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第十三章 祭りの夜に 1


 夜になると星詠祭の様子は一変する。祭りの名前の通り、星を詠む――未来を読むための祭りに成り代わるのだ。
 祭りの主役とも呼べる通りが、表参道から一本外れた占い師たちの通りへと移動し、そこに店を構える占い師たちが各々の方法で粛々と未来を占う。普段は占いという形で未来を暗示しても明確な表現を控える占い師たち。彼女らが饒舌になり、これからのことを詳細に語ることが許される唯一の期間が、この星詠祭だった。
 この国の政治を占う占師たちも例外ではない。占師たちのあの居住区は、星詠祭最後の日の夜、一般にも入場を許し、未来を占う。
 この祭りに参加するために国外からの客人の目当ては、この確実な未来を言い当てる占いだった。未来を知ることで、少しでも、自分の歩く道に自信が持てるようにと人々はこの国を訪れる。それは、この国が建国した当初から続いている。
 神の宣下に縛られる国。
 そしてこの国もまた、呪われた国だと人は囁くのだ。


 人々が占い師たちの根城とする界隈へ移動すると、大通りの通行の制限が解かれ、馬車は平常通り走ることを許される。いくら制限が解かれたからといって、深夜であっても人通りの多い界隈を疾走する馬車の数は少なかろう。しかし今エイを乗せて走る馬車は、その数少ないうちの一台だった。
 馬車の目的地は宮廷だ。そこにいるだろうソンジュに用事がある。襲撃を受けた後、ヒノトが連行されたという屋敷の名義を調べ遡ると、最後に到達したのはソンジュ・ヨンタバルという名前だったからだった。
 ソンジュが黒幕だとしても、そうでなかったとしても、一応、話は聞いておく必要がある。目通りを願う早馬を先に行かせ、それについでエイもまた馬車でダッシリナ宮廷へと向かっていた。
 ヒノトと共に。
 薄手の毛布は彼女が牢屋から持ち込んだものだと聞いている。ヒノトはそれで何か棒状のものを包み、抱え持っていた。エイが何故急に宮廷へと向かうのか、ヒノトに告げたわけではない。無論、平時ならば誰もが眠りに落ちているような夜半に、ヒノトをたたき起こしたわけではない。彼女が眠る時間を見計らってこっそり抜け出したはずだというのに、ヒノトは用意されたばかりの馬車に乗り込んでいて、今に至る。
 馬車から引き摺り下ろすことも叶わなかった自分は、とにかくヒノトには甘いのだと、再認識せざるを得なかった。
「ヒノト、繰り返すようですが、私が宮廷にいる間、貴方には帰っていただきます」
 沈黙に飽きたエイは、神妙な声色でヒノトに念押しする。結局、馬車への臨席を許したのは、自分の目の届かぬところで強引に付いて来ようと画策されては困るという理由もあった。何せ、ティアレを連れて馬車に潜り込み、ダッシリナまで来てしまったような少女なのだ。
 ヒノトはエイに一瞥をくれると、毛布の包みを抱えなおして嘆息した。
「判っておる。妾とて足手まといは御免じゃ。すぐ帰るよ」
「私としては館でじっとしていて欲しかったのですが」
「難しいことはようわからんが、ダッシリナはブルークリッカァの友好国じゃ。宮廷でブルークリッカァからの使者を捕らえたり殺したりということもなかろうて。控え室で大人しくしておるというのは駄目なのか?」
「駄目です。そりゃ正式な面会の場だったらそういったことはないでしょうが、皆無とはいえません。特にこのような非公式の場では」
「ほれ。やはり危険な内容か。ということは今回の襲撃に関してか」
 ヒノトの言葉をきいて、エイは頭を抱えたくなった。どうしてヒノトの誘導尋問には、あっという間に引っかかるのか、自分で自分を殴りたい。
「違います」
 それでもエイは真顔で、ヒノトの憶測を否定した。
「おんしが、単にラルトからの密命を受けて動いておるのならよいよ。外交のことなど妾には判りはせぬ」
