったことに気が付いた。我ながら、物を頼む礼儀がなっていない。そんな風にジンは思った。
 ジンはシファカを抱く手に力を込めた。ラルトはジンの女を抱く手が、青褪めて震えていることに気が付いていた。
「この子を」
 ジンの抱く女の顔色は、まるで死人のようで。ラルトは一瞬、彼が躯を抱いているのではないかと勘ぐったほどだった。しかし毛布や外套の狭間から覗く、女の胸は微かに上下している。ひび割れた女の唇を見て、ジンがこの女を失いかけているのだとラルトは悟った。
 ラルトがティアレを失いかけているのと、同じように。
「こんな、こんなことを、今更頼めたもんじゃないって、判ってる」
 ジンは己の声がひどく震えていることに笑い出したくなった。目頭には熱が集まりかけ、視界が白く濁っている。一度硬く目を閉じる。目を開く。面を上げる。己を見下ろすラルトの瞳は静かだった。いくら読心術に長けるジンといえど、彼の胸中を読み取ることはできなかった。
「お願いだ――……」
 再び項垂れ、ジンは呻いた。
 悲鳴の、ように。
「この子を、助けて……!」
 ジンの声はあまりにも悲痛で、その声色から彼がどれほど腕に抱く女を大切にしているか、ラルトにはよく判った。ラルトは動いた。幾ばくか開いていたジンとの距離を、ゆっくりと詰め、そして彼の前に腰を落とす。
 ジンはすぐ眼前に幼馴染の姿がありながらも、彼を直視することができないでいた。床の上に伏せていた手で、拳を形作る。爪が食い込むほど強く握り締める。やがて力強い幼馴染の声が、頭上から降ってきた。
「馬鹿野郎」
 その罵倒の言葉に、ジンは目を伏せる。ただ黙って顔を伏せたままのジンを、ラルトは彼が抱える女ごとその腕に抱いた。
「俺がお前を助けないはずがあるか」
 生れ落ちてから今まで、己は彼に助けられ続けてきたのだ――ラルトは思った。
 呪いに引きずられ、そしてそのまま遠ざけてしまったはずの男が、こうして戻ってきた。
 その彼を助けられる術を、己が持っているというのに、何故、彼を助けないということがあるのだろうか。
 そんな選択肢は、ラルトの中に存在するはずもなかった。
 ジンは面を上げてラルトを見た。幼馴染は涙すら滲ませて、まるで子供のように笑っていて。何がそんなにうれしいのかと思いながら、ジンは謝罪した。
「ごめん」
 謝罪せずには、いられなかった。
「ごめん、ラルト」
 涙が滲む。幼馴染の顔が、霞んでいく。
 ジンは拳を作っていた手で目元を覆った。ラルトが視界から消えると、もう遠慮する必要など何もないといわんばかりに目の奥から涙が零れて、手をひどく濡らす。ジンはその手ごと、顔をラルトの肩口に押し付けた。否、ラルトがジンの頭を抱えるようにして引き寄せていた。
「ごめん。こんなっ……こんな風に、おれ、もど、戻ってくるつもりは、なかっ……なかったんだっ……!!!」
 一度涙が溢れ出すと、ジンの呼吸は覚束無くなった。肩は意思に反して声を道連れに引きつる。そのことにジンは歯がゆさを覚えていた。謝罪のための数多くの言葉が喉元まで競り上がったものの、しゃくりあげるたびに音にならずに虚空に消える。結局ジンは、うわごとのように、ごめんという言葉を繰り返すことしかできなかった。
 ラルトはジンの言葉に頷いた。もう幼馴染が謝罪する必要はないと思っていた。むしろ謝罪の必要があるとすれば己のほうだろう。しかし上手く、そのための言葉を紡ぐことができなかった。代わりにラルトは幼馴染の亜麻の髪にくしゃりと指を差し入れた。
「お帰り、ジン」
 万感の思いは涙となって頬を滑り落ちる。
 言葉もまた、短い中に語りつくせぬ想いを宿して、零れ落ちた。
「ただいま、ラルト」


 魔術を行使するとき、その反動を受けるように、術者の身体もまた熱を持つ。
 しかしその熱の度合いは大抵、行使する魔術の難易度に比例している。難しい術を行えば行うほど、身体は熱に晒され、負担がかかっていく。
(何で……?)