「だからさっきからそうだといっているではありませんか」
「じゃがこの間のよさから、どう考えても妾たちを誘拐した輩に繋がる誰かに会いに行くとしか思えん。おおかた、妾がいた館を調べて割り出したんじゃろう。違うか? エイ」
「……違いませんよ」
 エイは天井を仰ぎ見ながら、誤魔化しや沈黙は、ヒノトには全て無意味だということを認識せざるを得なかった。彼女の行動力と洞察力には、時々感心を通り越して呆れ返ってしまう。
「ですから、危険なんです。大人しくしていてください」
「判っておる。これ以上足手まといになりたくはないというておろう。ただ、妾にも確かめたいことがあるのじゃ」
「……確かめたいこと?」
 エイの問いにヒノトは頷き、抱えていた包みを指先で僅かに解いた。毛布の狭間から出てきたのは、見慣れぬ刀の柄である。黒塗りの鞘に、飾り紐、そして赤瑪瑙玻璃の双子球。
「どうしたんですか? どこで手に入れたんですそれ」
「牢屋の中」
「はぁ?」
「行方不明になったのは、ティアレとウルだけではない。襲われたときに巻き込まれたのは、もう一人おるのじゃ」
 ヒノトの口から吐き出された初めて耳にする情報に、エイは驚きながら瞬いた。
「もう一人、ですって……!?」
「シファカという。街歩きをしているときに知り合った。ティアレと意気投合しての。女だてらに傭兵をしておるといっておった。連れを宿に待たせて、一人で観光しているのじゃといって……」
「……その方が襲撃の手引きをしたのでは?」
「妾もそれを考えた。じゃが、短い時間の会話であるとか、態度とか、そういったものを振り返ってみたが、そんなことをするような人間ではないと妾は思う。それに、ウルも最初はやはり警戒しておったが……一緒に連れ歩くうちに、気を許すようになっておった。短い時間の間に、彼女を調べたのであろうな。妾はウルがどうやっていろんなものの調査を行うのか、よう知らんのじゃが。出来るのじゃろう?」
 エイはヒノトの告白を聞きながら、腕を組んで唇を引き結んだ。
 ウルの<網>の仕組みをエイとて全て理解しているわけではない。しかしヒノトの言う通り、短時間、ティアレたちと同行しながらも人一人の素行を調査することなどウルには造作ない。もし本格的に暗殺の手引きに関わっていたというのなら、ウルが必ず突き止めていただろう。そのシファカという人物の言葉に嘘がなかったからこそ、彼もその女に気を許したに違いない。
「この刀は、彼女が獲物として腰にさしておったものじゃ」
 ヒノトが抱える刀に視線を落としながら言った。
「妾たちを逃がすために、彼女はこの刀を構えてウルと二人で襲ってきた輩を退けんとしてくれておった。それから行方がしれておらん。だというのに、この刀は、妾がおった牢屋の中にぽつんと置かれておった。この毛布に包まれて」
「ならば私がその刀を引き取りましょう」
「いいやエイ、これは当事者である妾が持つことで意味がある。これを牢屋に置いたのは、おそらく妾を逃がした人間じゃろう。じゃが、エイが今から会いに行く人間が、館に関る人間じゃというのなら、もしかしたらこれに見覚えがあるのかもしれん。もし、そやつが襲撃に関りながらも、妾を生かしておいたつもりがなかったのなら、妾の顔をみて驚くやもしれん」
「どうしてそれを早く言わなかったのですか……!?」
 ならばなおさらヒノトの身が危険ではないか。
 すぐに引き返せと御者に声をかけるべく腰を浮かせたエイは、突如大きく傾いだ床に驚きながら、慌てて壁に手をついて身を支えた。
「どうした!?」
 叫ぶようにして御者に問いただすも返事がない。怪訝に思いながら、エイは小窓から外を窺った。
 小窓から見える風景は、既に宮廷内のものだった。漆塗りの太い円柱が列を作っている。その向こうに見えるのは、宮廷の本殿だ。焚かれた松明の明りの傍で影がちらついている。片方はそのままどこかへと立ち去り、片方は地に伏して動かなくなる。
 馬の嘶きが壁越しに聞こえる。続いて響く鈍い音。悲鳴。靴音。
「ヒノト、刀を毛布に包んで隠してください」
 ヒノトは何が起こったのかエイに問いただすこともなく、大人しく指示に従った。
 靴音がこちらへと近づいてくる。早足で石畳を踏みしめる音。その合間にも響く悲鳴。それがヒノトの耳にも届いたのだろう。彼女の顔から血の気が失せた。
 襲撃を、受けている。
 ダッシリナ宮廷が何者かの襲撃を受けている――……。
 エイは身につけている上着を脱ぎながら、ヒノトのほうへ身体をよせた。脱いだ上着をヒノトに頭から被せ、その華奢な身を上着ごと抱え込む。ヒノトは半狂乱になることもなく、冷静だった。彼女は緑の双眸を大きく見開いたまま、呼吸を落ち着かせようとしている。その彼女の背中を撫でさすってやりながら、エイは片手で懐に入れていた短刀を確認した。その鞘を口で外して、刀を後ろ手に持つ。
 足音の反響から割り出した距離は近い。もし相手が本職の暗殺者ならば、逃げ出したところで勝ち目などない。ならば引き寄せられるだけ引き寄せて、返り討ちにしたほうがまだいい。
 その後、逃げることだけを考える。
 ヒノトの呼吸音を聞きながら、エイは数を数えて時を待った。
 一、二、三。
 馬車の扉が、乱暴に開け放たれる。
 扉の向こうから現れた影は無言のまま銀の鋼を振り下ろしてくる。エイは壁に背を命一杯押し付け、相手を蹴りつけた。足は虚空を蹴ったものの、鋼を握る手をかすり、一瞬だけ襲撃者を怯ませる。エイはヒノトを壁際にさらに押し込み、その勢いに乗じて後ろ手に持っていた短刀を振り上げた。
 がっ。
「エイ!」
 どんな動体視力をしているのか。襲撃者は短刀を振り上げたエイの手首を掴み、捻り上げる。その痛みに苦悶しながら、エイは奥歯をかみ鳴らした。
 この狭い、馬車という箱の中で、乱闘がそう長い間続くわけがない。形勢は圧倒的に不利だった。
 ぎりぎりと手首をねじり上げられ、エイの手は握力を失っていった。手から零れ落ちた短刀を襲撃者は逆の手で、空中で受け止める。
 それをすぐに逆手に持ち替えた相手は、今度はエイの顎をめがけてそれを振り上げた。
「エイ、避けろ!」
 ヒノトの声に反応し、エイは背を反らせた。それはヒノトの意図を汲み取ったからというよりもむしろ、顎を真っ直ぐにめがけてくる刃に反応しただけに過ぎなかった。しかしヒノトの望みどおりの動きではあったらしい。
 エイが身を反らせたその間を縫って、ヒノトが毛布ごと刀を振り下ろした。勢いづいた刀は短刀を簡単に跳ね飛ばし、襲撃者の額を掠る。思わぬ衝撃によろめきながらも、体勢を立て直した襲撃者の視線の焦点は、エイからヒノトへと移動していた。
「ヒノトっ!」
 反射的にヒノトを抱え込んで、庇う。
 どう考えても賢い選択ではない。
 しかしその方法しか、ヒノトを救う方法が思い浮かばなかったのだ。
 刃による傷みを覚悟していたエイは、人の転がり落ちる鈍い音を耳にして、面を上げた。
 馬車の扉の枠に手をかけて、引きずり下ろされた襲撃者に視線を送る人影に、エイは顔をしかめて尋ねる。
「……ウル?」
 エイの呼びかけに、彼は微笑んで頷いた。
「はい。ご無事で何よりです。カンウ様」
「ウル!」
 転がり出るようにして飛び出し、ウルの腹に突っ込んでいったのはヒノトである。どん、と身体がぶつかった瞬間、ウルは苦悶とも取れる微妙な表情を浮かべた。
「ウル! すまん! すまんかった! よく……よく、生きておってくれたな!」
「えぇ……私なかなかしぶといんですよ、ヒノト様。それはそうと少し身体を離していただくわけには参りませんか? ヒノト様の身体がいくら軽いからといって、支えるのは怪我人にはとても辛いことでして」
「へ……?」