 彼女は足元に広がる陣に意識を集中させながら、それでも自問せずにはいられなかった。
(それほど難しくない術のはずなのに、どうしてこんなに熱いの……?)
 まるで、すぐ目の前に炎が存在する。否、自らに火が宿っているかのようだった。今、解こうとしている呪いは、彼女からしてみれば素人の術士がかけた術に過ぎない。だというのに、まるで何かとてつもないものを相手にしているときのように、術の反動が彼女に圧し掛かる。
 これでは、呪われている当の本人に対する負担も相当なものであろう。確かに下準備が不完全であったので、当人も多少なりとも苦しむことは想定のうちであった。しかしこんな風に幾日もかけた術になるとは想像していなかったし、この手ごたえからすると、もしかすると肉体的に支障をきたすような事態に陥っているかもしれない。
(赤さまが、流れていなければ、いいけれど)
「呪いが変に魔女の魔力と絡んでしまったんだろう」
 食事に出ていたはずだが――彼はいつ、この洞穴に戻ったのか。そして、いつの間にこの陣の中に入り込んできたのか。傍らに並んだ将軍が言った。
「だから拙い術なのに、こんなにも苦労を強いられる。術というより、魔女の魔力が、干渉に抗っているような形になってしまっているんだ」
「そんな……どうすればよいのですか?」
 自分の魔力が一族の中でも抜きん出ているという自負はあるが、さすがに神の系譜を継ぐ女の魔力には敵わない。幾日もかけて、未だに呪いをこちら側に引きずり出せていないのだ。このままでは、押し返されて術が失敗してしまう。
 将軍は笑った。
「俺の魔力を貸すよ」
「簡単に魔力の貸し借りができたら苦労はいりません!」
 魔力の貸し借りなど、そう簡単に行えるものではない。行うにしても、ある程度の手順に則った儀式を行わなければならない。しかしそのようなことを行っている余裕など、あるはずもなかった。
 しかし将軍は軽く肩をすくめてみせる。
「出来るさ。ほら」
 刹那、心臓が暴発しそうなほど大きく跳ね、息苦しさに彼女は顔をしかめた。桁違いな質量の魔力が、身体に分け入ってくる。質の違う魔力に鼓動が怖いくらいに大きく響いた。
 こんなことも出来るのかと、感心、半ば呆れの眼差しで将軍を一瞥した。しかし将軍はそ知らぬ顔で、彼女に魔力を注ぎ込んでいる。今ここで彼に追求しても仕方がない。彼女は唇を引き結んで再び陣に集中した。
「将軍」
 将軍から借り受けた魔力は、魔女の魔力と絡み合い力を付けたはずの術を圧倒的ともいえる速度で侵食していく。こんなことが出来るのなら、最初からしてほしかった。
「んー?」
「将軍は、どうしてこのようなことを、なさろうと思われたのですか?」
 彼が動くことは世界にかなり大きな影響を及ぼす。姿を上塗りしていても、彼の魔力は隠しきれるものではない。その上、この国だ。この国は自分たちにとって最も憎むべき国だった。この国のせいで、自分たちの故郷は呪われたといっても過言ではない。
「どうして、この国を、救おうと、動かれたのですか?」
 自分たちの中で特に、この国を憎んでいた将軍が、何故、この国を救うようなまねをするのか、彼女にはわからなかった。
「決まっているさ」
 将軍は言った。
「俺たちが救われるためだ」
 気の遠くなるような永劫とも呼べる間、呪われているこの国が、全てから解放されたというのなら。
 自分たちの呪いにもまた、希望が見出せるからだと、彼は言った。
 その回答に感想を述べる前に、彼女の身体に負荷が掛かる。彼女の扱う魔力の本流が魔女の肉体に到達し、その中から呪いを陣の中にようやっと引きずり出したのだ。今からが本番。短時間で決しなければ、術は失敗する。もう会話は厳禁だ。些細な不注意が命取りになる。
 注意深く、まず呪いを切り離すための結界を張る。魔術の才ある人間にしか目にすることのできぬ銀の粒子が、美しい網を作り上げて天を覆った。深呼吸をし、陣の中に現出した黒い塊に、彼女は向き合う。
 少しでも生きながらえようと魔女の魔力を食らい必死に抗う呪いと、彼女の術の戦いの火蓋が今、切って落とされようとしていた。


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