 ヒノトがウルの発言の意味を認識するよりも先に、エイはヒノトの身体をウルから引き剥がした。彼女が暴れたりしないように背後から押さえ込んで、エイはウルに問う。
「ウル、つもる話は沢山あるけど……今はこの状況を説明してくれないか? 外で一体何が起こっている?」
「判っております」
 ウルは馬車から降りて、地に伏せる襲撃者を一瞥する。エイは身を乗り出し、ウルの足元に、頚椎に刃をつきたてられて絶命している男の姿を見た。
「ひとまず、馬車を降りていただけますか? カンウ様」
 ウルがエイに視線を戻して指示を出す。
「この騒ぎも間もなく収束するかと思います。身を落ち着けて……それから、ご説明いたしましょう。この騒ぎの概要を」


 宮廷らしく石を積んで作り上げられた高台の上にあるダッシリナ宮廷の造りは、ブルークリッカァの奥の離宮のそれに似ている。神殿のように左右対称な建物が、幾本もの渡殿によって連結され、一つの街のような構造を作り出している。
 太い梁と柱に支えられた渡り廊下を歩き、ジンは宮廷の最深部に向かっていた。
 盟主の為にある区画は、他の区画と異なって楼閣となっている。階段の傍には見張りとして女が控える。ジンも見知った女だ。彼女の深い会釈に目配せだけをして階段を上ったジンは、広い部屋の片隅で外を見下ろす婦人に声をかけた。
「ことは終結したようですよ、盟主」
「ありがとうございます」
 振り返った盟主は、ゆったりと微笑んで、ジンに応じた。
「貴方のような御仁に、傭兵まがいのことをさせてしまって、申し訳ありませんね。リクルイト皇帝陛下にはなんと謝罪すればよろしいでしょうか?」
「報告しなくとも結構。……まあ、無事に宮廷を再掌握できたようで、おめでとうございます、盟主」
 ジンの嫌味めいた物言いに、ユファはわずかばかり眉をひそめた。
「……そうね。まぁ一度追い出されたお陰で、この宮廷に巣食う、一物ある輩を一掃することができましたわ。そのことに関しては、甥に感謝しなくてはならないのかしら」
「何も祭りの日に決行しなくともいいとは思いますけどね」
「盛大な殺し合いの喧騒も、祭りの騒ぎに紛れて消えてしまうわ。祭りの夜こそうってつけだと私は思いますけれどもね。貴方も同じ立場に立ったら、同じことをなさりませんの?」
 ユファの問いかけに、ジンは答えなかった。同じ立場に立ったら――立ちたくもない。しかし確かにラルトが、ユファと同じように追われた宮廷を、私軍を率いて掌握しにかかるというのなら、ジンは同じような日取りを彼に推挙するだろう。
 来賓は迎賓の館でほろ酔い気分だ。邪魔することはない。祭りに浮かれて騒ぐ人々の声に悲鳴は紛れる。邪魔な人間には前もって差し入れと称して酒を振舞い、酩酊させてしまえばいい。
 しかし。
「これが本当の血祭りとでもいうのかしらね」
 微笑みながらおっとりと、そんな冗談にもならない戯言を口にする女と、同じ穴の狢だとは思いたくなかった。
 この女に協力したのは、シファカ捜索の助力を仰ぐためだ。そういう条件のもとに指示にしたがった。過去の知人に暗殺者まがいのことを依頼されると思わなかったが、今は水の帝国に頼るわけにはいかない。ユファの交換条件を飲むしかなかった。
「ソンジュ・ヨンタバルと側近二人は、既にこの国を去った後のようです」
 この宮廷の様子を見に行っていたソーヤがいつの間にか戻り、ジンとユファの会話に口を挟む。彼はゆったりとした歩調でこちらに歩み寄ってきた。
「そう。予想していたことだわ。目的地は判っているの? ソーヤ」
「水の帝国の帝都へ。デルマ地方の独立の承認を得るという名目だそうで」
「愚かな子。交渉術というものを知らぬ我侭な子が、そんなところへ赴いてどうしようというのかしら」
 まるで子供の悪戯を耳にした母親のような物言いだ。しかしその口元は微笑でも、細められた空色の双眸の宿す光は鋭かった。
「水の帝国に連絡を。ソンジュ・ヨンタバルはもはやダッシリナの官夫ではない。謀反人として手配されていると」
「処遇はあちらの方々に任せますか?」
「焼くなり煮るなりお好きにしてくださいと伝えなさいな。ただ調理したものを、こちらに試食させていただけると嬉しく思いますと」
「かしこまりまして」
「元々、何かしら取引をしてあちらで処分していただきたいと思っていたのですから好都合」
 ユファとソーヤのやり取りを見守っていたジンは、ラルトも厄介なものを押し付けられたものだと嘆息した。デルマ地方の独立などという話は初めて耳にしたが、どうやらややこしい話になっているようである。
「……貴方の所在は連絡してもよろしいのかしら? シオファムエン殿」
 ふと、ユファの目がひたりとジンの方を見据えて止まる。その問いに、言葉以上の意味を汲み取りながら、ジンは首を横に振った。
「いえ。止めていただきたい。こんな形で貴方に協力していると知ったら、陛下もため息をつかれるでしょうからね」
「そうですわね。ではリクルイト皇帝陛下には内密にしておきましょう」
 口元に扇を当てて密やかに笑う婦人に向かって、ジンは胸中で舌打ちした。本当に、この女狐とは極力係わり合いになりたくないものだ。自分とは、相性が悪い。
「あともう一点、ご報告が、盟主」
「なぁにソーヤ?」
「水の帝国左僕射殿と、お連れの方を庭先で保護しました。どうやら、ソンジュ・ヨンタバルに内々の面会を求めていたようで」
 ソーヤの報告に、ジンは眉をひそめた。ユファも同じくだ。ジンは僅かに顔を見合わせた彼女は、ソーヤに報告の続きを促す。
「続けなさい」
「リクルイト皇后陛下を襲った輩について問いただすために面会を求めていたようです。どうやら皇后陛下と共に襲撃を受け、行方不明となっていた方が戻ってきたらしく、その方の証言を元に捜索を行っていた結果、関わりのある屋敷の名義人が、ヨンタバルだったようですね。この騒ぎに巻き込まれかけたようですが……無事、マキート殿が保護されたようです。……盟主、左僕射殿が面会を申し入れておりますが、いかがいたしますか?」
「会いましょう。この騒ぎに巻き込みかけたというのなら、謝罪しなければなりません」
 ユファはそう言って、衣服の裾を絡げた。ということは、ここまでエイを招き入れることをせず、別の部屋で面会するのだろう。
 それよりも、ジンには気になることがあった。
「……行方不明になっていた人間が、戻ってきた?」
 独り言のようにこぼれたジンの問いに、ソーヤが一度ユファに視線を投げる。ジンの問いを優先して答えてもよいかという、部下の無言の問いかけに、彼女は手を振って許可を出す。それを認めたソーヤは、大きく頷いて見せた。
「はい、シオファムエン様。左僕射殿が後見をなさっている、医師見習いのお方だそうです。可愛らしい娘さんでしたよ。今は一人、控えの間で左僕射殿の用事が終わるのをお待ちです」
「……会って話はできる状態?」
 ジンは純粋に、その娘が落ち着いて会話できる精神状態なのかを尋ねただけだった。一度襲撃を受け、誘拐され、生き延びた。年齢に関らず、そういった出来事があれば精神を病んでしまうものも珍しくはない。
 しかし、ジンの懸念は杞憂であったらしい。
「えぇ」
 ソーヤの返答は至極あっさりしたものだった。
「では左僕射殿が来ないように引き止めておきましょうか?」
 ジンの問いを、娘の状態についてというより、エイと会わずに彼女と会話できるかという風に、ソーヤは解釈したらしい。彼が、笑顔で提案してくる。
「そうね。それなりの時間、こちらで作って差し上げましょう、シオファムエン殿」
 ユファも部下の提案に頷く。
 ジンは彼らの厚意に、ただ黙って頭を下げた。


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